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箱根歴史散歩


箱根は江戸時代に設けられた関所で有名ですが、それ以前から厳しいアップダウンのある道程として古来より有名な東海道の難所です。
特に江戸時代に「入り鉄砲と出女」で取締りが厳しくなり箱根街道が尾根沿いから谷沿いに変更されてからは、その厳しさは更に増したようです。

さて、今更という気も致しますが、この箱根には大変に興味深い歴史スポットが多数ありますので、幾つかをピックアップしてご紹介したいと思います。

また、戦国時代前後に千葉県を支配した里見氏は、この箱根・小田原を支配した北条氏に敗れており、当HPのテーマである市川の歴史とも深い関連があります。

里見氏が北条氏に敗れた国府台合戦は、千葉県支配の雌雄を決する決戦(北条氏側は氏康・氏政、一方の里見側は義尭と足利義明)であり、ここで里見氏が中秋の頃に破れたことから今でも市川市の一部では中秋に団子を供えないという風習があります。尚、千葉の一部には月見をしないという風習もありますが、こちらは将門決起(関東人にとって「将門の乱」は関西勢力に対するクーデターであって、寧ろ歓迎されたようです。従って、市川市のHPである以上、ここでは反乱を意味する「乱」という言葉は避けたいと思います)の際、影武者に黒子があったのを中秋の名月の月明かりで見破られてしまい、将門が討ち取られたことから来ているそうです。更には、千葉県の成田山は将門追討の祈願をしたことから、昔からの千葉県人は成田山には参拝しないという風習もあります。余談でした・・・)。



それでは、まずは小田原北条氏初代、北条早雲ゆかりの場所から参りましょう。

【早雲寺】

<早雲寺の歩き方>
箱根湯本駅から、「旧街道」経由の元箱根行バスにて約5分、早雲寺下車、徒歩でも15分から20分程度だと思います。管理人は、早雲寺の真正面に宿を取りましたが、なかなか快適でした。箱根湯本には何度も訪れたことがありますが、駅近くよりもこの周辺の方が静かで且つ昔ながらの箱根旧街道の雰囲気が残っているのではないかと思います。

早雲寺の早雲とは、勿論北条早雲のことで、このお寺は北条早雲から5代にわたる北条家の菩提寺です。
今の規模からは想像できませんが、創建当初は、鎌倉の禅寺を凌ぐ、関東随一の禅寺でした。
NHK大河ドラマ「利家とまつ」の時代、天正18年(1590年)4月5日、豊臣秀吉軍は箱根山を越えて早雲寺に入り小田原攻めの本陣としました。6月下旬、石垣山に有名な一夜城を築くと本陣を移して早雲寺に火を放ち、当時関東屈指と呼ばれた早雲寺は灰燼に帰することとなります。

7月5日に北条氏が降伏すると、11日には氏政、氏照は切腹、氏直は高野山追放となり、氏直も翌年天正19年11月4日に逝去しました。
北条氏一門は、伊豆韮山城主であった氏規(氏政の弟)が秀吉より大阪河内狭山に1万石を許されます。これを狭山北条氏と呼びます。鎌倉玉縄城主北条氏圀が家康の傘下となり、下総岩富に1万石を与えられ(玉縄北条氏)、北条氏は存続することとなります。
早雲寺の再建は、元和・寛永期に、早雲寺17世菊径宗存によって着手されます。
早雲寺には北条5代の墓がありますが、こちらは寛文12年(1672年)8月15日狭山北条氏5代当主氏泊によって、早雲公の命日に竣工されたものです。
然し、秀吉による焼き討ち時にその重要な物品の大半は焼失してしまい、その再建は相当な困難があったものと思われます。
これらは、各地に散らばって継続した北条氏一門の協力があって完成されたものでしょう。

早雲寺は、大永元年(1521年)、北条早雲の遺命により、その子氏綱によって建立され、以降北条氏の香火所とされていました。

北条早雲(1482−1519)
俗名を伊勢新九郎長氏と言い、出家して早雲庵宗瑞と名乗りました。に鎌倉時代の伊豆の名家北条氏を引き継ぎ、関東制覇の基を築いた人物である。
戦国時代は、北条早雲の伊豆進出に始まり、秀吉の北条氏小田原攻略に終ったといわれており、北条氏は戦国自体のキー一族であると言えます。
早雲は、今川義忠の戦没後に勃発したお家騒動を解決すると沼津興国寺城を与えられる。
早雲は、伊勢氏という名門出身であり、室町幕府にも仕えてきました。

その後4代の生没年は以下の通りです。
北条氏綱(1485−1541)
北条氏康(1515〜1571)
北条氏政(1538〜1590)
北条氏直(1562〜1591)

また、早雲寺の境内には連歌師宗祇の墓もあります。


【正眼寺】

正眼寺は、地蔵信仰を祀った珍しいお寺です。境内左手には、写真のようなとても大きなお地蔵様もあります。
境内には多くの史跡があります。







【箱根町郷土資料館】
主に箱根の関所と街道に関する資料館です。



【箱根旧街道】

箱根旧街道は箱根湯元から芦ノ湖畔の元箱根へと続く旧街道ですが、昔乍らの石畳が残っている場所はその半分以下だと思います。
管理人も、久し振りに車を置いて電車で箱根を廻りましたので、旧街道を歩いてみることにしました。


左写真は箱根湯本街の箱根旧街道沿いにある「旧箱根街道一里塚の碑」です。









【箱根神社】

箱根と言えば、温泉と観光、です。なので、わざわざ箱根まで来て神社に参拝される方は決して多くは無いと思います。然し、この箱根神社、実は由緒正しい、日本の宗教史上も非常に重要な神社なのです。もしお時間がありましたら、元箱根からすぐですので足を伸ばされることを、お勧め致します。

<箱根神社の歩き方>
芦ノ湖遊覧船に元箱根から乗ると、すぐ右手湖畔に大きな赤い鳥居が見えて来ます。ここが箱根神社です。
元箱根のバス・フェリー乗り場目の前の大鳥居をくぐって直進、湖畔沿いを徒歩約10分程度です。駐車場もありますので、車の方は直接お越し頂いて大丈夫です。






箱根神社には宝物殿もあり、こちらでは主に北条氏関連の資料や縁の品が展示されております。

箱根では、昔からその主峰である神山を神体山と崇める山岳信仰が行われておりました。箱根神社は、天平年間、神託により箱根神山より奉斎し創建されたのが始めと言われております。奈良平安時代に本地垂迹説(日本古来の神は仏が衆生を救うために現れた仮の姿であるとする説)が流行すると、箱根山から所謂権現信仰が成立しました。権現は、今ではすっかり東照大権現として家康の別称として認識されるケースが多いように思いますが、そもそもは仏が日本古来の神の姿で現れたものを指します。


治承4年(1180年)8月、石橋山合戦後、箱根権現別当・行実は頼朝を援助し、のちに伊豆山権現と共に二所権現と呼ばれるようになります。鎌倉幕府では、頼朝から6代将軍宗尊親王まで将軍家恒例行事も執り行われ、以降関東地域武家の庇護を受けて発展します。