8月18日

〜アブラハムの信仰2〜 


 彼は望み得ないときに望みを抱いて信じました。それは、『 あなたの子孫はこのようになる。』

と言われたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。」
     ローマ4:18

  
〔 人の考えの限界〕

   アブラハムは百歳になろうとしていました。妻のサラも90歳でした。

神様はこの二人の間に産まれる子供が跡継ぎになり、その子を通してアブラハムは大いなる国民となると言われましたが、

老人夫婦にとって、とても信じられることではありません。実際、アブラハムも最初、笑ってしまいました。

でも神様は言われたことを実行されます。その年、イサクという息子が与えられました。 

神様は私たちがとても考えられないことをされます。自然の法則さえ無視されることがあるのです。

自然の法則を作られたのは神様だから当たり前ですが、自分の周りにそのようなことが起こるときはとても信じられません。

私たちは自分の常識や経験の範囲で判断したり、物事を理解したりします。

でも神様の常識は私たちの常識と違うことが時々あります。その時どうするかと言うことです。

昔の人は地球は平らだと考えていました。水平線の向こうは大きな滝があると信じていたと言います。

でも神様は地球を球型に造られました。人が地球は平らだと思っても、最初から丸かったのです。

何かを発見するときには今までの経験や知識にこだわらず、事実をそのまま見つめることが大切だと言われます。

神様のことを知るときにも、この姿勢が必要です。「 彼(アブラハム)は望み得ないときに望みを抱いて信じました。」

これが秘訣です。

  
〔 限界のない主〕

   ある日、アブラハムは百歳になって授けられたイサクを主に捧げるように言われました。

彼はイサクを非常に愛していました。ふつうでは決して生まれることなど考えられない息子ですから当然です。

でも神様はそのイサクをご自分に捧げるように言われたのです。アブラハムにはたくさんの言い分があったと思います。

「 自分が欲しがったのではない。神が勝手に約束して与えられた息子だ。

捧げよ、なんて言うなら最初からくれなけりゃいいんだ。」

「 跡継ぎとして約束されたイサクを取り上げるなんて何を考えているんだ。」と。

でもアブラハムは何にも言いませんでした。アブラハムはこの時までにたくさんの信仰の訓練を受けてきました。

それでアブラハムは神様は何でもできると言うことを学んでいたからです。そこで、全てを主に委ねて、「はい」と答えました。

神様はこのアブラハムの信仰を喜び、もう一度アブラハムとの約束を確認しました。

「 あなたがこのことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、私は確かにあなたを大いに祝福し、

あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。

そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。」 (創世記22:16,17)

今、世界に散っている何千万というユダヤ人は自分の先祖はアブラハムだと言っています。

また世界人口の三分の一というクリスチャンもアブラハムを信仰の父とっ言ています。

さらにイスラエルと絶えず戦争状態にあるアラブの人たちも自分の先祖はアブラハムだと言っています。

まさにアブラハムを先祖だという民は空の星、海辺の砂のように増え広がっています。これが神様の業です。

この業を見るために必要な唯一の秘訣は「 彼は望み得ないときに望みを抱いて信じました。」という態度です。

   あなたにもアブラハムと同じように神様の業を見ることができます。自分の常識、経験に頼らず、

神様に人生をかけることです。神様は何でもできる方です。このことを信じて歩き始めることです。

皆様に神様の祝福がありますようにお祈りします。


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