〜艱難の中から2〜

女が乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子を憐れまないだろうか。

たとえ、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。

見よ。わたしは手のひらに、あなたを刻んだ。

あなたの城壁は、いつも私の前にある。」

               イザヤ書49:15,16

 今日は私たち夫婦の友達であり、最近まで牧師をされていた長渡ご夫妻のお話しを

お伝えします。

〔長渡夫人のあかし〕
 私は伝道者として、聖書学校を卒業して、働き始めていました。 そしてこれから

神様のために張り切って働こうと思っていました。 そんなとき、突然糖尿病から眼底出血に

なり、失明しました。自分は神様のために働こうとしていたのにどうして、と言う思いがありました。

どうしても理解できませんでした。失意の中、訓練施設に入って訓練を受けているとき、聖書の

み言葉が心に来ました。 「神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って、召された人々の

ためには、神が全てのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。・・・」
                           (ローマ8:28〜39)
 この経験によって、私の心に平安と喜びが来ました。その後、盲学校に入り、歩行訓練や

職業訓練を受けました。 その時、一人の弱視の青年に出会いました。

 彼は私より少し見えるので、歩行訓練の時、手引きをしてくれたり、いろいろと面倒を

見てくださいました。 彼はイエス様を信じていませんでしたが、結婚を申し込んできました。

私は「あなたがイエス様を求めてクリスチャンになるのなら、結婚を考えます」と言いました。

 すると、彼は真剣にイエス様を求め始めました。そして。真心からイエス様を信じ、

救われました。それが、今日一緒にお伺いしている主人です。

 私の計画は伝道者になってイエス様に仕えることでしたが、その夢は失明とともに消えたと

思っていました。でも神様は私の望みをご存じでした。主人は救われた後、神学校に行き、

牧師となり、私は牧師婦人として、神様のために働くことができました。 その後主人の視力が

弱くなり、牧師を続けることができなくなったので、京都の中心部に帰り、一信徒として

教会生活に励んでいます。

 私のこれまでの生涯を通して、神様は一度も私をお忘れになったことはなかったと今わかります。

私が失明したときにもイエス様は一緒にいて下さいました。 実際に、私は目が見えず、不便で、

不自由です。でも、不便であること、不自由であることが不幸なのではありません。

 私は今最高に幸せです。夫はいつも私を愛を持って、親切に扱ってくれます。神様に愛され、

夫に愛されている私は、人からは不幸に思われるかもしれませんが、幸せです。感謝します。

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