〜捜す〜

 「「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、

そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を

野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで

捜し歩かないでしょうか。」
             ルカ15:4

 私たち夫婦が十五年間飼っていた柴犬が、十一月一日に突然になくなりました。 私はいつもの通り、

餌をやろうとしてでていきました。いつもなら足音を聞いて飛び出してくるのですが、このところ老犬になり、

出てこないこともあるので、小屋をのぞいてみましたが居ないのです。鎖を見るとつなぎの部分が切れています。

 驚いて付近を捜しましたが見つかりません。いつもの散歩経路をたどりましたが見あたりません。

今度はテレビ局へ行って放送を依頼しました。 でも一週間経っても三週間経っても何の情報もありません

私たちはついにあきらめて放送を中止してもらい、市役所には登録を抹消してもらいました。

でもこの羊飼いは見つかるまで、探し歩くというのです。どうしてそんなに捜し歩くのでしょうか。

 実は羊にはいくつかの共通する性質があります。

一つは一度転ぶと自分では起きあがれないと言うことです。体に比べ足が極端に短いのでどんなにじたばたしても

起きあがることができないのです。そのうちにお腹逃がすがたまり、一昼夜で死んでしまうと言います。ですから

羊飼いは必死になって捜すのです。 ちょうど私たちの姿に似ています。私たちも罪にまみれ、罪に

沈んでしまうと自分の力で抜け出そうとしてもなかなか抜け出すことができません。 羊飼いの助けが必要です。

神様はそのためにご自身の御子を世に送って下さったのです。

 次に羊はひどい近眼なのだそうです。ですから羊飼いについて旅をするときは互いに体をこすり合わせるように

して歩いているのをテレビなどで見ます。その羊が群から離れ、迷子になったら自分で帰ることは不可能です。

神様から見れば私たちも迷子の羊のようです。神様のことを思わず、自分勝手にしている私たち。

そのままでは死んでしまうとわかっていても帰り道がわからない、そんな私たちのために主は来てくださいました。

そしてイエスは言われました。

     「わたしが道であり、真理であり、命なのです。わたしを通してでなければ、

                   だれひとり父のもとに来ることはできません」

 さらに羊の周りには狙っているオオカミを始め、たくさんの野獣がいます。彼らはいつでもかみつき、食い尽くそうと

しています。でも群には羊飼いがおり、歯をむき出している番犬がいるので寄りつかないだけです。

でも群から離れた羊はすぐにやられてしまいます。一匹の羊を失った羊飼いはこうしたことを考えると居ても

立っても居られません。どんなことをしても探し出そうと探し歩くのです。イエス様は言われました。「私はよい牧者です。

良い牧者は羊のために命を捨てます。」

 イエス様は実際に十字架で私たちの罪のために命を捨てました。そして今も「あなたはどこにいるのか」と

問いかけておられます。私たちが救いを求めるなら、答えてくださいます。


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