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八幡不知藪(やぶしらず)



【八幡不知藪の歩き方】

日本の心霊・不思議スポットに必ず登場するのがこの八幡の藪知らず(八幡不知藪)です。
八幡の知らずの森(八幡不知森)とも呼ばれています。

場所は、心霊スポットにしては全く相応しく無く、千葉県の主要道路である国道14号線沿い、市川市役所の目の前にあります。
JR八幡駅北口を出て最初の交差点を右折すると徒歩1分です。以前は非常に広い森の深部だったらしいのですが、今となっては都会の真ん中にポツンと本当に小さな森が残っているといった状態で、より一層、不気味さを漂わせています。

勿論、このHPでは歴史的スポットとして八幡不知藪をご紹介します。


【八幡不知藪】

「入った人は二度と出て来られない」という伝説の由来には諸説あります。
代表的なものを幾つかご紹介します。

1.平将門伝説
千葉県北部から茨城県にかけては、かつて平将門の領地だったこともあり将門伝説が多数残っていますが、八幡不知藪の由来でもっとも有名なものも将門に関連しています。且つ、この将門由来説にも数バージョンがあります。
(1)鬼門説
平将門を平定すべく坂東へやってきた朝廷軍と対峙した将門軍にとって、この場所が鬼門となっていたことから縁起の悪い場所として伝わり、やがて入ってはならない場所とされるようになった、という説。
些か時代劇掛かっており、信憑性は余り感じられません。
(2)八門遁甲説
平将門の乱(天慶の乱)の際、平将門と対峙していた従妹である貞盛が八門遁甲(占星術によって吉凶を占い身を隠す術)の陣」を敷き、将門平定後もその死門(あの世への入り口)の一角を残したことから、この地に立ち入るとたたりあるとされるようになった、という説。
この説には、徳川光圀がこれを馬鹿げていると不知藪に入ったところ老人が現れて「戒めを破って入るとは何事か。汝は貴人であるから罪は許すが、以後戒めを破ってはならぬ」と告げた、との後日談も付いています。
こちらも後日談付など出来すぎの感があります。そもそも「八門遁甲」などと出てくるところが小説的な雰囲気です。
(3)良将塚説
明治期の織田完之が著した『平将門古蹟考』によれば、元来不知藪の場所には国守であった良将の塚があったものの、天慶元年(983年)の大地震で崩壊し、更に康保3年(966年)の地震と津波で更地になってしまったため、地元民がその跡地に祠を建てたが、反逆者将門の父の塚と公言し難かったことから、「誰の墓かは判らない」ということにしたのが、「不知藪」の始まり、という説。
それなりに説得力はありそうにも思えますが、そもそも明治時代の織田完之なる人物が何を根拠に上記説を唱えたのかは、もう少し詳しく調べてみたいと思います。

2.迷子説
極めて単純に、深い森の最深部であり、入ると迷って出てこられない場所、として畏れられていたことから、入ってはならない場所、となった、という説。
単純すぎますが、意外に真実はこの程度ではないか、とも感じます。この説に将門伝説が重なっていった、という見方は有り得るかもしれません。

3.入会地説
この場所が行徳の入会地(いりあいち)であり、八幡の住民はみだりに入ることが許されず、そのため「八幡知らず」と言われたのが藪知らずになった、という説。
入会地とは、自給肥料や燃料を確保し農業生産能力を維持する目的で共同利用する場所と定めた土地であり、八幡のこの場所が行徳住民の入会地であったことから八幡の住民からすると入ると恐ろしい目にあう場所、としてきた、というのは説得力のある説ではあります。
直接史料を確認してはおりませんが、史実として入会地であったことも確かなようです。


2003年12月