リアル!戦国時代 Vol.49

中世のキーワード 「座」 シリーズ 猿楽の座特集 第1回 猿楽座の誕生

今回から芸能の座として猿楽座を取り上げます。
猿楽は「能楽」として現代に続いており、私を含めて愛好者も多く、現代に生きる古典芸能としてマスコミにも多く取り上げられています。
いろいろな紹介書もあり、教科書にも当然出てくるものの、それらの多くは残念ながら「能楽」が歩んで来た歴史を踏まえていると言うより、一つの神話を語っているような感があります。
ここでは好悪に関わらず、当時の人々が歩んできた歴史を踏まえて「猿楽能」の座を見ていくとともに、現代の「能」からイメージされているものがいかに当時のものと異なっているかを中心に見ていきます。
ただ結論から言うと、現代の「能」は世阿弥時代、戦国時代のものとは似ても似つかぬものではあるものの、その本質においては世阿弥が一生かけて希求したものになっているということです。
これは非常に不思議な話ですが、最後まで読んでいただければ納得されると思います。

次に用語ですが、ここでは「能」や「能楽」と言わずに「猿楽能」で統一していきます。
一つには当時の「田楽」に対する「猿楽」という意味であり、また中世の「能」という言葉は「歌舞劇」を意味しているものの、それは現代の「能楽」を指しているものではないこと、これらに加えて「能楽」と公式に呼ばれるようになったのは明治以後のことだからです。
史料上、「猿楽能」のことを「能」と書かれてあるものも確かに多いのですが、「能楽」と書かれているものは非常に少なく、歴史的用語として考えた場合、「能」とは「能楽」ではなく「猿楽能」の略であると考えるべきです。

多くの入門書においては、入門用であるためか、また「猿楽」というよりも耳慣れている「能楽」と書いた方がイメージしやすいためか、これらの用語をはっきりと区別せずに使われています。
しかしそれは現代行われている「能」のイメージであり、それがそのまま世阿弥時代、戦国時代の「猿楽能」のイメージになっているはずです。
考えてみて下さい。
動いているのかいないのか凝視しなければならないほど緩慢な動き、あまりに間延びしていて謡本を見ないとわからないような台詞まわしなど、いくら娯楽の少なかった時代だとは言え、中世の一般庶民が楽しんで見たと思えますか?
ここでは、現実の歴史にこだわって見ていきたいと思っています。せっかく「時空を越える旅へのご招待」を標榜しているのですから。

さて、前置きがいくつもあって申し訳ないですけれど、次は「猿楽能」の歴史を大まかに見ていきます。
音曲を伴う歌舞は、朝廷で行われたものを除けば、基本的に大寺社で行われた神仏への祈りという行為の一環としての祝祷祭事が起源とされています。
これは祝いの舞を神仏に奉納するという意味で、形は違いますけれど巫女さんによる神前の舞がこれに近いと言えます。
また、寺社などで行われていた他の音曲舞踊として「延年の舞」がありますが、これは宗教行事というよりもむしろ行事が終わってからの饗応の宴芸つまり打ち上げ会でのものとされており、猿楽能に影響を与えたと考えられているものの、その淵源とは違うようです。

その祝祷祭事の舞が、「翁猿楽」つまり「翁(おきな)」です。
解説書などには、「翁」というと必ずと言っていいほど「春日大社の影向(ようごう)の松」の話が出てきます。
これは現在も春日大社に切り株が残っている大木の松のことで、神が降臨する際の依代(よりしろ)つまり乗り移る場所とされているものです。
能舞台の正面奥、鏡板(かがみいた)と呼ばれているところに大きな老松が描かれており、これが春日大社の影向の松を描いたもの、神の依代であると説明されています。
ここで「座シリーズ 第3回 座の語源」にあるように、祭事儀式の奉仕者集団としての座が初めて形作られました。
これが「翁猿楽」を演ずることを目的とした猿楽座の起源で、神仏への奉納という性質から、座の長など上位構成員が勤めたと考えられており、時代的には鎌倉中期あたりと推定されています。

実はそれよりはるか以前の平安中期頃から、物真似芸を主とした「猿楽」と呼ばれるものは発生していました。
これは滑稽つまりお笑い系を含んだもので、かなり娯楽的要素が強かったらしく、そのため娯楽的な芸能であれば全て猿楽と呼ばれていた時期もあるようです。
ただ、現代において物真似と言うと、どうも一種うさんくさいと考えられがちですけれど、例えば神霊の憑依による神真似となると、卑近なものとは言えません。
現代のように「演技」という言葉のなかった時代、その基本としての「他者の真似」を「物真似」と表現したと考えるべきでしょう。
そして、そういう物真似芸としての猿楽が積み重なっていった延長線上に、「翁猿楽」というものが成立したわけです。
しかし、翁猿楽を本来の仕事とした猿楽座は物真似芸を捨てたわけではなく、座の下部構成員が引き続き行っていました。
こういう事情から、猿楽座において翁猿楽は特別な重要なものとなりました。
猿楽を演じていたただの芸能集団が、翁猿楽を演じることにより寺社の正式な座として認知されたわけですから、これはまさに猿楽座の生みの親と言えるかもしれません。

前項へ     トップページへ     次項へ