
1.meの心得
2.理念・意義
3.活動内容
4.組織構成
5.運動作り
5'.段取り
6.その他
1.meの心得
○昨今の世の動向のすべてが、“新しい風”が吹くことを死活的に要請している。
○meの今の最優先の実際課題−自分の生きがいを実際に物質化していくこと、その一日一日の積み重ね
*自分の生きがいは自分で探し現実化していくしかないのである
・日本で、文化革命を起こしていくのだ。
・文化を取り戻す、真に豊かな実生活を創造していく。心の豊かさ・精神文化を再興しより新しい=生活に根差したゆとり文化を画歴史的に創っていくのだ。
・そのためにも、まず僕自身の1.心・内面・人格の豊かさと、2.趣味・交遊を広く深く形成していくべき。
・最大の敵は@前人「未到」性とA雲をつかむような大掛かりな取り組み、ということからの、着手の困難性。
だからこそ唯一軌道に乗せる道は、できるところから一歩一歩積み重ねていく、一つ一つ可能な形から作っていくという地道さ・止まらない着実な営みなのである。
2.理念・意義
『日本の国民の意識・価値観も変化し、物の豊かさよりも心の豊かさを充足しようとする、生活のゆとりとバランスを目指した行動が目立ってきている。自由時間の増大や生活時間の変化に伴い、生涯学習など「時間の充足」への欲求が高まる反面で、一人一人が「個」の実現を図りつつ他人との接触・交流を行う新たな絆を求めるようになっている。』《←キャッチフレーズ的》
○近年わが国においても価値観の多様化がいちだんと進んでいます。総理府の調査によれば、生活の仕方として「これからは心の豊かさやゆとりのある生活をすることに重きをおきたい」という「ココロの豊かさ」重視派が90年代も一貫して「モノの豊かさ」重視派を上回り、96年には前者(59%)が後者(28%)のダブルスコア以上です。「国民のライフスタイルに関するアンケート」(通産省)の「ゆとりある生活」の内容として重視される上位項目を列挙すると以下のようになります(かっこ内の数字は支持率)。
1.精神的に豊かであること (94%)
2.自由時間が多くあること (76%)
3.老後生活の不安がないこと (76%)
4.友人・知人に恵まれていること(67%)
5.家族との触れ合いがあること (66%)
このように、ココロの豊かさへのこだわりや個性的な生き方への欲求がさらに強まっていることがわかります。また、「ココロの時代」では、当然に「好きか」「嫌いか」とい (←以下紛失)
・「文化の質を高めることは暮らしの質を高めることから、…暮らしの中の文化を大切にし…。」 「近年、生活水準の向上、自由時間の増大などにより市民の価値観は大きく変化し、ものの豊かさから、ゆとりや安らぎといった心の豊かさ、生活の質の豊かさが一層強く求められるようになっています。」 「市民一人ひとりが毎日の生活の中に、人間性、ゆとりというものを感じ、文化に親しめる環境を創り出していくことが必要となっています。」
・市民の生活の豊かさ/豊かな人生・生活・幸せ・生きがい・喜びと感動/人と人との交流・自然・芸術・スポーツ文化・地域文化も/心の時代/家族的共同体
・幸せ、生きている喜びを膨らませる
生きがい喪失、薄っぺらい楽しさだけの日々の生活=人間疎外からの脱却
生きがい創造 *『生きがい』などとおおげさに言わなくても本来よいはずだが、現代の日本人の多くが、結局ソレを見失っているところが、全ての問題の大きな原因になっている。したがって、運動の理念としては、本来人としてのフツーの生活をする・取り戻すという自然体も大事であるが、打ち出しの中ではキーワードの一つとしても使うべきだろう。
・より高次の人間性を獲得していく、より自分らしく生きられる、生きている充実感が感じられる生活
・市民生活・地域社会の人の交流・付き合いを新たな形で再生 地域コミュニティの再生・しかも文化の再生
娯楽・遊び・楽しみ・趣味などみんなでオモシロ活動を楽しくやるということ その場を紹介する、なければ創る、ということ
・子どもらの健康的な育ちのための理念・方針も必要
・政治・行政を市民の手に取り戻す *但しこれは当初は打ち出さないでもよい
・学校五日制の時代の中での子どもの受け皿
・ボランティア・高齢化・少子化時代への対応(福祉・子育て)
・心の領域の再生
*アンチコンピュータ・アンチマスメディアでもある 但し運動の手段や導入部分で活用はする
・人類(ヒト)革命、真の意味での文化革命・革命の端緒である
○本当に、文化活動をやっていく中から、新たな生活スタイル、新人類史的生活文化が育っていけるのだろうか?
それだけでは足りないとしたら、どういうことをやっていけばよいのだろうか?
(たぶん、宗教的な流儀の「生活文化改善委員会」みたいな活動でのアプローチ、あるいはエコロジー運動がやっているような「運動としての運動」では、うまくいきにくいはず。)
やはり文化・スポーツ活動として、@日常生活に根ざししつつも、A単にこれまでのレクリエーションレベルでの活動に終わらせない強固な理念と学びの要素-思想の高さ(人間性に関わる啓発の取り組み)がないと(@A両方ないと)いけないはず。
むしろ、A的なものを単に不可欠・必要条件としてだけでなく、積極的なものとして=活動の広がりをより根本次元で促進する要素として、場合によってはA的なものを前面に押し出して、活動を開始・展開していくべきではないだろうか?(しかし少なくとも当初は、そうした方向への発展の余地を確保しつつも、トーンを抑えておくのも一方法かもしれないし、どっちがよいかは未定)
いずれにしろ、理念の形成と運動の組織化の両方が今の課題
・T.理念=weが目指すものの明確化・明文化
U.運動論・組織論の合理的かつ現実的かつ斬新な構築とその物質化
・@子ども分野−・未来性・開拓性が秘められている
・しかも5日制のスタートがある
A大人分野−・まともな感覚・感性・考えを持った人たちが存在する
・人類史的自己変革の時代・文化・人間性の再生の時代の到来の予兆がある。具体的にも高齢化社会−生きがい・生 涯設計の問題、経済の生産・発展第一主義の行き詰まりが万人に突き付けられている
大きくはAが@を内包している。したがって別物ではない。
*3,4年前の考え
・映画会をやって子ども地域活動を ・いろんな教育サークルと教育の専門家に当たりネットワーク作る →実は「子育てネットワーク」なるものが存在していた 「環境ネット」と個別の活動団体も存在していた ・学童保育的な子ども地域活動を ・政治を市民の手に。その足掛かりとして地域のボラ・サークルネットを〜 ・大人・子どものスポーツサークルを ・特別な市民団体でも行事的な取り組み中心の市民活動でなく、日常生活の一部として、圧倒的多数が参加してくるようなネット・センターでなければならない ・行政が音頭とってやれることではない。市民活動は市民自身の手で作り担っていく性質のものなのである。行政は援助役。 ・職場・学校・所属団体中心の生活・営み=縦割り的な所属の場の枠の中でのor職務的営為の延長線上の取り組み、でなく、自分の住む地区に根差した住民自身の横のつながり、自治的な運営、個人・家庭単位を基本とした参加 |
A.地域ブロック単位でやる には担い手が要る
B.とりあえずサークル単位の集合体にする と、地域だけによる限界を超えた、かつ実際的な(=とりあえずの必要と運営維持可能度に応じた)活動が可能
・もちろんA的なものを最終的には目指すのだが、可能・現実的なルートは、T.まずサークルセンターとして、U.次に地域ごとの活動の2段階戦略がよいはず
・前の考えと決定的に違う点は、政治的なこと・自治を第一義(文化的なものはむしろ手段に近いもの)と考えていたが、今は、政治・制度・住民参加の市民活動よりも、むしろ文化・日常・こころ・生活の内実の部分にこそことの核心があり、ほとんどすべてであり、政治的なものはその補助にすぎない、というスタンス。
・やはりどう考えても政治至上路線は形式的にすぎる 中身が伴わない
換言すれは、どこまで文化・心の面で深められるか、ということに事の成否の判断基準を断固置ききらねばならないのであり、量的なことに目を奪われるような事は無きよう。
・したがって前述のとおり、「さあ活動に取り組むぞ。」といった、普段のmeの生活と切り離された特別な営為という見方・考え方とmeの内実では、話にならないのである。 me自身の人格として「運動」もやれねばならないということ。
もちろん、普段必要なこと以外のこと(場合によっては作戦・策略的な部分さえ)も考えねばならない、ということは違っているようにも思われるが、実はそれも本来はふつーなのだという考えになれなければまだまだニセモノ。
○脱「資本の(資本のみの)論理」・脱「中央集権」
「日本の貧しさの原因の一つは、大量生産・大量消費という価値観の下、資本の論理に完璧に個人が組み込まれていて、会社の外に生きる場所を持たない人が多すぎるということである。だから、個人の生活の質の向上は、地域社会の生活の向上と密接に結び付いている。自分の時間を持てない東京の中央官僚が、せっせと地方交付金をばらまくことで成り立っている中央支配の構造は、もうそろそろ終焉を迎えるべきだ。《←この通り!》インターネットが地方自治の突破口になるというのは逆説的な言い方だが、「地方」が「中央」を素通りして世界に結び付くことが出来る道具を手に入れたことで、日本人の持っている無意識的な東京指向が薄まるのではないかということだ。名古屋が直接ニューヨークや香港等に結び付けば名古屋はもっと豊かになる。大学人はその手助けが出来るはずだ。」
・今日の「大量生産−大量消費−大量廃棄物」型経済は、それ自体に未来がないのである。20世紀型「物質文化」を超越する新しい経済社会、新しい文化、新しいライフスタイルが求められる。
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■参考
地域社会の問題解決は、『行政・地域団体・市民グループが協力して取りくむべき』が59%と もっとも多く、『住民が当事者意識をもって取りくむべき』が25%で次いでいる。一方『行政が 中心となって取りくむべき』という人は5%であった。社会活動は、『行政と市民が協力して行うことである』が全体の75%を占め、『本来は行政がすべき』の10%を大きく上回った。 注目すべきは、『今後活動するつもりはない』という人も、地域社会問題解決については53%が、社会的活動については66%が、行政と市民あるいは市民グルー プが協力して行うべきと考えている ことである。 すなわち、意識レベルでは、「行政だけに任せていてはいけない」という自覚を持つ市民が過半数を占めたことは、今後の活動動向を見守る上で心強い結果である。 (「個人から見た市民活動に関する調査報告書」H10年度版 経済企画庁国民生活局編より抜粋 )
■参考
鶴岡市「 1. 市民一人ひとりが豊かに生きがいを持って暮らすために、様々な分野にわたる知識や知恵を学び、活動し、学んだことを生かしていく生涯学習都市の実現をめざします。
コミュニティづくり
〈現状と課題〉
本市でも、ライフスタイルの変化や、生活の向上にともなう価値観の多様化が進むなかで、住民相互の連帯感が希薄化しつつあり、地域コミュニティにおける共助、共生といった機能が徐々に失われてきています。こうした状況から、温かさや思いやりといった心の豊かさを高めるコミュニティづくりが求められています。
〈長期目標〉
1. コミュニティ活動が活発に行われるための環境づくりを行い、自発性と個性に富んだ、心かよう人間関係に支えられた豊かな地域社会を形成します。
2. コミュニティセンターを各地区の特色ある活動にも配慮して整備充実するとともに、公共施設などの利用促進を図ります。
〈施策の方向〉
1.コミュニティ活動の促進
ウ.ボランティア団体などがコミュニティの中でも十分機能するように、活動の場の提供や情報環境の整備などを図ります。
2.コミュニティ施設の整備
イ. 地域住民が気軽にコミュニティ活動を実践するための場として、学校などの公共施設の設備や機能を地域でも利用できるように努めます。
ウ. 企業などが所有する施設についても、地域への開放に協力を得るための環境づくりを推進します。
本市でも、子どもの教育に大きな役割を果たしていた地域社会のきずなが緩み、また核家族化の進行などによって、子どもが人と接する機会が減り、心の交流や他人を思いやる心が育ちにくい状況になっており、問題行動などが発生する原因ともなっています。さらに、都市化の進行や生活の変化によって、自然とふれあう機会も減ってきています。このため、うるおいのある人間性やみずみずしい感性を持った子どもを育てることは、学校教育にとって重要な課題となっています。
オ.遊びや体育を通じてスポーツの楽しさを味わい、生涯にわたってスポーツに親しむ姿勢を養う《←やはりスポーツ部とトロプス部の両面があった方がよい》ほか、食生活の指導など学校教育全体を通じて、体力の向上や、子どもが自ら健康安全な生活を送る態度を身につけるよう努めます。
第5節 スポーツ・レクリエーションの振興
〈現状と課題〉
健康や体力の維持向上を求めてスポーツに親しむ市民が年々増加しており、なかでも日常生活の中で気軽に楽しめるスポーツやレクリエーションに対して市民のニーズが高まっています。
1. 生涯スポーツ事業を推進し、「市民一人一スポーツ」を実現します。
2. 競技スポーツの振興と指導体制の充実を図ります。
3. ○○公園など体育施設の機能の充実を図ります。
〈施策の方向〉
1.生涯スポーツの普及と推進
ア.誰でも気軽に楽しめる軽スポーツやニュースポーツ、また市民の健康志向 に対応した健康スポーツなど、多様なスポーツ事業を実施するとともに、市民に対するスポーツ情報の提供に努めます。
イ. 生涯スポーツの指導者を養成するとともに、各種目のスポーツ指導員や体育指導委員を含めた研修事業を充実し、指導力の向上を図ります。また指導者や審判員のリーダーバンクを設立し、学区・地区等からの派遣要請に積極的に対応します。
ウ. 多様な生涯スポーツ愛好者団体を育成し、その組織化を進めます。
第6節 地域文化の振興
〈現状と課題〉
心の豊かさや生きがいのある生活を求めて優れた芸術の鑑賞や創作活動などに取り組む市民が増えており、創作活動の発表の場である「鶴岡市芸術祭」も年々充実し、各種の芸術文化活動が活発に展開されています。
1.芸術文化活動の振興
ア.市民の芸術文化活動の発表の場として広く活用できる市民ギャラリーを整備します。
イ.市民が優れた芸術に接する機会を拡充するとともに、文化振興基金の活用などにより、幅広く芸術文化活動を支援します。また各分野の指導者などの人材育成を計画的に推進します。 」
■参考
「スポーツ・レクリエーション
【現況と課題】
1 健康の増進や体力の向上などのために様々なスポーツ・レクリエーション活動に親しむ市民が増えています。
2 自由時間の増加、少子・高齢化の進展等を背景として、競技スポーツから心身のリフレッシュ、仲間づくりまで、スポーツ・レクリエーションの目的や活動内容も多様化してきています。
4 市民が身近で、手軽に多様なスポーツ・レクリエーションに親しむことができるよう、その機会の創出や場の提供が一層求められています。
5 そのため、スポーツ情報の総合窓口やネットワークシステムの整備が今後必要となってくるとともに、地域における日常生活型の指導者の育成が求められています。
【基本方針】
【施策の方向】
@ 施設の総合的な整備・活用
央施設において、公式競技会を積極的に誘致・開催して、スポーツへの関心を高めます。
○地域におけるスポーツの場として、学校体育施設の開放を一層進めるとともに、総合型地域スポーツクラブの拠点としての役割も果たせるよう整備・改善を進めます《←政府の新政策のこと》。
○豊かな自然と歴史的遺産を活かしたウォーキングやサイクリングロード、またハイキングやオリエンテーリングコース、各種キャンプ場等の野外レクリエーション施設の整備を図り、市域を越えて幅広くPRして利用者の拡大を図ります。
A 団体・指導者の育成
○体育指導委員をはじめ、各種スポーツ・レクリエーション指導者について幅広い人材を確保するスポーツ指導者センター構想の推進に取り組み、併せて各種の指導者講習会により資質の向上を図ります。
B 多彩なスポーツ・レクリエーション事業の展開
○スポーツ関係団体が開催する大会や国際交流を支援し、各種事業の展開・充実を図ります。また、障害者がスポーツしやすい環境づくりや事業の展開を図ります。
○生涯スポーツの拠点づくりとして、関係団体と協力して、子どもから高齢者まで、それぞれのライフステージにあった活動が楽しめる総合型地域スポーツクラブの育成《←ココとの関係も考察しておくこと》に取り組みます。」
■参考
「○箕面市まちづくり理念条例の趣旨及び解釈
第四章 文化創造のまちづくり
第六条 市民は、感動を分かち合える文化創造のまちづくりに努めるものとする。
2 市民は、市民生活に潤いと豊かさをもたらす自然の恵み及び歴史の継承並びに伝統文化の保護及び継承に努めるものとする。
1 「文化」−「市民の生命と生活の躍動」のあらわれである、ととらまえるなら、市民の「文化創造」の活動は、都市に個性と活力をもたらすこととなり、まちづくりにおける「文化創造」は極めて大切なファクターとなる。
すなわち、「文化創造のまちづくり」とは、個人の「感動」を多くの人々と分かち合うことによって、人間的共感を根幹とする豊かな社会関係を形成することである。」
■参考
「(2) 市民芸術文化活動の振興
京都には…今後とも,地域別やジャンル別に行われているさまざまな事業を,より活性化させるだけでなく,相互の情報交換や交流を図り,より広い市民層がさまざまなレベルで芸術活動を行う気運を高める。また,芸術を実践する側に立つ市民の活動を直接的に支援する。そうした市民による芸術活動は,市民生活を豊かにし,市民の文化度を高めるだけでなく,幅広い芸術活動への目を開き,都市の芸術活動全般を活性化させる。」
・「市民の自主的なスポーツグループや団体による地域に根づいたスポーツ活動が盛んに実施されていますが、多様化する社会環境や高齢化社会の到来により、スポーツ、レクリエーションは、心身ともに健康で活力ある生活を営むうえでより重要な役割を担いつつあります。」
・年齢別でも、「各種イベントへの参加機会の確保」では年齢が下がるほど多くなっています。「30歳代」で「子ども会やPTA、健全育成組織等を通じた『児童・青少年の育成活動』」が3割となっており、他の年齢層と比べめだちます。
・そこに住んでいる人びとが、自信と誇りと生き甲斐を持って、生き生きと暮らす地域をつくることが、究極の「生活大国づくり」である。
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■参考
・「この事実は、もとより急速な経済の成長のもたらした都市化や近代合理主義に基づく物質文明自体が限界にきたことを示すものであると思います。いわば、近代化の時代から近代を超える時代に、経済中心の時代から文化重視の時代に至ったものとみるべきであります。(『回想録』資料編、p.284) 大平が施政方針演説
…いまや二十世紀産業文明の克服こそが人類史の課題になりつつある。日本の政府と国民にとって、「経済」よりも「社会」を、そして「成長」よりも「成熟」と「安定」を、優先目標としなければならない時代が到来している。それは社会の存続の保証を優先するということであり、地球規模の資源および環境の保全と人類の生存の保証を優先するということでもある。「文化の時代の到来」と喝破され、その新しい時代を築いていくために、人類が、日本人が、近代を超えていかなければならない、という決意を、総理は述べておられるのだ。いつまでも、近代化を達成するために、近代化の時代に形成された命題、原理、学理、道徳律(モラル)、発想方法、手法、技術にとらわれていてはいけない
報告書を通じて、共通したひとつの文明史観というか、歴史の大きな潮流がとらえられており、それを踏まえて、これから二十一世紀へ向けて拓かれていく「近代を超える時代」の大きな方向、ものの考え方、対応の仕方が、鮮やかに描き出されていた
恐らく、近代から近代後の時代への人類史的転換は、数十年、いや数百年をかけてゆっくりと進む社会進化過程であろう。その間、近代社会それ自体の発展、とりわけ産業化の発展は、依然として一面においては進行し続けるのではないだろうか。さまざまな側面に「成長の限界」が現れ始めたとしてもである。」
■参考
・「豊かさ」とは何か、どうすれば「豊かさ」を人は「感じる」ことができるのか、という問題について一応の結論を導き出してみたい。裾野が広いうえに、頂上も高い問題。
・「確か、マザーテレサの言葉に【日本人は、経済も生括も豊かになり、お金もある。しかし、心の豊かさが無い】。」
・「豊かさ」とは「心」の問題であり、「心」が「豊かさ」を「感じ」た時、その人は初めて「豊か」であると言える
「豊かさ」を「感じる」のが個人だとしても、人が社会で生きている以上、行政側が「豊かさ」に与える影響は大きい。「豊かさ」とは、個人的問題でもあり、また同時に社会的問題でもある
・戦後の日本において、@地域社会の崩壊が叫ばれて久しい。私たちは高度経済成長を経て、物質的には非常に豊かになった。しかし、町内や近所の人との関係は次第に希薄になっていき、「隣の人は何する人ぞ」という言葉が表すように都市は非常に匿名性の高い社会になっている。もちろん、地方によってはまだまだ伝統的な地域社会が残っているところもある。しかし、日本全体で捉えると、それは縮小の一途をたどっているといっても過言ではない。 人間が社会的動物であるとするならば、何らかの集団に所属したいと思うことはまったく不思議なことではない。そして、実際に人は家族や学校や会社など様々な集団に属している。しかし、現代に生きる人々にとって、伝統的な地域社会という一つの帰属集団を失いつつあることは間違いない。マートンの言葉を用いれば、それは「準拠集団:reference group(Merton 1949 p.279)」が与えていた「準拠枠:frame of reference(Merton 1949 p.291)」の喪失ということになろうか。準拠集団はその成員に行動規範となる準拠枠を与えるものだが、これが現代社会において失われつつあるように思われる。
社会のもう一つの側面に目を向けると、A急激に進行する高齢化社会という現実がある。豊富な食料や医学の発展は人々に健康で長い「定年後」を提供する。このいわゆる「第二の人生」をどのように過ごすかという問いは、個人にとっても社会にとっても重要な問題である。つまり、たとえ健康で自由な老後であっても、孤独で、何の目的もなく、ただ漫然と生きているだけではとても豊かな生活とは呼べない。人とのふれあいの中で溌剌と活動してこそ、生き甲斐を見出すことができるのである。
このような高齢化を伴った地域社会の崩壊という状況において、筆者は「趣味的サークル」というものに期待をした。この集団は次のような特徴を持っている。第一に集団の参加に拘束力がないこと、第二に個人のプライバシーが確保される《←*》こと、第三に集団への所属に際して参加者の主体性が存在すること、第四に目的に義務感のような「重たさ」がない《←**》ことである。つまり、参加の自由は、集団への所属が精神的負担とならずにすむ。
また、*現代人はプライバシーに立ち入られることを好まないが、参加者が平等である趣味的サークルにおいてはそのような行為を拒絶することができる。所属に際して個人の自由意志が存在すること−伝統的な地域社会と異なって−も、**強制を嫌う現代人の考え方に適っている。また、人々の求めるものの変化や、経済のゼロ成長、労働時間の短縮などの環境要因も人々を「趣味的サークル」に向かわせると思われる。したがって、この集団はその成員に確固たる準拠枠を与えるようなものではないが、現代に生きる人々の要請に応えることができると思われるのである。
・ここで伝統的な地域社会の是非を論じることはしないが、この帰属集団は様々な機能を有していた。このような地域社会が再びこの日本で復活を遂げることがあるだろうか。それは、望む、望まないに関わらず、現実的には起こり得ないであろう。なぜならば、個人主義的なライフスタイルを好む現代の人々にとって、所属の自由がないそれは非常に堅苦しいものであるからだ。また、そのような考え方自体が、伝統的な地域社会を衰退の道に追いやった大きな原因の一つでもある。…準拠集団はその成員に基準となる行動規範を与えるのだが、これが現代社会において失われつつあるように思う。
そうはいっても、これに代わる新たな集団の発生は想像しがたい。今後、どんなに電子ネットワークが発達したところで、それが地域社会の機能を代替するとは思えない。そこで私が期待したのが「趣味的サークル」である。この集団は必然的に地域に密着しており、また所属に関しても個人の自由である。これが現代人のニーズに応えていると私は考える。趣味的サークルは、伝統的な地域社会のように人に準拠枠を与えるようなものでは決してない。しかし、準拠枠を形成する一助となる可能性はあるだろう。
・ここで、趣味的サークルを取りあげる理由についてまとめておく。第一は今日の経済状況である。我が国は戦後、高度経済成長を経てGDP世界第2位の地位を確保している。バブルが崩壊したとはいえ、日々の食料に困るという状況は一般には考え難い。とはいうものの右肩上がりの経済成長を期待することもできず、ゼロ成長の中でいかに豊かな生活を送ることができるのかという点に人々の関心が移りつつある。こうした中で、物質的な消費のみで心を満たそうとする姿勢が限界にきていると私は考える。つまり、ただ単にお金を使って物を買うという行動ではなく、これからは人とのふれあいによって豊かさを感じようという方向にベクトルが向くと予想するのである。
第二は労働時間の短縮である。現在の日本は欧米に比べまだ著しく労働時間が長い。リストラや経済低迷の中、若干、時短の動きは鈍っているが、全体的な流れとしてこの動きが後退することはないだろう。こうして獲得された可処分時間は何に使われるのだろうか。第一の理由とも関係するが、経済状況が不透明な現代において、人々が経済的に負担のかかる時間の使い方をするとは思えない。したがって、この時間が比較的お金のかからない趣味的サークルに向けられると考えるのである。また、潜在的に趣味を行いたいと考えていた人にとって、労働時間の短縮は活動時間の確保につながる。
第三には、個人主義化と価値観の多様化を挙げる。今日では個人主義の台頭により、単一の大集団が成員の幅広いニーズに応えられなくなってきている。また、人々の価値観の多様化や家族のもつ様々な機能(消費の共同、食事、教育など)の外在化は、家族そろって同じ趣味を行う可能性を減少させている。このような状況は、趣味の個人主義化を招くと考えられる。つまり、無理をしてまで人に合わせることはなく、各個人が自分にあった趣味を選択し、職場や家族から解放された自由な集団に参加する。そのような機会を趣味的サークルは与えてくれるのである。
第四の理由は、すでに取りあげた「準拠枠」の喪失である。現代の社会は自分の行動の規範となるような「準拠集団」が失われている、もしくは弱体化しているのではないだろうか。個人主義化とも関係するが、個人に強力な影響を与える集団も、予期的社会化を起こすような集団も今日では減少している。ここに現代社会の問題を感じる。例えばオウム事件である。なぜ多くの高学歴の若者が新興のカルト集団に身を投じたのだろうか。彼らは自分の行動を決定する規範をもっておらず、また自分の居場所としての集団や、教祖に対する無条件の信奉によって自己決定の回避《←この弊害についても考察のこと》を求めていたのではないのか。もちろんマートンの想定する準拠集団と私が取りあげる「自発的参加型」の趣味的サークルとは根本的に異なる。なぜなら、趣味的サークルは自発的な参加を前提としているため、成員の行動に準拠枠を与えるほどの影響力をもっていないのである。しかし、人々が集団の活動への参加を通して、より豊かな人間関係を構築し、それが準拠枠を形成する一助となることはあり得るだろう。
・日常生活では充たされない「何か」を求めて趣味的なサークルに参加するという可能性である。この要求に対して趣味的サークルはそれなりに応えることができるはずだ。
・私がすでに用いた「自発的参加型」集団は、趣味的サークルの上位概念である。それは6つの集団を想定している。第一は今回の研究対象となる「趣味的サークル」、第二に先生がいて月謝等を納める「お稽古ごと」、第三に人間性の回復や対人関係の改善・発達を目的とした「エンカウンター・グループ」、第四に「ボランティア・グループ」、第五に「NGO及びNPO」、第六に「宗教」である。第二の「お稽古ごと」について、当初は研究対象として含めようと考えていた。しかし、活動人口の多い「茶道」と「華道」について調べてみると、集団的な活動をすることもあるが、団体としての連帯感はなく、基本的には個人的な習い事であることが分かった。したがって、今回の対象からは外している。第三以下の集団を除外している理由は、目的に娯楽性が含まれないからである。つまり、それらは自分や他人や環境(広い意味での)などを改善しようという明確な目的の下に結集されているのである。また、職場における趣味・娯楽のサークル活動及びQCサークルは今回の研究から除外している。前者は必ずしも純粋な「自発性」が保証されておらず、また後者には娯楽性が含まれていないからである。なお、本稿では趣味的サークルの活動内容に言及する場合、それを「集団的余暇活動」と呼んでいる
・ここでは暫定的に趣味的サークルの定義づけを行っておく。「娯楽が一義的な目的で、個人の自発的な参加による、共通の趣味をもった人々の集まり」を趣味的サークルとする。本稿ではこの趣味的サークルについて、T部では先行研究や文献から間接的にアプローチを行い、U部では集団的余暇活動を行う団体を対象に社会調査を実施し、分析する。私が問題にするのは、趣味的サークルの存在意義と、その集団の機能である。前者については現代における意味と将来的な展望を考察し、後者は、集団の「紐帯(solidarity)」(「集団の凝集性」と言い換えてもよいだろう)が成員の満足度とどのように関係しているのか、という点を検証する。また、趣味的サークルの参加者とそうでない者の間に生活満足度の違いを見出すことができれば、その存在意義を示すことができると考える。本稿では理論的な研究と社会調査という2つのアプローチを車の両輪として、趣味的サークルの研究を進めていく。
筆者は「趣味的サークル」を「自発的な参加によって成り立つ、余暇活動を行う小集団」と定義する。余暇活動とは基本的に営利を含まず、「自発的な参加」とはその集団への所属も脱退も個人の自由であることを示している。「小集団」であるという条件は、趣味的サークルにおいて、成員の間に対面関係と相互作用がとりむすばれていることを意味する。また、紐帯の緩い集団でその成員が快適さを感じる人数は比較的少数であり、結果的にも趣味的サークルは小集団となる。公式な下位の小集団をもたずに集団の規模が大きくなると、内部にインフォーマルな形で派閥ができてしまう可能性が高いからである。
・趣味的サークルの非日常性とは何であろうか。それは、その活動が日常の活動と「時」、「場所」、「秩序」を異にする点である。つまり、余暇時間に、決められた場所に集い、その集団のルールに従う、これはまさにホイジンガのいう「遊び」(Huizinga 1938=1989)である。趣味的サークルの活動はこの「遊び」であり、そしてそれは明らかに非日常世界の活動《→*》なのである。(*非日常世界の「秩序」とは、その集団にある会員規則のことを指しているのではなく、日常世界の常識や属性がその世界内で同様には機能させない独自の規制のことを指している。例えば、会社の重役が野球チームにいたところで、打って、守って、走れなければその人はその「場」で活躍することはできない−職場のサークルではこの通りにはならないであろう−はずである。弁護士が何と主張しようとも楽器から音が出なければ演奏会には出させてもらえない。仮に趣味的サークルの中に年功序列があったとしても、それは参加年数によるものであり、単に年が多いだけでは到底主張は受け入れられない。男女の関係についても同様である。日常で起こり得る男女差別の問題は、趣味的サークルでは考えにくい。一旦その世界から離れて現実世界に戻れば別の様々な役割を持った人々も、趣味的サークルの中では特別な秩序に則って活動するのである。)
4.1生活の満足度の比較
A 筆者は調査を実施するにあたって、「趣味的サークルの参加者は、参加していない人よりも生活の満足度が高い」という仮説を立てた。この仮説を証明することができれば、趣味的サークルが社会においてある一定の機能を果たしているといえるからである。そこで、次の質問に対する回答を考察する。
「あなたは、全体として、現在の生活にどの程度満足していますか。」
回答選択肢 今回調査 総理府調査
満足している 21.0 9.8
まあ満足している 56.6 56.7
やや不満だ 11.3 22.8
不満だ 4.6 7.8
どちらともいえない 5.1 2.5
わからない 1.3 0.4
単純に比較すると、今回の調査では「満足している」の数値が非常に高いことが分かる。「不満だ」と答えた人も総理府調査の約半分である。また、総理府の調査対象は無作為抽出なので、当然、趣味的サークルへの参加者も一定割合で含まれるはずである。したがって、趣味的サークルに所属する人とそうでない人との差はより大きいものと予想される。
B. 次に年齢と生活の満足度との関係を性別ごとに考察する。
総理府の結果と同様同様、生活の満足度は年齢によって異なる。しかし、その数値の動きは総理府のそれとはっきり異なっている。総理府の調査では男女とも30歳代から50歳代が満足度の底であるのに対し、今回の調査では基本的に年齢とともに満足度が上昇していくのである。特に40歳代の男性においてその差は非常に大きく、趣味的サークルへの参加が満足度の向上に大きく寄与していることが分かる。したがって、この結果により今回の仮説は証明されたといえよう。つまり、趣味的サークルの参加者は、そうでない人よりも生活の満足度が高いのである。
C. 趣味的サークルの活動への参加と、生活における満足が関係しているかという点についても尋ねている。
「この団体に参加することによって、あなたは生活全体の充実感が高まっていますか。」
参加と生活充実感との関係 有効パーセント
大いに高まっている 47.7 (167)
やや高まっている 46.9 (164)
あまり高まっていない 4.0 (14)
ほとんど高まっていない 1.4 (5)
合計 100 (350)
「大いに高まっている」と「やや高まっている」を合わせると、全体の約95%もの人が活動の参加と生活の充実感との関連を認めている。この結果は、男女、年齢を問わずほとんど変わらない。このことは、人々が生活の満足度を高めるために活動に参加していることを間接的に示しているといえよう。しかし、逆説的に考えると、その活動への参加が自発的である以上、それにより何らかの効用が得られなければ人は離れていってしまうだろう。つまり、その人が自らの意志でその活動に参加しているということは、活動により何らかの喜びや充実感を得ていると考えて間違いないのである。
D. 趣味的サークルへの参加の具体的な目的を知ることは、参加者がどのような満足感を求めているかを考察するうえで必要である。これに関する質問は、T9つの項目からなる目的の「重要度」を尋ねた質問と、Uその趣味を集団で行う理由を尋ねたものの2つがある。
T前者は、@豊かな人間関係・仲間との交流、A技術・能力の向上、B趣味に関する情報交換、C自由時間の有効活用、D生活に変化を与える、E異性との出会い、F同じ趣味をもつ仲間との出会い、G活動そのもの、Hその他の目的、から成っており、それぞれ4段階で重要度を尋ねている。この中で重要度の上位2つ(「とても重要」、「ある程度重要」)を合わせた値が90%を超えたものは4つで、それぞれ@(92.7%)、A(92.3%)、F(94.0%)、G(94.2%)であった。この結果は、人とのふれあいに関する項目と活動に関するものに大別できる。ここから読みとれることは、活動への参加は、活動自体の魅力と仲間との協同という2つの要素から成り立っているということである。
U後者は、「あなたはなぜこの趣味を個人ではなく、集団で行うのですか。」(複数回答)という質問に対して、次のような回答選択肢を用意した。@個人ではできないから、A話の合う仲間がいるから、B仲間と喜びを共有したいから、Cお互いに刺激を受け、技能や技術が向上するから、D趣味に関する知識や情報が増えるから、Eその他、である。この中で@の「個人ではできないから」を除くと、上位2つは、C(49.7%)とB(44.9%)であった。ここでも前の質問と同様、活動そのものと人とのふれあいがポイントとなっていることが分かる。
・5.3 社会における趣味的サークルの位置づけ
これまで趣味的サークルの果たす役割とその特徴をみてきたが、ここでは、社会というシステムの中でその集団をどのように位置づけることができるか検討したい。
今回、趣味的サークルにおける【高齢者】の満足度は非常に高いものであった。また、他の調査でも同様の結果が出ている。高齢者における趣味活動が生活を豊かなものにしていることは間違いない。物質的に満たされた今日、生活(人生)をより充実したものにするポイントは、フェイス・トゥー・フェイスで行われる豊かな人間関係であると筆者は考える。仕事から引退し社会とのつながりが希薄になりがちな高齢者にとって、他の人々とふれあうことができる趣味的サークルは、生活の質を高めるための大きな可能性を与えてくれる。また、参加形態が緩やかな趣味的サークルは高齢者の活動として適している。以上のことから、今後の「高齢社会」において高齢者の生活の「質」を高めるという意味で趣味的サークルは重要な役割を果たすであろう。
・集団に所属するということは、それだけで社会活動に参加することになる。このことが社会とつながっているという感覚を人々に芽生えさせるとしたら、趣味的サークルは市民社会の形成にある一定の貢献をすることになる。
・最後に、【地域社会】との関わりについて検討する。私の定義する趣味的サークルとは成員の定期的な対面接触を前提としている。電子的なネットワークが発展した今日、パソコン上で様々なグループを形成している。しかし、これは私の考える趣味的サークルではない。希薄になった人間関係を再構築ためには、他人と時と場を共有する必要があるはずだ。そこで趣味的サークルと地域社会との関係が重要になってくる。趣味的サークルは人々が空間を一にするため、その活動範囲がある程度限定されている。また、音楽であれ、スポーツであれ、その上位組織に加入することは、相対的に自らの地域を意識させられることになるし、また何らかの全国大会になれば、出場する集団は地域の代表ということになる。したがって、趣味的サークルはその構造上、必然的に地域社会と関係を持つことになるだ。このことは、これからの社会にとっても非常に有用なはずである。趣味的サークルは希薄になった地域における人間関係を豊かにする機会を常に人に与えているのである。自分の住む地域に愛着を持ち、そこで仲間とふれあい、活動をすることは、人々の生活の満足感を間違いなく高めるはずだ。趣味的サークルは地域社会の活動の一つとして、比較的気軽に参加でき、生活を楽しむことができるという意味での重要な選択肢の一つなのである。
・筆者の興味の源泉は現代社会における「豊かさ」の問題にあった。豊かさには様々なものがある。…その中で人とのふれあいという心の豊かさが重要
・何の拘束力を持たない趣味的サークルは、人々に人とふれあう機会だけを与え、やっかいな人間関係までは押しつけてこない。また、仲間とともに一つの物事に取り組み、達成した感動を人と共有することができる。これこそ「心の豊かさ」であると私は考える。それは社会が物質的に豊かであるかどうかとは関係がない。しかし、伝統的な地域社会の解体や準拠枠の喪失、そして様々な事件が起こる殺伐とした現代にこそ必要な「豊かさ」なのである。
「豊かさ」の問題は、個人的もあり、また社会的でもある。この捉えることの難しい問題に対して、趣味的サークルの果たす役割を想定して、今回、社会調査という手法を用いたのである。本稿では調査の分析から趣味的サークルと生活の満足度との関係、及び趣味的サークルの特徴と存在意義を考察してきた。以上から趣味的サークルは、これからの日本社会、すなわち高齢社会やゼロ成長時代にこそ人々の豊かさに大きく関わり、またその果たす役割が期待されるものである。
■参考
・「20世紀の日本は、産業優先の時代であったといえるだろう。
大量生産と大量消費を繰り返し、テクノロジーの進展とともに、経済大国と言われるまで成長を遂げた。人々は「持つこと」と「消費すること」を自己表現の手段とし、時間の流れとともに「持つこと」は多様化・高度化していき、「消費すること」はモノからサービス、情報へと拡大してきた。
産業優先で時代を駆け抜けてきた結果、生活は便利になり、人々は自己表現のための様々な選択肢を得ることができるようになった。時間や空間(距離)を意識することなく、欲しいものを手に入れ体験することができるようになった。
だが、果たして人々はそうした生活に本当に満足できているのだろうか?
テクノロジーの進展がもたらしたものとは何だったのだろうか?
1990年代に入ってから、景気後退という社会動向の変化をきっかけに、そんな疑問を持つ人が増えたことは確かだ。溢れかえるモノと情報の中で、あらゆる変化への対応を余儀なくされ、その流れに乗ろうと必死だった人たちがふと立ち止まって自分を見つめ直そうとしている。自分にとって大切なものは何なんだろう、自分は何を求めているのだろう、そう考え始めている。」
・テクノロジーの進展は、D・J・ブーアスティンが著書『過剰化社会』の中で述べているように、社会を同質化・中央集権化し、人々を孤立化させた
…例えば、テレビによって都市と地方の間で情報や文化の差異が殆どなくなり、ブラウン管を通して伝えられる「有名」なものに関心が集まり、人々は外に出て人と話さなくても情報を得られるようになった。
また、テクノロジーの進展によって遠くを近くすることはできたが、逆に近い距離において様々な問題を生む結果となった。飛行場と中心街との交通アクセスの悪さ、都心部の交通渋滞、疎遠になりがちな近所づきあい、コミュニケーションをとれない家族といった問題である。
そんな現代社会の中で、人々はストレスと不安と孤独を抱えている。所有と消費では満たされない思いが残っているのである。どんなにたくさんのモノや情報が周囲に溢れていても、その思いを埋めることはできない。
今、人々は何を求めているのだろうか。
…人々が「交流」を求める傾向は、(財)余暇開発センターが毎年発行している『レジャー白書』において、余暇動機の上位に「友人や知人との交流を楽しむこと」「家族との交流を楽しむこと」が常にあげられていることからも明らかである。
人は出会った人や共感できる情報に影響を受けて行動する…
■参考
(3)【精神環境の破壊】
日本では現在、経済成長がひととおり終わり、成熟社会に入っているといえよう。しかしながら、外なる経済的富を実現したことは、内なる精神的貧困をもたらした。つまり、心の豊かさを犠牲にして、富を獲得したのである。
こうして獲得した成熟社会において、次のような精神病理の問題が生じている。無気力・無感動の若者の増加、自他関係が成立しない社会的傾向、自閉的な世代の現れ、1億2千万人総神経症時代等々。これは、まさに精神環境の破壊そのものである。
このような現代日本の…問題の解決のためには、それに立ち向かう次世代の育成が重要なこととなる。そのためには、一つには規範理論の確立、二つにはその具体化、三つには国際協力が大切となる。《←この大方針・戦略は大事》
(1)環境倫理学の確立
まず規範的な理論的枠組みが、環境認識のための環境学の確立とともに、必要である。アジアすなわち東洋の思想を基盤とする考え、つまり外に経済的幸福を求めるのではなく、内にすでにある幸福に目覚める自覚が不可欠である。この考えを基盤にして、多様な観点や価値を容れ得る「環境倫理学」を構築すべきである。いうまでもなく、それは生態系を基盤とする環境学と呼応する、新しい規範理論である。《←この立場=東洋的価値観へのラセン的回帰が、21世紀の人生・社会論のカギではないだろうか。》
環境は自然環境と、社会環境と、精神環境と3つの範疇に分類することができると、日本の学者谷口先生は次のように述べられている。前者二つは外部的なものであり、最後の一つは内部的なものである。外的な環境問題を解決するには、外部の社会的、物質的なものあるいは技術面から糸口を見つけるよりも、人間の内部の精神面つまり道徳、倫理面を重視すべきである。言い換えれば、環境面の汚染と精神面の汚染の両方から手を打たなければならない。環境をきれいにするにはまず、心をきれいにしなければならない。…即ち、環境問題は人類文明の問題でもあり、環境教育は人類文明に対する反省の教育でもある
その一、資源を大事にし、物欲を抑制すること。その二、健康的な生活習慣をつけ、享楽主義や消費至上などの物質主義的なものを排除すること。
3.活動内容
・隔月刊などの会報を全会員に郵送し情報提供するとともに、全体活動が私たちの豊かな生活の在り方を形成していくものであることの啓蒙活動を行っていき、文化活動・地域活動として各サークル・個人の自己表現の場・地域文化の一つの要素となっていけるようにする。(センター・各サークル・外部間のコミュニケーション)(それだけの思想的高次元さと編集実務力が要る)
○文化・スポーツ交流センター
@第一段階−市民の文化・スポーツ活動の情報提供のセンター(情報発信地) =とりあえずインターネットで「センター」を開設
○趣旨説明を載せ、紹介希望団体(加盟する会・サークル)を募る
・子ども、大人(一般、若者、高齢者、主婦)の全部or中心とするもの〜
・特定の種類のスポーツや一団体(サークル)のホームページとは違い、全(幅広い)分野、あらゆる系統の文化・スポーツ 団体や民間のイベントの紹介センター
A第二段階−実際の活動・人の交流のセンター(交流の空間)
サークル団体どうしの横のつながりや、地域ブロックごとのまとまりや、新しいサークル創設等を手がけていく
・ホームページ+会報 *体裁と記事は同一物でよい
*コンピュータの使い手に加わってもらう **me自身は機械にはノータッチがよい(手段領域に埋没しない=meの場合、やすきに流され・からめとられないこと)
1.各サークル・団体から統一的体裁の紹介文、イベント案内等を募る
*スピーディーに(手間少なく)情報の一覧が作成できるシステム化された=Rep的・定期的な提供を「義務」づける
2.フリースタイルのPR記事、投稿を個人・団体から受け付ける(楽しい、心の交流の場として) *一応、これらはセンター責の情報扱い、別にチャットやメールの場は設けてもよい **各会・個人の独自のホームページもそれとして案内すればよい
■参考
・「市のスポーツ・文化施設をはじめとする、一般利用ができる各公共施設の予約システムをインターネットを活用することにより、受付窓口の統合を行い、市民の利便性を向上させます。市民は公共施設の公衆端末や家庭のパソコンから利用状況をリアルタイムに検索できると同時に予約を行うことができるようになります。」「スポーツ・文化のイベントやレクリエーションの情報収集・提供を行います。同時にスポーツ活動や文化活動を行っている市民サークルや民間のサークルの活動情報の収集と提供を行います。」
・地域文化芸術を含めた総合的社会・生活環境としての【「福祉」】の捉え方が重要−生きがいと豊かさを、新たな地域コミュニティづくりにおいて追求する「福祉ミックス」として
・「文化における“【参加】”の意義−単に、芸術を観客に紹介するだけではなく、「芸術家の活動を促進、保証し」文化創造を可能にすること、そして、芸術文化によって、「社会の持つ潜在能力の向上の検討」のことまで含むものである。
・新しい文化創造の土台づくりは、文化NPO、そのために文化芸術支援の意味について考察する
・小中学校の余裕教室を活用し,さまざまな形で地域に根ざした生涯学習活動が活発に進められている。市立高等学校においても,公開講座が開催されている。また,カルチャーセンターや大学など民間でも芸術文化とかかわる取り組みが進められている。
・市民による芸術文化活動においては,日頃の芸術文化活動の成果を広く発表することが,みずからの励みと更なる研修になる。また,多くの市民に芸術活動への参加の気運を高め,ほかの人々の活動との相互の理解と親交を深めることにつながる。こうした活動の交流の一環として,京都市は,区民文化祭や市民参加の芸術文化イベントである「町衆文化フェスティバル」などを実施してきたが,これらの成果を踏まえ,芸術文化活動を行っている市民が一堂に会する場として「市民芸術文化祭」(仮称)の開催を検討する。また,市民レベルにおける京都内外の芸術活動の交流を促進するために,文化庁などが主催する交流事業や京都市の姉妹都市交流事業などに取り組むことも重要である。
■参考
・コンピューターネットワークは、情報発信や情報収集のために利用するだけでなく、多くの人と出会い余暇能力を高めていくコミュニケーションツール(交流を創出する道具)としても利用できるものである。ネットワークでは、一般社会で出会うことの難しい、地域・年齢・職業などの違いを超えて出会い、フランクに話をすることができる。共通の趣味や関心を持つ人との人脈の広がりは、ネットワーク内にとどまらずリアルな現実の生活においても… 情報を人々の行動変容に結びつけるためには、例えば余暇能力を高めるのに情報を生かすとしたら、情報の発信者と受信者が直接交流できる仕組みを構築していくことが重要なのではないだろうか。
しかも、他のコミュニケーションツールと違って、発信者と受信者の関係が1対1で完結するのでなく、1対多・多対多という形でコミュニケーションの拡大を図ることができる。
以下にネットワークコミュニケーションの例として「e-mail(電子メール)」「WEB(ホームページ)」「ネットワークコミュニティ」を掲げるが、これらに共通する主な特長は次の通りである。
・リアルタイムで情報を共有できる
・国境を越えて自由にコミュニケーションできる
・自分の都合の良い時間に情報を受信・発信できる
・フランクで広範囲な関係づくりができる(性別・年齢・職業・肩書きといった出会いの制約がない)
・文章(言葉)だけでなく画像や音声もやりとりできる
*e-mail(電子メール) メールのやりとりは基本的に1対1のコミュニケーションなので、電話やFAXなどと同じく連絡手段として活用されることが多い。個人を特定するアドレス(ID)に送付するため、既存のメディアよりダイレクトなコミュニケーションが可能である。複数の人に同時にメールを送るシステムを活用すれば、1対多・多対多のコミュニケーションも成立する。(但し、多対多のコミュニケーション規模は小さい。数人~数十人程度。それを超えるとメールでは煩雑になってしまう) *WEB(ホームページ) 新聞や雑誌のように大勢に向けて誰でも情報発信することができるツール。それも国内にとどまらず、世界中に向けて情報発信できる。WEBによって1対多(無限大)のコミュニケーションが可能となる。 *ネットワークコミュニティ ネットワーク会社が提供しているサービスの一つで、NIFTYの「フォーラム」やAOLの「スクエア」などがこれにあたる。共通の趣味や関心を持つ人たちが集まって会話を楽しむ場所として、様々なジャンルのコミュニティが用意されている。誰でも参加できるため、各コミュニティの利用者は数千人から数万人にのぼる。一つの話題にその中の誰が反応するかはわからない。常に多対多のコミュニケーションが可能である。コミュニティに参加することでたくさんの出会いを体験することができる。
・コンピューターネットワークを余暇を充実させるための「道具」として使いこなし自らの余暇活動に生かしていくという視点
3.ネットワーク活用による余暇開発 こうしたネットワークコミュニケーションを利用して余暇開発を行う方法について具体的に考えてみたい。なお、ここでは上記のネットワークコミュニケーションのうち、私が直接体験し運営してきたネットワークコミュニティの活用による余暇開発をとりあげる。 また、余暇時間をコンピューターネットワークを使って過ごすという利用の仕方にとどまらず、ネットワークを余暇を充実させるための「道具」として使いこなし自らの余暇活動に生かしていくという視点で述べたい。
3-1.余暇時間に何をするか--情報収集 まずは、自分が何をしたいのかどんなことに関心があるのか知る必要がある。 時間があったらやりたいと思っていたこと、興味のあること、それらに関する情報を集めよう。ネットワークコミュニティには体験談が溢れている。そこでは実際に体験した人の「生」情報を知ることが可能である。また、知りたいことを質問すれば応えてくれる人がいる。いくつか関心のあるジャンルのコミュニティを見て、自分にフィットする場所を探そう。
3-2.コミュニティへの参加 趣味を継続するコツは共通の話題や関心を持つ仲間がいることだろう。一般社会でもクラブや同好会などへの参加を通して仲間と知り合うことができる。ネットワークコミュニティでは地域の制約を超えられるため、その仲間が全国に広がる。自分と同じ趣味を楽しむ同好の士が全国各地にいるという趣味縁・関心縁の広がりを体験することができる。
3-3.コミュニケーションの深化 ネットワークコミュニケーションの特長の一つに「リアルタイムで情報を共有できる」ことを先に述べた。ネットワークコミュニティでは、そこで出会った仲間の様子をリアルタイムで知ることが可能である。
例えば、週末にどんなことをして過ごしたのか・趣味に関するスキルアップの経過・趣味の活動状況などについて、オンラインでの会話(=ネットワークを使った使ったおしゃべり)を通して互いに情報交換することができる。たとえ住んでいる場所が離れていても、そのような情報交換を頻繁に行うことでコミュニケーションが深まり、同時に自らの余暇活動に磨きをかけることもできるのである。 また、オンラインでの楽しそうな会話を読んでいるうちに、自分もやってみようと刺激を受けることも多い。 ネットワークは、親密な関係づくりに欠かせない「即時性」「接触頻度」「共有体験の積み重ね」をたやすくするコミュニケーションツールともいえるだろう。
3-4.リアルな関係の構築 オンラインでのコミュニケーションが深まると、実際に会ってみたくなる。文字から受ける印象と実際の姿とのギャップや整合性を知るのは楽しみの一つである。
・ネットワークを通して出会った人たちと直接会ってみると、既にオンライン上で共通の話題があったり気持ちの一体感があるためか、たとえそれが初対面であろうと親近感が湧いてくる。会った瞬間に打ち解けて盛り上がるという体験を、ネットワークコミュニティの中で多くの人が経験している。 オンラインだけでなくオフラインでも交流できると親近感はさらに増し、家族ぐるみのおつきあいが始まるなどますますコミュニケーションの密度が高まる。ネットワークは、オンラインにおけるバーチャルな関係にとどまらず、オフラインのリアルな関係を構築するためのツールにもなりうるのである。
ネットワークコミュニティでは、リアルな関係づくりの魅力にひかれた人たちが自らイベントを企画しており、全国各地で開催されるそうしたイベントへの参加を目指してはるばる遠征する人も少なくない。彼らの行動を支える動機は、イベント内容もさることながら、オンラインで出会った「あの人」に会いたいというものが大きい。
私が運営しているネットワークコミュニティ(NIFTYの「フォーラム」)《←ニフティーの当該部門責任者?今後連絡とる 日本余暇学会論文~コンピューターネットワーク利用による余暇開発(1999.01原稿作成) お問い合わせはこちらまでメールでどうぞ。 copyright(c)1999-2000 keiko homma 》においても、視覚障害を持つランナーの練習をサポートしたり、スポーツ大会のボランティアをつとめたり、骨髄移植のドナー登録を広めたり、とコミュニティ参加者がそれぞれ自主的に活動を行っている様子が見られた。彼らに共通するのは、自分たちだけが楽しむのでなく、その楽しみをより多くの人と共有したい・自分がその楽しみを提供する側にたちたい・誰かの役に立ちたいという思いである。余暇活動を通して社会に貢献する、ここまでくれば余暇能力の成熟といえるのではないだろうか。そのための情報収集や人間関係づくり、行動のきっかけをつかむツール(道具)として、ネットワークコミュニティは非常に有効だといえる。
一人ではできないことが、仲間がいることでできるようになる。また、そうした力を結集して社会の中で生かせたら、社会的なムーブメントを起こすことも可能かもしれない。人と人との出会いから様々な可能性の扉が生まれるのである。そうした出会いを生む場として、ネットワークの果たす役割は大きい。
ネットワークは、新しい出会いを生みながら、人と人、そして心と心をつなぐことができるコミュニケーションツールであるといえるだろう。そういう意味でネットワークは、ハードウェアでもソフトウェアでもない、いわば「ヒューマンウェア」といえるのではないだろうか。
21世紀はヒューマンの時代だと言われている。 《←上とのつながりでとらえて−やはりこのサークルネットワークは21世紀の人類を左右する大きな営為と言える。ちゃんとそれだけの自覚=「meが人類の歴史を変えるのだ。」を持つこと》 産業優先で駆け抜けてきた20世紀の世紀末にあたって、現代社会が抱える問題の解決へアプローチするためにも、ぜひ多くの人にネットワークコミュニティを活用した余暇開発を体験していただきたいと考えている。
■参考
「○ハイコミュニケーションシステムについて
ハイコミュニケーションシステム
近年、パソコン技術と通信技術の発達により、「インターネット(パソコン通信を含む)」と「パソコンを用いたデータベースシステム」がコミュニケーションを行う上で極めて有力なツールとして用いることが可能となってきており、これを川づくりにどう活かしていくか、それが緊急課題となってきています。さらに、コミュニケーションを推し進めるには、「情報・交流拠点の活用」と「イベントの実施」が極めて有効な手段であることが判ってきているので、それらを川づくりにどう活かしていくかということも緊急課題となってきています。
そして、情報・交流拠点やイベントを通じてフィールドに出て、様々な人がふれあうということがコミュニケーションの神髄であるが、そのふれあい(対面交流)とインターネットによるふれあい(オンライン交流)の双方を大事にすることによってよりコミュニケーションが深まっていくことが判ってきました。
そこで、インターネット(パソコン通信を含む)とデータベース、情報・交流拠点とイベントの組み込まれたコミュニケーションシステムを「ハイコミュニケーションシステム」と呼ぶこととします。
1.ハイコミュニケーションシステムのイメージ その1インターネット
・情報発信
まずホームページをつくり自ら持っている情報を世の中に発信する。これがハイコミュニケーションを進める上で大事です。川づくりに関係する市民、自治体、企業、河川管理者がそれぞれホームページをもち、情報発信することによって、だれでもインターネットの世界に入れば、時空を超えて情報の入手ができる。このような情報にたいするアクセスの容易さがハイコミュニケーションの特筆すべき特徴であります。
※リンク−当然のことながら川づくりに関するホームページは相互に様々なリンクを張っておくことが大切です。
※「会議室」−また、公共的な機能を担っているNPO団体のホームページなどにおいて会議室を設け川づくりの意見交換、討論を参加自由で行うことも大いに意義のあることだと思われます。
※パソコン通信−パソコン通信はインターネット経由で利用できるようになりつつあり、既存の会議室(例えばニフティーサーブの川のフォーラム)におけるコミュニケーションはインターネットにおけるものと同じように大切な機能です。
2.ハイコミュニケーションシステムのイメージ その2 データベース
・市民の情報発信
市民団体もホームページにみずからのデータベースを設け、川の観察記録や活動記録など貴重なフィールドの情報を発信することが望まれます。
3.ハイコミュニケーションシステムのイメージ その3 情報交流拠点
・実際の触れ合いの場
ハイコミュニケーションシステムの要として、情報の受発信基地でもあり又人々の交流拠点でもある、情報・交流拠点の設置を図るべきである。コミュニケーションで一番大事なのは、顔と顔を合わせて、或いは酒やお茶を飲みながらのコミュニケーション、つまり実際の触れ合いが基本となる。
・イベントと表裏一体
コミュニケーションが集中的に行われるのは、交流拠点で催される学習講座、セミナー、研修会、交流会、その他のイベントにおいてであり、交流拠点とイベントの開催は表裏一体の関係にある。
・交流拠点は複数必要
○情報・交流拠点は、地域毎に複数必要である。水源地域にも必要だし、中流域についても、下流部にも必要である。
○サロン的雰囲気の必要性
情報拠点には、なんとなくそこがたまり場になるという雰囲気の空間が必要であると考えられる。サロン的な雰囲気がかもし出されると、普段の枠組みにとらわれない議論があったりして、そういう自由な議論の中から良い知恵が浮かんでくるものである。
4.ハイコミュニケーションシステムのイメージ その4 イベント
○集中的にコミュニケーションが行われる機会としてのイベント
イベントはその準備の過程を含めて市民、自治体、民間、河川管理者の間で集中的にコミュニケーションが行われる機会であり、情報交換と新たな人間関係が集中的に作られることから、川づくりを進めていく上で大切なしかけの一つである。
○ムーブメントを与えるものとしてのイベント
イベントは、河川への市民の想いをかき立て、河川をよくするために自分も何かをしたいと感じさせるようなムーブメント(動機)を与えるようなものが望ましい。それを流域でどう作り出すか、それがこれからの課題だ。又、そういうムーブメントが住民から出てきたとき、それを丁寧にフォローできるシステムを用意しておかないと、せっかくの良いイベントも一過性の行事に終わってしまう。
○イベントの運営は市民団体が担う
行政が直営でイベントを行うということは、特例的に行われるということで、常態化は不必要であると考えられる。常態的には、イベントの運営は市民団体が担うのが原則であると考えられる。イベントの運営について市民団体が担うということに関しては、欧米諸国に学ぶべき点が誠に多い。
□インターネットの6つの特性
《 資料1 インターネットの6つの特性
インターネットはテレビやラジオ、電話といったメディア(情報媒体)の一つとして捉えらることができるが、そのメディアとしての主な特性は、即時性、双方向性、広域性、不断性、選択性、ビジュアル性である。
@ 即時性
インターネットを通して発信される情報はサーバーとなるコンピュータ(の記憶装置)に置かれているが、その情報の更新は端末となるコンピュータから容易に行える。そのため、常に最新の情報を発信することが可能である。
A 双方向性
インターネット電話の実用化にも見られるように、現在インターネットによるコミュニケーションではほぼ通常の電話並みの双方向性機能・能力を持つようになってきた。インターネットにおけるコミュニケーションは電話と違い通常多対一であるためその特性は制限されてしまうものの、インターネットの双方向性機能は、従来の双方向コミュニケーションの手段である郵便や電話に代わるものとして今後その利用が期待されている。
B 広域性
インターネットは地球規模のコンピュータ・コミュニケーション・ネットワークであるため、サーバーから発信される情報は通常の電話回線あるいは専用回線を介して世界中どこからでも受信することができる。
C 不断性
インターネットではサーバーが正常に稼動している限り終日情報を発信・受信し続けることができる。現在、多くのメディアが24時間利用可能になってきているが、インターネットの場合、この不断性があることによってはじめて、前述の即時性、双方向性、広域性が活かされることになる。すなわち、24時間稼動していることによって、いつでも、どこからでも(時差のある地域からでも)情報の遣り取りが可能となるのである。
D 選択性
インターネットの場合、テレビやラジオなどのマスメディアとは違い、情報利用者は情報提供者から発信される情報を選択した上で受信することができる。この特性はインターネットが双方向性コミュニケーション機能をもつことで可能となり、情報利用者は必要な情報をリクエストするかたちで情報提供者(サーバー)から情報を取得する。また、データーベース機能と連携することにより情報利用者からの多様なリクエストにも応えることができるようになる。
E ビジュアル性
マルチメディアパソコンやWorld Wide Web(WWW)が普及するに従い、インターネットでは文字だけではなく、画像や音声、さらには動画なども利用することができるようになった。現在のところ、回線やコンピュータの性能によって情報量が多い音声や動画などの送受信は制限されてしまうが、近い将来テレビ並みの画像と音声情報がインターネットを通して送受信できるといわれている。
これら6つの特性からわかるように、インターネットはテレビ、ラジオ、出版、郵便、電話など既存のメディアのさまざまな利点を兼ね備えた新たなコミュニケーション手段として位置づけることができる。》
・その地域固有の文化や自然・風土の利点に係わる情報を、全国および全世界に幅広く発信することで、地域外に向けては地域のPRを促進するとともに、地域内においては住民の地域アイデンティティを高める。
・インターネットを通して地域に関する情報を効率的かつ体系的に発信するため、地域情報の集積・発信基地として「ふるさとWebステーション」を各地域について開設する(構成図参照)。さらに、それらの地域のWebステーションを統括する「日本ふるさとWeb」を開設し、それを中核として全国規模で地域の「ふるさとWebステーション」を拡大していく。
・公共機関が開設している同様のインターネット・ホームページについては、これとのアクセスを可能とし、公共活動の後援に努める。 」
○愛着のわく街作り
・行政と市民の一体化…組織という束になれば、行政も動かせるのではないか。
・義務感ではなく楽しんでボランティア活動を自分の生活にとりいれられる雰囲気ができればいい
・「仮住まい的に暮らしていることや単なる楽しむだけや自分を磨くだけの趣味的なサークル活動では、空間的に住みやすい地域をつくるための行政と住民との結びつきは生まれにくい《←? だからといって趣味のサークルを否定的に見るのは単純にすぎるのである。例えばそれらを統合しているセンターがあり、横の交流・地域でのイベントなどが行われたり、一致して行政にも働きかけていくなどがあれば、もうすでに行政や地域とつながっているではないか。》ので、あらゆる面での快適な生活環境が整わないのである。」
・最近、コミニティの回帰現象ともいえる実態が見受けられる。その理由に現代の管理社会に対して期待をもてず、このような体制の社会に疑問や不安を感じ気づき始めた人々が、地域の社会運動に携わったり趣味として地域のサークルにはいったり、また、ボランティア活動に積極的に参加し、会社から解放され上下関係など気にせず仲間たちと一丸となって何かをやり遂げることで、真の人の人とのふれあいをすることによって、人間性の回復を得ようとしているのではないかと考えられる。人々は、職場や学校や家庭内において単なる義務感で働いたり家族と接するそういったうわべだけのつきあいには、もう耐えられなくきている。利益を求めるものではなく、本音で仲良くつきあえる人付き合いを求めているのだ。だから、しぜんと人が集まってコミュニティーが復活しているのではないだろうか。
しかし、活動内容を重視してはじめたわけではなく、とりあえずみんなで何かできればよく、ある意味社会のかけ込み寺的要素が強く《← これらの人たちも含めて作っていくのである》問題意識から出発して活動を始めたとは言いきれないのである。管理社会等の社会背景を軸にこういう現象が起きている。
はっきりとしたカラーのない地域に属しているため、帰属意識がもてないのである。だから、人々は皆、割り切って利便性のみを求めてしまうのではないだろうか。人も急激に増え時代の気分で開発中心の世となったが、こういった人々の気持ちには、不安定なアイデンティティが精神構造の根底にあるからだと考えられる。
そこで、住民の意識の変化が最大のポイントである。まず、松戸市が住みよい心にゆとりをもてる住環境や施設・設備の整ったまちであれば、自然と住民は帰属意識がもて愛着がわいてくるだろう。
しかし、財政的にも計画的にも今すぐ住みよいまちをつくってというのは無理である。私は、行政任せではなく住民参加型のまちづくりをめざしたい。なぜならば、自分たちが意見をのべたりなんらかの関与をして、「私たちのまち」と呼べる地域社会を形成できればよいのではないだろうか。自分たちでつくった手作りのまちであれば、きっと納得して大切にしてくらしていけるのではないだろうか。また、与えられたまちではなく、私たちでつくった思い入れのあるまちなら愛着もわき、例えば、ポイ捨てをしたり川を汚したり等徐々にしなくなり、社会の常識的なルールが守れる雰囲気ができてくるのではないか。そう望んでいる。では、上記のようになるための具体案として、まず、住民が発言するには個人ではなく、まとまったグループになっている方が有利である。そこで、コミュニティやサークル、ボランティア等の団体が多く存在することが重要である。
・行政も積極的に意見を求めたり、広報・PR活動を盛んにしてほしい。私たちは情報提供が少ないと感じている。開かれたまちをアピールし情報提供をして松戸市を知ってもらうことで、意見もいいやすく、その上いろいろな情報を得ることで地域活動やサークル活動にもっと参加者が増え、住民参加型の地域活性化がはかれるのではないだろうか。住民と行政の一体化や地域活動を通じたコミュニティの復活によって、自分たちの住むまちに愛着がわき、その愛着がまちや人々の関係をよりよいものにする力をもっていると私は信じている。《←コレはweの活動の重要な意義の一つ》
・最後に、私たちに必要なのは人と人とのふれあいである。また、本音で語りあえる仲間や相手がいることが、混沌とした現代社会を生きつづけることにとって重要であると痛感している。
4.組織構成
○大人と子どものサークル活動のネットワーク
@まず大人自身が、自分の生活を豊かにしていくことが大切
Aしかし子どもの「地域の受け皿作り」の形成も必要
@を追求していく中でAも可能な範囲で取り組むべきか、それとも、Aを先に形成していく中で@も追求していくべきか。たぶん、 両方の部−大人の部・子どもの部−を同時に形成していくことがベストのはず。
・スポーツの部−大人くらぶ・子どもくらぶ またはスポーツくらぶとトロプスくらぶ
文化活動の部−大人くらぶ・子どもくらぶ *ボランティア活動も含む
*市民大学的講座(通年)なども
[・個人会員制
案a)会費−ネットワーク会への入会とし、会の中の各サークルを個人に紹介する。
*半期会費大人2千円・子ども600円など
*在籍だけで実際にどこのサークルに入っていなくてもネットワーク会費は出してもらう
*それとは別に各サークルでの経費は毎月などごとに実費として個人で負担
・サークルの連合体としてでなく個人参加の会とすることで、各個人が大事にできるし、ネットワークとしての横の交流・つながりと全体のまとまりや統一性が保てる。] ※しかし当然、ネットワーク会の各個人と各会の運営に対する責任−全体の運営責任はそれだけ増す=ネットワーク会の専従的メンバーのしっかりした関わりが求められる
案b)個人のネットワーク加盟各会への会費の中から一定額をネットワーク会に「上納」してもらう
※額は原則一律 プラス個別配慮 ※※各会費の中に予め「上納」分を組み込んでいてもらう
個人は当然個々のサークルで活動することがほとんどとなる。したがって各人にとってはサークル中心であることは明らか。だから会費を取るには、各サークルから登録費or団体としての会費として徴収する(=個々の会員からの間接的徴収)か、スポンサー・企業などからの援助金をもらうようにするか(=案c))、等々である(しかし資金集めで汲々としていては話にならない)
が、いずれにしろ運営主体の組織と個人の財政的安定はスムーズな活動を継続していく上では不可欠。お金のことで汲々としていてはダメということ。
○meらは活動専従として=職業としてやっていかねば、全国展開などの活動はおよそ無理
*運動と活動者全体はボランティア、meら一部のものは職業者
・a.ネットワークの専従メンバーとb.各サークルの責任者(一人または複数)メンバーにはある程度の手当てが必要(一律的な時間給でよい/ただしbは各サークルの活動時間外中心に計算=自らサークル活動に参加する時間はたとえ指導的関わりであっても他の一般メンバーと同じ立場で考える *TVでも「子守時給650円、うちセンターへ100円。『安いですからボランティア精神がないとできません。』との主宰者のコメント」)
・年1、2回などの全体イベントで全体性を保ち、横の交流を促す
■参考
・個性の原理--種類別・地域別で
「 奥会津各地域がそれぞれの個性をもち、それを子孫に伝えるのは、住民の誇りの根源であり、地域文化の発展や新たな創造に重要なことである。特に、地域特有の伝統文化、生活文化の振興には、高齢者の積極的な参加を促しながら、子供達の郷土愛と生きがいを育てることが必要である。
(地域の個性化をめざし)
高度経済成長の時代には、ライフスタイルの画一化が進んだ。その結果、それまで存在していた「風土に根ざした」暮らし方が急速に消滅し、人は「どこで暮らしていても同一のライフスタイルで暮らす」ことを追求してきた。行政の側も、そうした人々の要求に応えるべく環境整備に努力してきた。かくして、日本全国どこに行っても、同じ暮らし方が見られるようになった。
だが、一九八〇年代以降、価値観とライフスタイルの多様化が進んできた。このような傾向に応じるように、地域の多様化が進んでいる。そして今、消えてしまった「風土に根ざした」暮らし方が再評価されつつある。こうした意味で、現在、画一的な地域イメージから多様な地域イメージが作り出される段階にさしかかっていると考えられる。この過程においては、地域の個性が重要となる。今まで「格差」と見えてきたものは「個性差」と考えるべきなのである。多くの地域で、再生、活性化の方策として住んでよし、訪ねてよしの町づくりが目指されている。
地域イメージづくりとは、地域のプラスの個性を発見し、それを利用してゆくプロセスである。「地域イメージづくり」とは、自分の地域の「隠れたよさ」の発掘であり、地域の個性の発見である。これは、地域の自然環境に「イメージ」を与え、地域住民のアイデンティティを確立することである。
…いま・ここに自分があることへの自分自身による検証の必要性も強まったことを意味している。「他の地域ではなく、なぜ、ここで暮らすのか」を自分自身に対しても誇りを持って説明ができることが求められるようになった。
・T.農村部(地方)と都市部との積極的交流
自然からの贈り物、それは厳しさと温かさである。現在の子供たちは、自然の貴重さ、大切さを理解しているとはいえない。そこで、子供たちに、自然の素材を用いたものづくりや、郷土料理、山仕事や年中行事を通して《←いい》、山村で生きるための知恵、地域にある文化の素晴らしさを感じてもらうことが大切である。例えば、私は子供の頃体が弱く、よく病気になっていた。病気のたびに、祖母や母は郊外(山奥)へ薬草を取りに行き、私のために特製のスープをつくってくれた。そのおかげで、私は今でも元気でいる。
このような自然の素晴らしさに着目し、優れた自然と、その自然環境の中で歴史的に作りあげられてきた自然と人間との関わり、すなわち「自然環境文化」を手がかりとして、自然保護とくらしの豊かさをあわせて実現することが求められる。
地域間格差の是正、過疎地域の住民の生活基盤の整備充実に対する配慮は、今日でも重要な政策課題である。しかしそれとともに豊かで広い自然環境の中で真にゆとりある多様な生活を楽しみたいと、各国の希求はますます高まるであろうから、それを実現する場としての過疎地域への期待は大きい。
そのため、過疎地域の生活条件の整備は、単に地域住民のためばかりでなく、都市地域に居住する人々にとっても、新しいライフスタイルを確立する上で必要なことである。《←ネットワークでも、単なる地域の活動のつながりでなく、都市部住民と農山村部住民との交流活動-体験的文化交流みたいなものも扱ってもよい=独自の(新たな)活動分野の開拓・展開である》その意味で、過疎地域を新たな生活空間として整え、地域利用の多様性とバランスを維持しつつ、人々の健全で安定した社会を創造するよう、その実現に努めなければならない。それによって情報化等新しい社会資本の整備も進み、様々な産業も誘発されて地域経済の自立への可能性も高まる。今や地域自立への新たな挑戦をすべき時が来ている。
・活動・サークルに関する情報案内の充実が鍵
都市地域住民を受け入れていく上で、相談窓口の設置やワーキングホリデー等、一時滞在による地域での生活を体験する仕組みの充実を図り、希望者にとって最初の情報案内をするような機能を、地域単位で整備する《←A活動についての情報案内は、@活動自体ともに大事》ことも、一つの方向として考えられてよい。さらに、国際的な子供のホ-ムステイに交流機会を設ける等ソフト面の工夫を充実させることも有効である《←勿論?国際的展開もした方がよい》。
(奥会津子供のホ-ムステイ)
過疎地域の住民、とりわけ若い世代が都会に憧れ、都会の魅力を味わおうとするニーズをもつことは自然なことである。逆に、都市の住民は老若男女を問わず豊かな自然や落ち着いた生活に憧れることも少なからずあり、過疎地域においても、気軽に滞在・居住できるような魅力づくりと受け入れ態勢を整えることが肝心である。
インターネットで奥会津の資料を探しているとき、金山町のホームページに以下のような文章を見つけた。「『エー、ここ何もない』『お父さんの田舎にきたみたい』『空気がすっごくおいしい』バスに揺られて8時間あまり、夕闇近い金山に来て、生徒の口から出た言葉です。只見川の雄大な流れ、ゆっくりとした時の流れの中で見つけた心と心のふれあい、『何もない』金山で学んだことを、大切にしていきたいと思っています。」金山町だけではなく、都会の子供にとっての奥会津とは、「何もない」心と心をふれあいことができる場所である。都会の子供と奥会津の子供がホームステイで交流すれば、自分の町の良さがわかってくると思う。既に、都市地域の小学生等を一定期間過疎地域に受け入れ、良好な自然環境のもとで心身の健全性を回復するとともに、過疎地
(親の故郷を訪ねるコース)
「親の故郷を訪ねるコース」を奥会津から都会へ出ていった人、故郷を持たない人を対象に展開することを提案したい。また、親だけではなく、祖父母、先生知人の田舎故郷を訪ねることも考えられる。このようなコースは、ただ故郷の自然や風景を紹介するだけではなく、親あるいは祖父母がどうやって自然を守って暮らしてきたかを人々が知る場ともなり得る。これが大切なことであろう。
域の子供達にも多様な刺激を与えることを目的とする、いわゆる「子供のホ-ムステイ」等の試みを行い、成果をあげている地域も見られる。
過疎地のシンボルを生かし、交流人口の増大による観光などの産業を振興すると同時に、「地域のアイデンティティ」や「地域の誇り」を高め定住を促進することが必要である。過疎地域ではさまざまな活性化の試みが真剣に行われている。奥会津の活性化の進行状況を調査し、過疎地の活性化の動きに都市がいかなる役割を果たしうるのかを検討するのが、本研究の目的である。
過疎地域の活性化にはその地域の内発的な発展の取り組みが求められる。この点に関連して、「地域イメージを梃子とする地域の活性化戦略」を提唱した。こうした活性化戦略では、過疎地域の側から高齢化をどう活用するか、過疎化という条件をどう有利に利用するかが検討されなければならない。
以上の結果をふまえれば、過疎地域の活性化には、【高齢化】そのものを生かして、高齢化と過疎地域との新たな関係性の構築が必要であることが明示されよう。
・熟年者の参加の意義は大--熟年者と子・若い世代との積極的交流
さらに、都市と過疎地域が機能的にも相互に補完し合い、交流を深めていくことが不可欠である。とりわけ、自然環境保全整備の問題は、多くの過疎地域が各国の中で果たすべき極めて重要な役割であることから、過疎対策としても、地域の美しい環境の保全や景観の維持・創生に努めることが重要である。こうした地域整備は、地域住民のみならず広く国民一般にもその恩恵が及ぶと考えられるので、必要に応じて都市とも連携しつつ、施策を推進することが求められる《←本当にこうした自治体同士の横のつながり・広域行政が必要なのに現状は寒すぎる》。
(町の高齢者のいる家庭での家族の味)
一方、奥会津の山村の多くでは、高齢者達が生きがいをもって自立的な生活を営み社会的活動に参加している例も少なくない。高齢者がいる家庭では、伝統的な家制度の家族の味は十分に発揮することができる。これからは過疎地域の新しい役割として、子供から高齢者まで多彩な人々がその経験を生かして活躍できる場と機会を豊富に創出する工夫を重ね、高齢者からの知恵の継承を支援することが重要となる。それは地域の自立を実現するために不可欠であるばかりでなく、今後ますます貴重になると思われる高齢者の生きがいづくりの観点からも極めて重要な意味をもつものである。
(遊べる、学べる、自然の王国)
新たな挑戦は地域の問題点から引き出すことができる。すなわち、奥会津の文化などの伝承には、お年寄りの知恵を生かすべきと考えられるが、現在はお年寄りと子供がふれあえる場が少ない。そこで、子供がおじいちゃんやおばあちゃんと話をする機会・場をつくるとともに、奥会津各地域の子供たちが交流できる活動を行うことが求められる。さらに、外から子供達にも奥会津を認識する機会を作ることなども有効となろう。以下は、そのような視点からの提言である。
・イベントの積極的活用・意義付け
(雪の子供祭)
奥会津には厳しい冬が一年の中で三分の一を占めている。大自然から与えられて来たものは、厳寒というだけではなくて、精一杯生きている暖かさもある。縄文時代から自然と向き合って生きてきた歴史を背景に、我々南国の人間には想像できないくらい神秘的な生活の知恵がたくさんある。これが最も実感されるのが、雪の世界である。降り積もった雪から伝わる喜びや涙から、生きていてよかったと思える。
このような視点から、山村の人々から子供に対する成長の祈りと神に感謝の気持ちでの祭を作ることを提案したい。これにより、雪国のメッセージ、山村のもてなしのまごころが、再確認・発信されるのではないだろうか。
《←こういうスタンスでの統一イベントを持つこと=意識的なイベントの位置づけは大事》
■参考
・文化のくに作り-大目標として
二一世紀の成熟した社会づくりを目指して、日本が美しく風格のある国土を創るためには、機能的な地域が整備されるとともに、過疎であっても豊かな自然や多様な文化をもつ地域が、それぞれの地域の生活観に根ざした豊かな地域社会を健全に維持するとともに、新しい文化などの価値を創出して、発展《←この考えは、日本社会全般論的にも言えるのでは。物質的に贅沢はできなくても(しなくても)豊かに暮らせている生き方、である。理念としては「生活文化大国日本」である。》するための努力が重要である。
・相互に学び、成長できる組織 / 大胆な発想・戦略を持った運動作り
各地の過疎地域活性化の取組の事例など、過疎地域全体として役立つ手法の「工夫」、「知恵」、施設の有効活用法などの情報や手引きを共有できる仕組みを充実する《←このスタンスは大事-活動上の各地・各会・個別サークルの貴重な経験を共有のものとしていく仕組みを構築すること》とともに、地域の個性化・自立化へ向けた斬新な発想で、戦略的な思い切った施策に取り組む積極的な姿勢《←このスタンスも大事-これまでの常識・慣例にとらわれない発想・思想・観点から創造的に活動を創っていくこともこれからは極めて大事。》の地域に対し、重点的な支援を行うことが望ましい。 」
■参考
5.趣味的サークルの特徴とその存在意義
5.1 小集団としての趣味的サークルと規模の決定について
調査を実施したところ、「趣味的サークル」は実際に小集団であることが分かった。趣味のジャンルによっても異なるが、活動が30名を超えることは稀である。たとえ団員が50名いたとしても、実際の参加人数は20名から30名になることが多い。つまり名簿上の人数が多くても、いわゆる「幽霊団員」が多数含まれたり、低い参加率のもとで参加者が入れ替わったりして、活動人数は上述の数に落ち着くのである。今回の調査で例外となったのはテニス1団体と、器楽演奏2団体である。しかし、前者の規模は120名と趣味的サークルとしては巨大だが、集団内に公式の下位グループを形成しており、小集団の集まりとして全体が成り立っている。後者は活動上ある一定の人数を必要とし、また同時に集団内に何らかの小グループ(楽器ごと、または木管、金管など)を必然的に形成している。具体的には、器楽演奏2団体のうちの一つが62名で、もう一つが86名であった。そして前者が吹奏楽、後者がオーケストラであった。オーケストラの方が吹奏楽よりもパート数が多いことはいうまでもない。したがって、これらの団体の成員が多かったことは、必ずしも小集団としての例外と考える必要はないであろう。また、バードウォッチングの集団も名簿上の人数も非常に多かった(660名)が、実際に集団として活動している人数は先述の範囲(毎回の出席者は30名前後)《←!》に収まっていた。
趣味的サークルが小集団を形成する理由として、ここで新たに「快適人数」と「必要人数」の概念を導入する。【快適人数】とは、人が集団の中で活動していてストレスを感じない人数のことである。あまり人数が少ないと個人同士の人間関係がすべてになってしまって集団活動という感覚が得られず、逆に人数が多すぎると成員個人が匿名化され疎外感を味わったり、安定が得られず内部に派閥が発生する可能性がある。この問題を解決している見事な例が先ほどのテニスサークルである。全体としての規模は大きいが、内部を10の小グループに分割し、各グループにリーダーをおくことで集団としての統一を保っているのである。
【必要人数】とはその活動を行う上で物理的かつ現実的に必要な人数を示し、必要不可欠な規定人数とは異なる。例えば、ルール上は野球なら最低9人、バレーボールなら6人いればゲームを行うことはできる。しかし、実際に集団として趣味活動を行うためには、この人数では不可能である。趣味的サークルの活動に常に全員が集まることはあり得ないし、ゲーム中は交代要員も必要である。スポーツだけではない。音楽サークルでも、スコアにあるパートの数だけの人数で行うことは、演奏上さまざまな制約を受けるためまず考えられない。したがって、必要人数とは規定人数を若干上回った「現実的な活動に必要な人数」のことを指している。 しかし、趣味的サークルにおいて、スポーツにしても音楽の演奏にしても必要人数が規定人数を大幅に上回ることはない。それでは個人の活躍の場が減ってしまうからである。音楽の演奏でも人数が多すぎればバランス上、出番が減らされてしまうし、スポーツにいたってはまったく出番がないことも十分にあり得る。したがって、必要人数が規定人数(活動上、不可欠な最低人数)の2倍になることはほとんどなく、現実的には規定人数の2、3割増しが必要人数として安定したところである。 必要人数はその性質上、具体的な人数について言及することが可能である。しかし、快適人数について述べることは非常に難しい。文献によるとインフォーマル・グループの人数は、15から20人程度という。青井は小集団の規模について次のように述べている。「サークル活動の多様性を保持し、資金を確保するには会員数の多いほど有利なわけであるが、結束を強め、質的向上をはかるためにはやはりあまり会員数を多くしない方が望ましい。事実、名目的な会員ではなく、同時に活動に参加している人数は、どのサークルでも15、16名が限度(青井 1980 p.4)」という。また、ジンメル(Simmel 1968=1972 p.35)は「『社交』をなりたたせるには、どれだけの人びとを招待しなければならないのであろうか」という問いに対して、「われわれにもっとも親しい人間を15人ぐらい一緒に招待すれば、そのばあいはたしかに『社交』が生じるのである。たとえ個々のばあいの数の大きさが、諸要素のあいだの関係の性質と緊密さに依存していることももちろんであるにしても、つねに数は決定的なものであり続ける」と述べている。今回の調査によって結論を見出すことはできないが、男女混合の集団と同性によって構成される集団とでは快適人数が異なると思われる。
ここで指摘が必要なことは、「必要人数」と「快適人数」の適用はその集団の活動内容によって決定されることである。A. 必要人数の概念は集合的に行われる活動に適用される。つまり、野球やバレーボール、オーケストラや合唱など、ある一定の人数を必要とする趣味の活動である。一方、B. 快適人数の概念は個人的な趣味の集団に対して有効である。個人的な趣味とは将棋や社交ダンス、登山やエアロビクスなど、一人、もしくは二人いれば活動できる活動を指している。これらの集団は必要人数の影響を受けないために、集団の規模はその参加者が快適か否かによって決定される。したがって、いずれの集団も必要人数、または快適人数の影響を受けることにより、集団として安定的な規模に落ち着くものと考えられる。
■参考
資 料:
日中環境教育情報交流協会設立協議書
日本「地球環境と世界市民」国際協会と中国環境教育研究会が共同で日中環境教育情報交流協会を設立し、双方の友好的な討議によって以下の協議を達成した。
一.主旨 本交流協会は、日中両国および他の国と地域における環境教育の情報交換を主な目的とする。さらに本協会は、日中両国における環境教育のレベルを高め、人類の持続可能な発展という目標を達成し、両国の教育分野における友好的交流を推進することに貢献するために設立された。
二.原則 1. 双方の協力事項は、互いに自発的に行ない、双方が同等な利益を受けると同時に、完全に平等な原則のもとに行なわれなければならない。 2. 協力事項は、日中両国の法律、法規、および国際法令に準じる。 3. 協議を実行する過程において新たな問題・異議が出た場合は、双方の責任者によってそれらを友好的に解決すること。
三.課題 本交流協会の主な任務は以下の通りである。 1. 環境教育の情報を全面的に交換する。 2. 環境教育を課題とする研究を行なう。 3. 多方面(領域)にわたる環境教育の研究を行なう。 4. 定期的に中国と日本で環境教育に関する報告書を発表する。 5. 環境教育に関する教材および出版物を相互に編集する。 6. 環境教育を専門的に扱う人材の研修(夏の合宿を含む)を相互に行なう。 7. 双方の専門家による視察と学術交流を行なう。
四.機構 本交流協会は環境教育の情報交換を基本的な業務とする民間の学術団体である。中国側環境教育情報交流協会(中国環境教育情報研究工作委員会)は、中国教育情報研究会に属する学術交流団体である。日中環境教育情報交流協会は、日本側「地球環境と世界市民」国際協会と協力して設立された協会である。日中両国の環境教育情報交流協会は、独自に活動し、業務に関しては互いに協力し連絡し合わなければならないが、互いに内部業務に対しては一切干渉してはならない。
『地球環境と世界市民』国際協会(IAEG)設立趣意書
<協会設立の趣旨>
地球環境の問題が切実なものとなっているにもかかわらず、問題解決のための実践的な活動は活発ではない。一方で未来を担う現代人は利己的な傾向がみられ、他方でそれぞれの専門家は自分の専門分野に固執した研究や活動が多いのが現状である。しかし、地球環境問題は、一刻をあらそう事態になりつつあり、これらの問題解決のためには理論と実践および国際的情報を重視した、広い視野からの取り組みが必要である。私たちはまさに「世界市民」の立場から、これらの問題を広く深く考えなければならないといえるだろう。
<協会の目的>
本協会の目的は、“地球環境"を「自然と生命の環境」、「社会と文化の環境」、「精神と心の環境」という三つの研究会に分けこれを横軸とし、さらに、「環境倫理(理論)」、「環境教育(実践)」、「環境情報(国際情報)」という三つの部会を縦軸として織り込みながら、地球環境の問題の解決にアプローチすることである。国家の単位を越えて、一人一人が地球人としての“世界市民"であることを自覚し、地球環境の状況についての理解を深め、各人の可能な範囲での取り組みを促進をすることを目的とする。
<研究会と部会>
三つの部会を横軸に、三つの部門を縦軸にしてそれらを織り込んでいく。 a.理論部会 b.実践部会 c.情報部会
1.「自然と生命の環境」研究会 環境倫理 自然学習 環境教育 環境情報 生態観察 野外教育 自然保護
●生態系と生命の尊重
2.「社会と文化の環境」研究会 地域活動 生涯学習 環境監査
●人間関係と固有文化
3.「精神と 心 の環境」研究会 カウンセリング 自律訓練法 箱庭療法 宗教
●自己実現、倫理観の育成
<事業> 協会は、自ら考え行動する“世界市民"の意識の向上に努め、“地球環境"を改善するために必要な研究活動や実践活動を支援する。そのために全国大会・国際シンポジウムを開催し、ホームページを開設し、協会誌・ニュースレターを発行する。
<キーターム> 環境アセスメント、環境監査、環境カウンセリング、環境ISO、環境マネージメント、システム論、バイオエシックス、野外活動、フィールド活動、里山・自然保全活動、ビオトープ、田植え、生態調査、水生生物の調査、奇形ザル・パンダ・渡り鳥などの調査、自然教育、学校教育、社会教育、生涯教育、資源配分の公正性、世代間倫理、医療環境、食品問題、食と農、公害、市民活動、NGO、NPO、ランド・スケープ、サウンド・スケープ、生命倫理、自己組織性、複雑系、成熟社会、民族と国家、先住民、文明と文化、伝統文化、経済活動、公開講座、心身論、エコ・サイコロジー、人生観と世界観、魂の安らぎと癒し、世代間倫理、宗教、シンポジウム、ワークショップ、国際会議、インターネット、国際交流、平和と共生、など。
<会員と年会費> ○会員は、運営委員会で承認された者とする。 ○会員は一定の年会費を負担し、会費には協会誌代、通信費等が含まれる。
・
5.運動作り
◎インターネットでサークルの“紹介所”を開設し、紹介してほしいサークル・クラブを募る(*インターネット以外にも直接働きかけて募る)。また、作ってほしい(あってほしい)サークルの希望を個人向けに募るとともに、存在するサークルから「ここにあるよ。」という返信を受け付け、また、新規に作りたいサークルとその参加希望者をどんどん募っていき、新規のサークルもどんどん創設し増やしていく。
=インターネットを導入部分とした、(大人・子どもの)文化サークル活動の全国組織ネットワーク作りである。
・HPに横断的で個別的なサークル・イベント紹介の場を開く
・市内のサークル活動・団体を調べる ・最初はセンター創設の集い・会報も作る
−市民サークル活動の@情報センター〜A交流センター
「HPは個別ででも間に合っているのでは。」 →全部紹介するコーナー
「横のつながり必要か。」「横のつながり難しいのでは。」 →個別は個別として必要だし増やすべき。そのうえでそれらの紹介をする情報センターも要るということ。そしてできれば合同的企画(「文化祭」みたいなもの)で互いに刺激し合うこともあった方がよい
「○「経済の言葉でなく、文化の言葉で語らなければならないということ」 「文化による市民運動づくりやが結果として地域の振興・経済発展も導いてきた」(岡崎市)
○「男の言葉でなく女の言葉で運動を語ることも必要 」〜 【女性】の言葉・論理の方が市民性とフレッシュさがある
○「マスツーリズムではなくオルタナティヴツーリズムの視点で考えなくてはいけません。これは1980年代初頭にグレーマン博士というアメリカの観光学の研究家がその論文の中で使った言葉で、選択の余地のあるもう一つの旅行とも訳します」《←〜現代はやはりオルタナティブの時代。個人の志向・生活に合わせた種類・形態が選べる形の多様性をもたせた会・組織とする》
○「ここで出てくるのが、リゾート(滞在型の心の豊かさを感じるような旅行)、エコ(エコツーリズム、環境の大切さを旅行を通じて知ろうとすること)、ヘリテッジ(辺境地とか農村、田舎を楽しむ)がオルタナティヴツーリズムの対象となるのです。」《←こうした体系化・分類は大事。「〜を楽しむ」などの形でコンセプトを明示したい。》
○なんでも東京発信でなくてよいというか、文化は地方からが明らかに良いのである。
○「それに、名古屋大学を見るかぎり、大学が名古屋の文化に大きく貢献しているとも思えない。」〜【大学人】は文化の活動にもっと貢献・努力すべきなのである(勿論「大学人の中には人との交流が苦手な人もいるが」という点もあるが)
○「お供が猿と犬と雉であった意味は、猿はすばしっこくて人まね上手で、情報を巧みに集め伝える事が出来るアンテナショップ的な動きが出来る。犬は同じ様な動物では猪では猪突猛進で前しか見えない、猫は縁側で昼寝をしてしまう、機動力を持った犬が良いと言う訳です。しかし犬猿の中と言われるように仲が悪い訳ですが最初は仲が悪くても個性を認め合って協力し成功に導く訳です。雉は飛ぶ事が出来て高い所から物事を見られる。ではカラスやツバメではなぜだめかというと、黒一色で個性が無い。雉は羽根の色がそれぞれ違って判別しやすく個性がある。
そして彼らは何で動いたかというときび団子というローコストで小さな物でしたが、そのきび団子は大工場で大量生産されたものではなく、おばあちゃんの手作りだったという訳です。」《←組織・活動論として参考にすべき。》 」
○市民活動での市民の声
・文化センターには、運営全体がみられる専門家が必要。
・事業の前に人やお金を考えるべき。
・幅広い事業を行うにはお金がかかりすぎる。絞り込んで事業を考えるべき。
・プレ事業としていろいろな事業を行うことで、行うべき事業が見えてくるのではないか。
・ボランティアといえども責任があり、自分の時間を犠牲にしている。少なくても報酬を考える必要があるのでは。
・市民参加組織がいろいろできた場合、指示系統が明確になるようにしないと連携がとれない。
○情報発信について
・各戸配布の広報と一緒に配布したのが良かった
・「すきっぷ」は、地味で真面目でした。難しいですが遊び心の編集も必要でした。、
・チラシ配布はあまり効果的でないことがわかった。やはり口コミが一番。
・公民館祭等でネットワークづくりの呼びかけが必要。
・市の広報に常時文化センターの情報を載せることができると良い。
○・何をやるにも下準備が大切。自分のやりたい事をしっかり計画して実現することが大事。
・いろいろと参加していくうちに、自分ができる事をなるべく楽しく無理せずにやることが大切だと感じた。
・@制作を楽しむゆとりに、A責任をもつ厳しさを合せて続けていきたい。《←@Aの両方が必要》
・短時間でアンケート調査したため不十分であったと反省している。調査を依頼しても断る方もあり残念だった。《←「アンケート」の形で活動について市民に知らせることも可-スタート前orあとでも。》
・ある程度の手ごたえを感じた。国民文化祭では、可児の行事に多くの市民ボランティアが参加してもらうことができた。希望が持てた。
・代表者に時間と出費の負担がかかるため、グループ活動を続けることが困難な時代である。
・月一回の研究会では不十分であった。開催日が土日となり、出席者に偏りが出たと思う。
・事務局への負担が多すぎた。
・議論では、意見の言い合いになることが多かったのが残念。各会議に議事録作成者を作り 最後に参加者から同意を得ておくと良いと思う。
「市民活動サポートセンターは、福祉、社会教育、まちづくり、文化、環境、国際、災害救援など、あらゆる分野の市民活動をサポートする施設です。 活動のための打ち合わせや作業、情報収集・情報発信、他団体との交流の場としてご利用ください。
機能 交流促進支援 市民活動をしている人や、市民活動を始めたい人に交流の場を提供します。 交流イベントなどにより市民活動のネットワーク化を促進します。
活動支援 打ち合わせやチラシ作成、事務用品の保管など、事務的活動の場を提供します。 ロッカー、レターケース、印刷関連機器、会議スペースなどを用意しています。 相談コーナーでは市民活動に関するさまざまな相談におこたえします。…」
・「多くの課題を抱えているということは、その一つづつを解決するための夢の数が多いということであり、私は、問題意識は厳しく、発想は楽天的にと考えている。」
あまりこせこせしたテーマより、まずは大つかみに括ってとらえ、その実現のためには、老若男女、官民からなる「まちづくりプロジェクト」で論じ合い、その上で専門家の設計や投資効果の計算で検証し、計画を具体化していくという開かれたプロセスも大事であろう。
・"地球社会の時代" の到来という時代認識の根底にあるのは、われわれは全地球的な "相互依存の時代" に生きているという認識である。 …ここでも、大平の先見性は、注目に値する。…
5'段取り
@まず自分で1思想2運動の骨子と3メンバーについて考察
活動に対するある程度の絵(ビジョン)とポイントや結節環(進展の分かれ目など)となる論点・思想については予め描いていた方がよい。
A〈ホームページを開く前に〉構想と理念について、しかるべき人達とともに話し合いを重ねる
・候補者リスト--……
**とりあえずの中心的メンバー(世話人=「コーディネーター」などの名称)はこちらで決めていく=政党・主義が偏らぬように留意する
・決めるべきこと−会・運動の理念/組織構成/「会則」みたいの/会の名称/財政/実際のweの作業/weの心得//
○いきなり市民サークル活動のネットワーク作りに関する学習会みたいなのを催し物として打ち出して集まる人・関心のある人らで、学習会か検討会を積み重ねていってもよい。
B〈ホームページを開設〉インターネット上の活動スタート
□運動の展開のシュミレーションを作ってみる インターネットでの活動と並行して、実際のサークルの「連合」と「事務局」を作らねばならないし、多分当面の最大のポイントは初期の時期に中心的に動けるメンバーの「人選」である。 ・最初はネットワークを作る呼びかけから ・Iさんら〜急速に拡大図る(「集い」の打ち出しなども含めて) ・ホームページが載る = 呼びかけと団体(+イベント)紹介が始まる =問い合わせと団体の参加が始まる
*スタート時点で、紹介する団体も母体としていくつかないと新たな団体が集まりにくい
*イベントは一過性のもの的だが団体は継続性ある=より重視すべきもの
・スタート前時点にでも「子ども活動に携わっている人達の意見交換会」や「大人の文化サークルとスポーツ活動の横の連携を図るパネルディスカッション」などを企画したり。 ・スタート後には「交流イベント」を定期的に開催したり。
・マスコミも最大限に活用
・【配慮すべき点】
・△県的な一国一城的性質に考慮した組織体制
個々のサークルの独立性 あるいは各地域の独立的性格維持
*事故の責任も個々+αで
・政治性・思想性はあまり出さないが実際的要求・交渉はどしどし ・スタートの仕方・段取り--インターネットの時代である ココからスタートしてよい ※全国展開から考えてもいいくらい
・まず△県から実際の活動を作り出していくこと −A
・インターネットで全国展開を可能なレベル・形から進める −B
※インターネットについて--これ関係の人間は最初はあてにならないだろうが、しかし、彼ら・彼女らもまちがいなく、一番深い所では、より本物を求めている。そこを引きつけられるだけの力量と才覚。
*すでに活動している団体・個人/新たな組織構成・創設 ?
・市内・県内のサークル・諸活動を調べる @ホームページを載せている会A公共施設を利用して活動している団体・活動*大人、子ども、高齢者、…
*【行政とは】タイアップできるはず(センターの場所提供・情報提供・PR・資金支援・意見交換・施設利用面での便宜)
*行政や財団からの補助は最大限受ける-・エンゼル基金・人づくり基金にmeで申請 ・行政から市民サークル活動についての情報は得られないか ・行政からセンター的場所は都合つけられないか
[市の助成金の申請についての考察]・meが想定している、サークル活動そのものというより、デスクワーク+会合中心の=主要にはネットワーク活動は、行政の御家芸的な、少なくとも可能な取り組み範囲なのである。 最初は自力で実績を作って、しかる後に財政的・運営上の支援を求めた方がベターなのでは? ○発想を転じて、今や市民活動と行政は一体的な取り組みをすべき時代と考えてみる。・公務員+ボランティアによる活動である ・発案・運営・諸活動の基本活動において、行政が関わるということ ・少なくとも全県・全国・国際的展開は、逆に難しくなるのではないか それよりは民間として自由に展開しやすいような性質の団体-NGOにしておいた方がよい ・財政面だけでもこちらが活用できるならその方が楽だし、運営でも+面ある。 ・参加してくる個人・団体からすれば、行政が関わっていると@安心できるA逆に堅苦しくなり参加しにくくなる。 両立しにくいとしたら、どちらが大事か。○パソコン上の組織だけでなく、実体のある団体の連合なのである。 それでもアイディアの盗用の危険性もあるが、有用性と展開拡大の可能性もある。どちらを重くみるか。
→第T段階として、事実・活動をまず作る 第U段階として行政の支援も得る でよいはず =今春meがスタート 来年から援助・共同も追求
○行政とのタイアップと支援の取り付け ・まずは「エンゼル基金」や「街作り…」などの基金の活用から。 すでに調べたことから、行政は市民活動作りそのものには手を出しにくいし、また出したがらないということが分かっている。彼らがやるのは実際のところ、市民活動のサポートだけだ。me、weが運動を創っていき、彼らがサポートするの関係。∴どんどん働きかけどんどん積極的・前例作りとして、タイアップした活動を作っていくべし。→基金を尋ね、申請する。
★心構え
「その葛藤・せめぎ合いの中からしか多分満足することは生まれてこない。 ありのままの現実主体-それは子どもでありme自身-から出発し、ここから互いのレベルアップを目指す、ということ。そこにおいてこそ、@信頼・確信・愛情が必要なのであり、そしてA具体的技術・工夫が求められるのだ。
この世に聖人・君子など存在しない。ありのままの欠陥人間から出発するのだ。ともに苦しみつつ進んでいくのだ。そこにこそ喜びを感じられる本物の主体・豊かな人間たれ。
※このスタンスは、サークルネットワークの運動作りにおいても決定的な点となる。ちなみに、この点は、これまでのmeの活動の最大的教訓点ではないか。それさえ確認せずに新たな活動を始めようとしていたのか?!→これらをもう一度きちんと総括し直すこと。 」
☆計画的に段階的な実現を目指すのか、準備後いきなり組織の旗揚げか?
☆維持・拡大・向上していくうえでのポイント(思想・システム上の)は?
*関わるメンバーの人物・人格が大事、という点は学校創りの会の教訓化 その点、特にme自身の人格が最大のポイントとなってくるのである
*行動的・やり手・論の立つ人のメンバーも勿論要るが、主に人格中心の考慮をすること!
☆地域密着(地域請負制)+拠点・中央? *町内会・子ども会・PTAなどに働きかける?
☆現在のインターネット上では、とりあえずはどういう形態で掲載可能なのか? そして将来的にはどのような形態が可能か?
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6.その他
・ほとんど崩壊している地域コミュニティに代わる、というよりその再生への一つの道筋としての地域市民サークルコミュニティネットワーク作り。
ゆくゆくは「校区」ごとにサークルセンターを設け、地域に密着した、日常生活空間次元での活動を考えているのである。
地域の住民すべてが会員となることを目指す。これは途方もない話のようだけど、そうしなければ地域は変わらない。
そして、そのような活動は、ウルトラマンが出てきてパッと変えてはくれないのであり、文化とは継続の中から生まれるものでもあり、weが着実に、一歩一歩やらなければいけない。
・思想と実践、理論と運動は活動発展の車の両輪。
「文化講演会」などを継続的に開催し、文化とは、文化的に豊かな生活とは、地域社会について、…等を運動者も学んでいくことが、長い目で見れば近道。
*知識人と大衆との結合
・組織というものは、形式的になったり枠をはめることにならないような努力をしつつ、形そのものは厳密であった方がよい。
1.決定機関と執行機関をキチンと確立する/両者は離した方がよい
・決定機関−総会(最高決定機関/全体の決定機関)と委員会(各支部の決定機関/支部の総会−半年に一度みたいの?/非常駐的?)
・展望・計画・立案・執行機関−運営委員会(各支部や各下部組織の月例ミーティングみたいの?/常駐的?/事務局と運営委員で構成されているとのこと)
2.事務局=実務部門が必要
※経費関係の実務だけでも煩雑となってくる
・事務所=「みんなが集える場所があるということがとにかく重要」とのこと
※電話も必要とのこと 「電話がなければ話にならない」とのこと/「初めが大事です。事務所や人をキチンとすることで確かにお金はかかりましたが、その後の発展にとって不可欠な先行投資的なものでした。…かといってそれがどんな会でもそうだとは言い切れませんが。」
・「子ども劇場は苦しいと思えば苦しいし、楽しいと思えば楽しいような運動であるといえます。」(p65)
・例会やイベントが形骸化・マンネリ化せぬよう、ほとんど義務的にのみやっているようにならぬよう、「何のためにそれをやるのか」をいつもよく考えてみる、時には柔軟に運営していく
・財政−ガラス張りが最も大事
・財政がしっかりしていない組織は信用を受けない
・基金を募ることも
・第1回準備会チラシから、各サークルのイベント案内を掲載し、以後継続する
・「大風呂敷を広げて楽しそうにやっていたら出来そうな気がして、その気でやると本当に出来ちゃったりすることがあります。」
・会費や活動者の活動費(手当)の問題(必要性や出せる額)については、中心にいる人たちだけで決めないで全体で議論していけば自ずと決まってくる。
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■活動を始めた動機
・これまで接してきた、塾や不登校の子たちにとっての「地域の受け皿」・生活環境が貧しすぎる、と感じてきたのが身近な動機。子どもたちに、もっと地域クラブ(文化・スポーツ等)など、日常生活レベルでの文化的な生活の場・活動の機会を提供する、大人としての義務があると思う。
・子どもたちも夢・生きがいを失ってきている。万引きから殺人まで、少年犯罪も急増している。心の豊かさを失ってきている面があるし、幸福の実感に乏しい。大人も自殺者超大国で、生きがいのない国・国民になってしまった。もっと楽しいことや心がつながり合った仲間が増えないといけない。
私自身もっと生き生きしていたいし、みんなが生き生きできる楽しい社会を作ることが、私の夢。
・me自身、教育・不登校分野で市民活動の組織化に携わった経験もあるので、市民の文化活動のつなぎ役・コーディネーターみたいなことだったらできるかもしれないと思った。
■自分の性格面の長所(自薦)
・私心をあまり入れずに行動できる。社協で地域の高齢者に車での送り迎えなどを無償でもやっている父親譲りだろう。
・良くも悪くも、人とは誰とでもつきあえるタイプ。小さい頃から異年齢集団で育ってきたし、人間は一人一人違っているし、それがいいことだと思っている。この運動も、メンバーそれぞれが長所や得意分野を出しあって作っていきたい。
■市民運動についての考え方・スタンス
・それぞれは頑張っているんだけど、△県では特に個々バラバラの傾向が強く、受容性・開放性が弱い(閉鎖的な)部分がある。もっと協力関係を作るべき部分は提携・横のつながりを作って、足りない部分を補い合うとかして柔軟性のあるものにし、広がりのあるボランティア・文化活動にしていった方がおもしろいと思う。
・日本人はなにかと行政頼みの国民性が強い。しかし、それではこれからの高齢化時代や・経済の停滞時代には立ち行かなくなる部分が多い。もっと自分たちで社会を動かしていくという、市民中心の市民社会観が必要と思う。環境問題で言えば、スーパーには買い物袋を持参するなど、自分の身近なところから改善していくとか、ボランティア活動も、人ごとではなく何十年後かに自分自身が車いすで生活するようになったら、介助ボランティアが必要になるから、自分も今からボランティアに参加してそうした活動を広げておこう等、これから先のこともキチンと考えて、自分が暮らしやすい、そして楽しみのある地域社会にしていこうという意識と行動が必要だと思います。
■今の社会・自体をどう見るか?
第1には、経済の面での曲がり角、転換期があると思う。これまでの右肩上がりの経済成長がなくなり、年功序列や終身雇用、会社中心の生活・考え方が通用しなくなり、仕事以外での心の充実や自分自身の時間を楽しむこと、趣味を持ち、職場以外での人間関係を作ることが、生きがいある人生を送る上で大切になってくると思う。
第2に、超高齢化社会の急速な到来の中で、人々が支え合うボランティア社会を早急に構築していかないと、全て税金でまかなうようなやり方では、政府も自治体も破産し、最低限の福祉サービスや生活保障さえも受けられなくなる危険性が高い。
したがって、これから市民は、これまで行政任せだった市民生活分野について、市民自らの手で取り組み、変えていかないと、人間としてまともに暮らせない世の中にますますなっていくということだと思う。
■これからの時代、人々に何を求めるか?どういうことを期待するか?
@「人はパンのみにて生きるにあらず。」 経済活動以外の価値を見いだし、趣味的な部分を持ち、文化的なレベルを向上させ、心豊かな人間になるよう心掛けたい。
A人は孤立してはいきられない。心を許しあえる、本音で語り合える仲間・友人が要る。
Bボランティアに実際に参加すること。「与えることで与えられる。」これは「情けは人のためならず。」でもあることと、やがて自分が介助を受ける側に立ったとき、その時代に福祉ボランティアが普及していないと生きにくいものとなるという意味でもある。
そしてボランティアとは、福祉ボランティアだけではなく、環境保護ボランティアやイベントボランティア、スポーツボランティアなど、多種多様なものがあり、レベルも専門的な知識・技能が必要なものから、だれでもいつでもできるお手伝いまで、いろいろあるということを認識し、とりあえず今の自分にできるボランティア活動は何かを考え、できるところからボランティア活動をスタートさせてほしい。
私の会の活動みたいな市民活動ボランティアもひとつの分野なのであり、自分から敷居・ハードルを高くせずに、積極的に参加してきてほしい。
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□<総合型地域スポーツクラブの限界>
「総合型地域スポーツクラブ」と言っても例えば成岩では、子ども向けの体育系教室は独自にあっても、大人向けは単に個別市民スポーツ団体の寄せ集めに過ぎない。
センター直轄(直営)のスポーツサークルがないのである。
これは、個性尊重の考え方から言っても当然のことである=何でも直営にすればいいというものではないのである。
・「総合型地域スポーツクラブ」の問題・限界点
1.スポーツしかない
※文化も志向はしているようだが、実際は全国の先進的な地区でさえほとんど手つかずの状況
2.大人≒市民向けは市民サークルの緩やかなネットワークしかない−統合型(?)は成立しにくそう。
そりゃそうだ。日本舞踊とか、オーケストラとか、ボランティアとかのことは、少なくとも直営は無理−そもそもジャンルがそろわないのであり、餅は餅屋なのである。市民サークルの緩やかなネットワークしかない(それが自然な)のである。
3.ジャンルをそろえるためにも、校区や市町村単位など地域を越えた、ジャンル別のサークルも必要なのであり、それらを増やすことが不可欠なのである(いわば地域密着型の「統合型‥」だけではカバーできない部分があるのである)。
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■私が考える、会の目的・使命
市民サークルのネットワーク作りとサークル活動の交流促進・拡大に取り組む。いわば「サークルへの市民参加の窓口」であり「行政と市民サークルの間のコーディネーター」。その中で文化的なイベントなど各種行事も行うなどしつつ、市民のニーズにとってまだ不十分な分野を埋め作っていき、△県の市民文化発展に貢献する。
■私が考える、会の性格
会の性格は、市民活動ボランティアグループ。
「人の役に立つ」こと、「社会に貢献する」ことに、やりがい・喜びを感じ、楽しみを見いだす、というのが基本となる。メンバー各人の楽しみや会活動の魅力は各人で主体的に作り見いだしていき、そのトータルが会。
■私が描く、会のビジョン(将来像) *準備会が発足を目指す「会」です
多様な市民サークルとそのネットワークの形成により、市民一人一人が【もっと楽しい生活/仲間作り/人と人・心と心のつながり/生きる喜び】が得られるコミュニティ実現の会。
■私が考える、会の中期的ビジョン
・まずは出来るところから作り始め[第一段階]、町内会・子供会・老人会・公民館等地域密着型既存組織・施設も巻き込んでいきたい[第二段階の中で]。
第一段階−市民サークル中心に働きかけ、サークルのネットワークを作る。それに付随する形で、ボランティア派遣センターや合同イベント開催、ミニコミ誌発行・インターネットHP運営などに取り組む。
第二段階−サークルネットを基軸に、より広範なレベルでの参加を働きかけていき、行政とのタイアップ(*第一段階からでもよい)もし、基金からの援助も増やす、専従者設置などをしてより堅実な運営主体にしていく。
1.… 2.会(コミュニティ)を正式発足し、現在活躍中のサークル・市民団体の活動をサポートするとともに、地域に足りていないサークルやトロプス(成績第一ではない遊ぶスポーツ)部門創設なども含めた市民サークルの拡大にも取り組み(現場とインターネット両面で)、より多様な市民のニーズ(「あったらいいな。」と思うこと)にこたえる、身近で選べるサークルのネットワークコミュニティ形成を目指す。
(より専門的な部門・部会に分けたり、行政とのタイアップ、財団等からの支援の確保、他県・海外との交流…等、会の活動分野・機能の拡大・役割分担を進める)
様々なサークルとの関係も形成していき…、市民サークル紹介活動の充実の中で正規加入サークル(特典あり)を増やし、また、独自の新規サークルを増やしていき、県内市民サークルのネットワークを形成ていく。
■運動・ネットワークの実現性は?
・長期的(戦略的)にはある。市民自身が時代の中で求めるもの。伝統的な地域コミュニティが崩壊し、隣は何する人ぞという生活環境になっていて、たとえば職場だけの人間関係やインターネット上だけの交流で心が満たされると思いますか。市民サークルがもっともっと増えていくことは不可避。
しかし、現在の市民サークル活動環境は、どこにどういう会があるのかさえはっきりしないし、活動内容もいろいろなニーズに応えられるようなタイプがそろっているわけではない。やはり、ネットワークを作り市民サークルへの総合的な窓口を設ける必要がある。
■自然な成り行きに任せておけばいいのでは?
仮に自然発生性に委ねるとしたら、ネットワーク的なものの形成は10年以上は遅くなるし、この10年というものの喪失は、時代の転換期においては結構大きいと思う。また、どうせ作るとしたら、それなりの文化的な質を維持したサークル分野にしたいし、ネットワーク作りを呼びかけていく中で、積極的に文化の意義や心の充実の大切さや助け合いの精神など、いわば啓蒙活動を続けていくことで、市民自身の意識が高められ、より文化的質の高いサークル活動が展開されるようになる可能性もある。
■コミュニティ作りは地域基盤型かサークル型か?
たとえ最終的形態は同じでも、少なくとも都市部や若い世代においては、地域ごとに組織化されたコミュニティよりも、趣味的サークルの拡大=細分化による、より身近な地元への帰属意識の形成の方が、自然で現実的なのではなかろうか?
だいたい「統合型スポーツ…」なども、発想として、より広域的なものを前提としたものであり、これはいわば、スポーツ系での、サークル主導型の活動の組織化なのである。それを、スポーツに限らず、文化・ボランティア分野でも行う、というのが、どう考えても常道という気がするのだが…(「町おこし」「地域活性化プロジェクト」…というのは、どう考えても@単位エリア的に無理がある)(Aその上さらに上記のように、「より身近な地域への帰属意識」の+面の反面、「縛られ意識」という−面もあるのであり、「都市部」「若い世代(現代人)」という切り口から考えれば、「サークル主導型」の方が妥当性が高いはず。)
・結局、地域基盤型かサークル型かは、町・校区を越えて、あちこちに地域クラブがあれば、町内とか「校区合同で」などは不要になるわけで、イギリスのサッカーの地域クラブが、そんな行政単位など問題にさえならずに、あちこちにしかもいろんなレベルとタイプのサッカークラブがあるように、たくさん地域クラブができるほど、それがより地域に密着した活動になるのであって、「地域だから地域単位で組織する」といった行政的区割を基にした発想は、行政主導的発想であるだけでなく、現実的ではないのである。
勿論、「まちおこし」はそこの住民らで、地域の活性化を、町民などの単位で団結・力を合わせて取り組むという動機・目的のもので、それ自体が否定されるものではない。しかしそもそも、文化や市民生活を行政単位内だけで作っていくというのは、無理・限界がもともと備わっているのであって、経済・産業振興的観点を重視してのことならいざ知らず、文化的営みを第一に考えるのなら、やはり、行政区ベースでなく、市民サークルベースであることが自然であり、かつ、有効なのである。
■みんなに知ってほしいこと
●伝統的な共同体は実際ほとんど崩れてしまっている。仕事関係以外での人のつながりをどれだけ持っていますか?
そうした孤独な状況のままで人間は生き続けられるか?幸せを感じられるか?限界ある。 ではどこで孤立状況に置かれている若者やシニアや特に都市部に住んでいる人はいやされるのか、生きている実感を得られるのか? インターネット・ケータイをはじめとした情報や消費・受け身形態の個人的な趣味だけでは底が浅く、文化としても水準が低いのであり、そういうものだけで人間の心というものは満たされないのです。
また、グローバル化的な流れは国内だけで考えても画一主義・無個性化であり、地域に根ざさない、いますぐ他県・都会に引っ越してもそんなに変化がないような生活とは、地域と風土、その土地の歴史と文化に根ざした生き方をしていない生き方になっているということで、それはまさにアイデンティティーの喪失以外の何物でもない。
●経済一辺倒でやってきた生活⇔文化的生活
●市民サークル活動は、
@生身の人間どうしのふれ合いの場であり、仲間作りの場。Aスポーツ文化や助け合うボランティアでの精神文化も含めて、大きくは全て文化的な営みであり、一人一人の心の豊かさ・人間性を育める場。Bまたサークルは地域に住む仲間が参加することから、自ずとその地域の共同体意識・地域への帰属意識を持たせ、地域に根ざした個々人のアイデンティティー形成を促すものとなるのです。
●一つ一つの取り組みが、実務に終わらずに、各人が「人としての学び」となるような関わりかた、大変だけど大変さを楽しむようなスタンスが望ましい
※ボランティアとは「与えることで与えられる」(※「教えることで教わる」) 何を与え・与えられるか−人としての成長、心の豊かさ
・あまり機能主義的・活動主義的・実務作業的、義務的にならないで、一つ一つの取り組み、一人一人との出会いを通して心豊かな人間になっていけるよう心掛けたい。へとへとになるのでなく、楽しみ味わう心のゆとりがほしい。
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○a.個別サークルとは一線画す会(コミュニティ)ではあるが同時に、b.それ自体がやはり1つの“サークル”としての組織形態なのである。
したがって、
1.a性=個別サークルを超えた活動=個別サークルをつなぎ創設する役を果たすという特別な部署としての面を考察しつつ、
2.この会そのものが持つb性=やはり一個の市民サークルとしての維持・拡大の面を地道に考察〜構築〜運営していかないと、生まれないし続かない。
わりかた、大変だけど大変さを楽しむようなスタンスが望ましい
○この活動に関わってくることによる各サークルのメリットは?
・PR・会員募集をしてもらえる
・イベント広報の機会・発表の場が増える
・異種サークルともジョイントイベントしやすくなる
・存在が外に知らされること等により、活動自体がいっそう責任あるしっかりしたものになっていく
・単独でなくつながることで対外的・対行政的な力が増す
□活動の心得
「文化 人間を創る」(著:子ども劇場の人)から
・じつにさまざまな人たちがさまざまな思いで参加
・生活における文化をすばらしいものにしていきたい
・文化的なものの鑑賞と集団で一緒にやる自主活動
・豊かさとたくましさを
・文化というものは生活にある、その生活は地域にある 私たちの毎日の生活がどうであるかということをもう一度見直さなければなりません 時間に追われる生活のくり返しが毎日行われているのではないでしょうか
・音楽を聴いて心が洗われるようだとか、うれしくなるというような楽しみを知っている人と、それを知らない人とでは、知っている方が得でしょう。そしてそうした楽しみを知っていると、いい絵をみて感動して自分も描いてみたいとかいうことも起きてきます
・テレビや映画では得られない生の感動というものがある
・子どもたちに文化的な豊かさを
・アピール
「私(私たち)が目指すのは、生活していて楽しい地域を作っていく、という実は単純な話です。
環境(生活環境)が人を作りますが、その環境(生活環境)は人間が作っているものです。それと同様に、どういう社会になっても文化というのは、自らの手で作っていくものです。
そして文化は、大劇場や博物館の中にあるものではなく、本来、生活の中にあるもので、また生活の場は本来、家庭・職場(学校)のみではなく、それらを包む地域社会であるはずです。そうした地域とつながりを持たない生活・生き方は、非常に限られた狭いものであって、人は社会とのつながりを持って生きて初めて、豊かな人生・人間形成・人間関係を獲得できるのだと思います。
生活する地域全体が文化的に豊かにならずに、個人だけで努力しても、本当に豊かな一人一人の文化生活は望めません(生活環境全体が貧しければ限界があります)。市民の自主的な文化活動がもっともっと広がっていかなくてはいけませんし、どんな社会状況になったとしてもそれは不必要になることはありません。むしろ人々の生活に欠かせないものとして、生活の深いところに関わり合った文化活動・サークル活動というものが、これからの私たちには必要なのです。
私たちの活動は、市民がどういう生活文化を持っていくべきか、私たち市民を取り巻く現実の生活・社会・文化環境をどう考えるかを基本に置きたいと思います。私たちを取り巻く生活環境・市民生活の現実を捉え返すことから出発し、今私たちは何をしなくてはいけないのかを考えていきたいと思います。
このように、私たちが目指すところのものは、現在崩壊しつつある地域コミュニティに代わる、というよりその再生への一つの道筋としての、“地域市民サークルコミュニティ”作りです。(ゆくゆくは「校区」ごとにサークルセンターを設け、地域に密着した、日常生活空間次元での活動を考えていければと思います。)地域の大多数の住民が参加するような運動−これは途方もない話のようですけど、そうならなければ地域は変わらないし、そうなって初めて私たちの生きている幸せの実感や生きがいも取り戻せるのではないでしょうか。
そして、それは誰か正義のヒーローが出てきてパッと実現してくれるものではありません。文化というものが、継続の中から生まれ育っていくものであることからも、私たち市民一人一人が、これからみんなで協力し合って、一歩一歩地道にやっていくことこそが大事なのだと思います。」
・自由参加の活動だから、魅力がないと持続しない。
→何が魅力となれるのか?
○心得
・「初めての人を誘うときは、とにかく集まっておいしいお茶でも飲みましょう、いっしょにお菓子でもつまみながら、おしゃべりしましょう、それでいいのです。」みんなでワイワイと話すこと自体が意味があり、そして楽しく話し合うことが大切です。
・一人より二人、二人より三人集まれば知恵も出てきます。
・「あの人が代表なら私でもできそうね。」とみんなに安心されるリーダーでよい。アラを全部さらけ出して発言し行動するのがよい。 / 皆が主役。
・活動では苦しいこと・イヤなこと・悲しいこともあるだろう。でもあとになって、ああ、あの頃の苦労は良かったなあと思えるような苦労ならいいじゃないですか。喜んだり悲しんだりできること自体が実はすばらしいこと。
・一人よりも二人、二人よりも三人…が楽しい。その単純な話。
・慣れてくると(経験が蓄積されてくると)処理のしかたがだんだん上手くなってくる(能率的に活動できるようになる)
・教育で子どもを型にはめるとのびのびと育たないように、文化運動というのは、「恥ずかしい」とか「忙しくてこれ以上できない」といった自分の垣根を壊していくことが大事。そうすると、その人の新たな人間性が引き出され、もっと自由な生き方・生活・考え方・力が生み出されてくる。
いわんや、weが目指すものは、年輩者から主婦、若者・子どもまで、広い層の人々の参加の活動であり、みんなで力を合わせて作っていけば、負担は広く分担できてくるようになるのである。
・みんなが力を合わせて運動を作っていくためには、思想・信条を超えなくてはできないこと。weは特定の政党や宗教にこだわらない、市民党(「自民党でなく市民党」!)
・必要だ、大事だ、と思うことは、黙っていたらだめ。よいことと思ったら、やってみること。
・意見の違いは、それらが集まり融合されてすばらしい知恵となる。
・活動は、一部の人間だけでやらないで、みんなでやることが大事。そうしないと一部の人だけが忙しすぎてくるし、みんなでやっていくことで全体の力が上がり強くなっていく。
・(若い時の)苦労は買ってでもしろ、というように、苦労が人間のプラスとなることも多い。「人のため、みんなのため」にやることが自分のためであったと、あとになれば分かる。
・メンバー同士−心を開き合える・家族の一員のような関係
・どういう社会になっても、文化というのは、自らの手で作っていくものです。自主的な文化活動がもっともっと広がっていかなくてはいけないし、どんな社会状況になったとしても不必要になることはない。
−@この、この活動は絶対必要な運動なのだという確信が大事。A文化の質・レベルを高めていくという大理念が必要(*人間の生活・豊かさにとっては文化は欠かせないという、確固とした理念)。
・人々の生活に欠かせないものとして、生活の深いところで関わり合った市民サークル活動というものが必要。
・子ども劇場[we]の活動は…子どもたちをどう育てるか[市民がどういう生活文化を持っていくべきか]、子どもを取りまく状況をどう考えるか[私たち市民を取り巻く現実の生活・社会・文化環境をどう考えるか]を基本に置いてきました[基本に置く]。子どもを取り巻く状況から出発し[市民の生活・取り巻く生活環境の現実を捉え返すことから出発し]、今私たちは何をしなくてはいけないのかを考えてきました[考えていく]。
・そのためにも専門家が委員会に加わることが大きな力となる。ただし、専門家だけに分かるような表現の仕方・プラン−専門家主導(リードする)の活動はダメ。あくまで中心は市民レベルであり、普通の市民(主婦やおっちゃん)が主役となる活動・組織でないと広がらない・続かない。
・誰でも協力するのが当たり前だ、と互いに思えるほどの使命性・普遍性・市民性が大事・けんけんごうごうの議論も時期によっては必要−特に根本命題につながるような領域の検討では。※ただし、互いの信頼、後に対立が残るようなものでないこと
・思想と実践、理論と運動は活動発展の車の両輪。
「文化講演会」などを継続的に開催し、文化とは、文化的に豊かな生活とは、地域社会について、…等を運動者も学んでいくことが、長い目で見れば近道。
*知識人と大衆との結合
・組織というものは、形式的になったり枠をはめることにならないような努力をしつつ、形そのものは厳密であった方がよい。
・経済でなく文化の言葉、男でなく女の言葉、中央統制・画一でなく地域性・個性を持った活動
・効率・営利・理屈以外の文化的なもの、女性の論理・感性が大事
・会の活動自体は、「〜を楽しむ」「やってみる(*失敗も経験として学ぶ)」「作ってみる」といった、楽しいもの、失敗も許される性格(何でもあり的)、アットホームなものでなければならない。そうでないとしんどいだけで続かない。※しかし構想を練ること自体はきちんと考察しておく
・個性の違いを認め合うことが下手で、これは少しずつ改めていくべき。」「というかこの会は、個性を生かす活動として模範的な会になれれば。勿論、好き勝手ではなく、責任を伴う『自由』という意味。」
・人の欠点や違いばかり突っつき合う−最悪
・(若い時の)苦労は買ってでもしろ、というように、苦労が人間のプラスとなることも多い。「人のため、みんなのため」にやることが自分のためであったと、あとになれば分かる。
・人を信じてかかること、がまず大事。信頼しすぎた…、となってもそれでいいではないか。
・活動では苦しいこと・イヤなこと・悲しいこともあるだろう。でもあとになって、ああ、あの頃の苦労は良かったなあと思えるような苦労ならいいじゃないですか。喜んだり悲しんだりできること自体が実はすばらしい−これ実は至言こと。
・“活動心得6カ条”
1.自分の中に活動への夢・情熱を燃やし続け、信念・確信を形成すること
2.市民生活の現状把握・認識とそこからの憤慨や悲しみから生まれてくるエネルギー
3.自分が楽しむことを忘れないこと。楽しむことを創造し、愉快な時間、心豊かな気分になれる時をたくさん作る。
4.知らないこと・やったことのないことを恐れず、学び知り、経験することが生命力をもたらしてくれる。
5.イヤな事はすぐ忘れること。意見の食い違い・誤解・好き嫌い…これらはよく起こること。そんな時は一日も早く忘れてやさしく大らかな微笑みを浮かべて、相手にも謙虚に話しかけてみよう。自分の方がバカだったと思えたら満点。
6.心を一つにして協力し合うことの大切さ。みんなで何かをいっしょにやっていくこと、自主的に協力して創っていく楽しみをわがものにできること。
・小さいことの積み重ね
・運動を発展させるには、メンバーの人間性を発展させること
・楽しくないと会じゃない−コレ原点
・結局「人創り」=人材ならぬ人財 人そしてその人間性が中心
me自身、人間的に未熟だからこそ、こういうことをやっていきたい。その中で成長していきたい。
・必要とされているからやる(必要とされなければ成り立たない)、それだけのこと
・「きつい・イヤだと思えばきついし、楽しい・やりがいがあると思えば楽しい。」
・「何もしない」ぐらいのスタンスで、継続していくことを大切にする(焦ってポシャッてはダメ)。地道に取り組んでいくことが基本。
・いろいろと参加していくうちに、自分ができる事をなるべく楽しく無理せずにやることが大切だと感じた。
●meの心得
・「あの人が代表なら私でもできそうね。」とみんなに安心されるリーダーでよい。アラを全部さらけ出して発言し行動するのがよい。 / 皆が主役。
・リーダーの大胆さ(決断力・度胸)・構想の大きさ(「常識」や目先のことだけに縛られない展望・視野・志の大きさ)
・運動が(特に困難な局面に直面して)保守的・家計簿的・「堅実」的・「現実」路線・経費削減方向になりがちなとき、楽天性を貫き、新たに何かを作り出していく・困難を逆に拡大発展の契機に転化する・発展の中で経済条件も解決していく、といった大胆さがとても力になる。
「それは、みんなが力を合わせればやれるという、私たちに対する本当の意味での信頼が彼女にはあったのだと思います。」(高比良事務局長) 仲間を信じる信頼感(メンバーの能力面も「そのうちにできるわよ」と長い目で温かく見守ってくれた)→運営全体に人間的な温かさと安定感をもたらした、とのこと