私が今まで読んだ三浦綾子さんの本を、紹介します。
(少しずつ書評を書き入れていきたいと思っています。)

光あるうちに
細川ガラシャ夫人

道ありき
夕あり朝あり
氷点・続氷点



塩狩峠
この土の器にも
岩に立つ
旧約聖書入門
新約聖書入門
銃口
泥流地帯
生きること思うこと
心のある家
広い迷路
あのポプラの上が空

自我の構図

光あるうちに

「道ありき」第三部信仰入門編。私は、この本によって教会に導かれました。
この本を読み、自分自身が自覚していない罪の何と多い事かと反省させられました。
そして、主の愛を教えていただきました。
「過去の歩みかたがどうであれ、今自分の前に、何の印もついていない純白の布がある。それに、どのように足跡を残して行くかは自分の自由であるということ。そんなすばらしいことはない。
今からの一歩を、キリストの愛の手に導かれて歩んでみませんか?そして、喜びに溢れた人生に変えたいとは思いませんか?」
この部分を読んだ時、私の心の中に一筋の光が射し込んだようなあったかい気持ちに
なりました。そして、綾子さんの信じたイエス様をもっと知りたいと思いました。
教会への行き方などの具体的な話もあり、大変参考になりました。
この本を読み終えてすぐ、私は綾子さんと同じ教団の教会に電話をして、いくことに決めたのでした。
私にとって、感慨深い一冊です。多くの人に読んでいただきたいと思います。

細川ガラシャ夫人

戦乱の世、女が戦略結婚の道具にしか用いられていなかった時代に、いつも自分らしい生き方を模索し続けた細川ガラシャ夫人の生涯を、ドラマティックに描いています。
弱い弱い私は、ガラシャ夫人がどんな苦境にある時も、強く生きている姿に感心しきりでした。
特に、ガラシャ夫人が信仰に目覚め、洗礼を受ける場面は圧巻でした。
私は、ガラシャ夫人のように強くは生きられません。でも、彼女のようにいつでも「みこころのままになさせ給え」と、祈れる自分になりたいと思いました。女性に特におすすめの一冊です。



小林多喜二の母セキの一生を描いた小説。
子供を持つ母として、反省させられた一冊です。セキは、いつどんなときにも多喜二のことを信頼し、大きな愛情で包みながらも、一歩遠いところから多喜二を見守っている、そんな感じがしました。私とは、全く正反対の母像です。多喜二の家は、貧しいながらも、笑いの絶えない優しさに満ちた家庭でした。
思想犯として虐殺された多喜二の死の悲しさは、イエス様の十字架の死に通ずるものがあり、胸が痛くなりました。

道ありき

三浦綾子さんの青春時代、そして長い闘病生活の中で信仰に目覚め、愛する人の死に遭遇し、ご主人の光世さんと結婚されるまでを綴っています。
私が今思い出されるのは、洗礼式の場面です。私が、受洗したばかりだからかもしれませんが。ギブスベッドに寝たままの生活だったというのに、受洗後うれしくてうれしくてたまらなくなった、心の中に灯かりがともったと書かれています。人にこの喜びを分けてあげたくて、仕方なかったとも書かれていますが、私も今同じような気持ちでいます。綾子さんと同じ思いを味わえるなんて、なんて私は幸せ者でしょう。
私も、綾子さんのように主を仰ぎ見る毎日を送りたいものです。

夕あり朝あり

クリーニングの白洋舎の創立者である五十嵐健治氏の生涯を描いた小説です。貧しい生活の中でもいつも明るく、大きな希望と夢を抱いていた少年時代。上京するまでの話はとてもユーモアに溢れていて、またテンポもよく、一気に読んでしまいました。キリスト教に出会い、洗礼を受けてから、「人の垢をとる仕事を」と、当時人から見下された職業でもあるクリーニング業を選びます。部屋の一間ではじめた会社が少しずつ大きくなっていく様子は、健治氏の誠実さがあふれていて、ドラマティックに描かれていました。

氷点・続氷点

「塩狩峠」と並び、三浦文学の中でも最も有名な作品。
「氷点」では、「人間の原罪」について問題を投げかけ、「続氷点」では「罪のゆるし」について書かれています。
殺人者の娘として育てられた主人公陽子、自殺を図る場面で終わった「氷点」は、重苦しい気持ちで読み終えましたが、続編では、陽子が「自分の血の中を流れる罪を、ハッキリとゆるすと言ってくれる存在」を探し見つけることができ、希望の持てる終わり方でした。
何の汚れもない、むしろ被害者である陽子でも、原罪とは無関係ではないということを、綾子さんは描きたかった、そしてそれをゆるしてくれる存在である神のことを読者に伝えたかったのだと思います。