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12月29日(火)

7:00 AM 起床

7:30 AM ホテル周辺を散歩

10:30 AM ホテルを出発

12:40 PM ジャカルタからポンティアナックへ

2:00 PM ポンティアナック空港に到着

2:40 PM ポンティアナック市内の食堂で昼食

3:40 PM 故安藤栄子先生の記念碑

4:30 PM アンジュンガン神学校のオオタ宣教師館に到着

5:00 PM オリエンテーション・夕食

10:00 PM 就寝


第3話 ジャカルタからポンティアナへ

 朝7:30、サンノーホテルから散歩に出る。メンバーはマナブ君とヒロシ君の3人。道はゴミだらけ、川はドブと化し、メタンガスの臭いが凄い。猫がたくさんいるが、やせっぽちで弱々しい。バスから学生がたくさん降りてくる。バスはゆっくり走りながらみんなゾロゾロ降りてくる。生きている!という感じがする。パンを1000ルピア、ミネラルウォーターを2000ルピアで購入。屋台で何か作っているので注文した。材料は・・・
    ・もやし ・トーバンジャンのようなペースト
    ・ピーナッツ ・とうがらし ・豆腐 ・etc
紙包みに入れてくれた。ホテルに戻って食べたが甘辛い。作り方はとてもワイルドでとても不衛生。ときどき口の中で砂が「ジャリ」と音を立てる。店のおにいちゃんは最初1000ルピアと言ってたのに、5000ルピア出すと2000ルピアしか返ってこなかった。・・・まあいいか。

ホテルから見た街並み

 朝食はホテルのレストランでナシ・ゴレン(焼き飯)を食べる。10:00AMにロビーに降りると、時間通りに昨日のミニバスのおじさんが迎えに来てくれていた。昨日帰り際に「明日迎えに来てやるよ。」と北師に約束していたのだ。2台で20万ルピアというのは1台2000円程度。ぼられているかどうか分からないが変なタクシーに乗って身包みはがれるよりマシかも。スカルノ−ハッタ空港に到着後も昨日の荷物預かりのところで一時停止し、荷物を載せてからガルーダの搭乗ゲート前へと行ってくれた。結構親切なおじさん達だった。

ホテルから出発。荷物を積んでくれるミニバスのおじさん

 ポンティアナックはジャワの北側の昔はボルネオと呼んでいたカリマンタン島の西に位置する。飛行機に乗り込むとスチュワーデスさんが緊急時の説明をしている。その最中、隣ではケイコさんとミユキさんが「おたんこナース」という漫画を読みふけっている。時々「ムフフフ」という笑い声が漏れるのが不気味だ。オオタ先生のところにはスギムラさんという、もと看護婦さんが「教育宣教師」として一緒に暮らしている。(教育宣教師とは宣教師の子供たちの学校の先生なのだ。)漫画は彼女へのおみやげなのだそうだ。海の上は雲ばかりだったが、高度を下げてカリマンタン上空に差し掛かると窓からカプアス川が見えてきた。いよいよ現地に到着だ。それにしても腹が減ってきた。

僕たちが乗ったガルーダ機

翼よあれがカリマンタンだ。

 空港にはオオタ先生、スギムラさん、そして神学校の校長先生が出迎えてくれた。車に乗ると僕は「先生、どこかで昼ご飯食べましょう!」と積極的言動に出た。「それじゃポンティアナのよく行く店に行こうか。」と気さくな先生。車はなんとなく小汚い店の前に止まった。品数は少ないがそれぞれに注文。温野菜にピーナッツソースみたいなペーストをかけたもの。ラーメン。おじや。などなど。注文しているとどこからかギター片手のお兄さんがやってきた。オオタ先生に聞くと「流し」なのだそうだ。

注文したラーメン。器にはAJI NO MOTOと書いてあった。

突如現れた「流し」のおにいさん

 車はポンティアナを離れ、車窓の風景はだんだん田舎になっていく。北師が「なんだか、懐かしいような感じですね。」とポツリ。昭和40年代には日本にもよくありがちなムードなのだそうだ。僕にはイマイチよく分からなかった。2時間足らずでオオタ先生が住んでいるアンジュンガン神学校に到着した。先生の宣教師館は学校の敷地内にあるのだ。女性は宣教師館に、男性は神学校のゲストハウスに泊まることになった。夕方6時頃町の方からコーランの朗読の声が響いてきた。ラマダンと呼ばれる断食期間中、スピーカーを使って町中に日に何度かそのような放送があるのだそうだ。3日がかりの移動で徐々に異文化に接してきたせいだろうか。日本にはない、そんな音を耳にしてもあまり異国情緒は掻き立てられなかった。放送が一段落して外は虫の音。意外に涼しい。明日からの生活を楽しみにしつつ就寝。


第3話 おしまい。



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