お祭りにつて 知っている人がいたら教えて・・・
明治の頃は、福田村は、今の中川通りを境に西組と東組に分かれていました。この2つの組を福田区として管理していました。 明治16年に、まず西組が掛塚横町の屋台を中古で購入しました。これに刺激され東組でも明治28年に掛塚で屋台を作りました。これが福田の屋台引き回しの始まりです。
いぐみ」と読みます。私の部落の呼び名です。東西の屋台では物足りない、当時の人は、なんとか、自分たちの部落の屋台が欲しくなり、ついに昭和31年に掛塚で屋台を作り、その当時、トラックなんて珍しい時代でしたから、なんと今の、旧掛塚街道を引いてきたそうです。なんと、夜どうし6時間もかかったそうです。
い組の屋台は、他の部落が次々に、新屋台を作り、今では、決して大きい屋台ではありません。しかし、い組のみんなは、この屋台に幼いころの思い出をつめこみ、愛着を持っています。
右にあるのが、我が「い組」の法被(はっぴ)と肉襦袢(にくじゅばん)です。中学生の頃は、なんだか粋がって、丈の長い着流しや、あみシャツなんがを、マルゼン(磐田駅前)とかで買っては着ましたが、今はやっぱり本物がいいですね。
ごちゃごちゃお祭りについて、書きましたが、これは我が「一番組中老会」で発行した「い組のすべて」を資料としています。もっと詳しいことが知りたかったら、メール下さい。
福田町では町内各地の屋台をまとめたカレンダーが売られています。