リアル!戦国時代 Vol.61

中世のキーワード 「座」 シリーズ 猿楽の座特集 第13回 『天文日記』による本願寺での猿楽能その3

では本稿から、第42回の例を挙げる形で、長いですが、本願寺内での演能記録をいくつか出してみましょう。

A 天文6年2月24日。金剛大夫。実質432分。今なら1085分で、その40%(1番平均約32分)の場合。
この場合は、前日に御影堂の前の広場に舞台を組み立てています。

(略)於御堂有能、大夫金剛也。巳尅半時計ニ始之。(略)
    能の次第
翁アリ 高砂、田村、松風、てうふく曾我、西行櫻、小鍛冶、葛城、鵺、櫻太皷、もりひさ、誓願寺、猩々、玉鬘、金札入ハ計、自此方依申出如此已上十四□(番カ)。此内盛久過テ、大夫座敷へよび候て、愚坏呑せ、縫物の小袖一重ねり候也遣候間、誓願寺ニ着し候也。能入夜候間、蝋燭四挺出候。かゝりハいまだ不出也。能五番□(過カ)テ、湯漬出し候。七くミに、汁一ツ、引物一ツ出候。相伴衆ハ兼譽、兼繼、兼智、兼澄、兼盛、兼詮、勝興寺侍從、長嶋、出口親子二人、富田式部卿、常樂寺兄弟二人、上野、又鳥居少路法印トよび候。今ニ獻の肴ハニ三番後ニ一獻出候。盃兼譽はじめられ候。今一獻ハ盛久過而出候。此酒のゝちハ只盃計にて酒あり。何にも何にも折出候。三獻めの盃度々鳥居少路ニはじめられ候へと、申候へ共、還而酌にてたはれ候間、不及是非のミ候。初獻歟、二獻め歟ニ、殿原とをりのませ候。(略)能すぎて少間酒あり。湯漬坊主衆、殿原各食候。がくやへハ湯漬おそく候間、先大折一合、常の折二合と、五荷と遣候。女房衆にハ無□(肴)湯漬も草也。能ハ酉尅半時計歟、又酉尅(ママ)半時計歟ニ果候也。此方にて大折二合、常折拾合誘候。(略)」

ここでは午前10時前後に「翁」から始まり、この後、猿楽能14番が行われたこと、「盛久」後に大夫を呼び、酒を飲ませて「縫物の小袖」を一重渡したところ、次の「誓願寺」にこれを着て行われたこと、「西行桜」の次あたりに「湯漬」を出して饗応したこと、次に「葛城」か「鵺」の後に2献目を出したこと、そして「盛久」の後に酒ばかりの3献目を出したこと、「殿原」つまり侍衆にも飲ませたこと、午後6、7時前後に猿楽能が終わってから「酒」を飲み、「湯漬」を「坊主衆、殿原」に振舞ったこと、楽屋へ遅めに「湯漬」を出したので、「大折」詰めなどを持たせたことなどがわかります。

なお、このときは翌25日に金剛大夫へ50貫文遣わしたこと、またこの日も能があったことを伝えています。
そして25日の分は、26日に金剛大夫方へ坊主衆が30貫文出しています。

B 天文7年正月11日。金剛大夫。実質504分。今なら636分で、その79%(1番平均約85分)の場合。

金剛大夫ニ以周防今日會候べきよし申出し候。又周防心得の様尋候へ、と申付とて、装束持參候哉、と申遣候。△大夫返事ニ可有御對面之由忝候。又装束事四五番のほどハ持參候よし申候。△此方又申事ニハ、然者御能させらるべきよし申させ候。△返事ニ忝存候。得其心由申候。△上野以周防能させ候事にハ(マゝ)つひて三種三荷來候。△其後於寢殿、兼譽、兼智、兼盛、經?、又鳥居少路喚。口ノ間にて自餘所樽到來候條、一ツ被呑候へと申て、折にて酒候。殿原にも五盃通ニのませ候。其後坏一出愚のミて、金剛大夫ニのませ候て、能仕候へ、と以上野即申付候。△寢殿座敷誘様ハ押板ノ間ト、口ノ座敷との襖障子の候處ニ、御簾三間ノ分かさねて懸候。其内北ノ方ノ御簾のきわ、屏風二おり二畳ニ不足之所、立きり愚身居候。又北ノ中ノ間ノ六間ノ座敷ノ南、二間ノ襖障子候所ニ、御簾懸候て、一家衆被見候。湯漬酒之間などハ、奥ノ四間にてさせ候。即其あひだ、ふすま、しやうじ、北ノ方ニ口をあけ候てきうじ候。△又女房衆ハ即愚身居候南ニ被居候。講所へ行候、寢殿の庭中ノ大戸より西淨ノきわまで、はた板にてかこひ候て、廣縁杉戸より出入候。又能ノ場ハ口座敷西ノ方二間畳ヲあげ候て、座ノ衆ハ縁ニ薄へりしきて住候。次ノ四には殿原共居候。がくやハ綱所也。△能之次第無翁、老松、實盛、野々宮、船辧慶、船橋、龍田、岩船後計 乞能當麻同前乞能玉鬘同前已上九番午刻巳前ニ初、戌刻半時計ニ終候。△能三番過テ湯漬出之汁一、菜六 又五番過而候哉、盃ヲ出シ有酒。又六番過て、鰻大折にて酒候。常樂寺、弟兵部卿、経行寺被來候間、いまだ年始之對面なく候つれども、喚てみせ候。稱コ寺をも喚候。△能之中ニ三合貮荷自顯證寺來候。とりすへ五ツ、貮合三荷、自光應寺。三合貮荷、自興正寺來候。」

少々長いですが、金剛大夫に今日会って能を見たいと伝え、装束を持ってきたか問い合わせ、金剛大夫が4、5番ほどの装束は持参してきたこと、演能に当たっては「三種三荷」などの飲食物が運び込まれたこと、側近や金剛大夫にも酒を飲ませ、「寢殿」の「座敷」をいろいろと工夫して舞台としたこと、楽屋は寢殿近くの「綱所」に置いたこと、猿楽能は昼前の午前中に始めて午後8時半ぐらいまで演じられたこと、3番目の「野々宮」が終わって「湯漬」を「汁一、菜六」で出したこと、5番目の「船橋」の後に酒を出したこと、6番目の「龍田」の後、「鰻」の「大折」詰めで酒にしたこと、年始の対面が終わっていない坊主衆を呼んで見せたことなどがわかります。

この翌日、「金剛大夫ニ昨日之能骨折候。仍千疋、座者五人ニ百疋ツゝ、以周防やり候。」とあり、金剛大夫に千疋(10貫文)、座の者5人に百疋(1貫文)ずつの合計15貫文与えたことが記されています。

また統計には現れていませんが、天文7年3月15日条に

今日能させ候べきよし、云出候。△上野就能之儀、饅頭大折壹合、常ノ三歟、二歟 合三荷來取次周防。△左衞門大夫就同前事、三合貮荷出之。取次周防。△能之以前ニ金春大夫觀世又次郎、一郎肴にてあひ候。其終ニ喜四郎召出也。寢殿にて能あり。仍能ハ翁アリ。高砂、實盛、熊野、かんたん、道成寺、蘆苅、じねんこじ、當麻、舟橋一郎スル也 車僧、老松後計歟能也 已上十一番也。△能五番過テ湯漬出之汁二、菜七其後一二番過て、折などにて酒有之。大折鰻一、とりすへ五一膳、五合此方にて誘候。又大夫ニ織物小袖袷遣之。一郎ニだんだんの織色一、又二(次カ)郎ニ織筋一遣候。一獻過て能已前ニ上野してやり候。又五番過テ自大方殿、織物一重大夫ニ、染小袖又二郎ニ、織物一郎ニ被遣候左衞門大夫して被遣候 △又大夫ニあこの小袖紅織物一ツ、又東向兼譽室織物一ツ被遣候。」

ここでは金春大夫と観世又次郎、一郎と、異なる座衆の共演が寢殿で行われています。
「翁」と11番の猿楽能で、「道成寺」の後に「2汁7菜」の豪華な「湯漬」が出、「じねんこじ」の後あたりで「折」詰めで酒、しかも「大折鰻」を振舞い、大夫には「織物小袖」や「袷」、一郎に「だんだんの織色」、又次郎に「織筋」を遣わし、同席した「大方殿」などよりも織物や染小袖などを贈っているのは、けっこうな大盤振る舞いと言えましょう。

この翌日は猿樂ニ五千疋、就昨日能事遣候。以左衞門大夫也。(略)」と、猿楽役者全員含めて50貫文送っており、またその翌日には「自大方殿金春ニ潤體圓十粒蘇香圓七十粒計牛黄圓三百粒御やり候」と、薬を大量に贈っており、本願寺の勢威がわかるというものです。
この翌日18日にも11番の猿楽能を演じさせ、19日にはまた金春大夫に「五千疋」つまり50貫文を贈り、座中で配分させています。
しかも19日には金春大夫、一郎、又次郎を「寢殿」に呼んで饗応し、他の者には別の場所でご馳走までしています。

F 天文12年2月19日。観世大夫。実質540分。今なら883分で、その61%(1番平均約51分)の場合。

この場合も前日の18日に猿楽大夫と対面し、2百疋(2貫文)渡して、今回は阿弥陀堂の前に舞台を作っています。
なお、G 21日、H 24日と、天候を選んでほぼ連続して演能されています。

能者巳刻少過ニ初之。戌刻過ニ相果也。高砂、八嶋、采女、皇帝、松虫、輪藏、山祖母(姥カ)、遊行柳、夜打蘇(曾カ)我、紅葉狩、乞能者猩々、十一番也。△南方平張ニハ雜々女房衆置之。北平張ニハ亭衆、中居衆、綱所衆各烏帽子令着之居之。其次ニハ北方也一家衆侍又其外烏帽子不着中居衆等置之。△御影堂廣縁、大床、南方ニハ坊主衆堂衆居之。北方ニハ加州長衆六十餘人居之。△舞臺南方ニハ女房共、北方ニハ男衆也。△今日之能ハ就阿彌陀堂榮(マゝ)功之儀也。△能可始之由申遣。使者大藏丞也。△舞臺蝋燭役者大藏与源次郎也。△能三番過て雜煎出之。其次湯漬汁三菜八其後肴一獻、其次温麺、其次肴也。合五獻分也。△盃壹一出之。△折十五合、執居三膳。△樂屋へ常折三合、饅頭大折一合出之云々。△坊主衆加州長衆湯漬令食之。其後大折饅頭兩所へ一折宛出也。(略)」

やはり午前10時ごろから始まって午後8時過ぎまで11番行われたこと、阿弥陀堂・御影堂の広縁を含めて舞台を囲むように諸衆が座して見物したこと、「采女」が終わって「雜煎」が振舞われ、「皇帝」の後に「湯漬」3汁8菜が出たこと、「松虫」の後に「肴一献」が、「輪蔵」の後に「温麺」が、「山姥」の後に「肴」が振舞われたことがわかります。

これらの場合の「肴」は「魚」ではなく、いわゆる「乾物」と考えた方がいいでしょう。

このときの特徴は、坊主衆に混じって「加州長衆(かしゅうおとなしゅう)」が見物衆に加わっていることで、これは加賀から本願寺へ30日毎の当番制で警護に来ていた「加賀からの卅日番衆」の人々と考えられ、彼らは帰国して後、「本願寺様」ではこんなことがあったと周囲に話して聞かせたことでしょう。
彼らも坊主衆に混じって「湯漬」のご馳走を食し、また「大折」の「饅頭」が振舞われています。

G 天文12年2月21日。観世大夫。実質654分。今なら924分で、その74%(1番平均約55分)

今日能ハ就誕生事也。巳刻以前始之亥刻過果也。△能次第鵜羽(飼カ)、田村、江口、廣元、舟橋、槿、張良、東岸居士、殺生石、ぜかい、鶏、乞能者項羽、志賀、十三番也。△何事も如先日雜煎、折、盃臺、坊主、加州衆等也△三番過て大夫ニ此方三人小袖於舞臺遣之愚遣候をは頼堯自正面持行慶之は兵庫北向のは大藏持行也四郎ニ小袖一重、彌左衞門、小次郎、源二郎、いや(マゝ)いし、彦三郎、與右衞門、八田、ちの等ニ小袖一宛遣之是をば源八与源二郎持行、頼堯遣之 △一家衆半分南高坪ニ平張調之令居之。座敷餘ニせばき間如此。△折ハ十五合雖調之、一昨日之三合餘間、合十八合也。△取居ハ貮膳雖用意、先日之一膳餘間、合三膳也。」

午前10時前に始まって、午後10時ごろまで続き、アンコール2番を含めて13番行われたこと、食事等は前々日と同じようであったこと、「江口」が終わって観世大夫に「小袖」をかなりの量遣わしたこと、またこの日は証如の誕生日に当たっていたことなどがわかります。

H 天文12年2月24日。観世大夫。実質612分。今なら979分で、その63%(1番平均約49分)

今日能ハ自諸坊主衆取沙汰候也。巳刻半時計始之。亥刻過ニ果也。天氣□(惡カ)之間能遅々候也。△能ハ氷室、朝長、熊野、降魔、杜若、和布苅、五條夕顔、葛城天狗、鈴(鉢カ)木、鵺、與能呉綾、老松、玉鬘圓能不審十三番也。△雜煎、湯漬、肴、温麺等有之。様躰如先日也。△折多出也。取居ハ無之。△蝋燭ハ有明自此方出之。其外大小共以自坊主衆出之也。經數日後有明四挺自坊主衆來。返語ニ隔心ヶ間敷上之、已任有合出之處、返之段餘ナル事候通、數度雖申出之、強而申之間相留了」

今回の猿楽能は、証如ではなく、「諸坊主衆」が仕切ったこと、午前10時過ぎに始まり午後10時過ぎに終わったこと、天気が悪かったので、時間がかかったこと、猿楽能が13番あったこと、「雜煎・湯漬・肴・温麺」なども前と同じようなことであったこと、夜の蝋燭立てについて坊主衆の態度が好ましくなかったので、強く証如が言い聞かせたことなどがわかります。

これらの連続した猿楽能が終わった後、翌日の25日に証如は観世大夫一座を呼び、褒美を渡しています。

夕飯觀世大夫一座令召食之。△愚前へ召出分、大夫、四郎、彌左衞門、小二郎、似我(マゝ)與五郎小袖爲可遣之、最前可取之者候へ共、頼堯不被申間、不遣之候き也。此外者於綱所食之。仍汁三、引物一、菜八也。是ハ愚前之儀、於影輩ハ其數少也。△相伴ニ本宗寺、ヘ行寺、鳥居小路、頼堯也。中酒三返之後、土器出候。有歌(カ)。其外折紙遣之分。△大夫ニ三千疋、四郎三百疋、彌左衞門、小二郎ニ百疋ヅゝ、與五郎ニ小袖、此分遣之也。△自本宗寺折紙代物自此方出候分、大夫ニ三百疋、四郎ニ貮百疋、殘三人ニ百疋宛。△ヘ行寺大夫ニ扇被出之、代百疋也。」

特に証如の前に呼び出されたのは、観世大夫・四郎・弥左衛門・小二郎・似我?与五郎の5名で、食事は3汁8菜に「引物」があり、かなり贅沢な食事と言えます。
証如からは観世大夫に3千疋(30貫文)、四郎に3百疋(3貫文)、弥左衛門と小二郎には百疋(1貫文)ずつ、与五郎に小袖を遣わしたこと。
また、これとは別に、取り巻きの本宗寺から坊主衆を代表して観世大夫に3百疋(3貫文)、四郎に2百疋(2貫文)、残りの3名に百疋(1貫文)渡したこと、経行寺は大夫に百疋(1貫文)の扇を渡したことがわかります。

これらを総合してみてみると、舞台を懸けさせて猿楽能を演じさせることが、いかに費用のかかることかがわかります。

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