リアル!戦国時代 Vol.21

中世のキーワード・座シリーズ 第5回 座商人の商売

今回は、ちょっと毛色を変えて、座の商売について見てみます。
そもそも民間での商売というものは、その発生時において洋の東西を問わず、独占傾向にあります。
これは単純に経済効率の問題で、競争をまず排除することから始まります。
だからこそ彼ら座商人や供御人たちは寄り集まり、集団となっていったのです。
集団になると当然、本所である大寺社、貴族などや他集団との交渉もしやすくなります。
彼らは集団として本所と交渉し、他集団と交渉し、武家をさえ彼らの交渉手段として取り込んでいきました。
彼らは生活必需品のみならず、それ以外のいろいろな製品の生産を担い、売りさばきによって人々の生活に欠かせないものになっていきました。

彼らは職人という生産者であり、同時に商売人でもあったのです。
ここで面白いのは、彼らの扱う品物はその多くが生活必需品なために、生産にあたってそれほど高度な技術を必要としなかったことです。
本所に上納するものだけは上質のものを厳選していったでしょうけれど、それ以外の市に出すものは、それこそ片手間仕事ていどのものでした。
日常の雑器だけでも、唐笠座、菅笠座、火鉢座、簾座、檜物座、草履座、土器座、紙座、雑紙座、楮座、宿紙座、反古座、莚薦座、石灰座、漆座など、ありとあらゆるものに座が作られていったのです。

このうち唐笠というのは傘つまりパラソルのことで、頭に被る菅笠とは区別され、江戸時代になっても唐傘という名前が通用していました。
檜物は檜を薄く削って湯で曲げ、後の弁当箱のような入れ物を作ったものです。
土器座は「かわらけざ」と読み、考古学的に言うと土師器系つまり釉薬のかかっていない素焼きの焼物のことです。
今でも見晴らしのいい観光地などにいくと、「かわらけ投げ」と称して小さな皿を崖下に投げたりすることがあり、こういうものを土器(かわらけ)と言っていました。

こういうのはほとんど近隣向けの商売で、銭で売買されていました。
これが遠隔地になりますと、少々やり方が変わってきます。
棒に荷物を担いで売り歩く者は治安の問題もあり、そうそう遠くに売り歩くということはできません。
ですから遠隔地に行く座商人たちは隊伍を組み、護衛の武士などを雇って集団でキャラバンをすることになります。
それも数人程度ではすぐに強盗に襲われてしまいますから、少なくとも数十人単位です。
大きなものでは人夫護衛を含めると百人以上の大集団となり、商品を運んでいきました。

そうなるとそれだけの規模の人間を集めなければなりませんし、宿の手配や地域地域での人夫の手配も必要です。
勘違いされる方も多いのですが、近世の大名行列においても、武士以外の奴などの人足は宿場宿場で必要に応じて雇い入れられたものです。
彼ら人足は、どこそこからどこそこまでといったふうに、地域を決めて雇われていました。
ずっとともに旅を続けさせると、宿代から食事代もろもろを雇い主の方で出さなければならないため、地域ごとに雇い入れた方がはるかに経費が少なくて済みます。
大名行列でさえそうですから、中世の商人集団となるとなおさらです。
となると、彼らの根拠地や中継地には人夫や護衛専門の連中が大勢いたわけで、それはその町のみならず、周辺の村々に暮らしていた人々でもあったわけです。
このようにして座商人は中継地を点々としながら、遠隔地に向かっていきました。

さて、目的地での商売ですが、基本的には銭と商品の引き換えが原則です。
大量に商品を納入する場合はその代価として金銀も使われたでしょうが、こういうのを大量に持って歩くというのは危険極まりないので、為替も使用されます。
また、これは江戸時代になってもしばらく続く商法ですけれど、物々交換もおこなわれました。
中世も時代が進むと、船便などで情報のやりとりは活発になってはきますが、やはり現代のように瞬時にというわけにはいきません。
土地土地によって産物も異なり、品薄のものもあれば豊富なものもあります。
商品によっては地方ごとに値段が変わっており、この価格差が利潤となっていき、遠隔地交易はこの価格差が主要な利潤源であって単純な売りさばきによる利潤を上回っていたと考えられています。

利にさとい人々はこのようにして財貨を増やし、新たな販路の開拓、また新しい領主とのつながりを深めていきました。
こうなると中世とはいえ現代の商社に近く、あながち古いとも言えなくなってきます。

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