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時は江戸時代。
お殿様というのはお城の中にいて始終上げ膳据え膳の生活を送っていたので、
城外の庶民の生活に関してはまったくの無知でした。
ある日菜っ葉のおひたしを食べていて、
「これは昨日食べた菜と同じ菜であるか?」と侍従に聞きました。
「はい、さようで。昨日と同じ菜でございます。」侍従が答えました。
「しかし、昨日の菜の方が美味しかったと思うが、本当に同じ菜であるか?」
「恐れながら、昨日の菜は有機栽培で農薬を使わず、人糞などを肥料としてかけて作った菜、今日の菜は中国から取り寄せた農薬で大きくした菜でございます。」侍従が答えました。
「そうか。では人糞をかけると美味しくなるのか。苦しゅうない、かけてまいれ。」と食べていたおひたしの器を侍従に出したとか…

さて、江戸城のお殿様がある日言いました。
「今日は快晴、日本晴れじゃ。野分けに行くぞ!」
お供を5騎ほど従えて、江戸城を出発し、馬を走らせ今のJR目黒駅のあたりまでやってきました。
江戸時代は江戸の城下町を一歩出るとそこは武蔵野と呼ばれる野原が広がっていました。
目黒もその一部でした。目黒には鷹番という地名がありますが、ここは昔お殿様の鷹狩用の鷹を飼育していたことから付いた名前です。 今なら旧江戸城の皇居から目黒駅まで車で30分程ですが、昔は馬を走らせても半日はかかったでしょう。

目黒に着いた時には、お殿様はすっかりおなかをすかしていました。
「これ空腹じゃ、弁当を出せ。」とお殿様は侍従に言いました。
しかし、急に野分けに行くと言われて、侍従はあわてて着いてきたのでお弁当を持って来ていませんでした。
「何?弁当がないだとおお?!」お殿様は驚きました。
弁当がないと知って、おなかの虫が泣き出しました。と、そこに何やらおいしそうな臭いがしてきました。
時刻はちょうどお昼時。畑仕事の手を休め、農民たちがそれぞれの民家で昼食の用意をしていました。
「なんだ、この美味しそうな臭いは?」お殿様は侍従に聞きました。
「これはさんまを焼く臭いかと存じます。」侍従が答えました。
「さんまだと?さんまとはなんじゃ?」
「さんまとは、黒くて細長き魚でございます。」
「魚か…よし、さんまを食べるぞ!余は空腹じゃ。さんまをもってこい!」
お殿様はもうおなかがペコペコでした。
「おそれながら殿、さんまは下司魚、下民の食べる魚でございます。とても殿のお口に合うとは存じませんが…」と侍従が説明してもお殿様には通じません。

結局、侍従たちはさんまを焼いている民家をみつけて、たった今焼けたさんまを5尾金子を少々払って分けてもらいました。
「殿、これがさんまでございます。」
皿にのったさんまを見てお殿様はびっくりしました。
普段お殿様はお城で食事をする時は、まず侍従がお毒見をします。それから食べるので、大抵の食事は冷えているのです。
しかも焼魚と言ったら、鯛の塩焼しか知りませんでした。
目の前のさんまは黒くてまだじゅうじゅうと脂がはねて、消炭がくっついているところがなにやらちらちらとまだ赤く火がついていました。
「これを食べるのか?本当に食べれるのか?たしかに臭いは美味しそうだが…」
初めてさんまを見て、お殿様も躊躇しました。しかし空腹には勝てません。
「よし、食すぞ!」と、えいやと箸ではらのあたりをむしって口に入れました。
「うまい!これはうまいぞ!」お殿様は大感激で5尾あるさんまを全部たいらげてしまいました。
空気のきれいな郊外に来て、運動のあとの空腹時に焼きたてのさんまが美味しくない訳がありません。
「殿、どうか今日さんまを食べたことは城のものにはご内密に。さもないとさんまなどという下司魚を殿に食べさせたかどで私の首が飛んでしまいます。」 侍従は言いました。
「わかった。そちには迷惑はかけぬ。このことは内密にしておこう。」お殿様は言いました。

お城に帰ったお殿様は寝ても覚めてもさんまのことばかり思っていました。
「今まであんなうまいものを食べたことがない。どうしてももう一度さんまが食べたい。」
しかし侍従と約束をした手前、「さんまが食べたい!」とはお城では言えません。
ある日、親類の殿からお呼ばれがありました。
「なんなりと召し上がりたいものをご注文ください。」と言われ、お殿様は思わず
「さんまじゃ。さんまが食べたい。」と言いました。
「さんまでございますか?」
「そうじゃ、あの黒くて細長き魚じゃ。」お殿様は言いました。

さて、困ったのは料理人です。
「殿様がさんまが食べたいんだそうだ。日本橋の魚河岸でさんまを買ってこよう。」とさんまを買ってきました。
「さて、どうするか?こんなに脂がのってちゃ、殿様の体によくないかもしれないなあ。」
「顔ににきびでも出来たら困るし…よし、蒸して脂を取ってしまおう。」とさんまを蒸し器に入れました。
蒸しあがったさんまは脂がすっかり落ちて、ペラペラになってしまいました。
「頭と尾っぽも落としてしまおう。内臓なんてもってのほかだ取ってしまえ。」
「この黒い皮もはいでしまおう。骨も全部抜いとかないとのどに刺さったりしたら大変だ。」
さんまは毛抜きで骨を1本残らず抜かれ、身はボロボロ。取り合えず薄味をつけていざお殿様の前に出されました。

「これがさんまか?」前回見たさんまとは似ても似つかない目の前の魚を見てお殿様は言いました。
しかし、皿を目の前に近づけてみると、さんまのかすかな臭いがするではないですか。
「おおお、これはさんまじゃ。姿かたちはかわったが、たしかにさんまじゃ。また会えてうれしいぞ。」と言うと、
箸で切り身を口に放り込みました。
しかし、味のほうはなんだかパサパサしていて、冷たくて美味しくありません。
「おや?これは本当にさんまか?」お殿様は侍従に聞きました。
「はい。さんまでございます。」
「いったいどこのさんまじゃ?」お殿様は聞きました。
「はい。日本橋の魚河岸で買ってきた三陸のさんまでございます。」侍従は答えました。
「やっぱりさんまは目黒にかぎるな。」とお殿様は目黒のさんまをなつかしんで言ったそうです。

おしまい。


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