
応仁寺
蓮如上人寿像
蓮如上人は応仁二年(1468年)5月、京洛の兵乱と、
比叡山衆徒の迫害を避けて西端に下向され、宗門再興の
第一歩を踏み出す拠点として一宇を建立した。
延徳三年(1491年)恵薫(栄願時開基)に上人の寿像を
賜る。この時既に恵薫は歿していたので子の恵久が
お受けしたのであるが、裏書によれば、願主恵薫で蓮如の
名と花押や西畠道場の名がある。
西畠道場は永世十五年唯願寺と称し、寛永十五年上屋敷に
移し栄願時と改め、今迄の下屋敷は応仁寺と呼んだ。
明応八年(1499年)3月25日、蓮如上人他界されてより
489年、西端地区民の悲願であるこの寿像が
碧南市有形文化財に指定されたのである。
如光堂
蓮如上人を三河に案内した佐々木如光は
西端に生まれたという。「応永二十一年(1414年)」
浄土真宗の教えが広まったのは、如工の活躍に
よるものといわれている。
昭和三年(1928年)に三河各地からの浄財によって、
この地に如光堂が建てられた。三河地震により
堂は倒壊したが、その後再建された。
如光の童子姿の石像がまつられている。
蓮如上人寿像
堂 内