リアル!戦国時代 Vol.60

中世のキーワード 「座」 シリーズ 猿楽の座特集 第12回 『天文日記』による本願寺での猿楽能その2

本願寺の場合、正月二日に役者を入れない謡始と、それにつづく近臣僧侶による手猿楽の披露が恒例となっていました。
面白いのは謡始には出ないのに、手猿楽では見物させてくれと言ってくる僧侶もいたことです。

(略)○歌始事。(略)△兼智所勞しかじかと無之間、不呼出。但能之時者出度之由候間、喚之也。笑々。△能者翁大夫福勝寺 誓願寺大夫了誓 西行櫻大夫小輔 猩々大夫空勝」(天文13年正月2日条)

謡始の事。近臣の兼智が体調が悪いと言うので、呼び出さなかった。但し、猿楽能の時は出たいと言ってきたので、彼を呼んだ。笑ってしまった。
手猿楽は、翁の大夫は福勝寺が、誓願寺の大夫は了誓が、西行桜の大夫は小輔が、猩々の大夫は空勝が務めた。

この正月二日の行事は毎年恒例であり、『天文日記』の最初から出てきます。
これにより、おそらく本願寺が山科にあった頃からの恒例行事だったと推測できます。
前々回の統計のように、大坂本願寺には、初めのうち特定の猿楽座を贔屓することなく、猿楽座であればどこでも出入りさせ、演能させていたこともわかります。

また現在は廃れてしまいましたが、当時は「松囃子」と言う芸能も盛んで、これに猿楽役者もやらせていました。

(略)○松囃者巳刻半時計始之松囃人數卅三人也狂言坊主衆申付了(略)△一番相過、肴之箸取之。△三番過テ樂屋へ大折饅頭一、常折貮合遣之。△同坊主衆へ大折あこや一、常折二合五荷遣之。△五番過テ湯漬汁二菜六出之。○松囃者七番有之。鶴亀、玉依姫、羅生門、花形見、巴園、松虫、葛城天狗。○坊主衆狂言者、土塔會、寢覺床、陶淵明、竹生嶋巡禮、三山(ミツヤマ)新三井寺也。○此後春一大夫松囃にも出也ニ能させ候。難波梅、田村、船辧慶、杜若、老松後計乞能岩船計也。△舞臺蝋燭者兵庫、大藏、源八、源三郎持出。又眞(心カ)を取衆、大藏、源八也大藏者雖松囃之人數松囃早果候間、如此」(天文13年正月16日条)

これを見ると、松囃子の人数が33人であること、狂言は坊主衆にさせたこと、時期を見計らって楽屋へ饅頭や折り詰めなどの食べ物を届けつつ、自分たち見物衆も飲み食いしていたこと、暗くなってきたので舞台に蝋燭を灯し、その芯を切らせて明るさを保たせたことなどがわかります。
また、春一大夫(春日大夫・しゅんにちたゆう)という猿楽役者に、松囃子にも出させて、その後に本業である猿楽能を演じさせていることもわかります。

この春日(証如は「春一」と書くことが多い)大夫は、折々に本願寺に来て、のちのち証如は彼を贔屓にしていきます。前史料より少し前ですが、こういうのもあります。

(略)○松囃者午刻已然始之。於寢殿之四本懸内、舞臺敷之。七番有之。仍史公、右近、夕顔半部之也 紅葉狩、左(ママ)衣、海道下、賀茂矢立也 其後春一大夫ニ折節逗留之間能させ候。羽衣、蘆苅、岩船、三番にて立候。又乞能分雪葛木、高砂此分也。春一座就神事之儀、折節十四五人寄候間、召出候 △能四番過て湯漬出之也汁二菜六 其後、盃折にて有酒也。女房衆も同座敷也。」(天文10年正月12日条)

(略)松囃子は昼前に始めた。寢殿の4本の柱の内に舞台を敷き、7番あった。演目は「史公」、「右近」、「夕顔」途中まで、「紅葉狩」、「左衣?」、「海道下」、「賀茂矢立」だった。この後、春日(春一)大夫がちょうど逗留していたので、彼の一座に猿楽能をさせた。演目は「羽衣」、「蘆苅」、「岩船」の3番だった。また頼んで「雪葛木」、「高砂」を演じさせた。春日(春一)大夫の座は神事があったようで、14、5人来ていたので、召し出した。△能が4番過ぎたところで、2汁6菜で湯漬を出した。その後、盃や折り詰めで酒を飲んだ。女房衆も同じ座敷に上げた。

このときの松囃子は寢殿の中で舞台を敷き詰めて行われたこと、7番演じられたこと、ちょうど春日(春一)大夫の座が来ていたので、彼らに能を演じさせ、アンコールも2番演じさせたこと、舞台の合間を縫って2汁6菜で湯漬を出したことやその後も宴会になったことが窺えます。
2汁6菜とはけっこうなおかずの量で、湯漬と言いつつも、その意味ではかなり豪華な食事です。
本願寺は毎日こういう贅沢や演芸に日々を費やしているわけではないのですが、金を使うときは、けっこう派手に使っています。

天文13年正月16日条の場合は、翌々日の18日に、

(略)○春日大夫ニ五百疋。六郎次郎ニ貮百疋。與三ニ貮百疋。源四郎、又二郎、虎松等百疋宛遣之。就松囃之儀也。」

春日大夫に5百疋(5貫文)、息子の六郎次郎に2百疋(2貫文)、與三に2百疋(2貫文)与えた。松囃子の源四郎、又二郎、虎松らには百疋(1貫文)遣わした。

また天文10年正月12日条の場合は、翌13日に、

「春一座中へ如恒例十五貫遣之。以光頼(下間丹後)也。△六郎次郎春慶座ニ貮百疋遣之。松囃又大口等くゝらせ候、旁ニ如此。△與三春慶座ニ百疋遣之。」

春日(春一)一座へ恒例のごとく15貫文を、下間丹後光頼をもって遣わした。六郎次郎には2百疋(2貫文)、與三には百疋(1貫文)遣わした。
あいだの「松囃又大口等云々」は、私にもよく分かりません。相応の代金は与えたと思います。

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