リアル!戦国時代 Vol.23

中世のキーワード・座シリーズ 第7回 売り子たちと商品の質

担い売りの「商人」は当然のことながら、店舗売りの「町人」でも、売り子はいました。
職種によって男女差はありましたけれど、日常品の売り子は女性が多かったようです。
絵巻物や「職人歌合絵」などを題材に、脇田晴子氏ほかの方々によって、彼女達また彼らの種々相が少しずつ明らかにされています。

主に担い売りと思われる魚や野菜などの生鮮食料品は男が採り、女が売り捌いていたようです。
今では田舎でしか見られなくなった、行商のおばちゃんを想像していただくと良いかもしれません。
輪島や飛騨高山など、あちこちで見られる朝市のおばちゃんたちを思い浮かべていただくのもいいでしょう。
ただ当時の年齢層は、現在の市のおばちゃん達よりもかなり若かったはずで、その分、喧騒も多かったことでしょう。
よく当時の女性達を表現するものとして「わわしい」女という言葉が使われています。
なんだか、いかにも騒がしくて強そうな語感の言葉です。
狂言などにも男を負かすような女房どもがいっぱい出てきて、哀れな亭主どもの尻を叩き、渡世を促す様が面白おかしく伝えられています。
こういうのは極端な例としても、似たような境遇の男達はおそらく数多くいたはずで、当時の狂言作者の観察眼には驚かされます。

衣料品も材料の仕入れについては男性がやっていましたが、製品にするまでの織りなどの加工や販売は女性の仕事だったようです。
もともと機織りという緻密で根気の要る仕事は、古代から女性の仕事として続けられており、中世以降、現在に至っています。
染物についても、絵巻物では女性が庭先で反物を木に引っかけて広げ、刷毛で染めている姿が見られます。
職人というと男ばかりの世界を想像しますけれど、これは近世以降の話で、中世では女性もいろいろな生産や加工に従事していたようです。
特に繊維関係や、京都の名産である扇などは女性職人が製造を担っていました。

明確に男の仕事だと思えるのは建築関係の大工や左官、甲冑関係の職人、刀剣製作の鍛冶たちで、力仕事を含み、なおかつ高度な専門性の必要な業種は男性が占めていました。
座に属しているとはいえ、もともと家族経営に弟子が少しいるかどうかという小規模経営で成り立っていましたから、工事現場以外では自宅が仕事場すなわち工房として使われ、それがそのまま売り店に転化する要素はあったようです。

中世ヨーロッパのギルドでは親方徒弟制度が確立していたそうで、そこまで明確ではなくとも、わが国の座制度においても多かれ少なかれ似たようなものだったと思います。
ただギルドの場合は親方の権力がかなり強く、ギルド自体も1つの権力として社会を構成しており、その身分制度や製品の質についてはかなり厳しい基準があったということです。
ひるがえって、日本の座の場合は、ある程度の基準さえ満たしていれば良かったのではないかと思われる節があります。

中世の工芸品で現在に伝えられているものを見ると、確かに仏像関係やそれに類する荘厳具、ごくごく一部の刀剣や美術品を除くと、例えば発掘での出土した壺や甕など、案外歪んでいるものが少なくありません。
使えればいいというわけで、少々形がみっともなくとも売れたということなのでしょう。
これは穴窯などを使用した古窯系でもそうですから、庶民が使用したと思われる素焼きの皿なども同様だったろうと思います。
中国から輸入された白磁などでさえ、少々歪んだものが大量に出土したりしていますし、その意味では安手のものは、アジア経済圏共通だったのかなあと思ったりもします。

ただ一方で国宝や重文になっているものもありますから、すべての技術レベルが低かったとは思えません。
現在、国宝や重文になっている中世の工芸品には、どこの工房の作品というのが伝えられておらず、わずかに刀剣の作者が銘に入っているかどうかといったぐらいで、なかなか文書史料とか絵画資料と結びつかない場合がほとんどで、推理するしかないのですけれど、一定レベルを遥かに越える技量の持ち主がポツリポツリといたことは確かです。

こういう風に中世の技術レベルはその差が極端で、平均的にはどうだったかと言われると、とても一言では言い表せず、少々困ってしまいます。
これに地方色が加わったりすると、話はもっとややこしくなります。
ただ言えることは、当時の職人は現代のように芸術云々と言う前に、まずしっかりした技術を身につけなければ生きてはいけなかったということでしょうか。その意味で彼らは充分プロの職人だったし、売り子にしても口八丁手八丁でなければ、あの時代は生きてはいけなかったはずで、「わわし」くなければならなかったのだと思います。

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