
旧日本軍防衛施設!
伊豆半島は、日本の東西の分岐点で軍事的拠点でした。
当然、旧日本軍は、内地決戦の拠点としてリアス式海岸の伊豆の要塞化をはかりました。
旧日本軍は、相手に突撃して自爆する特攻攻撃を目的とした潜水艦と特攻艇の基地を海岸に配置させて本土決戦に備えていました。
第15突撃隊特攻基地が、相模灘や駿河湾を囲む様に伊豆の港に配置されていたようです
特攻部隊は、海竜という潜水艦と震洋という特攻用モーターボートが配置されました。
特攻艇震洋艇の前に、爆薬をいれ体当りする戦法のモーターボート通称青蛙



海竜

小型潜水艦に翼をつけて敏捷性を強化した海竜
艦の底につけた小型魚雷で攻撃する構造だが、末期は前部に爆薬を詰めて体当り戦法のもの
も出現した。
駿河湾=御前崎-震洋/清水-震洋/沼津江の浦-蛟竜、回天、海竜、震洋/
西伊豆海岸=戸田-蛟竜、海竜/土肥-回天/安良里-震洋/田子-海竜、震洋/

下田派遣隊-20年8/15配置/宇野寛-丸ゆ8号艇の爪痕より()は、艇長氏名南伊豆太平洋-妻良、小浦/9号艇(竹中)、12号艇(堀口)-下田(鍋田)/8号艇(宇野)14号艇(高橋)
東伊豆海岸-稲取/7号艇(丹羽)、6号艇(堀内)
この配置は、戦国時代の北条伊豆水軍の配置に重なっています。
基地には、兵器調整所、燃料庫、修理場、食料倉庫、格納庫、居住区域も装備していました。
一部では、田子などの様にこれらの基地跡は一部現存しているようです。


沼津や下田は、伊豆でも集中して空曝受けました
下田が、太平洋と相模灘の日本海軍の軍事的拠点であると同時に南伊豆の中心でした。
富士を、目印に空軍を派遣したアメリカ軍には沼津をたたくことは必要だったのでしょう。




旧日本軍伊豆要塞化作戦と強制連行の痕跡を追う!
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