〜十字架の愛とは〜

  「しかし私たちがまだ罪人であったとき、

キリストが私たちのために死んでくださったことにより、

神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」

                         ローマ5:8 

   多くの人が十字架のネックレスやイヤリングをしています。十字架は死刑の道具であったのにどうしてそんなものを

つけているのでしょうか。 電気いすやギロチンなどつけている人は見かけたことがありません。

でも十字架は電気いすやギロチンよりむごい死刑の方法だと言います。なぜなら、電気いすやギロチンは即死ですが、

十字架は何日もさらし者になり、苦しみながら死んでいくという方法だからです。
 それがどうして装飾品になっているのでしょうか。また、たいていの教会は十字架を高くかかげています。どうしてでしょうか。 

 それには理由があります。十字架はキリストがつけられ、キリストの十字架は愛の象徴となったからです。

イエス様は十字架でどのような愛を示されたのでしょうか。 その一つは無条件で、どんな人も受け入れたと言うことです。

 イエス様が十字架に掛かられたとき、二人の犯罪人が一緒に十字架につけられたと言うことは有名なことです。

ゴルゴタという丘には三本の十字架が立てられました。その二人の犯罪人のうち一人が「あなたはキリストではないか。

自分と私たちを救え」と言いがかりをつけました。

 するともう一人が「お前は神をも恐れないのか。お前も同じ刑罰を受けているではないか。我々は、自分のしたことの報いを

受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」と言いました。

そして、「イエス様。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思いだしてください。」と言いました。

この男がこれまでどんな悪いことをしてきたかわかりません。このようにいつも同情をかって暮らしてきたかも知れません。

しかしイエス様はこの男を先ず受け入れられました。彼が願ったこと以上の言葉を掛けられたのです。

「まことにあなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と約束してくださいました。

イエス様は人をその行いで裁くことをされず、ご自身に頼る者を受け入れてくださる方です。

 次にイエス様は私たちにいのちを与える方です。


 私たちはアダム以来、罪のために神様と交わることができなくなっています。霊が死んでいる状態です。

イエス様は私たちが神様と以前のように交わりができるようにしてくださいました。そのために、私たちの全ての罪を負って

十字架で死んでくださったのです。私たちはそのイエス様の死により、生きる者とされているのです。

 さらに、イエス様の十字架は私たちを神との和解、人との和解に導いてくださるものです。

私たちは人を赦そうと思っても、相手が謝らなければなかなか赦すことはできません。しかし、神様は私たち罪を犯した者が謝ることが

できないのを知られ、ご自分から御子を下して、和解の生け贄としてくださいました。

イエス様は神と人との和解のために十字架に掛かられました。そして、私たちを人と人との和解の仲立ちともされました。

 このように、キリストの十字架は愛の十字架です。死刑の道具であった十字架をイエス様が愛の象徴に変えられたのです。

ですから、私たちは十字架を高々とかかげることができます。


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