〜いのちの光〜

 「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。

光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」

                  ヨハネ1:4.5 


「このいのちは人の光であった」とはどういうことでしょうか。イエス様が私たちのところに来られると、イエス様のいのちは私たちを通して輝くと言うことです。

命の輝いている人のところに、人々はやってきます。

 今91歳の日野原先生という人がいます。聖路加病院の名誉院長として、今も現役で働いています。毎日病院に出勤し、看護学校で教え、

本や雑誌の原稿を何本も書き、さらに日曜日には教会で説教もすると言うことです。毎日睡眠時間は4.5時間という事ですが、日野原先生の本を

読むと本当に元気にあふれています。まさしくいのちあふれている方です。周りにはいつも人があふれ、若者たちに囲まれていると言います。

日野原先生のうちにイエス様のいのちがあるからです。そのいのちが人の光となっているのです。 光のあるところには人々が集まります。

イエス様は人知れず、家畜小屋に生まれました。でもいのちの光があるイエス様のところに、羊飼いや博士が来ました。そこに光を見たからです。

 実は私たちもこの光を受け取ることができます。それは私たちが自分の心を開いて、イエス様を受け入れるとき、イエス様のいのちが差し込みます。

 そうすると今までなかった、人を愛する心や優しい思いやりの心が与えられ、神様の光が輝き出すのです。

 この光は勝利の光でもあります。どんなに憎まれても、意地悪をされても神様の愛があると人は変わります。意地悪している人を愛することができたら、

もうそれ以上意地悪することはできなくなります。これが勝利の秘訣です。

 教会に「雪の宝」という本があります。あるおばあさんが子供たちに光についてお話しをしていました。でもどうしても子供たちは理解しません。

そこでおばあちゃんはたとえ話をしました。みんなは朝起きたとき、雨戸が閉まっていて部屋が真っ暗だったら、最初に暗闇を追い出してから、

雨戸を開けて光を入れますか、と聞きました。子供たちはそんなことはしない!と言いました。じゃあ、どうするの、とおばあさんは聞きました。最初に雨戸を

開けて、光を入れるに決まっている、と子供たちは答えました。おばあちゃんはそうでしょう、同じように、光が来たら、自然に暗闇は逃げていきます、と

お話ししました。

 私たちの中にイエス様の命の光が射し込んだら、罪の暗闇は逃げていきます。 イエス様の光は勝利の光です。


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