大工さんの話

私は、この家を建てている大工です。
見栄をはって、子どもの前で「マカセテオケ!!」などと言ってしまいました。
思ったよりもむずかしく悪戦苦闘しています。
知恵と、センスのない親子ですから、世界中の人々の前で恥をかくことになってしまいますが、
がんばりますのでろしくお願いします。
何かお気付きの点がございましたら、注意、助言等、いただければ嬉しく思います。

                                                                                                     1998年7月



今度は、フレームのページに挑戦してみました。
HPを作るということは、ずいぶん手間のかかる仕事なんですね。おどろきました。
今回は、次のページから絵と、曲をお借りし、子どもに喜んでもらえる家を作ることが出来ました。
  ここのページには、可愛い動物たちがたくさんいて、子どもがとっても気に入って
しまいました。  たくさんの画像を拝借いたしました。  ありがとうございます。

  こちらのページには、素晴らしい曲がたくさんあり、曲の貼り付け方まで教えて
いただきました。  ありがとうございます。

インターネットから、親子ともども学ぶものが多く、感謝しております。
これからも、いろいろな方々のページを巡り、勉強させていただきたいと思います。

                                                                                                       1998年10月 



ページはできたのですが、なかなかアップすることができずにいました。
ハートランドのコミュニティーリーダー dingdongさんなどにお世話になり、ようやく転送することができました。

FTPの転送ソフトを使用して、サブディレクトリーに転送しようとしたのですが、サブディレクトリーには直接転送することができないとのこと。

ずいぶん苦労したのですが あとから見てみると、内容のない 親と子が楽しんでいるだけの自己満足のページでしかありませんでした。

せっかく ご覧になってくださった方々、ごめんなさい。
HPとは、どう作るかではなく、HPを使って何をするのか、という基本的な事を実感しました。

                                              1998年10月



新しく「私はカメラマン」というコーナーを作ってみました。
写真を写しながら、自分の住んでいる町や、自然などを見つめてくれればと思いました。

文章を書くのが苦手な我が子です。
はじめは、テープなどに録音したものを私が入力していました。少し手を加えないと読めた代物ではありません。
最近は、自分でキーボードを叩くなど、がんばっております。

この子たちがおとなになる頃には、インターネットも身近なものになっていることでしょう。
少しでもパソコンに慣れてほしいと願っています
                                               1998年11月



大工からのお願い。
各社のサーチエンジンに登録したところ、ご覧になってくださるお客様の数が多くなってきました。娘も、とても喜んでいます。
そこで、もうひとつお願いがあります。
いらしていただいた方に、何かメッセージを残していただけたら娘も励みになることと思います。
おとなの方でも、お子様でも結構ですので、どうかよろしくお願いいたします。

このようなページで恐縮なのですが。
                                                                                                        1998年11月



ごめんなさい。
皆様に書込んでいただいた掲示板を削除してしまいました。
せっかく、皆様にお願いして書込んでいただいたのに、ほんとうにすみません。
あちこち手直ししすぎて、大切な所を壊してしまった、そそっかしい大工でした。
ほんとうに申し訳ありません。
                                                                                                         1998年12月


リンクのページを作ってみました。
あちこちのページを見せていただいているのですが、とても すばらしいページばかりです。
いろいろな趣味をお持ちの方、たくさん勉強されている方、とても ためになるページばかりです。
ご紹介させていただきたいページがたくさんあるのですが、このページは娘のページなので、子どものためのページを載せることにしました。
子どもさん方に、役にたち、そして夢をもっていただければと願います。
リンクを張らせていただいた方々、ありがとうございました。
                                                                                                          1998年12月


新しい年を迎え、もうひと月が過ぎようとしています。
顔のマークなども覚え、親子でインターネットを楽しんでいます。
思い返すと、ずいぶんいろいろなことがありました。
今までの恥ずかしい経験を綴ると、「あかっぱじ、あおっぱじ」のようなホームページが出来てしまいそうです。
そろそろ、子どもと相談し新しい部屋でも増築しようかな、などと考えています。

                                                                                                           1999年 1月



新しい部屋を増築するために、家全体を大改造してしまいました。(また、いけない癖が出てしまいました)
またまた絵や、曲の素材を、たくさんお借りしました。  ありがとうございます。(娘には、ずいぶん喜んでもらえました)

このページは雑誌の付録に付いていたNCの、さらにおまけのHP作成ソフトで作っています。
先日、初めてIEをインストールしてみたのですが、行がめちゃくちゃになっていました。
フォントのサイズを考えていなかったのです。
基本的なタグしか使用していないので(他のタグを知らないのですが ^  ^;)フォントのサイズを合わせていただければ問題はないと思います。
両方のブラウザで確認しながらHPを作らなければいけないのですね。(また恥をかいてしまいました。)
いろいろ告白すると、そうとう笑えるページができるのですが、子どものページだけで精いっぱいです。

娘も、もうすぐ4年生。
これから、いろいろなことを経験してほしいと思っています。
調べたことや、体験したことなど、美奈子の部屋で発表させていただこうと思います。
皆様に見ていただけたら娘も喜ぶことでしょう。
これからも、よろしくお願いいたします。
                                                                                                            1999年 2月



3月22日の塩原は、なごり雪どころかブリザードにみまわれるという事態になってしまいました。
これは、私どもが、お彼岸というのに川探検などをしていたため、ご先祖様の怒りに触れてしまったのです。
スキーや行楽などでおこしいただいたお客様には、たいへんご迷惑をおかけし申し訳ございませんでした。
お詫び申し上げます。

川探検も無事に終わりました。
ああいい旅だったなあ。  川を知ることができた、自然にも触れた、おじいさんの話も聞けた。
人々が求めてきた便利さ、豊かさ、その結果としてのマイナス面は自然のみならず子どもの心の中にまで・・・・・・ブツブツ    などと、ほろ酔いかげんの父親。

「港の市場で食べたお寿司おいしかったよね。   ねーっ おとーさん」    (^^)
「・・・・・・・・・・・・・・」   ( ̄ ̄);
                                                                                                             1999年3月


いよいよ新緑の季節となりました。
今年の春先は気温が低く、木の芽も、花も、遅れていたようです。
なかなか咲くことのできない花たちがいっせいに開花するようすは北の国ならではの景観だと思います。

娘も4年生になりました。
そろそろ反抗期にも入り難しい年頃を迎えようとしています。
現在の、子供たちに起きているさまざまな問題を考えると、教育のテクニックだけではどうすることもできない状況になってしまったのではないかと思います。
私たち自身が、大人の社会を真剣に考えなければならない時期に来ているのではないでしょうか。

                                                                                                               1999年4月


小さな頃から医食同源を教えてきた我が子です。
「昔のこと好き」というメールが届き、返事に困っていた美奈子に、こんな話をしてみました。
美奈子の好きなものはゲーセン・マクドナルド・ポケモン・コナンです。

遊びや勉強もかたよってはだめなんだよ。
たとえば、学校の勉強ばかりじゃだめだよね。社会勉強というのがある。
ゲームもいいけど自然の中でおもいっきり遊ぶことも大切だ。
鳥や動物を見ていると、いろいろためになるよ。みんないっしょうけんめいに生きている。
昔のことを知ると、今のいけないことや、いいことが分かってくる。
今は、まだよく分からないかもしれないけど、体のどこかで覚えていて、おとなになったら、いつか必ず役に立つんだよ。

さて、このお嬢様は、いったいどんなおとなのひとになるのでしょうか。^  ^;

                                                                                                               1999年5月


今月は、とても忙しく、更新のほうをサボってしまいました。
山に行ったり、川に行ったりと、たいへん忙しい6月でした。^  ^;

鮎釣りの解禁の日は、雨がたくさん降りました。
ここ数年、追いが悪く不評続きでしたが、今年の鮎は、天然物を使って品種改良をしたそうです。
型も、追いも、ずいぶん良くなったように思います。

水かさが増えてきて、体温も低下してしまい、このままでは危険と判断し、テントに入って酒盛りを始めました。
長老を交えての釣り談義に花が咲き、やがて一人二人といびきが出始め、テントの中が静まりかえった頃、私の釣りのお師匠さんが怒鳴りこんできました。「解禁だっつーのに、おめーら何やってんだ!!」
渋々、また川に入ってから戻ってみると、そのお師匠さんが高いびきをかいていました。−−;

もうすぐ夏休み。
美奈子もキャンプや、いかだくだり、ハイキングに、きもだめし、等など、芸能人顔負けの超ハードスケジュールが待ちかまえています。
皆様も、元気に夏をおすごしください。^  ^/

                                              1999年6月

8月に“自然生活体験キャンプ”が、塩原で行なわれます。
栃木県の各地から子どもさんたちが集まると聞いたので美奈子にも話をしたら、喜んで「うん、参加する」といいました。
説明会で栃木県キャンプ協会の会長をなさっている野沢さんがお話しをしてくださいましたが、たくさんのお話の中に「世界には、貧しい国できびしい生活をしている子どもたちがいる。そのきびしさの中で、ひときわかがやく子どもの目が印象的だった」 そのようなお話が含まれていました。
時々、子どものような目をしたおとなの人に出会うことがあります。 子どもの頃の目のかがやきを、いつまでも失いたくないですね。

                                            1999年7月


美奈子の夏休みも終わりました。
ご迷惑をおかけした方々、いろいろな事を教えていただいた方々、そして楽しく遊んでくれた方々、ほんとうにありがとうございました。 まだ見たこともない遠くの方々からのメールは、貧しい想像力に大きな刺激を与えてくれました。 さまざまなイベントに参加させていただいたり、たくさんのメールをいただいたり、充実した夏休みを送ることができ感謝しております。 きっと心の栄養になったことでしょう。

秋風が、コオロギの歌声に合わせてすすきの穂を踊らせています。
秋が、かけ足で通り過ぎるころ、山からは乾いた冷たい風が吹いてくることでしょう。
ほんとうに早いものですね。
「美奈子の家」を建ててから、あっという間に一年が過ぎてしまいました。 いろいろな発表に対しての、さまざまな方々からのメールは、私たち親子にとってこの上ない喜びでした。 少しずつではありますが、美奈子の視野も広がってゆくことでしょう。
美奈子しだいではありますが、続けてゆけるものであれば、これからもいろいろな発表をさせていただきたいと思います。 どうか「美奈子の家」をよろしくお願いいたします。

                                            1999年8月

親戚で作っている大根の出荷を手伝うことがあります。
朝暗いうちに畑に行きました。真っ暗な畑を、目を凝らしてよく見ると、あちこちに人が働いているのです。
雨上がりのドロドロの畑から大根をぬく作業はとてもハードな仕事でした。
東の空が、ほんのり明るくなると、真っ暗な畑に並んで横たわっている白い大根が浮かびあがってきます。
周囲がブルーの空気に包まれる頃、大根を満載にしたトラックは家に戻ります。
機械で泥を落とした大根を、さらに手で磨きあげます。一本一本丹念に洗っているその姿は赤ちゃんを風呂に入れる母親のようです。
大きさを揃えて箱詰めにし、農協へ運び、大型トラックに積んで都会の市場へと向かいます。
無事出荷された大根は畑で育った大根の5〜7割りといったところでしょうか。傷や曲がり変色などの理由で残された大根はすべて廃棄処分となります。

午前3時という時間に美奈子を起こすことができず、夜が明けてからの大根洗いを少し手伝わせてみました。
ドロドロの土がついた大根を汚いものでもつかむような手つきで握ろうとするので、じろっと睨むと慌てて洗いはじめました。
おとなになってお母さんになったとき、このような経験を、はたして思い出してもらえるか心配です。

廃棄処分になる大根をもらって家に帰りました。
生のまま、マヨネーズと醤油をつけてパリパリと食べた我が家のお嬢様。  「うん おいしいよね」
塩原大根は天下一品です。

                                           1999年9月

冷たい雨が落ち、黒く光る路面に彩りをそえている落ち葉たち。
ひと雨ごとに寒さが増します。
雪の便りも聞こえてくる季節になってしまいましたね。

アナログオンリーだった我家に、いつしかデジタルの波が忍び寄り、振り子の止まっている時計が正確な時を刻んでいました。
まだ数行しか表示されないワープロに通信ユニットなるものを取り付けて電話回線につなぎ、わけも分からずいじくり回していたら、キーを叩かなければ動くはずのないカーソルがいきなり動き出し、半角のカタカナで何やら語りかけてきました。あの時の驚きは今でも忘れることができません。背筋がぞくぞくっとして、まるでオカルト映画のワンシーンのようでした。

修理の見積もりを見て驚き、とうとう新しいパソコンを導入してしまいました。
とてもきれいな画面に「おー!スゲー!!」と驚きを隠せない父親と、学校で立派なパソコンを使っているので、いたって冷静な娘。
何とも悔しぃー思いをいたしました。
それにしても現代の技術の進歩には凄まじいものがありますね。
いまだに8ビットの私の頭ではとても間に合いません。
間に合わそうとも思いませんが ^ ^;

この間、友達の家の空いた畑で作っていた蕎麦の収穫をいたしました。
蕎麦の実を叩いて落とし、ゴミの中に埋もれている蕎麦の実をどうするのかと思っていたら、“唐箕”(とうみ)と呼ばれる機械で風をおこしゴミを一気に飛ばして、蕎麦の実だけがさらさらと落ちてきました。(感動)
数十年は使っていると思われる年代物の機械と、数年しか使えない高価なパソコンを複雑な気持ちで比較してしまいました。

                    1999年10月


塩原町の北のはずれに、東北地方の尻尾と、関東地方の頭がつながっているので“尾頭峠”と名付けられた峠があります。
その峠が3回白くなると、町にも雪が降り積もるといわれています。
2回白くなりました。

数個ほど残った柿の実たちが、寒風に吹かれながら真っ赤な顔をして枝にぶら下がっています。
みんな頑張っていますね。
さて、最後に残るのはどの柿でしょうか。

そろそろ山の猿たちが下りてきて、畑などの作物を荒らすなどの悪さを始めました。
お客様の近くにも来ることがあるとおもいますので、お願いがあります。
もし、猿を見かけても餌などは与えないようにしてください。
たしかに山で動物を見かけると、可愛いいので、ついつい餌をあげたくなってしまいますよね。
しかし、結果的には、決して動物のためにはならないと思います。
どうか、よろしくお願いいたします。

                     1999年11月

2000年まで数時間を残すところとなり、ハードディスクのバックアップを済ませました。
テレビでは、2000年問題に関するさまざまな報道がされ、食料などの備蓄を呼びかけています。
山にはたくさんの薪、沢には美味しい水、米も漬物もあります。
「餅もついたし、いざという時にはニワトリをひねれば食い物は心配ねぇょ」と、頼もしいいとこがいます。
温泉はあふれているし、必要ならばクマの肉だって手に入るんです。
う〜ん、もう心配ないなぁ。

風も雪もない静かな年の瀬でした。
まもなく1999年が終わろうとしています。
コンピュータが、もし、ちゃんと動いていたら、来年も「美奈子の家」を見てくださいね。

よいお年をお迎え下さい。

                     1999年12月

可愛い子犬が、橋の上から川をのぞくと、美味しそうな骨をくわえた子犬がいました。
私たちは、このお話のパロディーを作って遊ぶことがあります。

私も川面にアメリカの豊かな暮らしを見てしまった一人です。

                     2000年1月

福寿草や、マンサクの花が咲きました。
朝は、いまだに氷点下の世界ですが、陽のひかりは、ずいぶんやわらかくなりました。

先日、塩原へ働きに来ているという、青森のおじさんと酒を飲みました。
野菜ばかりの鍋と、冷や酒という粗末な酒盛りではありましたが、今までの、どんな酒宴よりも心安らぐひとときを過ごすことができました。
「青森はなぁ〜、昔は、ずいぶん栄えていたんだなゃ〜。十三湊となんかはなっ、北前船がはいってよぉ〜、賑やかだったんだなっ。山内遺跡だって凄いんだなぁっ。そんだけどなっ、今はダメだなゃぁ」
「何ででしょうね」
「米、あんまりできねえもんなゃぁ」
「そうですね、石高で藩や、人々の優劣を決めた時代がありましたからね」

そんな話から、現在の、お金第一主義の話に発展してしまいました。
子どもでも、お金さえあればすべてのものが手に入ると公言する時代ですからねぇ。
ふと気がつくと、自然は破壊され、子どもたちの心の中までもが蝕まれ、自ら命を絶ってしまうおとなや、子どもたちが、とても多くなってしまったのです。

う〜ん、それにしても青森の人の言葉って、なんてやわらかいんでしょうね。津軽三味線の強さ激しさとは正反対です。
そういえば、青森の写真家、沢田教一の写真にも、津軽弁のやさしさと、津軽三味線の激しさを見たことがあります。

今、日本は、氷河の流れのように時代が変わろうとしています。
私達の子どもは、どのようなカールを目にするのでしょうか。

                       2000年2月

根開きが、塩原の山々に春の訪れを告げるころ、暖かな陽だまりにはフキノトウが顔を出します。
フキノトウを食べると 「やっと春が来たんだなぁ」 そんな感じがします。何ともいえない香りですね。
木の芽や、硬い木の皮を食べながら、必死になって、凍てついた冬を越えてきた獣たちにも、ようやく美味しいご馳走の季節がやってきました。
以前、こんな歌を作ったことがあります。
 
   竹林に 積もれし雪の重みさえ
       堪え忍ぶれば やがて来る春

どんなに辛いことがあっても頑張りましょう。

                       2000年3月

眠りからさめたモノトーンの森を、新芽がパステルカラーに染めるころ、キブシや、ヤシオツツジの花が咲きます。
日ごとに山の緑が変化する様子を見ていると 「自然の活力ってすごいなぁ」 と感じるのです。
森の中で深呼吸をし、自然の活力のおすそ分けを願うのは、私だけでしょうか。

そんなある日、掲示板にリンクのお願いという書き込みを見つけました。
重い心臓病と闘っている少女を助けようという、善意の輪が全国に広がっているのでした。
インターネットという新しい世界の中の情報が、様々な形で私たちの生活に影響を与え始めています。
明治維新、太平洋戦争、そして三度目の、これから起こるであろう大きな日本の動きを、しっかりと見届けたいものだと思います。

                           2000年 4.5月



所々に使っているスライドショーは、Anfyというソフトで作成しています。
無料でダウンロードできるのですが、HPに、おとなのページへのリンクが含まれていたため、バナーを外してあります。
様々な画像効果を得られる、優れたソフトです。
ネットスケープで見てくださっている方から、フリーズの報告が寄せられました。
以前、動作の確認をした時にも、表示されないことがあったのですが、その時には再読込みで表示させることができました。
素人の私には原因がわかりません。
ネットスケープを使用されている方にはご不自由をおかけするかもしれません。
お詫びを申し上げます。

しっとりとした冷気の漂う森の中で、梅雨の雨を受け、ひっそりと咲いている小さな白い花。
小川のせせらぎを聞きながら夜毎繰り広げられる光の舞いは、求愛の熱きシグナル。

まだ梅雨冷えのする、ここ塩原温泉にもゲンジボタルや、鮎の解禁など、初夏の話題が聞こえてくるようになりました。
昨日は、娘といっしょにキイチゴを採りに行き、一年ぶりの甘酸っぱい味を楽しみました。
自然というものは、私たちに、このような恵みと、そして様々な教訓を与えてくれます。

6月に産卵、約1ヶ月後の7月に孵化したゲンジボタルの幼虫は10ヶ月、長いもので2年という歳月を水中で生活します。
口外消化をする幼虫の鰓は腹部側面に付いていて、カワニナの殻の中に半分くらい潜っても呼吸ができるような仕組みになっているそうです。神様が生態に合わせて、よい仕組みをつくってくださったのでしょう。
数時間から数10時間の交尾の後に産卵し、力尽きて死んでしまいます。
2〜3匹のホタルが寄ってくると、光はとても明るくなります。そして高く高く舞いあがるものもいます。
メスと比べると、とても数の多いオスたちの、精一杯の自己主張なのでしょう。
ふんわり飛んでいる夜のホタルですが優雅な光の舞≠ネどでは、決してなかったのです。
ホタルを見ていて、こんなことを思いました。
臨終の時に大往生するには、まだまだ苦労が足りないな、と。

                           2000年6月

7月7日は美奈子の誕生日でした。
七夕の飾りを作っていて思いました。
昔の人は、竹と紙だけでこのような華やかな飾り物を作ったのですね。
何と素晴らしい知恵なのでしょう。

七夕のことを少し調べてみました。
天の川で、年に一度出会う織姫と彦星の物語。中国では2000年もの昔にできていたといいます。
織姫の機織から、技芸の上達を祈る乞巧奠(きこうでん)と呼ばれる宮中行事が生まれ、日本に伝わりました。
この乞巧奠という行事ですが、日本では、奈良時代から宮中の行事として行なわれるようになり、現在でも京都で行なわれているとのことです。

日本にも、その昔、7月7日にけがれをはらう行事があったといわれています。
天から降り立つ神のために美しい衣を織る棚機女(たなばたつめ)という伝説だったそうです。

ふたつのお話が、しだいに庶民の生活にもとけ込んできて、江戸時代になると竹に飾り物や短冊をかざる習慣が定着してきた、といいますから貧しい暮らしの中から生まれた生活の知恵だったのですね。
このような素晴らしい行事ですが、現在では、幼稚園のイベントや、商店、宿泊施設のディスプレイになってきて、一般の家庭から少しずつ遠ざかっているように思えるのですが、さみしいような気がいたします。

緑の山の向こうには、真っ白な雲がモクモクと盛上がってきています。
夏真っ盛りですね。
皆様、暑さに負けず、元気にお過ごしください。

                          2000年7月


暑かった夏休みも終わってしまいました。
いろいろな夏休みを過ごされたこととおもいます。
それにしても今年は暑い日が続きましたね。
ぐあいの悪い方はいませんでしたか。

1ヶ月以上もあったはずなのに、美奈子は「もう終わっちゃったね」と残念そう。
今年の夏休みも、山や川で遊んだり、海で泳いだり、真っ黒になって遊びまくっておりました。
おかげで工作ができておらず、昨日、やっと完成させたところです。
以前から、牛乳ビン受けを作らなくては、と考えていたのですが、美奈子自身から提案してくれました。
朝早くから配達してくれている牛乳屋さんのことを考えてくれ、とても嬉しかったです。
今朝の空は、雲に覆われています。
日が昇って空気が暖められてくると、どこかに運ばれてしまいそうな、そんな雲です。
窓からは、ひんやりした空気とともに虫の鳴声も聞こえてきます。
今朝は、夏休みの作品を持った子どもたちの登校姿が見られることでしょう。
みなさん、二学期も頑張ってくださいね。

                          2000年8月


沖縄県の竹富島に5日間ほど滞在してきました。
真っ青な海と空。原色の熱帯魚。珊瑚の砂の白い道と、赤瓦の民家。
十数年前に来た時と同じ光景を目にして、タイムスリップをしたような、そんな錯覚に陥ってしまいました。

宿のご主人の、さまざまな話しを聞いていて、日本の文化は、紛れもなく大陸より、沖縄経由にて到達したものだと実感いたしました。話の中に登場する信仰の数々は、沖縄の人々の生活の支えとして、現在でも、しっかりと根付いているようです。
私たちは、戦後、アメリカの豊かさを見たときに、ニーランの国からもたらされた恵みや幸せ、そして、さまざまな教えの数々を、どこかに忘れてしまったような気がいたします。

宿のご主人がいいました。
「たくさん睡眠をとらなくてはだめだよ、睡眠不足になるとご飯が食べられなくなる」
沖縄には長老が多いといいますが、このようなゆったりとした生活のリズムが長生きの秘訣なのではないかと感じました。
作家の司馬遼太郎氏が先島を訪れた際に、こんなことを話しています。
竹富島に鉄の技術が伝わったのは本土から1000年遅れてのことといわれています。
その後も、鉄器は少なく、木器がつねに生産の主力となっていました。
「木器の稼働能力が人間の欲望の限界をなしたということが、沖縄人の穏やかな性格を作るのに、よほど重要な原因となったのではないか」と。
現在の、経済最優先の世の中で、あくせく生きることへの不満を、常に抱いていた自分が、たくさんのお金をかけて沖縄を訪れ、このようなことを再認識するとは皮肉なものだとおもいます。

竹富島の人々が、島の伝統を守るために様々な努力を重ねてきました。
現在の、竹富島が抱えている問題は、ご主人の話しや、島の様子のあちこちに見てとることができました。
島民の人々の数が少なくなっていることも大きな問題のひとつかとおもいます。
便利さを求めるという人間の欲求と、昔からの伝統を守り続けるということは、相反することかもしれません。
しかし、何とかバランスをとりながら竹富島の良さを残してくれればとおもいます。
そして美奈子が、いつの日か、ふたたび竹富島を訪れたときに「子どもの時とおなじだなぁ」そんなふうに呟いてくれれば嬉しいですね。
いずこの地域にも、似たような問題があるのではないかとおもいます。
私たちの子どもや、孫たちのために、もう一度、身近なことから考えてみる必要があるのではないでしょうか。

                           2000年9月

今年の夏は暑かったですね。
残暑もきびしかったです。
しかし、10月ともなると、少しずつ気温も下がり、秋の冷たい雨が降りはじめます。
山も少しずつ色付き、キノコ採りの話題が、町中に広がります。
自然というものは、一生懸命に正確なサイクルを刻もうとしているのですね。

以前、こんな話を聞いたことがあります。
直径1万3000Kmもの地球を、わずか20〜30Kmもの薄い大気が包んでいるそうです。
ほんとうに薄いベールのようなものなのですねぇ。
その薄いベールの中で、人間の欲望が渦巻いているのですから、地球も たまったものではありません。
祖母の話だと、ここ塩原でも、雪が軒先まで積もったことがあるといいます。
今では考えられないことですね。
地球の温暖化は確実に進んでいます。
しかし、それを実感するには、人の命があまりにも短すぎるのでしょう。

ごみの山を見るたびに思います。
ほんとうに これでいいのだろうか。
ほんの少し、欲望のスピードを押さえれば、もう少し、地球が長持ちするのになぁ〜、と。

                            2000年10月


先日、久しぶりに「本を読んであげる」というと、娘がひざの上に座りました。
小さな時を思い出したのでしょう。 その大きさに驚き!!
いつのまにか、こんなに大きくなってしまったんだなぁ〜、などと思いながら絵本を読みました。

近ごろ、子どもさんの犯罪やら、被害やら、何かと、目にとまることが多くなってきましたね。
いじめなどの問題も、あとが絶えないようです。
我が家の娘は、いったいどのような人間になるのかな、などと心配になることがあります。
今の子どもさんは、おとなの社会をどのように見ているのでしょう。

私が小学生の時、このような先生がおられました。
粗末な服を着て、毎日、学校へ通っていました。
おとなしい先生でしたが、やさしかったり、厳しかったり、とても目の表情が豊かでした。
手は、握っているか、指をそろえてまっすぐにのばしているか、そのどちらかだったようにおもいます。
それ以外は、あまり記憶に残っていません。
中学二年生のときに亡くなりました。
目と指先のふたつだけで、数十年経った今でも影響を与え続けられています。
おかげで、いつも損な役回りばかりですが。

ばかをみてもよい、損をしてもよい、貧乏でも、辛いおもいをしても、素直で正直なおとなの人になってほしいな、と思います。

                           2000年11月



私は、夜、ホテルでアルバイトをすることがあります。
昨晩、ラーメンを食べにやって来た、どう見ても危なそうな四人の若者。
突っ張っているのですが、危害を及ぼす様子は見られませんでした。
私は、老人会の方たちと同様の、いつもの接し方をしていました。
カラオケで、尾崎豊の卒業≠熱唱した青年たちが帰ります。
後かたつけをしていたら、タバコが忘れてありました。
追いかけて行くと 「タオルなかったか」 。
もう一度、戻ってみると椅子の端に掛けてありました。
届けると、 「これだけだった」 。
「はい、これだけでしたよ」 と、私。
「ありがとう」 という若者の顔からは、険しさが消えていました。
何かとても嬉しい気持ちになり、仕事が終わってから二時まで酒を飲んでしまいました。

今日は大晦日。
静かに20世紀の幕が落ちようとしています。

日本丸の機関室から、ずっしりとした響きが聞こえてきます。
この巨大な船は、まもなく岸壁を離れ、大海原に向かって行くことでしょう。
21世紀が楽しみですね。

                           2000年12月


「今年の冬は、暖かくて助かるね〜」と、話しをしていた昨年が嘘のようです。
連日の大雪で、ぼやくことしきり。
ある日、きれいに除雪をされている雪道を走っていて思いました。 
もし、このように除雪が行われていなかったら、と。

昔は、除雪もされず、村は、積雪のために陸の孤島と化してしまいました。
保存食に頼らなければならない状況から、さまざまな工夫がなされましたね。
現在では、その保存食が、日本国民の味覚として定着しているようです。
各種漬物・切干大根・芋がら・しみ豆腐・干し柿・塩引鮭・鯵の干物・スルメ・コマイ、等など。
そして、囲炉裏で燻製も作られました。

現在でも、厳冬季の間は、週に1度の販売車が頼りという地域もあります。
出稼ぎに来ているおじさんが、家の屋根の雪かきを案じています。
豪雪地域での火災は、とても恐ろしいです。

様々なウインタースポーツにより、冬を楽しむという時代になりましたが、雪を白魔と呼び、恐れている地域もあるということを忘れてはいけませんね。

「このくらい なんの なんの がんばらなくちゃ」

                           2001年1月


大雪に悩まされていましたが、立春を過ぎ、心なしか日差しが和らいできました。
人類に傷つけられながらも、その自然は、今年も、人々に春の訪れを告げようとしています。

地軸のわずかな角度によって四季がつくられ、季節のさまざまな言葉が生まれました。
私は、思うんですねぇ。
地球と太陽との絶妙な距離は、偶然という意外にどう説明をしたらよいのでしょう。
その地球上に生を受けるという偶然が重なりました。
もし神というものが存在するのであれば、私は感謝せずにはいられません。

暖かな春の日差しを浴びながら、雪原の中でそんなことを考えていたら、日々の悩みなど、ほんとうにちっぽけなものに思えてしまいました。
悩み事を持っている方がおられましたら、どうでしょう、自然の中に飛び込んでみては・・・・

                           2001年2月


桜前線も、ようやく塩原温泉に到着し、多くのお客様の目を楽しませてくれております。
山の方では、水芭蕉も咲きました。
美奈子も、いよいよ最高学年になり、いささか緊張気味です。
美奈子の部屋≠ェ、狭くなってしまったので、お引越しをすることになりました。
引越しの準備で、しばらく更新ができなかったことをお詫びいたします。
また、何か調べましたら美奈子の部屋≠ナ発表させていただきたいと思います。
これからも、どうぞ よろしくお願いいたします。


近くに、こだわりのパン屋さんがあります。
店には、ブクブクと炭酸ガスを出している、発酵中のブドウ入りのビンが置いてありました。
天然酵母を使用して作った無添加のパンは、少し時間が経つと固くなってしまいます。
近頃の、柔らかくふっくらとしたパンに馴れていた私には、少々とっつきにくいパンでした。

しかし、やわらかな、ふっくらとしたパンを作るためには、どうしても添加物に頼らなければなりません。
見栄えの良い、食べやすい、そして腐りにくい食品を望む消費者の要求に応え、メーカーでは様々な工夫を凝らし、現在の食料品が生まれました。
ふと気がつくと、無添加の、純粋で、しかも無骨な食品にであった時、違和感を覚えるような人間になってしまっていたんですね〜。

そんな自分を、少し離れた場所から観察してみたんです。
すると、いろいろ思いあたることが発見されました。

う〜ん。
娘にも添加物を使用しすぎたかもしれないなぁ〜・・・・・・

                        2001年4月


私たちの町に塩原温泉ビジターセンター≠ニいう所があります。
四季を通して、様々な企画を用意してくれ、遠方からの参加者も、たくさん来られます。
今回は、森のコンサート≠ニいう、とても素晴らしい企画でした。

塩原自然研究路で、ビジターセンター、自然公園指導員、パークボランティアの方々が、いろいろなお話をしてくださいました。
そして、ゴールの大沼には、栃木県交響楽団弦楽アンサンブルの方々がスタンバイをしてくれています。
みどり輝く日曜日、多くのハイカーの方々も一緒になって、森のすばらしいコンサートを楽しみました。

自然観察の時に、パークボランティアの方が、このようなお話をしてくださいました。
「低い木の葉と、高い木の葉を比べてください。 低木の葉は大きくなっていますが、高木の葉は、まだ小さいですよね」
「高木の葉が先に大きくなってしまうと、低木に日が当たらなくなってしまいます。 小さな木の葉が育つまで待っていてくれているんですね」
「そして、夏になると、大きな木の葉が、弱い木や植物を夏の日差しから守ってくれるのです」
「低木の根は地表の土をしっかり押さえ、高木の根は地中に、しっかりと食い込みます」
「両方の根が大地を守っているので、大雨が降っても土が流れないのですよ」
なるほど。 自然から学ぶものは多いです。

                        2001年5月


アメリカで心臓移植を受け、一年が過ぎた藤田夏帆(ふじたかほ)ちゃん。
元気に学校へ通えるようになり、ピアノのレッスンなども頑張っていました。
小さな女の子が、生命の危機に直面し勇敢にも闘い通しました。
ドナーが、なかなか現れなかった頃は、とても辛かったことでしょう。
ストレスなどにより、ご両親を困らせたこともあったようです。
しかし、日本の多くの支援者や、アメリカのスタッフの励まし、そしてご両親の愛情に支えられ、夏帆ちゃんは無事手術を済ませることができました。
現在、拒絶反応が出て入院をしているようですが、早く学校へ行けるよう祈ります。
美奈子にも、夏帆ちゃんの精神力と、頑張りの100分の1でも見習ってもらえるとよいのですが・・・・・・。 (^  ^;)

夏帆ちゃん頑張ってください!!

                        2001年6月


塩原小学校・上塩原小学校、二校合同での修学旅行報告会≠ノ参加しました。
旅行は、一泊二日の東京見物です。

私たちの町の小学校では、一日目を自由時間として、数人のグループに分かれて行動します。
見学する場所、コース、料金、そして時間配分など、すべて子どもたちが計画を立てました。
インターネットや、時刻表、パンフレットなどを使い、長い時間をかけて計画を立てたようです。

当日は、各グループに、一人の先生が同行しますが、後ろからついて歩くだけで、よけいな指示はしません。 あくまで、困った時の、最後のお助け役だそうです。
通常の困り事は、現場の通行人、駅員さん、おまわりさんなどに聞くこととなっていたようです。
このような体験から、人を知るという勉強にもなったのではないでしょうか。

ハイパーテキストで作成したデータを、スクリーンに映し出したり、製作した模型を、小型のCCDカメラを使ってスクリーンに映すなど、ハイテクを駆使した報告会となりました。
もぞうし≠ノ、マジックインキで書いていた、私たちの発表会を思い出し、時代の違いを思い知る一時間でもありました。

東京では、どのような所に行って来たのでしょう。
江戸東京博物館・浅草寺界隈・NHKスタジオパーク・上野動物園・東京ドーム・国立科学博物館、その他、いろいろな場所に行って来ました。

帽子をなくしてしまった友達がいました。
時間配分を考え、リーダーは、とても悩みました。
ひとつの見学場所を犠牲にしても、帽子を探す時間を作るという決断をします。
みんなに迷惑をかけたな〜、と思いながらも、受付の人に「見つかったら連絡してください」と話をした、本人の頑張りをたたえるコメントを残したリーダー。

東京の施設を見て来て、自分たちの町にも、このような施設を作ってみたいと考えたグループ。
自分の町の、どの場所に、どれくらいの規模の施設を作ったらよいか。
お土産には、お饅頭がよい。
本物のお饅頭を作って来て、生徒や先生、そして父兄の方々に配りました。
「売る時の価格は?」「どのくらい儲かりますか?」質問が飛びます。

パソコンの具合が悪くなり、しばらく報告が中断しました。
進行役の子どもが提案します。
「OO君、得意の隠し芸をしてください」
心の準備が出来ておらず、困っている友達に代わり、自分が歴史の問題を出して切り抜けました。

先生方のご指導があってのことですが、子どもたちの、自分で作った修学旅行の報告を聞いていて「う〜ん、変わってきたな〜」と、腕を組んでしまいました。
私たちの頃は、先生と旅行会社で作った、既製の修学旅行でしたよね。
しかし、今では、自分たちが予定を組み、電車の切符を買ったり、ミュージアムの勉強をしたり、子ども中心の旅行に変わってきました。
これも、小人数の学校のメリットかもしれませんね。
また、昼食時には、食堂で人とのふれあいを持つことも出来たようです。
楽しさの中から都会の生活に触れることのできる、すばらしい旅行をすることができ、子どもたちの視野も、ずいぶん広くなったことと思います。
このような、楽しい報告会に参加した5年生たちも、来年の修学旅行に向けて、それぞれの心の中で、旅行の計画作りを始めたことでしょう。

一泊ではありましたが、この修学旅行によって、二校の子どもたちの間に仲間としての意識ができたようです。
報告会を見ていて、同じ学校の子どもたちが、ひとつの授業をしているように思えました。
子どもって素晴らしいですね〜。 すぐに仲間になれてしまうんですもの。
来年からは、同じ中学校のライバルとなります。

                           2001年7月

6年生の社会科で歴史の勉強が始まったもので、今年の夏休みは歴史をテーマにしようということになりました。
子どもといっしょに、県内の、様々な遺跡や史跡をたずね歩きました。
狩猟の生活から高度な社会へと移りゆく、その流れを見ていると、人間の知恵というものに、あらためて驚きを感じます。
しかしながら、その知恵が欲望を生み、縄文時代から続く長い歴史の流れの中で、繁栄と衰退の波が各地域に押し寄せてきました。
今、人類は大きな繁栄と引き換えに、地球の温暖化という大きな問題を引き起こしてしまったのです。
将来、この温暖化のメカニズムを利用して火星の氷を解かし、人類の移住を計画している人たちがいます。
現実のものになるか、私には分かりません。
このような、大きな時の流れの中で、自分自身の数十年という人生を見つめてみるのも良いのではないだろうか。
この夏、そんなことを考えてみました。

我が家のお嬢様は、どのようなことを感じたのでしょうか。
何らかの役に立ってくれればよいと願っているのですが・・・・(^  ^;)

                          2001年8月

2001年の9月を、世界中の人々は忘れることができないのではないかと思います。
夜、テレビのスイッチを入れると、巨大なビルから煙が噴出していました。
私は、そのとき、タワーリングインフェルノ≠ニいう映画を思い浮かべていました。
やがて、どこからともなく飛んできた飛行機が、もうひとつのビルに激突します。
アナウンサーの声が聞こえてきました。
「2機目の飛行機が・・・・・」

家庭、職場、学校、様々なところで、様々な人々が、この事件について話しをされたことと思います。
私も、翌日の朝、美奈子といっしょにテレビのニュースを見ながら話をしていました。
そして、新聞やテレビでも、いろいろな話が報じられていました。

ある日、_/_/「自爆テロという言葉は使わないでほしい。殉教者作戦なのだから」。レバノンの首都、ベイルートの南部にあるヒズボラ(神の党)の事務所。目の前の「殉教者部隊」に属する二十七歳の青年が苦笑した。_/_/
このような書き出しで始まる記事を目にしたのです。
イスラム教を信仰している人々を取材したものですが、この記事を読んでハッとしました。
美奈子の日記を思い出したのです。
「自分の命まで捨てるなんてよほどアメリカをうらんでいたのかと思いました。私もこのような気持ちを持つことがあるのでしょうか?」
私が美奈子に話したことは、航空機がビルに激突したことからの話でした。
ほんとうは、このような事件が、なぜ引き起こされたのかまでも説明しなくてはならなかったのです。
残念ながら、娘にきちんと話をできるだけの知識がありませんでした。
あまりにも偏った狭い知識しか持ち合わせていない自分を恥ずかしく思います。

このような文章が書かれていた新聞もありました。
_/_/国境を超える経済で、世界は一体化に向かっています。政治や文化はそうなりません。ニューヨーク、ワシントンの惨状に喜ぶパレスチナやイラク市民のテレビに報じられた姿は、問題の根深さを映しました。 国、民族の生き方、文化の違いを相互に尊重するといった大国の世界戦略が結局、憎しみを少しでも減らす道につながるように思えます。_/_/

国境を越えて張りめぐらされたインターネットですが、利用する人々の心に国境が引かれていてはいけないのですね。

                        2001年9月


朝日新聞の天声人語(10月27日)に、アメリカの中学校の先生が教え子に送ったメールが紹介されていました。
世界を100人の村に縮小する、その村にはアジア人57、ヨーロッパ人21、南北アメリカ人14、アフリカ人8となるそうです。
有色人種が70人ほどで、30人が白人。
70人がキリスト教以外の人で、30人がキリスト教だそうです。
 6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍。
80人は標準以下の居住環境に住み、50人は栄養失調に苦しみ、1人が瀕死(ひんし)の状態にあり、1人はいま、生まれようとしています。
1人は大学の教育を受け、そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています。
このような内容のメールに、もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら、あなたは世界の75%の人たちより恵まれています。という解説が加えてあったそうです。
天声人語の担当者は、少々変な数字も交じっているようだが、このように考えてみる重要さはよくわかる。というコメントを書いています。

様々な不満を持っている娘にも、何とかこの話を理解して欲しいと思いました。
私自身も、もう少し世界に目を向けなければと反省しています。
とても忙しい娘ですが、なるべく時間を作り、インターネットを使って世界のことを調べようと考えました。 私自身のためにも。

同様の縮尺法で、次のような話も有名ですね。
地球36億年の歴史を1年間に凝縮したとする。
すると恐竜の出現は12月12日14時24分。
人類の出現は、何と12月31日18時18分だそうです。
この話もしてみましたが、美奈子の目には?マークが写っていました。(^  ^)

                         2001年10月


小学校生活、最後の思い出に卒業イベント≠ネるものを企画しました。
私たちの町に、NHKの番組で萩本欽一さんが来たことがあます。
美奈子の同級生の男の子が、代表で作文を読みました。
そのようなことから欽ちゃんの仮装大賞にチャレンジすることになったのです。

子どもや、お父さんたちが、それぞれの案を応募しました。
その中から、作文を読んだ男の子のお父さんが考えた波紋≠ニいう作品が書類審査に合格をしたのです。
それから大変な毎日が始まりました。
公民館を借りたり、学校の体育館を使わせていただいたりして、作品の製作、そして練習と、毎晩遅くまで、おとなも、子どもも、みんなで予選に向けてがんばりりました。
水滴の落ちた波紋の表現が、とても難しく、子供たちは、演技指導担当のお父さんと共に一生懸命に練習をしました。

お母さん方が暖かい食べ物を作ってくれます。そして地域の方々も、様々な差し入れをしてくれたり、材料を提供してくれたり、地域ぐるみのイベントとなりました。
担任の先生も、お地蔵さん役で参加してくれることになり、6学年全員でのチャレンジです。
予選の段階ですので背景などは未完成のままですが、全校生の前で演技を披露しました。

予選当日は、朝、5時に起きました。
製作した作品、参加者、応援団を乗せた大型バスが東京のオーディション会場に到着します。
お父さんたちが、さっそく池の組み立てを始めます。
メイクさんにお化粧?をしていただき、異様な雰囲気の人たちと共に記念撮影。(^ ^)
いよいよ審査が始まります。
池に入るときの子供たちは真剣そのもの。 全員、きりっと引き締まった、とてもよい顔をしていました。
脇役のお地蔵さんもきまっています。
水滴が落ちるまでの静寂。
全員の意識が水面に集中されているのが分かります。
今、思い出しても鳥肌の立つような素晴らしい一瞬でした。
残念な結果となりましたが、審査員の先生から、とても貴重なお話を聞くことが出来ました。
私たちのグループを担当してくださったスタッフの方にご挨拶をしてスタジオを後にしました。

様々な人たちのご協力により、子供たちは、このような素晴らしい体験をすることが出来ました。
自然を模倣することにより、自然の素晴らしさ、そして偉大さを感じてくれたことと思います。
このイベントに携わっていただいた方々に、この場をお借りして御礼申し上げます。
そして、このようなページを見てくださった方々に感謝いたします。
ありがとうございました。

                         2001年11月


最近、娘のしらっとした表情が気になります。
どのような時に、そんな表情になったのか思い出してみました。

話しかけられても、忙しいからといって耳を傾けないとき。
自分のことを棚にあげて娘のことばかり叱るとき。
何とか世の中のことを知って欲しいと、新聞で読んだことを一生懸命に聞かせようとしているとき。
ウサギの餌、宿題、医食同源、等など、毎日、同じことを言われるとき。
いろいろな問題を真剣に話しているのに、一般論で片づけてしまおうとしたとき。
一緒に遊んでいるときに、疲れているからと手を抜かれてしまったとき。
何か失敗したときに、「おまえは何をしてもだめなんだから」といわれたとき。
良いことをしたと報告しているのに、「そのくらいは当たり前だ」といわれたとき。
学力や性格など、友だちと比較されてしまったとき。

考えると、ずいぶんいろいろあるものだな〜。きっと、まだあるのだろう。
これから反抗期に入ったら大変なことになる。

私が中学生になったとき、親の言動すべてが気に入らなかった。
ぶつけるところのない苛立ちで、ナイフでダンボールの箱をズタズタにしたことがあった。
そんなようすを見ていた親が驚く。
きぜんとした態度すらとれず、ただオロオロしている親を見て、また腹が立つ。
「親のくせに子どもも叱れないのか」そんな言葉が脳裏をよぎったことを覚えている。
今、立場が逆になり、自分の子どもが一番難しい年頃になろうとしている。

                        2001年12月


アフガニスタンの子どもの話が載っている子ども新聞≠読みました。
氷点下20度にもなる夜に、満足な寝具も持たない子どもたちが震えているといいます。
また、空爆で落とされたオレンジ色の不発弾をおもちゃと間違えて被害にあう子どももいるそうです。
ひじょうに厳しい状況のなかで、子どもたちは苦しい生活を強いられているのですね。
戦争が終わってから生まれた私には、このような子どもたちの苦しみを理解することはできません。
けっして裕福な生活を送ってきたわけではないのですが、食べるものに不自由をしたという思い出がないのですね。
ハリーポッターの映画を見て感動している娘にも、このような苦しみを実感としてとらえることはむずかしいでしょう。 そんな娘が、お年玉の残りから1000円の募金をしたのです。
「1000円でも役に立つのかな〜」と心配そうな娘に、私も少し協力させていただきました。
「これで、一人の子どもでもあたたかく寝ることができて、病気にならずにすめばいいね〜」
こんな話をしながら考えたのですが、健康で働くことができれば、こんなに幸せなことはありませんね。
戦争が終わって、町では凧揚げをしている子どもが見られるという話に、少し気持ちが和らぐような気がいたしました。
                         2002年1月