吉原町のおもしろ資料

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月照上人

(「勤王忠僧 月照上人」S5.12.5、宮武福太郎著、同氏&月照上人頌徳会 発行)より


(内容の要点)

月照・信海両上人の生誕地は、「大阪市平野町心斎橋西へ入る」とされているが、それは誤りで正しくは「香川縣多度郡吉原村下所」である。

両上人の生地が分からなかったのは、勤王僧を謀反人として徳川幕府が探索捕縛しようと躍起になっている折柄、かかる謀反人が讃岐京極藩領から出たとあってははなはだ藩の存続にかかわる重大事であるため、地元の証拠を焼却隠滅したためである。

後に両上人の父親となる宗吉、得度して専海は高見島の理生院の住職として転出させられ、弟の八蔵、得度して蔵海が牛額寺の後住となる。

弟が牛額寺を継ぎ、自分は小さな島の住職にされた兄の専海は悶々として、島の小店屋(豆腐屋)の娘お久とねんごろになり、破戒僧となってはその地にはおられず、お久をつれて故郷の吉原村へ帰り、実家の長男にお久を預けた。

お久の実家は単なる豆腐屋ではなく、太閤秀吉朝鮮征伐のみぎり用船を出した功により名字帯刀を許された玉井某という家筋であった。

専海はお久の里方の姓を名のり、玉井宗江として医薬の研究をしながら出稼ぎをしていた。これが後に大坂で医者となる。

片や吉原村へ預けられたお久は間もなく男児を産み落とした。幼名を宗久といいこれが後の月照上人である。宗久が8歳の時またも母は妊娠して次男を産んだ。これが後の信海上人である。

























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