我喜屋 光雄
我喜屋 光雄(がきや みつお)1931年、沖縄県に生まれる。1951年、大阪府堺市でキリストに出会い、洗礼を受ける。関西聖書神学校卒業。スウェーデンの宣教団体オレブロ・ミッション、故ヘルゲ・ヤンソン宣教師より牧師の按手を受ける。1991年まで日本福音教会(JEC)理事長を務める。関西聖書学院(KBI)元理事長。堺福音教会初代牧師。2001年2月5日天に凱旋された。
2001年2月5日、堺福音教会の主管牧師として東京チャペルのために力を尽くしてくださった我喜屋光雄先生が天国にお帰りなられました。私はいまだに牧師館に電話をすると先生が出てこられるような錯覚を感じるときがあります。先生は日頃から「キリストにあってすでに天にいる」(エペソ2章6節)ことを説かれておられました。地上での歩みの中で天を生きることを実感として受け取っておられたのだと思います。そのような地と天の信仰の連続性の中に生きておられた先生の生き様がいまだに地上におられるような錯覚を起こさせるのかもしれません。・・・このページには先生と東京チャペルのなつかしいスナップを掲載しました。どうぞご覧になって下さい。
東京チャペル 牧師 北 秀樹
 | 我喜屋先生が東京に来られたのは1986年4月のこと。故・稲本都子執事と共に東京に来られた時、当時、東京近辺に転勤などで移住していた堺福音教会にゆかりのある方々と歓談のときを持たれた。それをきっかけにして「東京にも堺福音教会のスピリットを受け継ぐ群れを創ろう!」というビジョンが与えられた。 |
東京在住の兄姉たちにも、そして我喜屋先生や稲本執事を始めとする堺福音教会の人々の内にも、まるで主が火を点されたように情熱の炎が燃やされた。1987年。センターホテル東京の会議室の一室で、東京チャペルの開所礼拝が持たれた。まだ、定まった礼拝所も無く、毎回講壇を持ち運びしなければならず。毎週会議室を予約しなければならないという不便な日々であった。しかし、そこには主にある兄姉が集るという喜びがあった。そこには主のみことばを求める飢え渇きがあった。
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 | 東京に教会を!という思いは大きな信仰を生み、江東区木場のマンションを購入。決して容易な買い物ではなかったが、主への期待と思いは山をも動かした。堺から1ヵ月に1度、2度と我喜屋先生を始め教職者や長老が訪れてみことばを取りついでくださった。我喜屋先生が見えるときは、特にみんな大きな期待を持って集った。語られる十字架のみことばを固唾を飲んで聞き入った。
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| いつも我喜屋先生は各地のチャペルへの愛情と想いを注いで下さった。1994年北師、ボーマン師の任職式。初夏のチャペルで熱心に主の油注ぎを祈って下さった。ありがとう我喜屋先生。 |  |
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