リアル!戦国時代 Vol.19

中世のキーワード・座シリーズ 第3回 座の語源

座の定義はともかく、そもそも「座」とはいったいどういう意味の言葉か、というのを考えてみようと思います。
坐とも書く場合がありますけれど、座の場合は、要は「座席」のことです。
もともと儀式におけるこの座席の序列というものは、かなり厳しく決められており、現代とはかなり様相を異にします。
これは例えば宮中における政治的な儀式にとどまらず、お寺の法要儀式においても、武士の集まりにおいてもそうでした。

簡単に書くと偉いもの順に並ぶということですが、立場の微妙な者や似たような序列の者が大量にいると、この序列はにわかに重要度を増加させます。
現在でも政治など、けっこう面子というものを大事にする世界では、この座席の順番すなわち序列というものはかなり重要視されています。
例えば、テレビのニュースなどで政治体制の異なる国のニュース映像から、その国の政治家たちの政権内での地位を推し量る評論家の意見を耳にします。
サミットなどでも各国の首脳の集まった記念写真において、わが国の首相はどこそこにいたなんて報道されたりしているのも、じつはこの慣習による発想に他ならないのです。

こういう発想は古代から連綿と続いていて、それがわりあい単純だった古代においては、それほど問題にはなりませんでした。
唐の宮廷において日本の遣唐使が新羅使と席順を争ったという有名な話も、唐の宮廷にしてみれば、はっきり言ってどちらがどちらでも良かったのです。
それが洋の東西を問わず、全世界的に普遍的に見られることは、この発想はかなり根深いと思わざるを得ません。

中世においては、例えばお寺の法要儀式の際などに、寺僧とともに奉仕者集団が列席します。
この席を座と呼び、○○は○○座、××は××座というふうに呼ばれ、それがそのままその集団を表わす言葉に転用されました。
これが技術者集団を「座」と呼ぶ語源で、その職能によって蝋燭座とか油座とか呼ばれるようになりました。
ただ、その性格から見て「座」以外の何者でもないのですけれど、「座」と呼ばれない座もありました。
宮中に奉仕する集団や、公家に奉仕する集団は、座とは呼ばれずに、供御人(くごにん)と呼ばれていました。

宮中や公家の発想として、その場に座すことのできるのは自分たち堂上人だけで、建物の中に座れないで地べたに控える者どもはあくまで地下人であるという考え方なのでしょう。
彼らは座と呼ばれることなく供御人として仕えつつも、それ以外の市場などの社会においては、朝廷を仰ぐ権威ある有力な座として振舞っていました。
そこで本稿では彼らも座の1つとして取り上げていくことにします。

さて、ここで取り上げていく社会集団としての座とは違うのですけれど、せっかくここまで話を進めてきたので、もうひとつ、公家社会における「座席」についてお話しましょう。
宴会における座席の話です。

なになにの宴とか、公家社会においては宴会が重要な儀式であり政治活動だったというのは有名な話です。
しかしそれは儀式であることから、席順のみならず、座席そのものも重要視されました。
たとえ宴会であっても、彼ら公家は一度その座に坐ると、決して他の座席に移ることはしませんでした。
宴が始まると、上から順に盃が回され、これが一巡すると「一献」といい、2度目が「二献」、3度目が「三献」です。
これを一気に回すわけではないので、かなり時間がかかり、それの間に歌合わせがあったりいろいろしますし、盃が回ってくる間に酌をする奉仕者たちが来たりしますから、別に座席を立つ必要もなく宴会は進んでいきます。
これが古代からの「宴会」でした。

しかしここで「無礼講」というものが中世から出てきます。
今もよく言われるこの「無礼講」とは、本来座席を立ってはならない参加者が席を立ち、酌をすることを言いました。
会社の宴会とか接待に見られる、あの挨拶代わりのお酌です。
許しも得ずに上の座席ににじり寄るわけですから、これは無礼以外の何物でもなく、だからこそ「無礼講」と呼ばれるわけです。
これがだんだん無茶苦茶になってきて、『太平記』の時代になってくると、今までの身分を無視するような後醍醐天皇みたいのが出てきますから、だんだん宴会も形が崩れてきます。

室町幕府も戦国大名も、基本的には守護また国人の連合政権みたいなものですから、それほど身分をうるさく言わず、宴会の形も武士らしく武骨で粗野なものになっていき、様変わりをしていったのです。

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