大量殺人犯

はじめに

 ここで扱うのは、戦後・単独で・5人以上を殺した心中事件以外の犯人である。確実に故人となった者、及び最近の事件で比較的有名な者以外はイニシャルにした。
 なお、殺意のない事件、たとえば放火の結果、大量の死者が出たような事件も対象外とした。
 殺害人数は、1度に裁かれた際に認定された被害数による。つまり、前科で殺人を犯していても、この数には含まれない。そのようなケースは、特に「余殺人」項目を設けて、そこに合計殺害数等を別途記載する。ただし、栗田源蔵のケースのみ例外。また、時効になったものは、時効分のみの被害数を採用した。
 各事件には、「タイプ」という項目があるが、これは一家皆殺しを含む場合を「鏖殺」、通り魔事件を「通り魔」、各事件の日付と場所が離れている連続殺人を「連続」、つまり、同じ日に近所で起こした事件は「連続」に含まれない。
 なお、ここからもれた該当事件がある可能性は十分ある。そのような事件をご存じの方は一報下さるとありがたい。
 では、以下殺害人数別に紹介していく。(詳細等は、順次追加していく)


12人

帝銀事件

日時 1948.1.26
場所 東京都豊島区
被疑者 平沢貞通(?)
タイプ 鏖殺
概要
結果



9人

茨城の一家9人毒殺事件

日時 1954.10.11
場所 茨城県鹿島郡徳宿村(現鉾田町)
犯人 緑志保(いつほ)
タイプ 鏖殺
概要  農業兼精米業O方から出火して、O家は全焼。焼け跡から家族8人と女中の焼死体が発見された。失火か放火かは分からないが、県警は一応全員を司法解剖したところ、全員から青酸反応があり、誰かが毒殺後に放火したことが判明した。
 まもなく、被害者を訪問したり、近所に被害者の家族の状況などを調べていた男の存在が浮かび上がった。また、O方の自転車が10km離れた堤防に半ば水没しているのが発見され、その付近の捜索を行った結果、「フ・ミドリ」と書かれた白Yシャツが発見された。Yシャツについての捜査を続けた結果、宇都宮市内で、この文字を記入したクリーニング店を発見。持ち主は強盗窃盗等前科8犯・緑志保であることが判明した。
 被害品の方からも捜査は進展しており、盗まれたトックリセーターをクリーニング店に出したのも緑であることが判明した。茨城県警は、緑を強盗殺人・放火で全国指名手配した。
 11月7日、栃木県塩原町の旅館で、客の金と腕時計を盗んだ男が山に逃げたという通報があった。山狩りをした結果、捕まったのは緑だった。
結果  ひとまず緑は栃木県大田原署に護送されたが、同日、そこで二重底になっている青酸入り仁丹ケースをかみ砕いて自殺した。



8人

和歌山の兄一家8人殺し

日時 1946.1.27
場所 和歌山県東長町
犯人 O・K
タイプ 鏖殺
概要  事件の発端は、Oの出征中に、Oの母親が死亡したことにある。Oは出征から帰ってきたとき、母親が兄嫁にいびり殺されたと知人に聞かされた。そして戦争から帰った自分に冷たい兄の一家。こうしてOの兄夫婦に対する憎悪が醸成されていった。
 そして事件当日の夕食時、兄嫁が母の死亡時の様子を面白おかしそうに真似て見せたのを見て、憎悪は殺意に高まった。
 皆が寝静まると、兄夫婦を殺害。さらに親のなくなった兄の子供達をも、「不憫」と殺害したのだった。
 Oは2年ほど逃亡を続けたが、48年3月19日「良心に反する生活がいやになった」と、朝日新聞大阪本社に自首目的で出頭したところを逮捕された。
結果  同年4月27日、和歌山地裁で死刑判決。翌年8月18日、最高裁第一小法廷で死刑が確定した。
 52年4月、Oはサンフランシスコ講和条約締結の恩赦で、無期懲役に減刑され、大阪刑務所にて服役。68年に仮釈放された。


青森のリンゴ園一家8人射殺事件

NEW
日時 1953.12.12
場所 青森県新和村
犯人 M・T
タイプ 鏖殺
概要  なまけ者で乱暴者の父により、家庭は崩壊。また長兄は財産を独り占めにするために、M・Tを含む弟たちを家から追い出したため、M・Tは知り合いの家の物置小屋に住むことになったが、そこでは十分に雨雪を防ぐことができず、父や兄に対して恨みを抱くようになった。
 事件当日、M・Tは仕事や集金の傍ら、酒を飲み歩いて、その酒が1升6合ほどに達した頃、かねての恨みと生活の必要性から、実家の味噌を盗みに入った。
 M・Tは、そこで猟銃を目にし、味噌が盗んだことが分かれば父に射殺されると思ったという。その後のM・Tの記憶は断片的で、猟銃が火をふいたことや、悲鳴が聞こえたことを覚えているだけであったと本人は証言している。そして8人分の遺体が残った。
結果  M・Tはすぐに逮捕されたが、記憶が断片的で、調書がまともに取れない。しかしそれでも起訴されたが、審理は長期化し、56年に検察は死刑を求刑した。
 56年4月5日、青森地裁弘前支部は法廷に入りきれないほど人が集まり、群衆が注目する中、言い渡された判決は「無罪」。心神喪失と認定されたためだ。
 青森地検弘前支部は控訴したが、仙台高裁秋田支部は2年後に控訴を棄却し、そのままM・Tの無罪は確定した。


福岡の一家11人殺傷事件

日時 1954.9.7
場所 福岡県京都郡豊津村
犯人 中村喜市郎
タイプ 鏖殺
概要  未亡人の家に、寄生するために豊津村に来た中村は、雇われた理髪店(中村は理容師)の客から適当な未亡人を紹介され、ある未亡人宅に寄生した。
 中村はそこで、ろくに働かず、子供達を殴る蹴る。未亡人もたまりかねて別れ話を持ち出すと、これも殴る蹴る。たまらず未亡人は、戦死した夫の兄(H宅)の家に逃げ込む。
 事件当日、未亡人の息子を連れてH宅にやってきた中村は、未亡人を連れ帰ろうとするが、Hは中村を叱咤する。その後、中村とHは酒を飲みながら話し合うが、Hは中村を叱咤するばかり。そして夜になり、みんな寝付いた。中村を除いて・・
 中村は夜半にH方の三つ又鍬を持ち出し、Hの頭を殴打。さらに物音に気づいた家族や未亡人、その子供達にも鍬をふるう。その結果、H夫婦及び次男、未亡人の息子は即死。Hの三男・四男・四女及び未亡人は後に死亡。Hの三女・五女・六女は重傷を負った。
 その後中村は、明け方まで血が薄厚く溜まる家の中で仮眠をとり、明け方に逃走したが、同日午後5時5分に関門海峡トンネルの中で逮捕された。
結果  55年2月25日、福岡地裁小倉支部で死刑判決。同年12月26日に最高裁第三小法廷で死刑が確定。57年末までに死刑を執行された。


広域重要指定105号事件

日時 1965.10.30-12.12
場所 兵庫県・滋賀県・福岡県・京都府・大阪府
犯人 古谷惣吉
余殺人 2名 (計10名)
タイプ 連続
概要  古谷は1951年の2件の強盗殺人事件の「従犯」として懲役10年判決を受け、熊本刑務所にて服役し、64年に仮出所。翌年5月まで熊本の熊本自営会に世話になっていたが、金を借りたまま失踪する。
 8月に福岡市で一人暮らしのバタ屋をを襲って48万円を奪い、その金で各地を旅行する。
 金がなくなった古谷は、10月30日、神戸市で一人暮らしのバタ屋を殺害し、うどんを食べた後に金を奪い、11月3日には大津市で一人暮らしのバタ屋を殺害して金を奪った。さらに同月22日には福岡県新宮町で英語塾教師を殺害して金を奪った。この事件が105号事件発覚のきっかけとなる。
 12月3日には京都市内の淀川河川敷2カ所において、一人暮らしのバタ屋をそれぞれ殺害、2日後にも大阪府高槻市で1人を殺している。
 10日に警察は手口や指紋・似顔絵などから犯人を古谷と断定し、2日後には事件を広域重要指定105号に指定した。
 指定した当日、兵庫県西宮市の堤防近くのバラックで2名の老人が頭を割られているのを警官が発見。さらにバラックの側に古谷がいるのを発見し、逮捕した。2名の老人は数時間後に死亡した。
結果  71年4月1日、神戸地裁で死刑判決。75年12月13日、大阪高裁で控訴棄却。78年11月28日に最高裁で上告棄却。翌年1月26日、判決訂正申立却下となり、死刑が確定した。
 85年5月31日に大阪拘置所で死刑を執行された。


大久保清の連続強姦殺人事件

日時 1971.3.30-5.10
場所 群馬県
犯人 大久保清
タイプ 連続
概要
結果


警察庁指定113号事件

日時 1972.9.13-82.10.31
場所 大阪府・京都府・愛知県・兵庫県・岐阜県
犯人 勝田清孝
タイプ 連続
概要
結果


大阪小学校児童殺傷事件

日時 2001.6.8
場所 大阪府池田市
犯人 T・M
タイプ 通魔
概要  午前10時20分ころ、大阪教育大付属池田小学校にタイヤをきしませてTはやってきた。そして直前に買い求めた出刃包丁を持って建物内に侵入し、複数の教室内で次々と児童を刺していった。まず2年南組で5名を殺害。西組で2名殺害し2名に重体となる傷を負わせ、次に東組に侵入し、3名に重体となる傷を負わせた。さらに1年南組でも1名を殺害し、ここで副校長と教師の2名に取り押さえられた。この間わずか10分。
 この犯行により、小学1・2年の8名が死亡、教師を含む15名が負傷した。
 Tには99年3月に、勤めていた小学校で、お茶に精神安定剤を混入して同校の教師4名の気分を悪くさせたため、傷害罪で逮捕されたが、起訴猶予になった経歴がある。
結果



7人

殺人鬼小平事件

日時 1945.5.20-46.8.6
場所 東京都・栃木県・埼玉県
犯人 小平義雄
余殺人 1名 (計8名)
タイプ 連続
概要
結果


長野飯山の家族7人殺し

日時 1948.3.20
場所 長野県飯山町
犯人 K・M
タイプ 鏖殺
概要
結果


兵庫の連続強盗殺人事件

日時 1947.11.17-48.6.3
場所 兵庫県西宮市、神戸市
犯人 金南壽(松岡末男)
タイプ 連続・鏖殺
概要  金は1930年頃、大阪に住む兄を頼って朝鮮から日本に来たが、その後盗癖を身につけていった。
 戦時中に松岡某女と同棲関係になり、「松岡末男」を名乗るようになる。
 戦後にはブローカーTの仕事を手伝うようになる。
 だが、Tのもとを離れて自営業を行う中で借金を重ね、また窃盗を繰り返すようになった。
 47年11月17日、西宮市高木のK方にねらいを定め、Kの妻が一人でいるのを確かめると、洋服屋を装って玄関に入り、応対に出てきた妻をタオルで絞め、金品を物色した。
 そこへ、Kの長女が帰宅。金は長女を絞殺して物色を続け、衣類を奪った。なお、妻は後に自然に蘇生して助かった。
 次の目標は、以前仕事を手伝ったブローカーT。金は、以前Tが口約束の報酬を払わなかったことを根に持っていたため、彼の家を襲うことにした。
 12月9日、斧と麻縄を携帯して神戸市にあるT宅付近に赴き、T一家が寝静まるのを待ち、翌日午前3時頃に侵入し、Tとその妻を斧で殴殺し、女中Yを麻縄で絞殺し、1万2千円等を奪い、T宅に火をつけた(自然消火)。
 翌年3月30日、西宮市瓦林のK方に侵入しようとしたところ、息子を背負ったKの妻が帰宅したので、妻を脅迫して家の中に押し込み、二人を絞殺して7220円等を奪った。
 6月3日、西宮市高木のN方に侵入し、女中のNを絞殺し、背広等を奪った。
結果  48年10月9日に神戸地裁において死刑判決。ついで翌年4月に大阪高裁で控訴を棄却され、死刑が確定した。
 51年11月17日、大阪拘置所で死刑を執行された。


殺人鬼栗田事件

日時 1947-52.1.15
場所 静岡県・群馬県・千葉県・栃木県
犯人 栗田源蔵
タイプ 連続
概要
結果


川崎の家族7人殺し

日時 1957.3.4
場所 神奈川県川崎市
犯人 K・T
タイプ 鏖殺
概要
結果


埼玉の一家7人放火殺人事件

日時 1959.7.22
場所 埼玉県岩槻市
犯人 有山政男
タイプ 鏖殺
概要  
結果



6人

大阪のレーシング工場一家6人殺し

日時 1945.12.18
場所 大阪府寝屋川市
犯人 正井考太郎
タイプ 鏖殺
概要
結果


福岡の寮長一家6人殺し

日時 1946.4.14
場所 福岡県中間町
犯人 辻岡留造
タイプ 鏖殺
概要  被害者のTは、炭坑夫の寮長をしている傍ら、賭博を開帳したり、質屋をやっていた。辻岡は軍服を質に金を借りて賭博に参加したが、有り金を失った。
 事件当日は軍服の質流れの日で、辻岡はTに返済期限をのばしてくれるよう頼みに行ったが、「もう売ったばい」という返事。
 辻岡は腹を立て、夜中にT方へ泥棒に入った。すると、自分の軍服が壁にかけてある。ウソをつかれたことに辻岡は怒り狂い、T夫婦と4人の子供をツルハシで殴打というか突き刺して殺害した。
 辻岡は数日をおかずして逮捕された。
結果  46年7月8日、福岡地裁飯塚支部で死刑判決。同年11月19日に福岡控訴院(現在の高裁)で控訴棄却され、死刑が確定。48年1月に広島刑務所において死刑を執行された。


会津の一家6人殺し

日時 1947.11.29
場所 福島県安達郡熱海町
犯人 K・H
余殺人 1名 (計7名)
タイプ 鏖殺
概要  47年12月1日、元福島県警察官Oさん一家6人がマサカリで殺されているのが発見された。
 警察は最初、家庭的な関係から、行方不明中であるOさんの先妻の子Yさんが怪しいという話を聞き込み、行方を追った。しかし、まもなく発見されたYさんはアリバイが成立した。
 ついで、犯行現場に残された食事に、来客時にしか使用しない白米が使用されてたことや、来客用の布団が敷いてあったことから、その来客が一家を殺害したと判断し、その来客の情報を求めたが、Oさんは事件当時闇ブローカーをしており、人脈を特定するのが困難であった上、近所は「事件に関わりたくない」という感情から警察に非協力的であったため、捜査は難航し、さらに48年2月に警察制度が改変され、捜査はとん挫してしまった。
 翌年には、同じ会津地方で一家5人殺しも発生し、早々にこの事件は忘れられ、62年11月30日、時効が成立した。

 64年8月11日、会津若松市でSさんが強盗に襲われ殺された事件が発生し、早々にK・Hが逮捕された。
 彼はSさん強盗殺人事件の取り調べの際に、17年前のOさん一家殺害事件を自供した。
 K・Hは、Oさんの闇仲間で、当時どうしても金が必要になり、Oさんから金を借りよう・ダメならば殺してでも手に入れようと思い、午後8時頃Oさん方にやってきて、借金を頼んだが、断られた。Oさんは、借金は断ったが、遠くから来て遅くに着いたK・Hに、白米を炊いてご馳走し、床も用意してやった。
 K・Hは床に就いたあと、やはりどうしても金を手に入れなければと思い、午前2時頃にマサカリで一家6人を殺害した。そして、13万円ほどを手に入れてO方から逃亡したのだった。
結果  すでに述べたように、この事件に関しては時効が成立し、K・Hは罰せられていない。
 結局彼は、後の強盗殺人事件においても、死刑を免れた。


北海道の一家6人殺し

日時 1959.6.4
場所 北海道真狩村
犯人 S・S
タイプ 鏖殺
概要
結果


殺人鬼森吉事件

日時 1963.10.8-10.15
場所 高知県土佐市、徳島県池田町
犯人 森吉幸喜
タイプ 連続・鏖殺
概要
結果


島原の一族6人殺し

日時 1970.2.1
場所 長崎県島原市
犯人 大場新勝
タイプ 鏖殺(連続?)
概要  前年、祖父が死亡したため、祖父が設立した酒造メーカーの代表社員の座と遺産相続を巡って、直系の孫・新勝と叔父、叔母が争っていた。祖父の長男で新勝の父がこの時点で生きていれば問題はなかったのかもしれないが、父は62年に他界していた。
 結局、代表社員の座と遺産は叔父が相続することになった。
 不満を抑えることの出来なかった新勝は、母、妻と二人の息子を射殺して家に放火してから、叔父の家に向かい、叔父に向かって発砲。最後に叔母の家に行き、叔母とその夫を射殺した。
 叔父は重傷を負うにとどまった。
結果  翌朝、叔母の家の近隣の路上で猟銃を口にくわえた新勝の死体が発見された。


高知の8人殺傷事件

日時 1975.11.6
場所 高知県安芸市
犯人 H・I
タイプ 鏖殺・通り魔
概要
結果


新宿バス放火事件

日時 1980.8.19
場所 東京都新宿区
犯人 丸山博文
タイプ 通り魔
概要
結果


宇都宮宝石店放火殺人事件 (公判中)

日時 2000.6.12
場所 栃木県宇都宮市
被告人 篠沢一男 (公判中)
タイプ 鏖殺
概要
結果



5人

片岡仁左衛門一家殺人事件

日時 1946.3.15
場所 東京都渋谷区
犯人 I・T
タイプ 鏖殺
概要
結果


小田原の風呂屋一家5人殺し

日時 1949.9.14
場所 神奈川県小田原市
犯人 S・M
タイプ 鏖殺
概要  神奈川県小田原市において、風呂屋を営む隣家夫婦に馬鹿にされたと思い込み、夜間に隣家に侵入。夫婦とその母、長女を鉈で殺害し、次女と長男を電気コードで絞殺した。
 なお、S・Mは犯行時18歳の少年だった。
結果  50年1月12日、横浜地裁小田原支部で死刑判決。翌年3月、東京高裁で控訴棄却。同年9月、最高裁で上告棄却で死刑確定。宮城刑務所に移送された。
 翌年4月のサンフランシスコ講和条約の恩赦を受けて無期懲役に減刑され、70年に仮釈放された。


名張毒ぶどう酒事件

日時 1961.3.28
場所 三重県名張市
被疑者 奥西勝(?)
タイプ 無差別
概要
結果


秋田の一家5人殺し

日時 1961.6.19
場所 秋田県田沢湖町
犯人 A・S
タイプ 鏖殺
概要
結果


西口彰の連続殺人事件

日時 1963.10.18-12.22
場所 福岡県、静岡県、東京都
犯人 西口彰
タイプ 連続
概要  1963年10月18日、福岡県で日本専売公社の社員と運転手が殺され、金を奪われるという強盗殺人事件が発生した。目撃証言から、犯人は西口彰と判明。福岡県警は全国指名手配した。
 しかし、西口は瀬戸内海で偽装自殺をしたあと、詐欺を繰り返しながら北東に移動し11月18日には旅館の母娘を殺害し、現金を奪った上、家の物を売却して逃走した。
 こんな中、警察庁は西口を重要被疑者特別要綱による特別手配にした。
 しかし、西口は検挙されず、落とし物を交番に届けたり、裁判所の中で弁護士や検事を語って詐欺をしたりしながら北上し、福島県で弁護士バッヂを盗んで北海道まで行き、やがて東京にやってきて、12月22日には元検事の老弁護士を殺害した。ここで西口は先に盗んだバッヂが古くて汚いので、新しくてきれいな老弁護士のバッヂに取り替えている。
 翌年1月2日、熊本県に住んでいた教戒師・古川泰龍のところに、弁護士を名乗る男がやってきて、古川が行っている福岡事件死刑囚救援運動に協力すると言い出した。古川は大変喜んだが、古川の長女が、弁護士は西口彰に似ていると言い出した。古川は人相書きを確認させたあと、密かに警察に通報したが、警察はいい加減な対応しかしてくれない。結局、警察にうるさく訴えた結果、ようやく警察も動き、西口検挙に至った。
結果  64年12月23日、福岡地裁小倉支部で死刑判決。翌年8月、福岡高裁で控訴棄却となり、その翌年8月に上告を取り下げて死刑確定。
 確定後には若い死刑囚や、強姦殺人のS死刑囚と対立するなどしていたが、S死刑囚が執行される際にだだをこねているのを説得する一面もあった。
 70年12月11日、福岡拘置所で死刑を執行された。


豊橋の一家5人殺し

日時 1964.9.14
場所 愛知県豊橋市
犯人 S・Y
タイプ 鏖殺
概要
結果


失恋男の無差別殺人事件

日時 1969.1.4
場所 高知県幡多郡大方町
犯人 O・T
タイプ 鏖殺・通り魔
概要
結果


警察庁指定112号事件(公判中)

日時 1981.10.6-82.6.5
場所 神奈川県横浜市、藤沢市、兵庫県尼崎市
犯人 藤間静波(公判中)
タイプ 連続・鏖殺
概要  藤間は少年院仲間のH・Kと、ひったくりを繰り返していたが、分配のトラブルから、81年10月5日、横浜市内のキャベツ畑で刺殺した。続いて、茅ヶ崎市内で知り合った女子高生H・Mさんに交際を断られたことから、翌年5月25日、少年院仲間K・Jの協力を得て、藤沢市のH・Mさんの自宅でH・Mさん・その母・妹を刺殺し、神奈川県から逃亡した。
 さらに藤間は、藤沢事件の口封じのため、6月5日、逃亡先の尼崎市内のマンションの階段踊り場でK・Jを刺殺した。
結果  1988年3月10日、横浜地裁で死刑判決。このとき藤間は判決後に傍聴席に向かってピースサインをして、裁判長の怒りを買っている。
 控訴するが、91年4月に控訴取り下げ。しかし弁護士が審理再開の申立を行い、95年6月28日、最高裁は取り下げ無効の決定をする。
 98年から東京高裁の審理は再開し、2000年1月24日、控訴棄却。藤間と弁護士は上告した。


中野の通り魔事件

日時 1982.10.6
場所 東京都中野区
犯人 M・H
タイプ 鏖殺・通り魔
概要
結果


練馬の一家5人殺し

日時 1983.6.27
場所 東京都練馬区
犯人 朝倉幸治郎
タイプ 鏖殺
概要
結果


大阪愛犬家連続殺人事件 (公判中)

日時 1992.6-93.10.29
場所 大阪府・長野県
被告人 上田宜範 (公判中)
タイプ 連続
概要
結果


警察庁指定122号事件 (公判中)

日時 1985.5-94.3
場所
被告人 鎌田安利 (公判中)
タイプ 連続
概要
結果


下関通り魔事件 (公判中)

日時 1999.9.29
場所 山口県下関市
被告人 上部康明 (公判中)
タイプ 通り魔
概要
結果


弘前武富士放火殺人事件 (取調中)

日時 2001.5.8
場所 青森県弘前市
容疑者 K・M (取調中)
タイプ 鏖殺
概要
結果

Thanks to 漂泊旦那様、遼々様
(C)笑月