偉人との散歩道


 失敗者?!

 失敗した時や誰かに批評された時は、誰でもがっかりしてしまいますよね。実は、多くの偉人も同じ経験をしています。ただ、彼らは、それで「あきらめる」という失敗だけは犯さなかったようです。もし、あなたもここに書いてあることと同じようなことで悩んでいるなら、元気を出してください!


 「ギターバンドはもう流行らない」と言われて、大手レコード会社デッカのオーディションに落ちたビートルズは、世紀のバンドとなった。

 中学のとき代数で落第になったウェルナー・フォン・ブラウンは、アメリカのロケット開発を導いた。

 士官学校への入学を二度も拒否され、三度目でやっと入れたダグラス・マッカーサーが、連合国軍最高司令官となった。

 大学の化学の成績が平凡だったルイ・パスツールは、後に有名な化学者となった。

 弁護士として開業したがまったく成功せず、結婚しても収入がなかったために、30過ぎにして妻とともに父親の家に居候していたオリバー・ウェンデル・ホームズは、のちにアメリカ合衆国最高裁の名判事となった。

 美術学校の入学試験に3回も落ちたロダンが、近代を代表する有名な彫刻家となった。

 大学で落第し、頭が鈍いために家庭教師にも見放されたレフ・トルストイは、19世紀ロシア文学の代表作家となった。

 いたずら好きの問題児で、学校をよくさぼり、母親から「他の子供6人分より手がかかる」と言われたマーク・トウェインは、アメリカの文豪となった。

 少年時代、放浪生活を送り、刑務所に数百回も入れられたジャック・ロンドンは、「ロビンソン・クルーソー」を目にしたことがきっかけで読書にのめりこみ、ついにアメリカの人気作家となった。

 遊んで暮らせるほどの富を築きながら、1929年の大恐慌で破産してしまったアービング・バーリンは、「おかげで好きな仕事に戻れた」と言いつつ作曲を続け、日本でもおなじみの「ホワイト・クリスマス」などのヒット曲を立て続けに世へ送り出して、アメリカ一のポピュラーソングの作曲家となった。(ところで、彼は音楽教育を受けておらず、音符も読めなかったそうです)。

 子供の頃、言葉を覚えるのに苦労し、頭も悪く、学校では先生たちに困った生徒だと言われていたアルバート・アインシュタインなのに、あの相対性原理を提唱し、ノーベル物理学賞を受賞した。

 すばらしい発明をしたというのに、どこの会社からも相手にされなかったチェスター・カールソンだったが、9年後にやっと、ハロイド社というところに売り込むことができた。ハロイド社は、カールソンの発明した複写(コピー)技術によって大成功し、ゼロックス社と名を変えた。

 神童ピアニストと騒がれながらも、精神を病んだために失意のうちに留学先から帰国し、家族からも見放されて10年以上もピアノとは無縁の生活をしていたデビッド・ヘルフゴットは、妻の愛のおかげで奇跡の復活を遂げ、人気ピアニストの一人として活躍している。(映画『シャイン』を見ましたか?)

 アイディア不足を理由に新聞社をクビになり、会社を興しては倒産してきたウォルト・ディズニーは、ミッキーマウスで一躍有名になり、その後も数多くのアカデミー賞に輝くようになった。

 ユニバーサル映画から「歯は欠けてるし、のどぼとけが出すぎだ。話し方ものろすぎる」と言われてクビになったクリント・イーストウッドだが、結局は映画俳優、さらに監督として成功し、70才となった今でも活躍している。

 モデル事務所の責任者から「秘書になる勉強をするか、結婚した方がマシ」とこき下ろされたノーマ・ジーンは、後にマリリン・モンローの名で、20世紀を代表する女優となった。

 家族から、召使かお針子の仕事でもしてみたらどうかと言われていたルイザ・メイ・オルコットが、「若草物語」を書いて、有名な女流作家となった。

 バイオリンが下手で、先生から作曲も絶望的だと言われていたベートーベンが、史上最大の作曲家のひとりとなった。

 小学校入学の頃、成績は悪く、弱虫で、普通より劣る子だと考えられていたアイザック・ニュートンは、万有引力の法則を確立するなどして、近代科学の父と称されるようになった。

 事業に2回失敗し、選挙で8回落選したアブラハム・リンカーンは、その後アメリカ大統領となり、アメリカの奴隷制廃止に貢献した。

 教師たちから「頭が悪すぎる」と言われて数ヶ月で学校をやめることになったトーマス・エジソンが、電球や蓄音機などを世に送り出して、発明王と呼ばれるようになった。

 姉妹から「みにくいアヒルの子」また母親からは「年寄りくさい」と呼ばれ、自分でも不器量なのを恥ずかしく思い、20年以上も劣等感と恐怖心にさいなまれていたエリノア・ルーズベルトだが、フランクリン・ルーズベルトと結婚し、のちにファーストレディとなったばかりか、自分自身も活発に政治・著述活動に携わった。

 政変で税関の職を失い、失意のうちに帰宅したナサニエル・ホーソーンは、妻の励ましを受け、執筆活動に専念して「緋文字」(スカーレット・レター)を書き上げ、一躍人気作家の仲間入りをした。

 幼少時代、非常に手のあまる子で、母親から「扱いにくい子」と呼ばれ、人から「怪物」呼ばわりされたウィンストン・チャーチルは、20世紀のイギリスで最も優れた首相として知られるようになり、ノーベル文学賞も受賞した。

 少年時代の音楽教師に、「声量がないし、まるで雨戸を揺する風のような声をしている。歌手にはなれない」と評されたエンリコ・カルーソは、のちに偉大なテノール歌手となって、一世を風びした。

 子供の頃、教室で、いつも罰として紙製のとんがり帽子をかぶらされ、劣等生用の席に座らされていたサー・ウォルター・スコットは、著名な詩人・小説家となった。

 最多三振記録を作ったベーブ・ルースは、同時に最多本塁打記録も打ち立てた。

 アレクサンダー・グラハム・ベルが発明した電話を使ってみた当時のヘイズ大統領いわく、「これは大した発明だが、いったい誰がこんなものを使いたがると言うのかね。」…先見の明があったのはどちらかは、一目瞭然です。

 芸術学校の教師らから何の励ましも受けず、かえって「指が短いし、太すぎるので、ピアノには向いていない」と酷評されたイグナチ・ヤン・パデレフスキー少年は、たゆまぬ練習を積んで、後にポーランド音楽界の巨匠となったばかりか、ポーランド共和国の初代首相にもなった。

 若いころ、病的なほどに臆病で、人の家のドアを何十分もノックできないでうろうろしていたジョージ・バーナード・ショーは、のちにその弱さを克服して、イギリス一の雄弁家となり、さらに作家としても成功してノーベル文学賞を受賞した。

[偉人のリストへ戻る]


http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/7587/