
updata 1998.4.2
大鏡 帝紀 一、六十五代花山院
(ここでは略すが、始めに花山天皇の生まれ、生い立ちのあらましが語られる。花山天皇は17歳で即位し、僅か2年の在位のあと19歳で出家している。これには、我が孫を早く帝位につけたいという藤原兼家父子の陰謀が関わっている。ここでは、花山天皇の退位した夜のことが印象深かったこととして語られる。)
<出家を渋る天皇を、道兼公が急き立てる。>
退位なさった夜のことです。天皇が藤壷の上の御局の小戸(清涼殿の夜の御殿から藤壷の御局に通じている妻戸)から出ていらっしゃいました。その夜は、有明の月がとても明るい夜でした。天皇はそれを見て
「月が明るくて気が引ける。」
とおっしゃいます。しかし、
「今更そのようにおっしゃっても皇位継承の印である神璽と宝剣は皇太子に渡してしまったのですから。」
と、道兼公は急き立てます。なぜなら、未だ帝が来る前に、それらの物を自分の手で東宮に渡してしまっていたので、もしも帝が引き返してかえったりしたら大変だ、と思ったからです。
そうこうしているうちに、月に群雲がかかってきます。少し暗くなってきたので、
「私の出家はきっと成就するだろう」
とおっしゃり、帝は歩き始めました。しかし、ふと思い出したのが、今まで大事に持っていた手紙です。亡くなった弘徽殿の女御のお手紙です。
「しばらく待て」
と言って、帝は手紙を取りに戻ろうとしました。しかし、道兼公はそれを阻止しようと、嘘泣きをしました。
「どうしてそのようにお考えになるのですか。今、この時を逃したら、ひょっとして支障が出てくるかもしれませんのに」
<晴明の家の前を通る。>
さて、こうして道兼公がこうして天皇を連れ出し、土御門通りを東へと(ということはおそらく、大内裏の東側の四つの門のうち、一番北側の上東門から出て、まっすぐに行ったのでしょう。)案内していくと、安倍晴明の家の前を通ることになります。晴明の家は土御門町口(土御門大路と町口(下京では、町尻)小路の角。)に有ったので、確かに、その道筋にありました。晴明の家の前を通るとき、晴明の声が家の中から聞こえてきました。
大きく手を叩く音がします。
「帝が退位なさったようだ。星や様々な現象から鑑みて、既に避けられない決定事項となってしまったらしい。参内して報告しよう。急いで牛車の用意をしてくれ。」
そう言っている声が聞こえてきます。
それを御聞きになった天皇は既に決心したこととはいえ、改めてしみじみと感無量に思ったことでしょう。
「取りあえず、式神が一人、内裏に行っていなさい。」
そのような声が聞こえると、目にみえないものが晴明の家の戸を開けて帝の後ろ姿を見たのでしょうか、
「丁度今、帝は家の前を通り過ぎていきました。」
と、答える声がしたとかいうことです。
<花山天皇の出家と道兼公の裏切り>
さて、とうとう花山寺に着いて、天皇は剃髪して出家しました。すると粟田殿(兼家の3男の道兼)は
「ちょっと失礼して、父、道兼にも、出家する前の姿をもう一度見せて、きちんと事の次第を話してから、必ずもう一度参ります。」
と言い出しました。天皇はここで
「私を騙したのだね。」
と泣きました。何と気の毒で、悲しいことでしょう。
道兼公は普段からよく、「私も出家してお弟子となってお仕えしましょう。」と約束していたのですが、それは天皇をだましていたのです。恐ろしいことです。
道兼の父、兼家は、もしも本当に息子の道兼が天皇と一緒に出家してしまったら大変だ、と心配して、思慮分別のある相応しい人々、何々という有名な源氏の武者たちを見送りにつけました。武者たちは、京の辺りでは隠れて、加茂川の堤、つまり洛外に出た辺りで姿を現してお供したそうです。もしも寺などで無理矢理道兼公を剃髪させるかもしれない、と用心して、一尺ほどの刀を抜きかけて、お守りしたということです。
<参考文献>
『日本古典文学全集20「大鏡」』(小学館)
『大鏡 全現代語訳』保坂弘司(講談社学術文庫)
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