リアル!戦国時代 Vol.34

中世のキーワード 「座」 シリーズ 第18回 屋根葺きと座

左官の座はなかったようですが、しかし屋根については、瓦葺座に檜皮葺座と別の座が結成され、工事に参加していました。
屋根には、@瓦葺、A檜皮葺(ヒワダブキ)、B柿葺(コケラブキ)、C茅葺(カヤブキ)、D板葺・石置板葺と、いろいろな作り方があり、特に技術を要した瓦葺や檜皮葺に座が作られたものでしょう。

@ 瓦葺
中世では、瓦は主に寺院などに用いられていました。
公的な建物の築地塀などにも用いられていましたけれど、板葺屋根のついた築地塀もありましたので、この場合はちょっと特殊な例と考えてもいいかもしれません。

現在でこそ屋根瓦は比較的軽量な桟瓦(さんがわら)が当たり前になっていますが、これは近世以降にできたもので、それ以前の瓦葺は「本瓦葺き」と呼ばれています。
これはまず若干湾曲させた平瓦を屋根板の上に、並べ重ねて置きます。
平瓦の両サイドは隙間があきますから、その部分に今度は半円形の丸瓦を置いていきます。
軒先の部分は、平瓦、丸瓦とも先端部に蓋をするような形で形作り、これをそれぞれ軒平瓦、軒丸瓦と言います。

下図は左側が本瓦葺き、右側が桟瓦葺きです。



ともに粘土で形を作って、それから焼き上げたものですから、まず耐火性、耐久性は抜群で、そのため戦国後期から城の屋根などにも多く用いられました。

ただ問題は、耐久性の面から分厚くしなければならなかったことで、その分、屋根も重くなり、柱や梁を太くすることなどが必要でした。
桟瓦とは、この平瓦と丸瓦をくっつけたもので、形も小ぶりになり、軽量化されたこの形は近世以降、現代の瓦まで続いています。
ちなみに、瓦文様の多くは木型に粘土を押し付けて、スタンプのようにして文様を量産していました。

A 檜皮葺
檜皮葺は、字の通り檜の立ち木から採取した木皮を何層にも重ねて、竹釘で屋根板に固定したものです。
住宅用としては最高レベルの屋根で、御所などに使われています。
層を重ねられるので、屋根に微妙なカーブがつけることもでき、そのしなやかそうな曲線が堂上人の好みに合っていたのかも知れません。
檜皮剥きは、採取しても何年かすると再生するということですが、現代ではその職人さんも大変数が少なくなって日本全体で5人いるかどうからしく、建築遺産保護の面から早急な職人の育成が求められています。

B 柿葺
柿葺は杉などを薄板に加工したものを、檜皮葺と同じように屋根板に固定したものです。
檜皮葺ほどの最高級品ではありませんけれど、やはり高級住宅向けで、庶民の手の届くものではありませんでした。
檜皮葺も柿葺も、ともに竹釘が使われているのは、両者とも材質が柔らかく、なおかつ鉄釘による錆を嫌ったものだと思っています。
今でも高級婚礼道具の1つである総桐箪笥(タンス)は「金気(かなけ)を嫌う」ということで、竹釘で組み立てられています。
また、お仏壇などにも竹釘は使用されています。
柿葺の「柿」とは薄く切った板のことで、イメージとしては奈良時代などに使われていた木簡ほどの薄さを思い出していただけるといいでしょう。

C 茅葺
茅葺は刈り取った茅材を大きく束ねて屋根板に載せていくもので、草葺の1種です。
茅葺の茅は、そういう草があるわけでなく、ススキやカルカヤというイネ科の植物で、屋根葺きに使われるものの総称です。
こういう植物は、晩秋から冬にかけて枯れたときに茎の中が乾燥して中空になり、軽くてしかも適度に水をはじくので、伊勢神宮など古代から使われてきました。

茅葺の最大の欠点は虫がつきやすいことで、これを防ぐために屋内で火を焚き、煙を茅内に充満させます。
これをすると茅に煤がコーティングされたようになり、防虫・防水の両面から飛躍的に耐久性が向上します。
昔は囲炉裏があって生活していたわけですから、知らず知らずのうちに茅を守っていたことになるのですけれど、生活が変わって囲炉裏を使わなくなったとたんに茅葺屋根は急速に傷み始めてきました。
そのため、最近はこのことを応用して害虫駆除などをする業者さんも出てきていたりします。

D 板葺・石置板葺

これはもう、説明の必要がないくらい簡単なもので、街中での庶民の家々は、たいがいこれだったようです。
石置きをする場合の石は、大きくて人頭大程度、普通はそれよりも少し小さめの川原石が使われていました。
金沢市でも25年ぐらい前までは、まだあちこちで見られたのですけれど、最近は捜すのに一苦労してしまいます。

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