思い出に残る山旅を探しに!浜岡三歩倶楽部
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■ 奥秩父の秘峰;御陵山

2014年5月25日
御前崎市5:00⇒馬越峠9:00⇒御陵山10:30~11:30⇒馬越峠13:05⇒御前崎市18:15
 5時、もうすでに明るくなった御前崎市を5名で出発する。新東名の清水ICから52号を北上し、増穂IC、須玉ICを経て高原野菜のメッカ川上村に入る。村全体が白いマルチを敷き詰めたように白い風景が広がってい た。
 8時45分、馬越峠に着いた。空き地に1台駐車している。身支度を整え出発の準備をしてから登山口を探す。ネットに載っていたとおり金網の間から登山道らしき踏み跡が続いていた。
 9時、金網を潜り御陵山に向かう。いきなり急登で尾根に突き上げているが、すぐに稜線に出る。稜線上の道は整備されておらず枝が体を擦り歩き難い。コブを登り下りしながら高度を徐々に上げて行く。振り返ると天狗山が大きく見える。今日はガスっていて八ヶ岳は全く望めないのが残念だ。ミツバツツジが林の中にピンクの花を咲かせている。まだ蕾も多く春が来たばかりのようだ。カラマツも小さな芽を広げ生まれたばかりの緑がきれいだ。三分の二ほど歩くと鉄塔が現れる。左側は南相木村、右は川上村で稜線が村境となっているらしい。南相木村は原生林が続き、川上村側はカラマツ林でその下に白くマルチされた山間の高原に集落点在している。
 リハビリ中の膝にはダウンが堪えるがなんとかこれくらいなら耐えられそうだ。南相木村側にはシャクナゲが群落をなしている。蕾や咲いたばかりのシャクナゲが現れ始めた。やっと花に出会えたという感じだ。少ない花を愛でながら先に進む。急登の先に御陵山の小さな祠が見えてきた。
 10時30分、御陵山頂に着いた。この山は17世紀ごろから雨乞いの神事が行われ奉納された遺物がこの祠から多数う発見されたと看板に紹介されていた。 ほどほどに広い山頂で早い昼食を摂ることにする。
 11時30分、下山の準備をし、往路を戻る。下りは慎重にしないと滑る。踏ん張りが利かず大けがをしてしまう危険がある。膝が悪くなる前は何ともなかった下りも身障者に危険領域だ。シャクナゲやミツバツツジを楽しみながら慎重にアップダウンをこなす。
 13時5分、馬越峠に無事降り立った。往復4時間程の山行でしたが久しぶりに山旅を味わうことができました。山に感謝、仲間に感謝、そして人工関節に感謝!
※参考
 おみはかやま。だいたいの人はそう読めない。南佐久郡南相木村と同郡川上村の境にあり、西に天狗山、男山と続く岩尾根の東端の山である。
 たびたび登場する日本難読山名一覧中、信州には8つ数えられているが、その中にさえでてこない秘峰だから読めないのも当然である。と信州山岳ガイドにある。

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■頸城山塊の百名山;火打山
2014年7月24日
宿5:00⇒笹ヶ峰6:10⇒黒沢大橋7:05⇒富士見平8:55⇒高谷池10:00⇒天狗の庭10:25⇒火打山11:55⇒高谷池ヒュッテ13:22⇒富士見平14:35⇒笹ヶ峰16:52
 5時、前日に泊まった宿、なごみ荘を出て笹ヶ峰に向かう。整備された車道を登ってゆくと牧場の先に大きなキャンプ場があり、車道を挟んで登山者用の駐車場がある。もうかなりの数の車が駐車されていた。
 6時10分、天候は期待できない空模様である。ともかく登山届を出して立派なゲートをくぐり登山を開始する。木道が設置され樹林帯の中を緩やかに登ってゆく。昨夜のビールが少し残り体が重い。沢を数ケ所わたりながら黒沢を上流に向かう。
 7時5分、大きな橋で黒沢川を渡る。休憩にはちょうど良いところである。先行した登山者たちも休んでいた。水分補給と宿で作ってくれたおにぎりをお腹に入れる。いわゆる行動食を食べる。ここから急登が続くらしい。十二曲がりと言われている登りが待っていた。順調に高度を上げて行くと十二曲がりの頭に出ると稜線だ。ガスの切れ間から見下ろすと乙見湖が見える。オオシラビソの樹林帯の登山道は緩急の登りが続き汗が流れる。天候は相変わらずパッとしないでガスに包まれている。雨が落ちてこないだけ良しとしなければならない。下山をしてくる登山者をかわしながらひたすら登り続ける。
 8時55分、やっと富士見平に着いた。ここは黒沢ヒュッテへの分岐となっていて天候が良ければ富士山を見ることが出来るらしい。残念なことに今日は50m先も視界が利かない。この分岐を左に黒沢岳を左に巻くように小さなアップダウンを繰り返しながら高谷池ヒュッテに向かう。道は多くの登山者に踏まれぬかるんで歩き難い。しかしここからは花が多くなり疲れを忘れさせてくれる。眺望がきかない分、花を撮る時間が多くなる。
 10時、高谷池ヒュッテを過ぎる。そのまま天狗の庭に向かう。白山コザクラ、エンレイ草やキヌガサ草、イワイチョウそれに時期を過ぎた水芭蕉も見られる。花は群落を作り一斉に咲いている。ガスの切れ間に池塘が一瞬見渡せる。高谷池を廻り込むように進む。
 10時25分、天狗の庭からは水面には火打山から影火打、焼山の姿が映るらしいがその影さえ見えない。ここから高度差約300mの火打山の山頂を目指す急な登りが続く。稜線に出ると大きな雪渓がある。高度が上がったせいか雨が落ちてきた。カッパを着る時期を失いかなり濡れてから着ることになってしまった。稜線上にも花が咲き一時苦しさから解放してくれる。風は廻り込みながら右や左からあ吹きつける。ダケカンバなどの間を登ってゆくと雷鳥広場と言われるところに出る。雨は容赦なく吹きつけるここからは階段になる。
 11時55分、木々がなくなると突然山頂に出る。さえぎるものがないため横殴りの雨に耐えられない。ガイドブックには隣の妙高を始め佐渡島、北アルプスの展望は素晴らしいとあるが想像すらできない。一枚だけ集合写真を撮り、そのまま往路を撤収するかのように下山する。一目さんとはこのことだ天狗の庭を通り高谷池ヒュッテに逃げ込んだ。
 13時22分、高谷池ヒュッテであわただしく行動食で空腹を満たす。下山の時間を考えるとそんなに長く休んではいられない。バッジを買い求め下山を開始する。往路はさらに泥濘がひどくなっていた田んぼの中を歩くようだ。幸いにも雨は小降りになりやがて落ちてこなくったて来た。
 14時35分、富士見平を通過しそのまま下山を続ける。瀬音が聞こえてくるようになる。十二曲りも順調に下り高度がかなり下がって来た。体感温度が上がってきたように感じられる。
 16時、黒沢橋に着いた。休憩をしてからさらに下ってゆく。ここからはなだらかな下りとなり木道上を歩くことが多くなる。黙々と下るのみである。
 16時52分、笹ヶ峰登山口のゲートをやっとの思いで抜ける。高谷池ヒュッテから約3時間経過している。登り下り合わせて11時間の山行である。思った以上に時間が掛ってしまった。計画の甘さを指摘されるところだ。皆さんの足手まといにならず長い山行に良く膝が耐えてくれたと自分でも感心するほどであった。
 機会がもしあったら秋の紅葉の時期に登ってみたい山である。

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■中央アルプスの離れ小島;三ノ沢岳
 御前崎市4:00⇒菅の台バスセンター8:30⇒しらび駅10時15分⇒千畳敷駅10:30⇒極楽平11:05⇒分岐11:25⇒三ノ沢岳13:00~13:20⇒最低鞍部14:25⇒極楽平15:15⇒千畳敷駅15:40⇒駐車場19:30⇒御前崎市22:40

 朝4時、まだ暗いうちに御前崎市を出発する。久しぶりの山行に気分もなんとなく高揚しているようだ。中央アルプスの登山口、千畳敷カールのある駒ヶ根ICを目指す。車の流れは順調で8時過ぎに菅の台バスセンターに到着したが、ロープウェイに乗る人たちの車で混雑している。駐車場も遠くに案内されてしまった。車を入れ、身支度を整えバス乗り場に着くとバスの順番待ちの状態であった。バスに揺られしらび平の駅に着くと乗客でごった返していた。1時間30分待ちで、整理券が配られていた。やっと順番になりロープウェイに乗り込むと空中からの紅葉を楽しむ事が出来る。これなら上も充分期待できそうだ。
 10時30分、ロープウェイから押し出されるように千畳敷カールの広場に出る。そのまま駒ケ岳神社の前を左折して岩の階段状の道に入る。高度が上がるに従い南アルプスの全容が見え始める。その向こうの富士山もしだいに姿を大きくしてくる。歩き始めてすぐのジグザグの急階段は相当に堪える。標高差300mを一気に登る。
 11時5分、主稜線上の極楽平に出る。砂礫の平坦地でさえぎるものはなく素晴らしい眺望が待っていてくれた。かすかに噴煙のにおいがする。噴火したばかりの御嶽山からの火山ガスがまともに流れてきているためであった。遭難者に黙とうを捧げる。南アルプスは甲斐駒ケ岳から光岳まで青黒いシルエットトなってすべて見渡せる。そして今から登る三ノ沢岳は左側に手の届くところに見えている。ここから宝剣岳を正面に見ながら進むと三ノ沢岳への分岐がある。
 11時25分、賑やかな稜線から離れ登山者の少ない山域に入る。分岐から三ノ沢岳を正面に見て進む。なだらかなハイマツ帯の下りが続く。
下りきったところが最低鞍部である。振り返ると中央アルプスの主稜線が壁の衝立のように感じられる。大きな突起を越すと本格的な登りが待っている。細かくアップダウンを繰り返しながら徐々に高度を上げて行く。左に空木岳、南駒ケ岳が大きなすそ野を見せている。右には雲海の上に噴煙をたなびかせる御嶽山と乗鞍岳、そして北アルプスの山並みがすべて見渡せる。紅葉と眺望、最高の山行が楽しめる。もっとも贅沢な時間を独り占めしているように感じられる。登山道にはハイマツが道を覆いズボンやシャツに引っ掛かり歩き難いところもある。綿毛となったチングルマの群落多く見られる。花の開花時期に来てみたいと思う。登りが続き、花崗岩が多く現れ始めると山頂は近い。
 13時、三ノ沢岳の山頂に立った。素晴らしい眺望が待っていてくれた、西に御嶽山、北にはもちろん北アルプス、東には南アルプスそして南には空木、南駒さらに恵那山が雲海に浮かんでいる。さらに目の前には木曽駒ケ岳の主稜線が続いている。時間を忘れさせるほどだ。主稜線から外れ支稜上にそびえて、しっかり主張している頂、それが三ノ沢岳である。しかし今日はスタートが遅れたため山頂を13時30分と予定していたので、かなり無理をした登山となってしまった。
 13時20分、下山を始める。千畳敷へ往路を引き返す。最低鞍部にガスが掛り始めてきた。足場を確認しながら石を踏み越え高度を慎重に下げて行く。そして登り返すのが大変だ。
 15時15分、稜線にたどり着く。相変わらず眺望は素晴らしい。名残惜しいが下ることにする。千畳敷には大勢の人々が見える。帰りのロープウェイが心配である。
 15時40分、千畳敷駅に着くと人また人で何人いるのか想像すらできない混雑状態であった。帰りのロープウェイは3時間待ちで6時9分発らしい。待つところも無くもううんざりである。やっとロープウェイに乗り込み、バスを乗り継ぎ車に戻ったのは7時30分になってしまった。
 10時40分、なんとか無事に御前崎市に帰り着くことが出来た。
御嶽山の痛ましい事故に遭遇した人たちのご冥福を心よりお祈り申し上げます。健康で山行を続けることが出来る幸せに感謝しながら次の計画に思いを馳せるわがままをお許しください。
 
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北八ヶ岳トレッキング;にゅうから白駒池
 
御前崎市4:00⇒渋ノ湯7:55⇒唐沢鉱泉分岐9:25⇒黒百合ヒュッテ10:30⇒中山峠10:50⇒にゅう12:00~12:45⇒白駒池13:50⇒高見石小屋14:45⇒賽ノ河原15:15⇒黒百合ヒュッテ分岐16:35⇒渋ノ湯駐車場16:50⇒御前崎市21:20


 7時55分、渋ノ湯駐車場を出発する。朝の冷え込みがきつく水溜りに薄氷が張っていた。源流に近い小さな渋川を渡り登山道に入ってゆく。白駒峠への分岐を左に八方台分岐に向かう。いきなり急登の連続である。しかも石を乗り越えながら高度を上げて行く。しばらくすると稜線に出るそこが八方台分岐である。
 8時55分、ここから緩やかに下り唐沢鉱泉からの道と合流すると登りが続くようになる。小さな沢に沿った岩場の道が連続し、息が上がる。
 10時30分、やっと黒百合ヒュッテに着いた。多くの登山者たちがくつろいでいる。我々もしばらく休憩することにする。残念ながら紅葉はほとんど終わっているが空は真っ青、まさに快晴である。最高の気分に浸れる。ここから中山峠は目と鼻の先だ。
 10時50分、中山峠を左に"にゅう"に向かう。右は天狗岳に向かうルートである。緩やかに登り"にゅう"への分岐を過ぎると下りになる。ガレの縁に登山道が付いている。しばらく下り登り返すとにゅうが見えてくる。ガレの頭から天狗岳と八ヶ岳高原がよく見渡せる。
 12時、"にゅう"に着いた。ガレの縁にある尖った岩峰である。ここからの眺めは最高だ!まさに360度遮るものはない。富士山を始めすべての山が見渡せる。さらに眼下に白駒池が輝いている。ゆっくり眺望を楽しみながら昼食を取るここにする。
 12時45分、白駒池に向かって降りて行く。安易にこのコース選んだ事が後に思わぬ結果を招いてしまった。踏み跡が広く登山道が分かりにくい。しかも木の根が露出し滑りやすい。途中、ルートをロストして引き返す羽目になった。規模は小さい白駒湿原を木道で渡り池の縁に出る。
 13時50分、白駒池の畔に立った。近くに麦草峠への道があるため、観光客が突然多くなる。帰りの時間が押しているのですぐに白駒峠、高見石小屋に向かって岩場の急登に挑む。
 14時45分、息を切らして高見石小屋に着いた。晩秋の日暮は思ったより早い、しかも山の中である。休憩もそこそこに渋ノ湯に向かって下山を開始する。しばらく下ると賽ノ河原に出る。ここからが大変で大きな石、ゴロゴロの上に登山道が通っている。大きな石を飛び越え、又は乗り越えながら高度を下げて行く。
 15時15分、賽ノ河原のお地蔵様を過ぎてもまだ続いている。石の間に足が挟まり痛い。やっと樹林帯に入るともう薄暗くなってきた。日没が近づき気が焦る。ヘッドライトを使って知らない道を歩くのは危険だ。はやる気持ちが脚を早くさせる。まだかまだかと気持ちだけが前に進む。
 1時25分、思ったより時間が大幅に掛ってしまった。黒百合ヒュッテへの分岐看板が現れた時にはほっとした。しばらくすると温泉旅館の赤い屋根が見え始めてきた。やれやれが正直な気持であった。
 16時50分、ギリギリで渋ノ湯の駐車場に着いた。長い一日があ終わった。日没の早い季節、認識不足と言わざるを得ない結果となってしまった。反省しきりである。
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エベレストを見たくてネパールへ;エベレスト街道トレッキング
一路ルクラへ
14日
 朝、3時50分あわただしく家を出る。掛川IC4時28分発のバスに乗るためだ。仲間5人とともにセントレア空港に向かう。7時50分指定された所でツアー会社より説明を受け、9時50分発のキャセイパシフィック航空に乗り込み香港に向かう。香港の搭乗ゲートで成田発の同行者2人とツアーリーダーのMさんと落ち合い総勢9名となった。
 香港からダッカ経由でカトマンズに向かう。乗り継ぎや経由地での時間もかかりホテルに着いたのは夜の11時をまわっていた。明日からのトレッキングに備えダッフルバッグに必要な荷物を詰め替えベッドに入ったのは深夜0時になろうとしていた。日本との時差が-3時間15分あるから長い一日であった。

15日
 4時のモーニングコールで起され、食事を済ませ5時出発、早朝の一便に乗るためにカトマンズ空港の国内線乗場に向かう。カトマンズとルクラ間の気象条件によりフライトが安定していないので早くから並ばなくてはならない。なんとか一便に乗り込み6時30分過ぎにセスナで飛び立つ。
 機中からは運よくヒマラヤ山脈が真っ白に輝き長く壁のようにそびえる様子が眺望できた。40分があっという間に過ぎ世界で一番危険だとも言われているルクラ空港に降り立った。この空港は山の斜面に張り付くように造られ手前は谷、前は山で短く傾斜のある滑走路を備えている。
 待っていた現地ガイドの案内でホテルに入ったのはまだ午前7時20分だった。ここから昨日の忙しさが嘘のようにゆったりとした時間が流れだすことになる。我々に同行する現地ガイド、コック、ポーターの人達を紹介される。これからは私達の食事や荷物運びそしてガイドと何から何までお世話になる。
 ここルクラの標高は2800mを越えているため、ゆっくりと体をならしてゆく必要がある。10時に昼食を済ませ高度順応と足慣らしをするため周辺のミニトレッキングに出掛ける。
 ホテルに戻り夕食までのフリータイムに街の散策に出ることにする。ルクラは細い道路を挟んで小さな店がひしめき合うように軒を連ね色々な物を売っている。おもに登山用品が多くなんでも揃いそうだ。それにお土産品店も多く行き交う登山者と荷物運びのポーター、ヤクと牛の間に生まれたゾッキョと言われる牛と馬が多くてゆっくり歩いてもいられないほどのにぎわいを見せている。冷やかし気分で店をのぞきながら見て回るとうっかり買い物をしてしまう。ネパールの通貨はルピーで約1.1円ぐらいである。5000円を両替し約4100ルピーが財布に入っているが、いつまで残っているか?
片言の日本語に交じってきれいな日本語でお早うございますという声が聞こえてきた。テレビ番組にありそうなこんなところに日本人!ルクラ版である。以前はカトマンッズにいたが今はここルクラで店を開いているとのこと。さっそく店に入り買い物をすることになる。時間があるので何回か往復し何か変わったものがあるか見て回った。街並は空港から続き100mぐらいの間に店がひしめいている事がわかる。街の東にはゴンラ・ラそして北にはヌプラという雪を纏った山々がガスの切れ間に時おり頭を見せてくれる。いずれも6000m近い標高の山である。エベレストはどんなだろうと思いを馳せる。
 18時にコックさん達が作ってくれた日本人好みの食事を美味しくいただく。後はもう寝るだけである。夜になると思ったより冷え込みが厳しく底冷えがする。ありがたい事に湯たんぽを用意してもらえた。この先ずっと湯たんぽは離せなくなる。

エベレスト街道トレッキング
16日
 朝6時起床、7時朝食、8時からシェルパ達と共にいよいよトレッキングの開始である。町はずれの小さな流れを越えるとエベレスト街道の入り口である。マニ石の左を通るのがチベット仏教の教えらしい。街道には他のトレッカーやポーター、そしてゾッキョ、馬などが行きかい注意しながらのトレッキングである。見るものすべて新鮮に映りそしてネパール時間がゆっくり流れて行く。ドゥドゥコシ川に沿って左岸を歩く。ドゥドゥコシ川は氷河がら流れ出す独特な白濁したブルー色で豪快に泡だてながら水音を響かせている。トレイル上には小さな集落が点在し、通学途中の子供達や農作業中の人々、トレッカーの荷物を運ぶゾッキョなどとずれ違う。街道と言っても石の階段がほとんどで下ったり登ったりと足もとを確認しなくてはならない。特にゾッキョや馬の糞はいたるところにあり避けながら景色を見ながらと大変である。前方にはヌプラが我々を迎えてくれるかのように姿を現し、その雄姿を眺めながらの街道を進む。前からそして後ろから行き交うたびに端に寄りやり過ごさなければならない。追い越される事はあっても追い抜く事はない。今日の目的地はモンジョというところである。標高的にはルクラと変わらず2840m程の所であるので平均すればほぼ水平であるが集落の間をアップダウンを繰り返しながら進む。街道沿いには小さな店やレストランといった茶店が集落とともにありトレッカーやシェルパ達が休んでいる。ドゥ-ドゥ・コシ川には鉄製の吊り橋が掛り人とのすれ違いは出来るがゾッキョや馬が来ると対岸で待ち受けうる事になる。
 パクディンのロッジでお昼となる。レストランに入るとコックさん達が先に着いていて温かいジュースを出してくれる。メニューは麺とコロッケである。ここにきて日本的な食事を楽しめるとは思ってもいなかったので感激しながら満腹感にしたる。ここパクディンは帰りに泊まるところでもある。
13時モンジョに向かって街道を登る。ゾッキョ達を避けつり橋を渡り返しながら奥に入ってゆく。シェルパ族の集落や生活、作っている作物を見る楽しみ、歩く楽しさ、景色を楽しむ。贅沢なトレッキングである。街道から離れた集落は絵にかいたような雰囲気を漂わせていた。相変わらず歩く人、運ぶ人が多い。ゾッキョ達への掛け声が渓谷にこだまするかのようだ。集落の入り口にはマニ石や立派なマニ車が必ずある。大きくて重いマニ車を回すとご利益がありそうな気がする。一回廻すと一回お経を読んだことになるらしい。これも楽しみの一つとなる。
 15時モンジョに到着した。ここはドゥドゥコシ川と街道に挟まれた静かなところである。18時の夕食まで薪ストーブに火を入れてもらい団らんの時間となった。夕食が済むともう寝袋に入るだけとなる。

17日
 昨日と同じ6時に起きて8時出発となる。今日はナムチェまで約4時間の行程である。我々の荷物はゾッキョの背中に乗せられ先に行く。街道も行きかう人たちで賑わいを見せ始めてきた。大きく厚いコンパネを数枚背負うポーターの姿にはびっくりするとともに印象に残った。
 谷沿いの道はジョサレから世界遺産のサガルマータ(エベレスト)国立公園に入る。ここでチェックを受けなければならない。ドゥドゥコシ川の左岸をしばらく進むと二段に掛った吊り橋が見えてくる。ドゥドゥコシ川とボーテコシ川の合流地点である。上のつり橋を渡るといよいよ登りがきつくなる。幸いにも登山者とゾッキョや馬達の道とが分離されている。これで糞に気を付けなくても良くなるとともに埃も少なく快適なトレイルが続く。休憩地点の木々の間から小さくエベレストを望む事が出来た。元気が出るとともにナムチェへの足取りも軽くなる。大きく谷を左カーブし稜線を右に回り込むとナムチェの入り口が見えてきた。
 ナムチェはすり鉢を縦半分にしたような地形の所に階段状に家が立ち並び上に行く程い家が多くなり広がっている。
水は豊富で流れ出る水場で大勢の住民が洗濯をしている。その横を抜け街並みの間を上がりホテル(ゲストハウス)に着いたのは12時を少し過ぎていた。荷物を下ろし顔や手を洗いすっきりしてから昼食となる。相変わらず美味しい食事を提供してくれる。本当にありがたい事である。ホテルからの眺めも素晴らしく扇状に広がったナムチェの街にボーテコシ川を挟んでコンデ・リという6000m峰が大きく広がっている。もちろん白く輝いている。部屋に落ち着いた後、13時30分からミニハイクに出掛ける事となった。
 エベレスト眺望のためホテルの上の展望台まで足を伸ばす。午後になるとガスが発生し思うような展望は望めなかった。しかし周りの5000m~6000m峰の迫力は素晴らしい。ホテルへ帰るとシャワーがあるというので300ルピーを払い汚れを落とすことにした。しかしこの行為が後で痛い目に合うとは予想もしていなかった。女性陣はトレッキング中の汚れを落とすため町のサロンへ洗髪とブローに出かけた。もちろんネパール風にきれいに仕上がったのは言うまでもあしません。
 18時、美味しい食事を済ませ、いつものように湯たんぽを抱えて寝袋に入る。

エベレストを見る!
18日
いつものように6時モーニング、そして今日の行程は短いので日の出に合わせて昨日登った展望台に行きエベレストを見に行く事になった。ホテルを出て登ってゆくと階段状のナムチェの街の一角に貴重な広場、グランドと校舎が見える。学校のようだ。展望台はその上に位置している事がわかる。展望台からは昨日見えなかったエベレストを始めとして周りの山が良く見える。感激のひと時である。自分の目でエベレストを見たくてエベレスト街道トレッキングに参加したのだから。デジカメも忙しく寒さを感じさせないほどである。タムセルクをはじめクスムカングール、コンデ・リ、アマダブラムなどナムチェをとりまく山々も光輝いている。時間があっという間に過ぎ7時、朝食の時間になるのでホテルに戻る。
 朝食後、時間があるのでナムチェの街を散策する。中央の急な坂道から直角に店が並び、同じように通りが数通りあり賑わいを見せている。
 11時、早い昼食を美味しくいただき、12時、いよいよシュンボチェに向かって急な坂道ゆっくり歩き始める。大きなマニ石そして大きなマニ車を回してかあら高度上げて行く。九十九折り登山道が空に向かって伸びているかのようだ。さすがにこの狭い急坂ではゾッキョも危険である。このため我々の荷物は迂回するルートを行くらしい。急坂が終わると緩やかになる。シャンボチェ空港を左に見ながら進むと今夜の宿は近い。
 13時30分、エベレストシェルパ・リゾートホテルに着いた。あいにくガスが出ていて眺望は期待できなかった。明日の朝が楽しみである。標高は3841mで富士山より高い。さすがに冷え込みも厳しく朝は-10度ぐらいになるらしい。しかしシェルパ達はテントで寝るということだ。夕食までの時間はみんなで団らんと最終日のためにネパール民謡レッサムフィリリを教えてもらう。お世話になったシェルパの人達との別れの宴で歌うためだ。

シャンボチェの丘に立つ
19日
 日の出にあわせ、寝袋から出て外を見る。窓越しにコンデ・リの頭がかすかに朝日を浴び始めたようだ。急いでシャッターを押し、防寒具を着込みホテルの裏庭に出る。快晴のもと周りの山々をはじめ世界最高峰のエベレストが朝日に輝き始めてきていた。この景色を見たくて、自分の目でエベレストが見える感激の限りである。ホテルの裏に展望台がありそこに登るとさらに良く見える。迫力あるエベレスト、ローチェ、アマダブラムの迫力にみんなで歓声を上げながらしばし見とれる。私の計算によるとここからエベレストまで直線距離で約26km程である。ずいぶん近づいたものである。十分に眺望を楽しんでからティータイムとなる。
 荷物はそのままで、7時朝食、8時出発となる。今日はクンデ村の展望台ゴンラ(4028m)に登りクムジュン村を回ってこのホテルの戻る予定である。シャンボチェの丘を横切り稜線に出てさらに登ると展望台に9時50分に到着した。ここでも360度展望を堪能する。右下に広がるクンデ村やクムジュン村の背後にはクンビラ(5761m)が聳え立っている。稜線から離れ一気に下降すると眼下に見えたクンデ村に入る。シェルパ族として男達は働きに出ているため村人は少ないようだ。村の畑は耕す時に出てきた石で囲いが設けられている。自分の畑を石垣で守っている。村のレストランで11時に昼食となった。集落からはアマダブラムがすぐ隣に見える。クンデ、クムジュン村は平坦で畑も広く集落の建物も立派である。
 昼食後、クムジュン村に入りヒラリーさんが建てたといわれる学校を見学する。村にも観光客相手の店が並んでいる。集落の外れから稜線を登ってエベレストビューホテルに向かう。このホテルは日本人が経営しているとのこと。料金も高く最高のビューポイントになっている。ホテルで休憩してエベレストシェルパ・リゾートホテルに向かう。もうこの時間にはガスで眺望は利かなくなってきた。
 14時20分、エベレストシェルパ・リゾートホテルに戻った。冷え込みが一段と厳しくなる。談話室で電気ストーブを囲みながら皆でワイワイガヤガヤと時間が流れて行く。

エベレスト、そしてシェルパ達との別
20日
 いよいよ戻らなくてはならない日が来てしまった。6時ティータイム。6時45分朝食、荷物出しそして7時45分出発となる。最後の写真を取るため裏庭に出てもう一度エベレストを焼きつける。ホテルを出る時にマスターが絹のマフラーを一人一人に掛けてくれて別れと感謝の気持ちを表してくれた。
 往路をナムチェに向かって降りて行く。眼下の街が足もとに下がって行く。8時30分ナムチェを通過しさらに下ってゆく。行きかう登山者やポーター。ゾッキョ達を避けながらエベレスト街道をルクラ方面に降りて行く。来た道は近く感じる。サガルマータ国立公園を出て、3日目に泊まったモンジョに12時着いた。ここで昼食タイムを取りさらに下山して行く。途中、カフェで地元の香りがするミルクティーを楽しむ。
 14時30分、パクディンに着いた。3日目に昼食をしたロッジである。ここパクディンもちょっとした集落が並び宿泊客が多い。テント泊のトレッカーもいる。ここまで降りてきてもやはり底冷えがする。テントではたまらないだろう。

21日
 トレッキングの最終日6日目となった。8時に出発、最後の景色を楽しみながらルクラに向かって標高差200mを登り返すことになる。ゲートを抜けるともうルクラの街並みが見えてきた。ロッジでシャワーを浴びたつけが喉の痛みとなって表れ始めてきていた。全身に力を入れて喉の痛みを振り払おうとするがバイ菌は簡単に出て行きそうもない。
 12時20分、エベレストエコロッジに着いた。このロッジは街並みの裏手にあり少し登らなければならない。ロッジには明日のカトマンズ便を待つ人達で賑わっていた。もちろん日本人も多い。
 18時30分から夕食となった。最後の夜は現地料理を主にした食事となった。そして大きな手作りケーキを出してくれた。もちろん上にはsee you againと書かれていた。感激、感謝!今日は地酒やビールも出て雰囲気が盛り上がる。酔いが程良くまわった頃、あのレッサムフィリリである。最高に盛り上がりみんなで輪になり踊り始める。お返しにかえるの歌を歌いさらにレッサムピリリで踊りは最高潮へと。感激を胸に寝袋へ入る。

22日
 4時40分に起きて荷物をまとめ、朝食を取りすぐに空港に向かう。一便に乗るためだ。しかも天候頼みでフライトが何時なのか全くわからない。とにかくルクラ空港で待つしかない。待ち時間が異常に長い今日のフライトはないのかと思っていたら突然乗り込むことになった。
 9時37分やっと離陸する。急斜面の滑走路を滑るように走ると空中にふわっと浮かぶ感じの離陸だ。機中からヒマラヤ山脈が良く見える。向かう時より身近に愛おしく感じられた。
 11時20分、カトマンズ空港に着陸する。都会的な喧騒の中に戻ってきたことを実感する。車で1日目に泊まったラディソンホテルに戻る。近くのレストランで現地料理を頼むが辛さには閉口した。部屋に戻り5泊6日のトレッキング中の荷物の整理を行ったあと近くのスーパーに買い出しに出かけそれぞれが気に入ったものを仕入れホテルの部屋でお疲れ会を開いた。

カトマンズ市内観光

23日
 6時30分、ホテルのレストランで食事をしてから、ツアーリーダーの案内で市内のタメル地区を見学しにタクシーで向かう。市内は車、バイクが多く警笛を鳴らしながら我先にと走行し、信号もほとんどない。大きな交差点は警察官が中央で誘導、規制しているが、他はまるで無法地帯に感じられる。カトマンズの常識が不思議に映る。タメルは雑然としており同じようなものを売る店が路地裏まで数多く軒を連ねている。一歩踏み込むと迷いそうだ。しかもカトマンズは盆地のため排気ガスや巻き上げる埃などが漂いpm2.5以上である。
 午後からはオプショナルツアーで古都パクタプル観光に出掛ける。ネパールはヒンズー教が8割を占めている。パクタプルは信者(帰依者)の町と言う意味を持つ。カトマンズから東へ12kmほどの所で3王国時代に栄えたルワール族の古都とガイドの説明を受ける。町に入るには外国人は文化財保護基金として入場料を払う。赤茶けたレンガ造りの建物がびっしり並び中世の町そのままだ。古き良き文化を見学する。帰りは市内のレストランで踊りを楽しみながらの食事となった。

24日
 トレッキング予備日の消化のため朝からカトマンズ終日観光に出掛ける。最初は、緑に包まれた丘の頂上に。白いストゥーパが見えるカトマンズ盆地がまだ湖だった頃から丘の上に立っていたという伝説を持つスワヤンブナート寺院だ。盆地が一望できるので眺望を楽しむ。この大きく歴史のある寺院にいるだけで古の人々の信仰心に頭が下がる思いだ。四方を見渡すブッタの知恵の目は常に変わることなく世界を照らして行くだろう。
 次にネパール最大の仏塔が建つボダナートに行く。どこに行っても観光客と信者が多い。古くからチベット仏教徒の主要な巡礼地となっている所で、現在の者は15世紀ころ再建されたものらしい。世界でも最大級の巨大なストゥーパにはタラチョと言われる祈祷旗が張り巡らされ壮観だ。真上から見ると曼荼羅に見えるそうだ。周りにはチベット人経営の土産物屋が並んでいる。
 その後、ダルバール広場に向かう。ネパール語で宮廷を意味する所で3つのマッラ王朝が盆地に君臨した時には王宮前の広場としてカトマンズ王国の中心だった所であるが、今は若者のデートスポットとして人気のようだ。王朝時代の建物は壮観で貴重な彫刻がひと際目を引く。広場の南側には窓枠の木彫りが見事な建物がある。ここは女神クマリの化身として崇拝される少女が住むクマリの館だ。運は良ければクマリが姿を現してくれるそうだ。少し待っているとなんとクマリが姿を見せてくれた。短い時間に手を合わせ願い事をする。広場の中にはレストランがあるのでここで昼食となる。4階建の屋上から広場を眺めながらの食事は楽しいひと時となった。
 最後にネパール最大のヒンズー教寺院であるパシュパテナートに行く。ガンジスの支流であり聖なる川と言われるパグマティ川の川岸にありヒンドゥー教徒以外は立入禁止となっている。ヒンズー教最高の神、シヴァ神が祀られ特に火葬場が有名である。観光で火葬の様子を見るのはどうかと思うが、橋の上や対岸には信者や観光客であふれている。次々と執り行われる火葬の様を眺めながら輪廻転生を信じて墓地を造らないヒンズー教徒の姿が焼きつく。火葬されれば聖なる川に流して終わる。現地ガイドの人の一生は3日、生まれた日が1日、人生は1日の夢、そして死ぬ日が1日だという説明が耳から離れない。さらに付け加えれば立ち上る煙と火葬の臭いが強烈な印象を残した。
 ホテルへ戻り今夜のフライトに備え帰り仕度をする。夕食は市内の韓国レストランで済ませ空港に向かう。23時20分発のダッカ経由香港行きのドラゴン航空に乗る。香港で成田便の3人と別れ中部空港行きのキャセイパシフィック航空で帰途についた。小さく発展途上の国、そして世界最高峰の大きなエベレスト、楽しかった長い旅が終わろうしている。セントレアに着けば現実が待っている。まさに夢を見ていたようだ。
 追記 帰国後、風邪が全快するまで旅より長い約2週間を要した。高地でのシャワーには特に気をつけたい。
 
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