さよなら20世紀
369日連続企画
このサイトは1999年12月29日に3日間で1900年代を総括しようという無謀な計画の元にスタートし、
当然のごとく挫折(^^;;したミレニアム日記を20世紀中に完成しようとした(^^;;「いんちきなサイト」です。
このため内容もえーかげんかつむちゃくちゃですので教養のあるお客様のご来場はご遠慮致しております。
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時代を総括する!!(^^;;1958-1962年1963-1966
1972

改造される日本列島で同棲を始める若者は、パンダ見物も浅間山荘事件も「ぴあ」で知ったのか?
恥ずかしいのである。369日もあれば1958年から2000年くらいは余裕で振返れるはずであった。と言っても悔いはない。人生波瀾万丈である。カントリーなら、バンジョーである。い〜ち〜ま〜い、に〜ま〜いと数えるのである。ってそれでは番町皿屋敷なのであるが、少し怨みはあったりするのである。何に対してかは、語る日もあるかも知れないが。それはともかく、元日本兵横井庄一様発見なのである。「恥ずかしながら」はこの年ダントツの流行語となる。

札幌オリンピックでのほほんとジャンプの日の丸飛行隊の勇姿に見惚れていたお茶の間は、2月19日、目が点になるのである。浅間山荘事件勃発である。闘争の残滓は残るものの、革命は彼方へ遠ざかりつつあった。成田闘争と沖縄返還協定反対闘争は継続されてはいたものの、それはもはや反政府でも反体制でもなく、「反政策」闘争へ変質している事に当事者双方共まだ気付いてはいない。70年安保阻止闘争の敗北から激化した内ゲバは、閉塞した革命への道を再度開くことはなく、大衆との絆を断ち切りつつあった。

連合赤軍の5人は、10日間河合楽器浅間山荘の管理人の奥さんを人質に取って、1500人の警官隊と睨み合い、そして、2月28日に終焉を迎える。そして、捜査の過程で現れたのは、革命計画でも革命後の社会ビジョンでもなく、妙義山の山中を初めとする闘争ではなく逃走するためのアジトから、自己総括の名の下に葬られた12体のかっての同志の遺体であった。「総括」という言葉が流行語となり、5月30日のテルアビブ空港乱射事件を経て、熱を持って語られた「革命」という言葉は、永遠に封印されるのであった。

行き場を無くした若者の情熱は一挙に方向を変える。国内で15万本、輸出2万本という販売を誇る、電動バイブレーター第一号「熊ん子」が発表される。そして「ビニ本」第一号の「下着と少女」が発行され、大人のおもちゃ屋さんが大儲けするのである。ソープランド(当時はトルコ風呂)は1000軒の大台を越え、ストリップ専門新聞「芸報ジャーナル」、スワッピング雑誌の魁である「全国交際新聞」が登場し、そして、上村一夫さんの「同棲時代」の登場である。同棲なので子供はいらない。この年話題のドラマは「パパと呼ばないで」であった。って内容全然関係無いけど。てへ。赤色エレジー@あがた森魚も当然この年のヒットだったりした。

迷走する日本に、一つの指針がもたらされるのもこの年である。「まぁ、そのぉ」である。「よっしゃっ、よっしゃっ!」なのである。見た目は渋いが声はけっこう高いのである。声が高い悪役と言えばベルクカッツェさんが有名なのであるが「ガッチャマン」が放映されるのもこの年である。某CMでSMAP様が扮していたので、ご存知の方も多いと思うが。って関係ないけど。「日本列島改造論」を引っ提げて、田中角栄首相の登場である。毀誉褒貶多きこの人物については軽軽に述べる事は差し控えるが、バブルを経ての日本への道を付けた事は間違いない。その道が「どんなもん」なのかは別にしてだが。平成12年度末には国と地方をあわせた長期債務の合計金額は645兆円になる事だけは付記しておこう。

色々な事が今日に繋がる。NHKの「中学生日記」が始まるのもこの年で、最初の生徒には竹下景子さんと中野良子さんがいるのである。「”芽生え”ってあっこに毛がはえたんかい?」と突っ込みを入れられつつ、麻丘めぐみさんが、「何年経っても日本語がちっとも上達しないのが不思議な」アグネスチャンちゃんが「ひなげしの花」で、「歌うのは、エチケット(ブレイクしたCMはエチケットライオン)違反じゃなないかい?」な小林麻美さんが「初恋のメロディー」でデビューしたりした。ちなみに、田中健さんもこの年にアイドルとしてデビューしているのだが、プロフィールから抹消されていて、当時の芸名は「あおい健」である。古手川裕子さんとの離婚原因とは関係ないとは思うが。てへ。

せんだみつおさんがNOWいのである。そんな時代なのである。TBSの「銀座NOW」が爆発的な支持を受けるのであるが、支持している連中のファッションは、チューリップハットをかぶり、ストライプや迷彩のベルボトムっつうか、脚が短いのでまるで三味線のバチのようなジーンズをはいていたのである。類友である。そっち方面に行かない若者はこの年創刊された「ロッキング・オン@渋谷陽一」を読んでいたりもした。

「マジンガーZ」「レッドバロン」の人間乗り込み型ロボットがTVに登場する。ガンダムへ続く道の始まりである。合体ロボの一里塚でもある。「海のトリトン」もひっそり放映されるのだが、再放送されるまでイマイチ人気薄でもあった。

「ぴあ」が創刊され、情報は時間と場所に図式化される。挟み込まれる「意図」も事実の一部の様な錯覚が生まれ、雑誌出版は急速にカタログ化してゆく。マンションメーカーという呼び名が現れ、「周知」ではあるが「個性的」という二律背反が持て囃される。秘密を共有する事でしか、信頼は生まれなくなってゆき、誰もが「私のオスカル様」を追い求める。ってそりゃ、池田理代子さんの大ヒット「ベルサイユのバラ」なのであるが。

日中国交正常化は成し遂げられ、パンダのカンカン&ランランは上野へ来る。ギブアンドテイクなのである。同棲ブームの当然の帰結として12月28日に厚生省は第二次ベビーブームであることを発表した。甘い生活の向こうにあったのは、次郎と今日子のような結末か、今日に繋がる諦めだったのかも知れない。わかんないけど。てへ。

「いつものように幕が開いた」はずの1972年は、「黒い縁取りのある便り」で幕を閉じた。言うまでもなくこの年のレコード大賞は、ちあきなおみさんの「喝采」であった。そしてこの年を暮らす人々の、最も印象に残るドラマの台詞は、ニヒルに中村敦夫現参議院議員演じる処の「木枯らし紋次郎」が囁く「あっしには、関わり合いのないことで」だったのかも知れない。

続くかも。さっぱりわかんないけど(^^;;