リアル!戦国時代 Vol.58

中世のキーワード 「座」 シリーズ 猿楽の座特集 第10回 足利〜戦国期の猿楽能所要時間

『岩波講座 能・狂言 T 能の歴史』の中で、「能時間の推移」という論文があります。
これは現代の能を1曲平均77分と割り出し計算して、これと室町期でとの時間の差をパーセンテージで比べていったものです。
要は、1曲が現行では1時間10分〜1時間30分程度かかっているということで、これは妥当な見解だと思います。
現在の能楽大会などでは、能の中のメインの舞である「仕舞」、それに続いて、仕舞に囃方が加わった「舞囃子」が何番か行われ、その後に「能」「狂言」「能」の順番で行われていることが多いです。
中世の猿楽能では、このような形で行われることなく、「翁」そして脇能としての猿楽能が延々と続いていきます。
猿楽能の間に狂言が入ったかどうかは議論の分かれるところですが、少なくとも毎回入った記録はありません。

前掲論文では、不定時法である当時の時間帯を加味して、計算されていますので、かなり正確と思われる計算をされています。
それによると、先学である野々村戒三氏の論文では、永享2(1430)年の醍醐寺での能が11番あって、1番平均で33分、「多聞院日記」天正4(1576)年の記事では1番平均43分であり、当時の能が現代に比して非常に短かったことを示しています。

その他の例として、永享5(1433)年の糺河原勧進猿楽では、初日に7番(狂言あり)、三日目に9番の能が演じられたことを分析し、狂言抜きで計算すると初日43分、三日目33分と、このときの演能平均時間を割り出しています。
また、寛正5(1464)年11月に行われた足利義政が仙洞御所で行われた観世能(17番)では、饗応などの休憩時間を3時間と計算して狂言無しで計算し、1番平均39分とはじき出されています。
しかもこの場合は狂言があったと推測されており、実際には「もっと短かったはずである。」と述べています。
これらの事から、「室町中期の能時間は現今の半分以下」と考えられているのです。

室町後期においては、「明応6(1497)年3月2日の将軍邸での金剛・金春両座の能が25番」、「永正11(1514)年10月28日の南都での雨悦びの能は(式三番)と四座の能17番だった」とし、「屋外での催しなのでそれを日中(11月ゆえ約10時間半)に演じ終わったろうから、今の42%ほどの所要時間だったことになろう。」としています。
つまりは屋外の場合、1番平均32分程度ということになります。

そして天文期の本願寺宗主である『証如上人日記』を取り上げ、時間帯の判る事例を15例挙げ、それぞれの所要時間を算出しています。
( )内は私が1番平均時間を求めたもの

A 天文6年2月24日。金剛大夫。実質432分。今なら1085分で、その40%(1番平均約32分)
B 天文7年正月11日。金剛大夫。実質504分。今なら636分で、その79%(1番平均約85分)
C 天文7年3月11日。金剛大夫。実質198分。今なら493分で、その40%(1番平均約28分)
D 天文8年9月25日。金春大夫。実質468分。今なら799分で、その59%(1番平均約49分)
E 天文9年正月15日。春日大夫。実質324分。今なら508分で、その64%(1番平均約59分)
F 天文12年2月19日。観世大夫。実質540分。今なら883分で、その61%(1番平均約51分)
G 天文12年2月21日。観世大夫。実質654分。今なら924分で、その74%(1番平均約55分)
H 天文12年2月24日。観世大夫。実質612分。今なら979分で、その63%(1番平均約49分)
I  天文16年正月16日。春日大夫。実質648分。今なら1051分で、その62%(1番平均約50分)
J 天文20年正月22日。春日大夫。実質495分。今なら937分で、その53%(1番平均約41分)
K 天文20年正月26日。春日大夫。実質648分。今なら1121分で、その58%(1番平均約45分)
L 天文22年正月11日。春日大夫。実質576分。今なら886分で、その65%(1番平均約50分)
天文22年正月13日。春日大夫。実質684分。今なら1016分で、その67%(1番平均約53分)
N 天文23年正月10日。春日大夫。実質540分。今なら844分で、その64%(1番平均約49分)
O 天文23年2月22日。春日大夫。実質612分。今なら1197分で、その51%(1番平均約44分)

前掲論文では、「比率が別して高いBの場合は、3番過ぎての食事の他に5番目の後に酒が出、6番目過ぎにも酒になったことが同書の記事から知られ、実質の演能時間は右の計算よりかなり短いらしい。」と考察されています。
そしてほとんどが「50%以上であり、60%台が主体と言える。室町中期よりは少し能時間が延びていたように、『証如上人日記』からは受け取れる。」としています。
但し、これらの計算値の中には食事など宴会の部分の時間帯を1割と見積もっており、この点、問題が少々あるのではないかと思います。

本願寺内での演能記録には、一獻、二獻と、湯漬振る舞いなど、猿楽能の合間に宴会が行われています。
この頃の一獻は、盃を回す形で行われますが、一般的に一獻と書かれた場合、盃3杯で一獻となり、人数にもよりますが、時間はそれなりにかかったと考えるのが妥当です。
演能が長くなる場合によっては五獻まであり、それらの時間は総合すると決して短いものではなかったと考えるべきで、宴会の部分の時間帯が1割というのは短すぎると思っています。
むしろ宴会の時間は1割以上と考えるべきで、特に長い演能の場合はこの比率が1.5ないしは2割と増してくるのが当然ではないかと思います。
そうなると、( )で示した1番平均の長さも短くなってくるわけで、当時の演能もそれほど長い時間ではなかったことが予想され得ると思います。

岐阜県能郷の白山神社祭礼の奉納演芸について、曽我孝司氏は、著書『戦国武将と能』で、以下のように述べています。
「演能は「半能」形式で行われ、役者は台詞を全く発せず、軽い所作のみを演じる。三人の地謡方が観世流の謡本をもとに、流儀とは全く関係なく、能郷独自の作法で謡う。能三番、狂言二番の所要時間はおよそ一〇〇分である。」
能を一曲全てで行うのではない半能形式ながら、所要時間は当時の各猿楽座の流儀においても、そう大した違いはなかったはずです。

また時代は下がりますが、『信長公記』永禄11(1568)年11月22日条に、足利義昭が13番の能を観世大夫にさせようとし、信長によって5番に縮められた記事があり、信長の義昭に対する姿勢を示すものとしてよくあちこちに引用されますが、これは永禄年間においてさえ、13番の猿楽演能が可能だったことを示しています。

つまり、猿楽の演能は、本来それほど時間のかかるものではなく、むしろ現在の能は時間的に見ても全く違ったものであったことがわかります。
これは時間的なものに限定してみるべきではありません。
例えば現代のミュージカルやオペラなどの演出を変えずに時間を半分近く短くしろと言っているのに等しく、演出などにもろに影響してくるはずです。
この意味において、初学者向けの解説書などの猿楽能の説明は、時間的にも演出的にも、ほとんど当てにならないと言っていいと思います。

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