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国府台古墳群


国府台周辺には、多くの古墳が現存しています。
これらは、国府台に国府が置かれる前に、国府台地区を支配していた地域豪族の墓であると思われます。
このページでは、そのうち主な古墳をご紹介します。

【弘法寺古墳】

日蓮宗弘法寺境内の西外れにあるのが、この弘法寺古墳です。
全長43mの前方後円墳なのですが、実は解っているのはここまでです。この古墳は以前測量のみが行われ、それ以外の調査は一切行われておりません。
理由は実際に訪問されてみれば、すぐにお分かりになるかと思います。写真は東(弘法寺)側から古墳を撮影したもので、残念乍らこの角度からではわからないのですが、この写真のすぐ左側は大変急な崖になっているのです。

弘法寺古墳は、国府台台地の一番外れに位置しており、日々崩れています。
墳丘に登って確認したところ、既に前方部の一部と後円部の凡そ半分は既に崩落しており、一見しては前方後円墳とは見えない形状になってしまっております。一説では、崩れたところから石棺が露出したところが見えると聞いたのですが、少なくとも私は確認出来ませんでした。

この崖のすぐ真下は住宅街になっています。見たところ比較的新しい住宅地なので、私の想像ですが宅地造成によって平地を広げた結果、次第に崖が後退し、古墳のある場所が台地の端になってしまったのではないでしょうか。特段の措置を講じなければ、恐らく遠くない将来、この古墳は消滅するのではないかと思います。

<弘法寺古墳の歩き方>
市川駅北口下車、国道14号を左折、「日蓮宗弘法寺」石碑を右折し、大門通りを直進、真間の継橋、手児奈霊堂を過ぎて、真間山を登り、山門をくぐって左折し、約100m。


【真間山古墳】

弘法寺の墓地のすぐ横にあるのが、真間山古墳です。
この古墳は全く史跡表示がありませんので、恐らく古墳だと気付いている人は殆どいないのではないでしょうか。かくいう私も、訪れた際には「ここは何となく古墳に見えるなぁ」と思って自宅に帰り、書籍で確認したところ「真間山古墳」と呼ばれる円墳であることを知りました。よって写真はありません。全長20mの小型円墳ということですが、見た目は寺の鐘楼が立つ部分と繋がって前方後円墳のように見えます(もしかしたら円墳というのは誤りで、前方後円墳の上に寺の鐘楼台があるのではないかと思わせる様相です)。

<真間山古墳の歩き方>
弘法寺山門をくぐり右折、右手の鐘楼台を登った東側。


【明戸古墳】

里見公園内にある前方後円墳です。
左の写真の通り、石棺が2つ並んで墳丘上に露出しています。市の案内板によれば、この古墳は文明11年(1479年)に太田道灌がこの地に築城する際、盛り土を取り払おうとしたところ石棺が露出したと伝えられています。
その際にはいくつか出土品もあったようですが、現存しておりません。
また、横穴式石棺と思われますが「蓋」がなく、これも国分寺にむかう途中の橋の石材として使われたという話が伝わっているそうです。
なお、個人的には同じく里見公園内にある「夜泣き石」の下敷きとなっている板状の石が石棺の一部に見えて仕方がないのですが、まぁ流石にこれは関係ないのでしょう。
この古墳は6世紀後半から7世紀初頭のものと推定されています。

尚、この古墳のある里見公園は、2月は梅、4月は桜の大変美しいところです。この明戸古墳のすぐそばにも沢山の桜があり、4月には花見客で賑わいます。花見と酒と古墳というのも、なかなか面白い組み合わせです。
しかし、よく考えると戦国時代の国府台合戦のときには、まさにこの地で数千人の武人が死んだと伝えられていますから、そう考えるとここで飲み食いして騒ぐというのもどうかな?という気もします。

<明戸古墳の歩き方>
京成国府台駅下車、松戸方向へ徒歩10分ほど進むと、右手に国立国府台病院の見える場所左手に「里見公園」の看板あり、左折、徒歩約5分。
または、京成国府台駅を下車して江戸川沿いを北へ15分ほどでも着きます(が、目印がないので通り過ぎないようにしましょう)。
時間に余裕のある方は、明戸古墳から再び江戸川沿いを北上すると、徒歩30分ほどで有名な矢切の渡しがあります。ここから葛飾柴又経由というのも面白いルートです。大変疲れますので、体調に気を付けて下さい。川沿いの景色は最高ですが。


【法皇塚古墳】

全長58mという市川市内最大規模の前方後円墳が、この法皇塚古墳です。
この古墳は、昭和44年に市川市史作成のために発掘調査が行われ、後円部の横穴式石室から多数の武具を中心とした遺物が発見されました。
おもな出土物は、甲冑、太刀、轍族、ガラス玉、馬具などであり、これらは現在市川市立考古博物館に展示されておりますので、お時間のある方は是非訪問されてはいかがでしょうか。
この古墳は盗掘にあったようですが、貴金属系のみが盗まれ、それ以外は幸いに残ったようです。こうした副葬品が発見されるのは、下総南部地域では珍しい貴重な存在といわれています。

<法皇塚古墳の歩き方>
里見公園手前、東京医科歯科大学教養学部構内。
大学の敷地内ですので、古墳をみるには里見公園へ向かう道から覗くか、大学関係の方に許可を取った方が宜しいでしょう。


【おわりに】

考古博物館の受け売りですが、現在明らかに認められる古墳は以上の通りですが、恐らく国府台古墳群の古墳はこれだけではなかったと思われます。
ご承知の通り、国府台は下総国府が設置されてから、千葉県北部のみならず、茨城、埼玉の一部も含めた広大な下総の国の中心地となり、律令時代以降は多くの建造物が構築されました。
更に戦国時代には高台と江戸川という絶好の立地条件から城や戦場として注目され、明治以降は軍隊の駐屯地となり、戦後は県内有数の学校密集地として大造成と整地が成されています。
1400年の歴史の流れの中で、消えていった古墳も沢山あったのではないでしょうか。
幸いにも残ったこれらの古墳は、今後是非保存をしていきたい文化遺産だと思います。


2000年2月
2004年1月加筆修正