リアル!戦国時代 Vol.50

中世のキーワード 「座」 シリーズ 猿楽の座特集 第2回 「翁」と猿楽能

猿楽の座は寺社への奉仕集団だったこともあり、当然、大寺社のある地域あちこちで形成されていきます。
丹波猿楽の座、伊勢猿楽の座、近江猿楽の座、越前猿楽の座などが挙げられ、そしてもっとも有名なものが大和猿楽です。
まず興福寺の薪猿楽で首座を勤めた円満井座、そして法隆寺に属していた坂戸座、多武峰所属と推定されている結崎座と外山座、これら四つの座を合せて大和四座と呼ばれました。
初めのうち、四座はそれぞれ所属している寺社で「翁猿楽」の奉仕を行っていました。
座の一般的な運営で言えば、それぞれの座は所属している寺社の枠を越えることはありません。
しかし猿楽座においては、この約束事が微妙に変化していったのです。

猿楽座となった猿楽集団は「翁猿楽」を演じる上位者と、本来の物真似芸をする下位者で構成されていました。
本来の職と異なる芸をもって座を立てつつも、過去の芸を捨てることなくそのまま保持するという形態であり、これは他の座に見られない特徴です。
組織上、座の主導権は当然上位者にあり、「翁猿楽」は座の表芸のはずでした。
しかし演劇的要素である「能」を取り入れたことにより、猿楽座はコペルニクス的転回を迎えます。
単発的な物真似中心だった下位者の猿楽が「猿楽能」となったことで、物真似歌舞劇つまり演技を中心とした歌舞劇に発展していき、これが一般民衆の支持を得て、座の中で上下の逆転現象が起きたのです。
この現象は生産や流通の座といった他の種類の座よりも、個人の技量がかなりのウエイトを占めていた芸能の座だからこそ起こったのではないかと思っています。

鎌倉中期に座を組織した大和四座は、それからほどない鎌倉後期に物真似歌舞劇が主流となって座を運営し始めます。
しかし、いくら物真似歌舞劇が民衆に人気だと言っても、ただの猿楽集団を猿楽座とさせた寺社の側からすれば、自分たちの祝祭的「翁猿楽」は演じてもらわなければなりません。
これを座内で演じていたのが、元からの上位者たちです。
特に上位者のトップは「長(おとな)」と呼ばれ、座を統率する権限を持っていました。
鎌倉末期から南北朝という古今未曾有の激動期、猿楽の座は「長」を頂点とする上位者グループと、物真似歌舞劇つまり猿楽能を演じるもう一つのグループに分かれていきました。

ここでいかにも日本的なのは、二つのグループに分かれたのにもかかわらず、彼らは座を分立させることなく、今までどおりに一つの座のまま運営がなされたのです。
翁猿楽を演じた上位者が「長」を中心に組織されたのと同じように、猿楽能を演じた人々の中で演技上手とされた人は「権守(ごんのかみ)」または「大夫(たゆう)」と呼ばれ、座の演技の代表者というこれまでの立場から上昇し、ついには座の代表者として認知されるに至りました。
そしてさらに面白いことに、翁猿楽だけを演じる「長」グループはそのまま居残りつづけ、その命脈は細々ながらも明治まで続いていったのに対し、「大夫」グループもまた「翁」を演じていくことになったのです。
このような経緯から、「大夫」グループつまり猿楽能の役者たちは、本来自分たちの演じるものではなかった「翁」を別格として扱い、神聖視していくことになりました。

「能であって能でない」と言われ、神聖視される「翁」には、このような歴史的経緯がありました。
この言葉の「能」が、もともとは猿楽能であり物真似歌舞劇である以上、確かに「翁」は「能」ではありません。
しかし「翁猿楽」がなければ猿楽座は存在しなかったことを考えると、「翁」の重要性が浮かび上がってきます。
「翁」こそ、ただの民間芸能にすぎなかった猿楽を大寺社の座に引き上げ、公的な場での芸能に発展させるきっかけをもたらしたのです。

座はもともと、認知者である本所の支配を受けるという形をとることで成立し、運営されていったものです。
したがって他の本所の圏内つまり「他所のなわばり」を侵すことは固く戒められていました。
しかし猿楽座の場合、扱うものが「芸能」であったため、この点、製造業や商業といった他の種類の座よりも自由度が高かったようです。
大和四座の場合、前述したように四座はもともとそれぞれ本所が異なっていましたが、南北朝期に優秀な猿楽能の役者を出したこれら四座は、当時大和国の実質的な守護だった興福寺に参勤し、それゆえに大和四座と呼ばれるようになりました。

彼らはそれぞれ本来の寺院で参勤しながら興福寺にも参勤し、またお互いの寺社にも参勤していきました。
他座の「なわばり」で他座と競い合う環境を持った大和四座の猿楽能役者たちは、演技としての技が磨かれていったであろうことは容易に想像がつきます。
このように猿楽能の座は、南北朝期という大変動の時代の中、それぞれ所属の翁猿楽の座を保持しつつも、座としてはかなり自由度を強めていったのです。

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