リアル!戦国時代 Vol.9

第9回 「売買の話」(前)

売買とは、物を売ったり買ったりのことです。物を売れば、その物は当然、買主の所有物になります。
今更言わなくても当たり前の話なのですが、これが中世の場合、少し違っていました。
例えば刀や皿とかの手工業品、野菜とかの農作物など、形のある「物」については、今と変わらず所有権の移転がありました。
銭を払って買った刀は当然買主のものですし、それは食料品についてもまったく同様です。

しかし「所有権の移転」をしない「売買」もあったのです。
銭を払って買ったものを自分のものにできないとは、なんとも理不尽というか不条理というか、妙な話ですが、実はこれが案外古くから行われている商慣習なのです。

土地について、その所有権は律令本来から言うと、原則的に全て国家のものです。
ところが早くも奈良時代に三世一身の法とか、懇田永年私財法とかが出てきて、私領というものが出てくると、それまで公にできなかった「誰々の土地」という考え方が復活してきます。
ここまでは学校で習ったりして、その年代を暗記させられたりとかして、ご存知の方も多いと思います。

しかしここから先が、この話の本題なのです。
今でこそ土地というのは住んだりする場所として考えられていますが、それ以前は、土地というのは耕作や採集、漁撈などによって「生産物を生み出す場所」としての意味の方が重要だったのです。

ここでは話をわかりやすくするために、河川や海浜、山林を除いた狭義の土地、つまり「地べた」についてのみ、見ていきます。
米を作る田んぼにせよ、野菜などを作る畑にせよ、毎年春に種をまけば秋には収穫が期待できます。
当然のことながら、これは一つの土地につき一回限りのことではなく、毎年繰り返されます。
ということは、一旦土地を所有すると、ほとんど未来永劫、そこから一定の財産が生じるということです。

こうなると土地を持った者は強いです。耕作はしなければなりませんが、食いっぱぐれることはありません。
重い税も支払わなければなりませんが、誰か有力者を見つけて、名義さえ変えてしまえば荘園の年貢を払うだけですみます。
だからこそ少々無理をしてでも、新しい土地を開墾したりして、自分の土地を確保しようとするのです。
商業が発展する前、もっとも有力な産業は農業で、貴族以外の一般人が財産を増やすには、この方法しかありませんでした。

場所によって産み出す収穫の量に多少の差はあるものの、こういう「土地」を売るというのはよほどのことで、売ってしまえば自分たちの拠って立つ所もなくなってしまいます。
このような手放し方をしてしまえば自分たちはもっと困ることになるので、そこで「質に入れる」ということが生まれてきます。
これが「年季売り」または「質券田畠」と呼ばれる売り方でした。

未来にわたって作物を生産する土地となりますと、その価値は大変大きいものがあり、極端に考えますと天文学的な金額が算出されてしまいます。
そんな金は誰も出すことができませんから、どこかで折り合いをつけなくてはなりません。
原則的に、まずその土地が生産する作物の価値(金額)を算定して、これを何年か分または1年間に限って買い手に売るわけです。

そうすると、その何年かまたは1年間が過ぎると、本来の所有者である売主は、必然的に買い戻さなければなりません。
これを「請け戻し」と言っており、うまく買い戻せればいいのですが、それまでに銭が工面できなかった場合はえらいことになってしまいます。
また何年かを限って売ることになり、これがたまりにたまると膨大な借金になってしまうのです。

こう見てきますと、土地を売るということは、つまり土地を担保にして金を借りるということと同じような形と言えるでしょう。
確かに未来も含めて所有権を全面的に手放すという、「永代売り」もありましたが、それはかなり少数で、たいがいは「年季売り」の形をとり、それが中世全時代を通じて一般的に行われていました。
こういう商慣習があったからこそ、土地を媒介にした借金の棒引き令とも言うべき「徳政令」という発想が出てくるわけです。

ちなみに土地が未来永劫にわたって生産物を産み出すとなると、これらの生産物にかける本年貢の他の収益をさまざまに細かく分け、それらを掠め取ろうという動きも出てきます。
これが「下地得分」と呼ばれるもので、これも一つの権利として歴史に登場してきます。
それにしても、人間の欲と、生活を守る知恵はいろいろなものを生み出しますね。
いかに中世の人間が柔軟な発想をしたか、ということでしょうか。

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