羅須地人協会の捜査

羅須地人協会とは 花巻農学校の教師をやめた賢治が,農民としての生活を始めた場所。
農家の青年を集めて,農業について学習したり種や作物の交換会をしたり,レコードを聞いたりしようとした。
農民の理解を得られず,賢治の病もあって,数年で頓挫(とんざ)した。


羅須(らす)の意味の諸説

賢治が「『羅須』は花巻町を花巻町を花巻というようなもので特に意味はない。」と語ったという。
羅須は修羅の逆で非修羅〜まこと〜宇宙の生命力・永遠性〜四次元だとする説。
アイヌ語のRasuで「松」のこと。協会周辺に松の木が多かったので命名したとする説。
漆喰(しっくい)壁を塗る下地となるラスのことで,奥に隠れて人生の表を支えるとする説。
Rustic(田舎の)に通じ,地人(農民)となって新しい世界を創造するとする説。
ジョン・ラスキンのラス。ウィリアム・モリスの言「芸術とは労働の喜びの表現」からモリスの師ラスキンをあらわすという説。
セメントを結合するラス網のことで,地と人を結合する意という説。
羅は修羅で,羅,須(スベカ)ラク地ノ人タルベシと読み,阿修羅も農民の中に入るべきだ,としたという説。


現在の花巻農業高校の敷地内に建物が復元されている。

復元された羅須地人協会の建物 その入口。不在のようだ。

ちょっと中をのぞいてみよう。不在なのにいいのか!

古いオルガンだ。音は出るのだろうか? 火鉢を囲んで,車座で何を語ったのだろう?


「賢治の家」の変遷

明治37年 賢治の祖父,宮沢喜助が別荘(離れ)として建てる。
大正11年 賢治の妹,トシが療養生活を始める。
   15年 賢治が自炊生活を始める。
昭和11年 地元の農家,葛巻清一氏が買い入れる。
   39年 花巻農業高校,現在の地に移転。
   41年 花巻農業高校同窓会が,葛巻氏より買い入れる。
   44年 「賢治の家」移転復元工事。
   53年 花巻空港の拡張に伴い,再び移転。
   54年 移転落成式が行われる。
建物の周囲は,羅須庭園となっており詩碑が2つある。


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