「阪神間ニュース」10/8号
 

阪神間ニュースweb

 

住基ネットのデータ削除求める 西宮市民33人 (神戸新聞)

2002/10/02
 自治体の住民基本台帳ネットワークシステムに反対している市民オンブズ西宮=折口晴夫代表世話人(51)=のメンバーら市民三十三人が一日、「住民票コードの十一けたの番号付与は、プライバシーを侵害する」として、山田知・西宮市長に異議申し立てをし、三十三人分のデータを住基ネットから削除するよう求めた。
 代表して同市役所に集まった市民九人が、異議申立書を市民課に提出。応対した職員に「法律で決まったからやるのではなく、市独自の判断で中止してほしい」「個人情報を保護する法律が整備されていない中、情報が漏れた際の対処など市民への説明の場を設けてほしい」などと訴えた。
 市民課は「法律で決まったから、としか申し上げられないが、(話し合いの場やシステム上の問題については)法制担当課の指示を仰ぎ返答する」と答えた。
 折口代表世話人は「プライバシーを守る方法を独自に模索している自治体もある。西宮市が住基ネットを必要とするなら、なぜ必要かを説明してほしい」と話している。
 

ダイヤモンドシティがプレオープン/伊丹市 (朝日新聞)

2002/10/02
 JR伊丹駅東側に10日オープンする大規模ショッピングセンター「ダイヤモンドシティ テラス」が1日、事前公開され、近くの人や関係者ら招待客を相手に営業を始めた。相乗効果を狙う伊丹市も、同日から、同駅東側に設置した電光掲示板で、市内観光や催し物の情報提供を始めた。
 この日は約1500人が開店前から並んだ。初めて見る関西最大級の複合商業施設に、買い物客の反応も「見て歩くだけで楽しい」と上々だった。伊丹市伊丹4丁目、主婦早川恵子さん(50)は「日用品からよそ行き用の買い物まで済ませられて便利ですね」と話した。
 伊丹市は同日、これまでJR伊丹駅内の観光物産協会事務所に併設していた特産品展示販売コーナーを、同駅3階の改札口近くに、独立させた。市商工振興課は「ダイヤモンドシティの開店が、市にもプラスになるように、電車の利用客に、積極的にPRをしていきたい」と意気込んでいる。
 

公団への不信感消えず  (読売新聞)

2002/10/02
阪神高速神戸線倒壊訴訟が結審
 「公団側の姿勢には最後まで不信感だけが残った」――。一日、神戸地裁尼崎支部で結審した阪神高速神戸線倒壊訴訟。阪神大震災による同線倒壊で車を運転中の息子、萬英治さん(当時五十一歳)を亡くし、阪神高速道路公団の責任を問い続けた原告のみち子さん(79)は、この日の法廷で、倒壊原因を「天災」とする公団側に、改めて不満をぶつけ、事故に対する反省を求めた。提訴から五年九か月。原告、被告双方の主張は平行線のまま、来年一月の判決を迎えることになった。
「公正な判決を期待したい」と話すみち子さん(左)(1日、尼崎市役所で)
◆原告と被告 主張平行線
 午前十時から開かれた最終弁論には、原告支持者や公団職員らが詰めかけ、傍聴席から裁判の行方を見守った。
 みち子さんは「公団は最後まで欠陥はなかった、と主張したが、(裁判を通して)公団の心ある人は、これからはこう変えるべきだと深く心に思うところがあったはず」などと、しっかりした口調で陳述。傍聴席の公団職員は硬い表情でメモを取るなどしていた。
 閉廷後、尼崎市役所で会見したみち子さんは「公団の対応には不信感を抱いた」と表情を曇らせながらも、「息子には『どういう結果になっても、あなたの望むような形にしたよ』と報告したい。公正な判決を期待したい」と静かに語った。
 原告代理人の一人、小牧英夫弁護士は「公団にはもっと(震災に関する)資料があるはずで、検討して今後の災害に生かされるべき。公団が裁判にあまり資料を提出しなかったのは、証拠隠滅と言ってもいいぐらいだ」と厳しく批判した。
 一方、傍聴していた公団の東潔総務課長(40)らは閉廷後「理解を得られず訴訟となってしまったが、法廷では感情的にならず議論を尽くせたと思う」と振り返った。
 資料提出や倒壊原因の調査が不十分という原告側の批判については、「存在する資料はすべて出した。原因調査も災害復旧と並行しながら、できる限り尽くした」と反論した。
 裁判を傍聴していた尼崎市内の無職女性(65)は「新幹線のコンクリートはく離問題などを考えると、手抜き工事は一切なく、何の落ち度もないとする公団の主張には疑問を感じる。裁判所がどう判断するか、判決もぜひ、傍聴したい」と話していた。
 

堀江謙一さんが子どもたちと交流 西宮浜小 (神戸新聞)

2002/10/03
 七月にヨットで四十年ぶりの「太平洋ひとりぼっち」の横断を果たした芦屋市在住の冒険家堀江謙一さん(63)が二日、西宮市西宮浜四の西宮浜小学校(片山直美校長)を訪ね、六年生の「総合的な学習の時間」で子どもたちと交流した。六年生七十一人の研究発表や質問に耳を傾けた後、「自分を信じて進めば目標は達成できます」とメッセージを贈った。
 同校の六年生は本年度、総合的な学習のテーマとして、郷土の先輩の堀江さんを取り上げた。
 一学期には、新西宮浜ヨットハーバーで「モルツマーメイド3号」の出航を祝ったり、航海中に電子メールをやり取りするなど、堀江さんの挑戦を応援した。
 堀江さんが帰国した二学期からは、堀江さんのビデオを見たり日記を読んだりして、研究テーマを設定。六つの班に分かれて学習を深めた。
 この日は、総仕上げとして堀江さんを迎えて発表。南米エクアドルの岬に堀江さんの名前が付けられていることを知った児童は、在日エクアドル大使館などにファクスを送って集めた情報を紹介した。別の児童らは、堀江さんの九回に及ぶヨット航海を世界地図上に記し、「旅の長さがよく分かった」と感想を述べた。
 堀江さんは、約一カ月間がかりでペットボトルなどを材料にいかだを作った児童らに、「今度はかじを付けると、思い通りに動かせるよ」とアドバイス。また、航海の様子を描いた絵本をプレゼントされると「かっこよく描いてくれてありがとう」と笑顔を見せた。
 最後に「ヨットで太平洋を横断したいという気持ちが強かったから、成功できた」と七月の冒険を振り返り、授業を締めくくった。 
 

JR神戸線など遅れ、線路内に遺体 尼崎 (神戸新聞)

2002/10/03
 三日午前六時ごろ、尼崎市立花町一、JR神戸線立花―尼崎駅間を走行中の甲子園口発京都行き普通電車の運転士が、線路内で遺体を発見し緊急停車した。事故処理のため、三十二分遅れで運転を再開した。
 JR西日本によると、神戸線や宝塚線、東西線などの上下計四十三本が運休、後続の上下計五十八本が最大で三十八分遅れるなど約四万九千人に影響した。
 尼崎西署の調べでは、遺体は尼崎市内の僧りょの男性(28)で、停車した電車の前に通過したいずれかの電車にひかれたとみられる。男性は家族に「死にたい」などと話していたことから、同署は自殺とみて調べている。
 

尼崎21世紀の森構想でフォーラム  (神戸新聞)

2002/10/03
 尼崎臨海部の再生を目指し、県や尼崎市が進めている「尼崎21世紀の森構想」について語り合う「森づくりフォーラム」(郷土振興調査会など主催)が二日、尼崎市のアルカイックホール・ミニで開かれた。市民ら約二百人が参加し、専門家らのパネルディスカッションなどを通じて「森」についての理解を深めた。
 この構想は、工場跡地や遊休地が多い国道43号以南の約千ヘクタールに、百年をかけて森をつくるという計画。市民や企業、行政などが共同で具体化を目指すことにしており、今年八月には、推進母体となる「尼崎21世紀の森づくり協議会」が発足した。
 フォーラムを催した郷土振興調査会は県や神戸新聞社などで構成。県内で森づくりに取り組む関連団体の活動が紹介された後、「市民による21世紀の森づくり」をテーマにパネルディスカッション。
 同協議会会長の盛岡通・大阪大大学院教授や樹木医の古池末之さんら四人がそれぞれの立場から森づくりの重要性を強調し、「自分が主役と思って森づくりに携わってほしい」と推進のあり方などを話し合った。
 

紛争あっせん申し立てへ 尼崎公害訴訟原告団  (神戸新聞)

2002/10/03
 二〇〇〇年十二月、大阪高裁で和解が成立した尼崎公害訴訟の原告団は二日までに、和解条項の柱である「大型車の交通規制」で抜本対策が取られていないなどとして、国を相手に、今月中旬にも総務省公害等調整委員会に公害紛争処理法に基づき、あっせんを申し立てる方針を固めた。原告側は「いまなお排ガス汚染は続いている」と反発しており、あっせんの場で、国側の和解条項不履行を問う構えだ。
 公害裁判で和解成立後、「和解条項不履行」を理由にあっせんを申し立てるのは全国で初めて。申立人は二十一人になるとみられる。
 和解条項では、交通規制対策のほかに、環境庁(現環境省)がディーゼル排気粒子(DEP)や微粒子「PM2・5」を指標とした全国初の健康調査を実施することを明記。阪神高速道路神戸線と同湾岸線に料金格差を設ける「ロードプライシング」の実施▽ディーゼル微粒子除去装置(DPF)の補助制度の実施―などが盛り込まれた。
 その後、和解条項履行に向けた会合の中で、阪神高速神戸線や国道43号での大型車の通行規制について、国交省は「道交法の問題。所管は警察で規制は不可能」と主張。汚染物質の総量削減などを盛り込んだ大気汚染対策実施を表明するにとどまった。
 これに対し、原告側は「既存の規制なら何のために和解条項に入れたのか。総合的な道路交通施策が目的のはず」と反発。具体的な目標値設定を要求するとともに、国側が独自に行った大型車の通行量調査についても、警察との協議の経過が不透明だと批判してきた。
 昨年十一月に試行された「環境ロードプライシング制度」では、国・阪神高速道路公団側が自動料金収受システム(ETC)搭載の大型車などを割引対象にしたが、原告側は「ETC搭載車は少なく、渋滞緩和に役立っても交通量減にはつながらない」と指摘。双方の溝は埋まらず、原告側はあっせんで解決を図る方策を選んだという。
 松光子・原告団長は「命と引き換えの和解なのに、望む回答とは程遠い」と失望感をあらわにし、原告弁護団事務局長の羽柴修弁護士も「和解条項に沿い、国は大型車削減につながる実効策を取る責任がある」などと訴えている。
 尼崎公害訴訟 1988年、尼崎市の公害認定患者ら483人が企業9社と国、阪神高速道路公団を相手に、環境基準を超える汚染物質の排出差し止めと約92億6千万円の損害賠償を求め、神戸地裁に提訴した。99年、企業が解決金約24億円を支払い和解が成立。2000年の一審判決は、国・公団に2億1千万円の支払いを命じた。双方は控訴し、同8月、大阪高裁が和解を勧告。同12月、国などが交通規制など環境対策を進めることで合意、和解が成立した。
 

「国の態度許せない」 尼崎公害訴訟原告団  (神戸新聞)

2002/10/03
 和解条項を国が履行していないとして、公害紛争処理法に基づき、総務省公害等調整委員会にあっせんを申し立てる方針を固めた尼崎公害訴訟原告団の松光子団長(70)が三日午前、尼崎市内で報道陣の取材に応じ、「あまりに誠意のない国の態度が許せない。このままでは志半ばで亡くなった患者に申し訳が立たない」と、あらためて国側への憤りをあらわにした。
 和解後、原告と国土交通省の担当者らは和解条項履行に向けた会合を数回開催。和解条項の大きな柱である大型車の通行規制について、国交省は「所管は警察で規制は不可能」と主張していた。
 松団長はこれに対し「和解条項に入れたのは、和解を早く成立させるための方便だったともとれる」と反発。「六月の会合で国の主張を聞いてから、何か手だてがないか弁護団と調整してきた。十二年間、命懸けで闘ってきたのに、うそをつかれたのなら許せない」と、あっせん申し立てを決めた経緯を説明した。
 その上で「私たちが望むのは大気汚染が一日も早くなくなること。(申し立てで)願いは通じると期待している」と話した。
 一方、国交省近畿地方整備局は「国としては、よりよい沿道環境の実現のため最大限努力したい」とコメントするにとどまった。東京・霞が関の同省道路局には三日朝、あっせん申し立てを報じた神戸新聞の記事などが配布された。職員らは「報道でしか状況が分からない」とし、関係機関との電話連絡に追われた。
 

元の場所に仮設店舗 商店街火災で全焼の鮮魚店 (神戸新聞)

2002/10/04
 尼崎市の商店街「塚口専門大店」など住宅兼店舗約四十軒が二月末に焼けた火災で、全焼した鮮魚店が元の場所にプレハブの仮設店舗を建て、今月から営業を始めた。被災店舗が元の場所で営業を再開するのは初めて。八日に完成式を行う予定で、店主は「以前のお客さんを呼び戻したい」と張り切っている。
 専門大店協同組合の岡本勝治理事長(57)によると、火災前に同商店街で営業していた約二十店舗のうち、これまでに十二店舗が営業を再開。しかし、被災店舗は場所を移して店を構えていた。
 その中で、焼け残った空き店舗で営業を続けていた「魚里本家」=里村登社長(59)=が元の敷地にプレハブ二階建ての仮設店舗を建設し、営業を開始。周囲には更地が広がるが、約七カ月ぶりに親子三代の商いの場に戻った里村社長は「たとえ一店舗でも周囲を元気づけたい」。これまで顧客は飲食店が中心だったが、今月下旬からは一般客向けの小売りもスタートさせる。
 また三日、被災した三商店街と行政機関、商工団体でつくる「火災対策支援連絡会議」の会合が同市内で開かれ、商店主らが今後の復興について意見交換した。
 火災時に消防車が近づけなかったことから、商店主らの大半は道路拡幅を含む再開発事業を希望。現在、三商店街の組合などでつくる「塚口北地区まちづくり協議会」が近隣二百六十世帯に「まちづくりアンケート」を実施しており、岡本理事長は「周辺住民の協力を得て一日も早く再開発に着手できれば」と話している。
 

庁内研修相次ぎスタート 西宮市が管理職など対象 (神戸新聞)

2002/10/04
 西宮市でこのほど、管理職や若手職員向けの庁内研修が相次いでスタートした。市民の要望に応じた政策立案ができるよう自由で柔軟な発想の育成が目的で、いずれも「西宮の新たな魅力づくり」を目指す山田知市長の発案。しかし、次々と打ち出される研修に、役所内からも「本当に役に立つのか」「まず市長が政策を掲げるべき」との声も上がっている。
 九月末に開講した二十代の若手職員向けの研修は、名付けて「西宮創造塾“自由の大地”」。仕事に慣れを感じ始めたキャリア五―十年の男女十六人を対象に、新鮮な感覚や発想を取り戻してもらうのが狙いだ。
 研修は月二回、計十三回。同市在住でカラオケの発明者として知られる井上祐輔氏や、阪神間の文化に精通した夙川学院短大の河内厚郎教授らが講義するほか、グループ討議や塾長(市長)への報告会を開く。五日間、民間の仕事やボランティアを体験する市職員版「トライやる・ウィーク」にも取り組む。
 一方、管理職向けには関西学院大大学院の「地域政策研究ネットワーク」と共同で、「管理職員能力開発共同研究」を立ち上げた。地方分権や都市間競争などの行政課題についての講義を聴くほか、職員が抱える街づくりへの課題も議論する。最終的には、自治体職員が政策立案や説明責任の能力を向上させる「能力開発プログラム」を作成する予定。
 このほか、中堅職員が対象の「政策課題研修」も昨年度から継続している。次々と登場する研修に職員からは「管理職は実践の中で説明能力を身につけるもの」「新たな政策提案を求められているのだろうが、トップの政策が聞こえてこない」など不満の声も上がっており、それぞれの研修の成果が問われそうだ。
 

苦情600件超す 西宮の交通助成金の支給法変更 (神戸新聞)

2002/10/05
 高齢者の社会参加を目的に、西宮市が年間五千円を支給してきた「交通助成金」を九月下旬、鉄道のプリペイドカードなどの購入割引証に変更して配布したところ、六百件を超す苦情電話が殺到していたことが四日、分かった。「現金支給に戻して」との要望が多く、市は「本来の趣旨に沿って変更したが、不便な点は改善したい」と話している。
 同市は一九九一年度から、七十歳以上の市民に交通助成金として、毎年九月に五千円を支給してきた。だが、用途が明確でない現金支給は“ばらまき”との批判もあり、本年度から割引購入証の配布に変更した。
 新制度では、一枚千円の「高齢者交通助成割引購入証」を五枚送付。購入証一枚で、バス利用者は千円以上の回数券を買う際に、阪神、阪急電車の利用者は二千円のプリペイドカードを一枚購入するときに、千円の割引がある。
 九月二十四日に発送したところ、割引証はJRやタクシーには使用できないことなどから、約一週間で六百十四件の苦情が寄せられた。うち二百七十三件は「現金支給に戻して」との訴えで、百十四件が「タクシーも乗れるように」との内容だった。残る約二百件も制度改善を求めていた。
 これを受け、同市地域福祉課は「JRやタクシーが使えないなど不便な点はあり、改善を考えたい」としている。
 同制度の対象者は四万五千三百九十九人。
 

大阪空港の格下げに言及 11市協で国交省側 (神戸新聞)

2002/10/05
 大阪空港について、扇国土交通相が機能格下げや環境対策費の負担割合を見直す方針を示したのを受け、周辺自治体でつくる大阪国際空港騒音対策協議会(十一市協、会長・松下勉伊丹市長)は四日、伊丹市内で幹事会を開き、国交省から説明を受けた。同省は「状況の変化に対応して関西の三空港のあるべき姿を根本から議論するべき」とし、役割分担の見直し検討の必要性を強調した。
 冒頭、同省の金澤和夫環境整備課長が国交相発言について解説。「関西空港の救済が目的ではない」とした上で、(1)国際航空路線に必要な第一種空港として大阪空港を位置付けるのは将来的に無理がある(2)都市型空港である以上、騒音を可能な限り軽減し、発着枠に余裕のある関空にシフトすべき(3)大阪空港利用者の需要や利便性の高さをみると、乗客や航空会社に対する着陸料見直しか新たな利用料が必要―などとし、「年末までに具体的な手法について結論を出したい」とした。
 十一市協からは「国内線基幹空港としての役割はどうなるのか」などの発言が出た。
 幹事会後、金澤課長は同空港の発着枠縮小について「特に騒音のひどいジェット機を関空の枠に入れる考えもなくはない」と述べた。
 

「西宮酒ぐらルネサンス」が開幕 (神戸新聞)

2002/10/06
 西宮の伝統産業の酒造りと文化をアピールする「第六回西宮酒ぐらルネサンス」が五日、西宮市社家町の西宮神社をメーン会場に始まった。酒造各社の新酒も振る舞われ、訪れた市民らはにぎやかな雰囲気を楽しんだ。
 震災復興を目的に始まったイベントは来場者が年々増加。“酒造のまち”西宮の秋の名物行事として定着している。
 この日の目玉行事は「新酒番船パレード」。新酒番船は元禄時代、新酒を江戸に運ぶ着順を競った海上レースで、一番乗りした一行は酒問屋などを踊りながら練り歩いたという。
 パレードでは、武庫川女子大ダンス部のメンバーらが赤の法被姿の「踊り隊」にふんし、その様子を再現。「それいっちゃ、やれいっちゃ」の掛け声で、躍動感あふれる振り付けを披露し境内から商店街を練り歩いた。
 また、今年は沖縄本土復帰三十周年を記念し、黒砂糖などの沖縄名産品の屋台が並び、ステージでは民謡なども披露された。
 六日も各種イベントがある。実行委員会TEL0798・33・1131
 

調停申し立てへ結団式 尼崎公害訴訟 (神戸新聞)

2002/10/06
 尼崎公害訴訟の和解条項を国が履行していないとして、公害紛争処理法に基づき、総務省公害等調整委員会へのあっせん申し立てを決めた同訴訟原告団(松光子団長)が五日、尼崎市内で「尼崎公害調停申立人団」の結団式を開いた。申立人となる二十一人のうち十五人が出席、再び始まる闘いへ結束を固めた。
 冒頭、松団長が「大型車の通行規制で約束を守らない国の態度は許せない。弁護団などと相談し、申し立てを決めた」と経緯を報告。その上で、申立人には(1)(過去も含め)国道43号から百メートル以内に住む人(2)大阪高裁に控訴した人―の中から各年代をまんべんなく選んだと説明した。
 松団長から意見を求められた出席者は、全員一致で申し立ての方針に賛成。この日出席できなかった六人からは既に承諾を得ており、松団長は「新たな要求をするわけでなく、約束を守ってくださいと言うだけ。調整委員はきっちり判断してくれるはず」と訴えた。
 今もぜんそくに苦しむ同市南武庫之荘六、無職福島豆枝さん(74)は「和解成立後も国道43号の大型車は一向に減らないから、原告団として何かしなければと思っていた」と話した。
 申し立ては、今月中旬にも行う予定。
 

波紋広げる扇国交相発言 「神戸空港格上げ」 (神戸新聞)

2002/10/06
 神戸空港の国際化、格上げに積極姿勢を示した扇千景国土交通相の発言が波紋を広げている。大阪空港の機能縮小など関西空港を含む三空港の役割を見直す内容。機能分担しながら三空港併存を掲げてきた神戸市など地元自治体、経済界にとっては寝耳に水の話だ。「大臣の個人的思い」「大阪空港切り」など、“ウラのウラ”の真意まで読み取ろうとさまざまな憶測が飛ぶ。
 「伊丹(大阪空港)に取って代わるぐらいのスタンスでつくるべき」
 八月五日、神戸空港中止の要望書を携え上京した共産党神戸市議らと向き合った扇氏。訴えに耳を傾けるどころか、「神戸格上げ論」に熱弁を振るったという。
 「今回の発言と中身は一緒。格上げは大臣の真意に違いない」と、同席した共産市議はみる。
 繰り返される機能分担の見直し論議。その矛先は常に、後発、建設途中の第三種空港「神戸」に向けられてきた。が、同省航空局幹部は「原点は伊丹の見直しにある」と明かす。
 整備費の六倍の環境対策費を注ぎ込んでいる大阪空港。扇氏は「公共事業として国民理解を得られない」「国際線が飛ばないのに一種のままでいいのか」などと繰り返し述べてきた。背景は「関空民営化や、需要予測の下方修正を論議するなら、廃止予定だった伊丹の問題を棚ざらしにできない」という同省内の共通認識。十月から再開する交通政策審議会では、大阪空港の利用抑制策が具体的に議論される。
   ■   ■
 これに対し、扇氏が言及した「神戸空港の国際化」に、同省内の空気は冷ややかだ。別の幹部は、あくまで三種空港として支援するとし「政治家として、故郷のあるべき姿を語ったにすぎない」と突き放す。
 しかし、兵庫県の政策担当幹部は「伊丹の環境対策費を関空救済に回すのが国のシナリオ。政治的圧力が比較的少ない伊丹がたたきやすいからだ」と指摘。「関西全体が一致できる枠組みを死守する」と強調する。
 また、「国際化」を投げかけられた矢田立郎神戸市長は「役割分担はすでに整理されている」と述べるだけ。昨秋の市長選で掲げた「国際チャーター便の就航」でさえ、長らく口にしていない。「ことを荒立てて、開港時期が遅れる事態だけは避けたい」と市幹部。“あらし”が過ぎるのを待つ構えだ。
 一方、空港建設反対を掲げる市民グループ「新しい神戸をつくる会」世話人の中田作成さんは扇発言を「航空行政の一貫性のなさの表れ。国や自治体が関西圏全体の議論を怠ったツケ」と批判。扇氏に公開質問状を送った。
 

富松城跡保存グループがPR 尼崎市民まつり  (神戸新聞)

2002/10/07
 室町時代に築かれたとされる富松城(尼崎市富松町二)の城跡を次世代に残そうと活動する「富松城跡を活かすまちづくり委員会」(善見寿男代表)のメンバーが六日、市民まつりのパレードに参加した。地域に伝説が残る鬼や名産のソラマメにふんしたユニークな仮装行列が続き、観客の関心を誘っていた。
 地域のシンボルとされる同城の全体像は判明しておらず、現在、土塁と堀の一部が残っている。阪神間の平野部の城館で唯一残存する土塁で、歴史的価値は高いという。
 何世代も親しまれてきたが二年前、突如消滅の危機が訪れた。土地相続人が税として敷地を物納することが認められ、競売の可能性も出てきたからだ。地元では今年一月に同委員会を設立し、保存に向けた学習会やPRに力を入れている。
 約五十団体がパレードしたこの日、「富松は、今、おもしろい」をテーマに掲げた同委員会のメンバーら約七十人が行進した。武将にふんした子どもを先頭に、親孝行の鬼「茨木童子」や「一寸豆」で有名な名産のソラマメの着ぐるみなど、富松の年中行事に欠かせない“名物”が勢ぞろい。後方の子どもみこしからは「わっしょい」の掛け声が元気良く響いた。
 善見代表は「先人の暮らしを伝える城跡を核に、新しい住人も巻き込んだまちづくりを考えていきたい」と話していた。
 

メンソレータム箱デザイン 西宮で今竹さんしのぶ  (神戸新聞)

2002/10/07
 「メンソレータム」や輪ゴム「オーバンド」の箱などをデザインした故今竹七郎さんをしのぶイベントが六日、西宮市立市民ギャラリー(同市川添町)で開かれた。
 今竹さんは一九〇五年、神戸生まれ。神戸大丸などで商業美術を手掛け、戦後は抽象的な絵画を発表。一昨年に亡くなるまで現役の商業デザイナー、画家として活躍した。
 この日は、同ギャラリーで開催していた「西宮美術協会展」最終日。同協会副代表を長年務めた今竹さんについて、羽田英彦代表(63)が「絵はコンテンポラリー(現代的)でないといかん―とアメリカの美術雑誌を読むよう勧められた」と口火を切り、ビートルズを聞き、コンピューターに関心を持つなど先進的な性格が紹介された。
 「高島屋に引き抜かれたことを、『スカウトの最初ちゃうか』と笑っていた」という裏話を披露したのは、大丸宣伝部の後輩、山岡稔典副代表(79)。参加者らは「自分の仕事をしなさい」「アンチでなければ、新しい発想は生まれない」という芸術観と、分け隔てなく付き合うおおらかな人柄をしのんでいた。
 

混声合唱団 歌声で日独交流を/西宮  (朝日新聞)

2002/10/07
 来年、創立50周年を迎える西宮混声合唱団(中桐宏二郎団長)が6日、西宮市六湛寺町のアミティホールで定期演奏会を開いた。今回は音楽を通して交流を深めようと、ドイツの混声合唱団を招いた。後半は出演者全員がドイツ語の歌を披露、約千人の聴衆が耳を傾けた。来春は西宮混声合唱団がドイツを訪れる予定だ。
 西宮混声合唱団は53年創立。大阪や阪神間の20歳代から70歳代の会社員や主婦など約60人で結成し、毎年、定期演奏会を開いている。今回、来日したのは「コンコルディア・ロッケンベルグ合唱団」の約40人。フランクフルトの北約40キロのロッケンベルグという町を拠点に教会などで活動し、来年が創立150周年にあたるという。
 今回の共演は、ドイツ音楽に詳しい指揮者の八木宣好さん(54)が、「違う文化に触れる方が、音楽性は深まる」と提案した。来日して35年になる団員のドイツ人女性エンケ・ティーレンさん(61)が昨年夏、知人を通じてロッケンベルグ側に連絡をとり、実現した。
 舞台は二部構成で、前半はそれぞれの合唱団が民謡などを披露、後半はブラームス作曲の「ツィゴイネル・リーダー(ジプシーの歌)」をドイツ語で一緒に歌った。アンコールではドイツ側から唱歌「ふるさと」を日本語で歌い始め、日本側も声をあわせる場面もあり、観客席の拍手は鳴りやまなかった。
 公演の後、ドイツ側指揮者のマルティン・バウエルスフェルトさん(34)は「たくさんのお客さんの前で歌えてよかった。音楽には人と人を結ぶ力がある。言葉の違う私たちが同じ音楽を演奏することができたのは素晴らしいこと」と話した。
 来年3月末には、西宮側の団員約40人がドイツを訪れ、両合唱団が一緒に日本語で合唱組曲「おおさか風土記」を歌う。歌詞をローマ字で書いた楽譜も用意した。八木さんは「相手の国の言葉で一緒に歌うことで、より深く互いの文化に触れられる。ドイツではなじみの少ない日本の音楽を知ってもらいたい」と意気込んでいる。
  

市民まつり 5000人パレード  (読売新聞)

2002/10/07
拉致事件影響統一行進は中止 巨大竹輪も登場
 市民の交流を深める「尼崎市民まつり」が六日、尼崎市東七松町の橘公園周辺で開かれた。まつりのメーン行事・パレードでは約五千人が練り歩いたが、一昨年から参加している「尼崎ワンコリア統一行進団」は北朝鮮の拉致事件の影響を考慮し、今年は辞退したという。
浴衣姿で踊りを披露する尼崎市連合婦人会のメンバー
 同まつりは、今年で三十一回目。正午からのパレードでは、市内の中学吹奏楽部がマーチを演奏したり、尼崎市連合婦人会が浴衣姿で民謡を踊ったりしながら、同公園前の橘通を約六百メートル行進、沿道の市民から大きな拍手を受けていた。
 また、近くの市役所周辺には、露店やフリーマーケットが出店。その一角には尼崎商工会議所が焼き上げた通常の約百倍ある「巨大竹輪」(長さ約三メートル)も展示され、市民を驚かせていた。
 

長さ3メートルのちくわで加工魚肉業界をPR/尼崎  (朝日新聞)

2002/10/07
 「第31回尼崎市民まつり」2日目の6日、長さ約3メートル、直径約10センチの巨大ちくわ(約50人分)が披露された。尼崎の加工魚肉業界をPRしようと企画されたもので、市内の食品業者らでつくる「あまがさき・食の研究会」のメンバーらが30分で焼き上げた。会場の同市東七松町1丁目の市役所ロビーに集まった見物客らは、初めて見る巨大ちくわにびっくりしていた。
 スケトウダラとイトヨリダイ、ハモのすり身を長さ約3・5メートルのステンレス製の棒に巻き付けた。市内の鉄工所の協力を得て、ちくわがすっぽり収まる特製の横長のガスバーナーも用意、見物客らも加わり、棒を30分ほどゆっくり手で回して焼き目をつけた。
 あまがさき・食の研究会の中川正和会長(75)は「尼崎は、江戸時代、朝廷にかまぼこやちくわを献上していた由緒ある魚の都だった」とこの日集まった約250人の見物客に解説。「ここ50年は不振だったが、ちくわの穴から、明るい練り物業界の将来が見えます」と笑顔で話していた。
 まつりに来ていた同市南武庫之荘4丁目、立花西小学校6年の檜垣友美ちゃん(11)は焼くのを手伝った。「火がちゃんとあたるようにゆっくり回すのが難しかった。全部食べたいな。でも何日かかるかな」と喜んでいた。
 

地元の味「掘り起こし」 尼崎・成徳小で尼イモ収穫  (神戸新聞)

2002/10/08
 収穫の秋を体験しようと、尼崎市蓬川町、市立成徳小学校(冨岡多鶴子校長)の農園で七日、三年生児童三十五人が、強い甘味で戦前まで同市の名産だった「尼イモ」掘りに挑戦した。
 同校では毎年、全校生徒がイモ作りに取り組んでいるが、今年は、尼イモの復活を目指す市民グループ「尼いもクラブ」のメンバーから苗をもらったため、六月から農園で育ててきた。
 青空の下、児童らはスコップで土を掘ったり、つるを引っ張ったりしながらイモ掘りを楽しみ、土の中からミミズや虫が現れるたびに歓声をあげていた。
 尼イモ作りは初めてだったため、収穫は約十個だけだったが、松木星利奈さん(9つ)は「形がおもしろい。食べるのが楽しみ」と笑みを浮かべていた。同校では近く試食会を開くことにしている。
 

PTAが身分証 地域に校門を開放する西宮・樋ノ口小  (読売新聞)

2002/10/08
児童の安全と両立
 昨年六月の大阪教育大付属池田小事件をきっかけに校門を閉ざす学校が広がるなか、地域に校門を開放している西宮市立樋ノ口小(沢徹校長、八百七十一人)のPTA(福井永子会長、約百五十人)は、PTA会員らを対象に校内で身につけてもらう「スタッフカード」(身分証)を導入した。カードを付けていない訪問者や、敷地内に入ろうとする者に保護者らが声をかけ、不審者の侵入を未然に防ごうという試み。同校は「児童の安全確保と、地域に開かれた学校の両立を図りたい」としている。
樋ノ口小PTAが作ったスタッフカード
 同校は阪神大震災で、約七か月間、教室や体育館などが避難所になり、ピーク時には周辺住民ら約千五百人が身を寄せた。グラウンドも半分が避難してきた被災者の自家用車で埋まるなど、住民と学校が一体になって「震災」を乗り切った経験を持っている。
 こうした地域とのつながりの強い同校は、「児童の安全は学校と地域で守る」として、池田小の事件が起きた後も校門を開放。ところが、年内にも校内に地域のスポーツ振興拠点となり、大会や催しを企画・運営する「クラブハウス」の事務局がオープン。週末を中心に学校関係者以外の人たちの出入りが現在より増えることが予想されるため、対策として、カードの発行を決めた。
 カードは縦九センチ、横十センチ。表に「PTA STAFF」、裏に名前と通番が記載され、透明のケースに入れてヒモで首からかける。頻繁に学校を訪問するPTA関係者と、学校で絵本の読み聞かせなどのボランティア活動に取り組む保護者ら五十人を含む計約二百人に発行した。
 福井会長は「できる限り、学校を地域に開かれた場所にしてあげたい。今後、PTA以外の保護者らにもカードを配り、枠を広げていきたい」と話している。
 
 
 



特集  (読売新聞)
 
レオポンのはく製 時代の象徴 決まらぬ「今後」
 
 ライオンの体に、ヒョウの斑点模様。そんな“奇跡の珍獣”五頭が悠然と横になったり、歩いていたり。ガラス一枚を隔てた向こうに、今では見ることのできない「レオポン」がいる。
 「何?」「聞いたことはあるけど……」と言う人が、今は多いかもしれない。来年三月に閉園する阪神パーク甲子園住宅遊園(西宮市)で一九五九年から六一年にかけて誕生した、雄のヒョウと雌ライオンとの混血。
阪神パーク甲子園住宅遊園に展示されているレオポンのはく製
 向かい側にある阪神甲子園球場がタイガースの二十一年ぶりのリーグ優勝にわいた八五年。最後に残った「ジョニー」が人間なら百十二歳とされる二十四年の長寿を全うしたのは、その年の七月十九日だった。
 「前脚だけで、はって寄って来るんですよ。グアー、グアーって叫びながらね」
 当時を知る唯一の職員、動物主任の辻原三郎さん(51)は懐かしそうに話す。死ぬ前年の秋、ジョニーは後ろ脚が立たなくなり、年が明けて間もなく、専用の寝室に移された。最盛期に百三十五キロあった体重は七十キロまで減ったものの、元気さは相変わらずだった。
 それだけに、いつも通り午前九時に出勤した直後に聞かされた悲報は、「いつかは来る」と覚悟はしていたものの、「予想外に突然」だった。前日の夜も帰り際には、ボウルに盛られたエサをほおばっていた。
 当時、十人近くいた動物担当職員の責任者だった辻原さんは、獣医師と寝室に走り、冷たい体を揺すった。「体の右側を下にして横たわり、目を閉じて安らかな顔でしたよ」。硬直の状態から、死んだのは午前五時ごろと推定された。
 「レオポン記念館」で、ジョニーは兄弟たちの最前列にたたずむ。ぐっと口元を結び、遠くを見つめる表情は精かんそのものだ。はく製は修正してあるので分からないが、体を引きずる晩年のジョニーは後ろ脚とほおの両側が擦れて毛がなかった。
 辻原さんは今でも出勤すると毎日、ここに顔を出し、ジョニーに語りかける。「お前がいたころが一番、華やいでいたな」
 そんな〈一時代の終わり〉から十七年後の今年四月一日、レオポン誕生に尽力した元園長、土井弘之さんが八十七歳で亡くなり、その月末、阪神電鉄から「閉園」が正式に発表された。
 レオポン誕生当時、小学六年生だった土井さんの長女、山本綾子さん(55)は「父は帰りが遅く、母から『生まれた』と聞いても『ふうん』としか感じなかったんですけど」と苦笑しながら、「父が生きていて閉園を聞いたら、真っ先に『レオポンのはく製はどうなるんだ』と言うでしょうね」と、父の“遺産”を案じる。
 現在の園長、森永純さん(41)が「戦争に負けて何もない時代、復興に向けた象徴の一つだったと思う」と言うレオポンを生み出した同園の閉鎖まであと半年。
 はく製の「今後」はまだ決まっていないが、辻原さんは「一人でも多くの方に雄姿を見てほしい」とつぶやいた。

阪神パークと珍獣
 一九二九年開業の「甲子園娯楽場」が前身。三二年に「阪神パーク」と改称、阪神大震災後の九七年から住宅展示場を併設した現在の形に。レオポン人気で七三年度には百三十五万人の入場者があったが、娯楽の多様化で現在は二割ほどになった。
 レオポンは一代雑種で生殖能力が低く、異種間交配への批判もあり、子孫は残さなかった。



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