詩人・八木重吉は明治31年(1898年)東京に生まれました。
師範学校時代から日本メソジスト鎌倉教会に通い、大正8年駒込教会で
受洗します。大正10年に兵庫県の御影師範の教師として赴任し、このころから
詩作に専念し、詩と信仰の合一をめざします。
結核と診断され入院し、その後自宅療養に入りますが、昭和2年(1927年)
敬虔なクリスチャンとして、29歳の短い生涯を終えました。
死後「貧しき信徒」や「八木重吉詩集」「神を呼ぼう」が刊行され、信仰の詩人としての声価を高めました。

こちらに、八木重吉さんの詩を少しずつ紹介したいと思います。
どの詩も、美しいものを求める心、イエス様に信頼しきった
純粋な信仰心があふれていて、心が洗われます。

心よ

こころよ
ではいっておいで

しかし
またもどっておいでね

やっぱり
ここがいいのだに

こころよ
では行っておいで


桃子よ

もも子よ
おまえがぐずってしかたないとき
わたしはおまえに げんこつをくれる
だが 桃子
お父さんの命が要るときがあったら
いつでもおまえにあげる


信仰

基督を信じて
救われるのだとおもい
ほかのことは
何もかも忘れてしまおう


ゆるし

神のごとくゆるしたい
ひとが投ぐるにくしみをむねにあたため
花のようになったらば神のまえにささげたい




くものある日
くもは かなしい

くものない日
そらは さびしい


キリスト

病気して
いろいろ自分の体が不安でたまらなくなると
どうしても怖ろしくて寝つかれない
しかししまいに
キリストが枕元にたって
じっと私をみていて下さるとおもうたので
やっと落ち付いて眠りについた




死んでしまえば何んにもならない
たとえ生きていたにしろ
此の世につくものに本当のちからはない
何にもかもわすれてしまい
人をうらやまず人を恨まず
天を仰いで恥かしくなくしていたい


ねがい

きれいな気持ちでいよう
花のような気持ちでいよう
報いをもとめまい
いちばんうつくしくなっていよう


信仰

からだが少しでもいいと
基督を忘れてしまう
今だたった今だ
からだが悪いときに信じ切れぬなら
いつになって信じきれるものか


天というもの

天というのは
あたまのうえの
みえる あれだ
神さまが
おいでなさるならば あすこだ
ほかにはいない


〜八木重吉詩集・佐古純一郎編/彌生書房(世界の詩52)より〜