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須和田遺跡

西に下総国府、東に下総国分寺、そしてその中間に位置するのが須和田遺跡です。
弥生時代から平安時代にかけての相当数の住居跡が発見されており、国府、国分寺との関連の意味でも、極めて重要な遺跡であるといえます。


<須和田遺跡の歩き方>

JR市川駅北口下車、国道14号右折、右手にオリンピックのある角を左折し、京成市川真間駅を右手にみながら直進。比較的大きな通りへ出たら左ななめへ進む狭い道を入って直進すると、右手に小高い丘が見えてきます。その上が須和田遺跡です。
もしくは六所神社方向からであれば、六所神社を左折、郭抹若旧宅をすぎて最初の角を右折、道なりに上り坂を進み、市川二中を過ぎたところが須和田遺跡です。


<須和田遺跡について>

今までご紹介した市川の多くの遺跡同様、この遺跡も宅地開発や学校建設によって破壊が進んでいます。
須和田台地は、現在の地図上では下総国府があったといわれる国府台、下総国分寺のある国分台とは独立した台地となっていますが、調査によれば以前は東西に長くつながった台地であったようです。つまり、この場所は国府と国分寺の丁度中間にあたり、市川、下総の歴史を語る上で、極めて重要な位置付けだといえます。

須和田遺跡は現在、その中心地が「須和田公園」となって、遺跡のごく一部だけが保存されています。

右は現在須和田公園内に保存されている遺跡の写真です。写真では大変わかりにくいのですが、金網で囲まれた中にコンクリートで作られた円形の土台があり、焼けこげた木片を見ることが出来ます。
実はこの場所には、須和田遺跡を記念して(コンクリートの土台というお粗末な作りではありますが)弥生時代の竪穴式住居が再現されていたのですが、残念乍ら平成9年11月に不審火が発生し、全焼してしまいました。恐らく放火であると思われます。
非常に残念なことですが、1日も早い再建、しかも今回は前回のようなお粗末な作りではなく、本格的なものを期待したいと思います。

千野原氏の『市川歴史探訪』によれば、この付近は相当回数発掘調査が行われ、既に破壊されているものが大半であると想像されるにも関わらず、それでも発掘調査の度に相当数の住居跡が発見されていることから、弥生〜平安という1000年近くにわたって栄えた古代の一大住宅街であったことが想像されます。

尚、この場所のすぐ近くに中国の生んだ偉大なる作家・歴史家である郭抹若が日本滞在時に住んだ家があり、それを記念した記念碑が須和田公園内に立てられています。お時間のある方は是非よって見て下さい。
郭抹若については別途ページを割きたいと書きたいと思いますが、中国の教科書には必ず登場する、日本でいえば、夏目漱石や森鴎外クラスの文化人です。
市川市にはもっと郭抹若に関する歴史展示を増やして頂きたいと思います。


2000年2月