◎病歴◎

病名:先天性心疾患=三尖弁閉鎖症(TA)  フォンタン術後 [図説→]

1969年、出生。
当時は最重症の部類。受入れられる病院も少なく、某大学病院へ。
(当時は心カテも危険を伴うもので、手術も修復は困難と思われた)
1976年(6歳)、姑息手術(ブレロック)
・小学校-通学は母の送迎。1日学校へ行かれた日は数えるほどしかなく、休みがちだった。
1979年(10歳)、修復手術(フォンタン)
術後、心嚢膜に水が溜りドレインチューブで抜くなどのトラブルがあり、1ヶ月の予定が3ヶ月の入院。
強心剤と利尿剤を服用
1980年、脱水症などで入院
体調を崩した原因にジキタリスの副作用が強く出たことがあるらしい(一般的な量でも私の体には合わない)。強心剤を変える。
・中学校-比較的近くなったこともあり、徒歩通学。革鞄は使わない、主な教科書一揃い学校におくなどして、普段の荷物を軽くする工夫をし、1年のときは休む日数は少なかった。2,3年は休みがち。
定期検診は年1回程度。 何年か後、服薬は全くなくなる
・高校-中卒後すぐ通信制過程に進むが、月2度のスクーリング、電車で片道1時間数時限分の教科書学習書を抱えての通学はきつく、リタイア。
・10代終わりから、マイペースだが、週1度半日程度片道1時間余りかけて、でかけるようになる。
(家業の事務所の手伝いやサークルの用事など)
・20代半ば、放送大学に入学。通う機会が少なくてすむこともあり、ごくマイペースの勉強。
1997年、近所の病院に入院
頻脈と心不全。家の建て替えの最中で環境激変の時ゆえ、体調を崩したようだ。

利尿剤と不整脈治療薬を開始。この病院へは月1度ほど通院。

1999年、親元を離れ、就職
・週5日、午後のみ4時間勤務の事務職-身体への配慮のある職場ゆえに生活が成り立つ。
(検診時、住まい近くの市=偶然職場近く=の病院の専門医を紹介してもらい、病気の緊急体制も万全)
1年目ごろ、ふだん長時間続くことのない頻脈が治まらず、緊急で病院へ行き、注射で止めてもらう。
不整脈の薬の種類が増えた。('04年)
・バス路線の変更で通勤で歩く距離が増え、どうにか慣れるが、徐々に暑い時期など負担を感じ、
4年目に、5日×4時間から、週4日×5時間の勤務に変えてもらう。
通院先を大学病院をメインに。年一度の検診から月一に。主治医も変更。
(平日が空き、親元を離れてからは近所のクリニックで受けていた薬の処方を含めお願いすることに。)
5年目、この年の酷暑のためか疲れがでたのか、不調で心房細動があったのを機に薬追加(抗凝固剤)。
・卒論指導のゼミに通い、放送大学を卒業。卒論は必修ではないが、ここは頑張った。
12年目に退職
2011年、引越し、退職
・徐々に身体がきつくなり、2階の部屋から1階へ移りたいと思いつつ移動の負担に躊躇していたが、ようやく動く。
・まとまった休養期間を取りたいと3年ほど前から思うようになったが、ままならず。
 職責を全うできないと考え、ことにきつい暑さの時期を前に退職。
同じ年、転院、入院
主治医の退職を機に、思い切って成人先天性心疾患外来のあるT病院へ
初回診察時、心房細動と心房内血栓が判明し、ワーファリン導入などで入院。薬を整理。
生活の変化が大きかった時期、やはり環境変化は身体にこたえるらしい。
2012年、再手術
・薬で血栓が溶けず、カテーテル検査をせずに手術。
 TCPC変換+ペースメーカー装着(血栓除去、不整脈に対するメイズ等も行っている)
薬:抗不整脈;リスモダン、ワソラン →アンカロン
  抗凝固剤;バファリン(81mg)→ワーファリン
  ラシックス(20mg)   再手術後;ハーフジゴキシン、プレドニン   時に応じて、鉄剤

* 先はまだまだ長い、ボチボチ歩いていきましょ。

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