〜神は私の味方〜


「ではこれらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、

だれが私たちに敵対できるでしょう。」
                    ローマ8:31
 

 私たちがいざ戦いに出ようとしたときはどんな人を味方に付けたいでしょうか。すぐ気分が変わり、今まで味方だと思っていた人が急に敵として

戦ってくるようでは困ります。 また、弱くて、いつも逃げ出すような人を味方に付けたいとは思いません。やはり、いつも変わらず、

堅く立ってくれる人を味方に付けたと思います。

 神様は私たちの味方になろうと言ってくださっています。神様はどんな味方でしょうか。聖書の中から見ていきましょう。

変わらない
 今の時代、いろいろなものが変化し、しかも激しく変化して、中高年はとても着いて行けないと言うのが実体です。そうした中で、

変わらないものを求めます。聖書は今から3500年から2000年前に書かれ、その記述は変わっていません。

 今もって世界のベストセラーであり、多くの人は聖書からいのちの糧をいただいています。この聖書はイエス・キリストのことが書かれていると

キリストご自身が言われます。(ヨハネの福音書5:39)

 また、イエスご自身「私が道であり、真理であり、命なのです」と明言されています。(ヨハネの福音書14:6)真理は変わることがありません。

ですからこうも言われます。「イエス・キリストはきのうも、きょうも、いつまでも、同じです」(ヘブル人への手紙13:8)

イエス・キリストは変わることがありませんでした。  そのイエスが私のも方であるなら、これほど頼もしい味方はありません。

強い人

 私たち人間にとって最も恐ろしいことは「死」ではないでしょうか。どんなに強がりを言っていてももし死の宣告をされたらどうでしょうか。

途端に本音が出ます。冷静に受け止めることはなかなかできるものではありません。それはクリスチャンでも同じです。でも、

イエス・キリストは「死」を征服された方です。パウロという方は「私があなた方に最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、

次のことです。

 キリストは聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また聖書に従って三日目によみがえられたこと」と

言っています。 すなわち、この大伝道者は福音のポイントはこの三つに要約できるというのです。死んで、葬られ、そしてよみがえられたことです。

すなわち、死に打ち勝たれたと言うことです。この最強のイエスが私たちの味方なのです。

[やさしい人]

 意志堅固で、強い人でも、強情で、私たちの意志を無視し、どなり散らすような人が味方になったら最悪です。敵に立ち向かう前に

私たち自身がやられてしまいます。 イエスは変わらない意志、死をもうち破る強さを持つ方ですが、同時に、非常に優しく、愛に満ちた方です。

 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は私のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだって

いるから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、

わたしの荷は軽いからです。」(マタイの福音書11:28〜30)

 この「堅固」で「死よりも強く」「心優しい」イエス様が私たちの味方になって下さいます。私たちが勝利の人生を歩むにはこの方に

頼るほかありません。

 あなたもイエス・キリストを受け入れ、主と共に歩む人生を始めて下さい。


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