リアル!戦国時代 Vol.36

中世のキーワード 「座」 シリーズ 第20回 和紙 その1

最近は全国のあちこちで和紙ブームが起こり、石川県内でも金沢市二俣町の二俣和紙、お隣富山県でも山間部ではあちこちで作られ、福井県に至っては古くから越前奉書紙の名で量産されています。
明治以後、洋紙に押されてきたものの、この和紙は洋紙にはない特性がいくつもあります。
特に日本産の手漉き和紙は、洋紙と違って表面が酸化しないので絵画などの梱包にも使われ、実際にアメリカのメトロポリタン美術館では、日本産の和紙で所蔵資料を保護しています。
今回からは、この和紙と座についてみていきます。

さて一般的には、美濃の美濃紙、越前の越前奉書紙、播磨の杉原(すぎはら・すいばら)紙などが代表的な紙とされています。
しかしこれらの他にも、甲斐の甲州紙、伊豆の修善寺紙、土佐紙、石見紙、飛州紙、紀伊の高野紙、讃岐の讃岐檀紙、備中の備中檀紙、大和の奈良紙など、産地名をつけたいろいろな紙がありました。

和紙と座についてみる前に、和紙の説明から入ります。
和紙は、その主原料別に種類が分けられており、楮(こうぞ)の樹皮を使った楮紙(ちょし)、雁皮(がんぴ)の繊維を使った雁皮紙、また三椏(みつまた)を使用した椏紙(あし)があります。
しかし、三椏を使用した椏紙は、中世に使われた形跡がないことから、江戸時代以降のものと考えられており、本稿では扱わないことにします。

これらのうち雁皮紙は、斐紙(ひし)とも呼ばれています。
よく「鳥の子紙」と呼ばれるものを聞くことがありますが、これは雁皮紙の1種です。
また、これらはすべて新品の和紙で、これら以外に反古紙を再生して作る漉返(すきかえし)紙というのもあり、この場合は宿紙(しゅくし)と呼ばれて分類されています。

だいたいの原則として、楮紙は文書に使われ、雁皮紙は仏教経典や書籍などに使われていました。
ただ戦国時代になってくると雁皮紙のうち、鳥の子紙が文書に多く使われるようになっていきます。
楮の読み「こうぞ」は、古代において麻が製紙の材料として使われており、これが楮を使うようになってから楮を「紙麻(かみそ)」と呼び、これが転化して「こうぞ」と呼ばれるようになったものです。

楮は栽培が可能で、中国や朝鮮など諸外国でも生産されていました。
しかし雁皮紙は日本独特の製品で、雁皮じたいが栽培できないため、大変貴重なものとされました。
代表的な雁皮紙である鳥の子紙は、製品の色が鶏卵の薄黄色に似ていることから、このように呼ばれたのです。
上品に仕上がり、薄くても頑丈、また裏側への墨の滲みもないので、絵巻物や流麗な公家風のかな書き文書に使用されました。
戦国時代には、この上品さと使いやすさによって戦国武将たちも愛用し、切紙などの自筆書状に多く使われるようになっていったのです。

ここで簡単に和紙の製法についてみていきます。
まず、楮など材料となるものを伐採して、これを熱湯で蒸しあげて柔らかくし、表皮を剥いでいきます。
剥いだ表皮を川の水に晒して揉みほぐし、さらに黒皮を剥いで、中の白皮を取り出します。
灰を入れた湯で煮立てて1度アク抜きし、細かいゴミを取り去ってから棒などで叩きほぐし、細かい繊維状にしていきます。
繊維質になった材料を水に溶かし、米粉などのツナギ剤を入れて、これを簀(スノコ)ですくい取ります。
このスノコですくい取る作業を漉き上げと言います。

漉き上げた紙は水分を多量に含んでいるので、これを何十枚も重ねて重石をかけ、水分を搾り出してから、1枚ずつ平らな板に張り付けて、天日干しにします。
漉き上げるときにスノコを前後に揺らして漉くのは、紙の厚さを均等にするためです。
厚手の紙は素人でも漉き上げられないことはないのですが、薄手の和紙を作るのは大変に難しく、素人では絶対に無理です。
ここに、薄くてしかも厚さが均等という、職人技が出てくるのです。
また漉き上げのときに繊維を絡ませて作るので、1度漉いた紙は他の紙と繊維が絡みつかず、そのため何枚重ねてもくっつくことはありません。

反古紙を再生した宿紙の場合は、ほぐして溶かすときに墨のついた部分を丁寧に洗い流すため、色はあまり変わりませんけれど、どうしても前の紙の繊維のかたまりが残ったりします。
また、わざと墨の色を残してネズミ色になった紙もあり、これは薄墨紙と呼ばれ、風情があるために綸旨にはこの紙を使うことが定められていました。

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