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大湯環状列石

秋田県鹿角市大湯温泉近くにあるのがこの大湯環状列石で、縄文文化を知る上で重要かつ有名なストーンサークルです。

<大湯環状列石の歩き方>
一応バスルートで環状列石というバス停もありますが、ここは車での訪れ方を書きます。
東北自動車道を十和田ICで下りて右方向へ。国道103号を大湯温泉・十和田湖方向へ約10分。大湯温泉の入り口に「大湯環状列石」の看板を右折。
看板が大きく出ていますので迷うことはないと思いますが、万一ここを見逃したときは大湯の温泉街を抜けたところを右折、龍門亭千葉旅館を左手にみつつ道なり直進すれば5分ほどで到着します。このルートの方が、樹齢千年を越える巨木やクロマンタ(黒又山)を途中でみることができるので、歴史巡りとしては面白いかもしれません。

問い合わせ先
秋田県鹿角市十和田大湯万座13
0186−37−3822
鹿角市出土文化財管理センター


<環状列石(ストーンサークル)>
石を環状(輪っか状)に配置した遺跡を総括して、ストーンサークルと呼んでいます。日本国内では主に東日本に分布し(西日本には殆ど例がない)、特に東北から北海道にかけて多数発見されています。
その中でもこの大湯環状列石は、国内で尤も有名な遺跡です。
規模は大分ことなりますが、イギリスの有名なストーンヘンジも、ある意味で環状列石と呼べるかと思います。
但し、その作成目的は様々ですので、形状だけで遺跡を括ってしまうのには個人的には余り賛成いたしません。

<大湯環状列石概要>

大湯環状列石は、隣接する「野中堂」と「万座」の2つの環状列石の総称です。
うち、野中堂の中心に位置するのが、大湯環状列石の中でも有名な「日時計状組石」です(左写真中央)。
野中堂、万座ともに外周の直径が約45mとかなり大規模なもので、それぞれ40基以上の組石遺構が確認されています。但し、縄文時代から数千年の間、特に近代以降に河川護岸工事や庭石などのために持ち去られたものも少ないとみられ、実際にはもっと多数の組石があったものと想像されています。

<環状列石制作の目的>
大湯環状列石制作の目的は大きく分けて2説があります。
一つは祭祀遺跡説、もう一つが墓地説です。
昭和51年の調査では、組石の下から土溝、甕棺や副葬品が発掘され、また残存脂肪分析から、恐らく埋葬施設の上に墓石として列石を施したのではないかと推定されています。
しかし、何故「日時計」のような形状にしたのか(日時計等天文観測の役割を果たしたのかどうか)、また石の配置によってどのような身分の差を表していたのか等は、今後の研究が待たれるところです。
尚、全くの余談乍ら、かつて教科書では縄文文化=狩猟文化で、階級も分化していなかった(階級は農作業を集団で行うようになった弥生時代から発生)という記述が多数みられましたが、最近では縄文時代から既に稲作が始まっており、階級も存在していたことが明らかになりつつあります。歴史教育はあくまで「事実」に基づくべきであり、まだ確定していない説をあたかも唯一無二であるかのように教科書に記述して子供たちに刷り込むのはどうかと思っています。また、所謂「原始共産制社会」についても歴史学的にはそのようなものが存在したのか個人的には疑問です。

<組石の素材>
大半は石英閃緑ひん岩であり、遺跡周辺では7K離れた諸助山の安久谷川から採取可能ですので、ここから運んだものと推定されます。

<遺跡の推移>
大湯環状列石は縄文時代後期と推定されていますが、この周囲からは縄文時代早期から平安時代までの遺構が残っています。従って数千年に渡って人家がここにあったことになります。
しかし、遺構から推定する限り、もっとも繁栄したのはストーンサークルが作られた縄文後期のようです。

(右の写真は冬の大湯遺跡)


<参考文献>
『大湯環状列石』よねしろ考古学研究会、大館孔版社昭和61年
鹿角市ホームページ http://www.city.kazuno.akita.jp/