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12月31日(木) 5:30 AM 起床 6:00 AM オオタ先生の家庭礼拝 6:30 AM オオタ先生宅で朝食 7:00 AM 洗濯 8:00 AM 作業 11:30 AM 休憩 12:00 PM 昼食 1:00 PM 昼寝 3:00 PM 作業再開 5:00 PM 作業終了、マンディー 6:00 PM 神学校の食堂で夕食 7:00 PM 年越し?の礼拝 9:00 PM 宣教師館で年越しそばを頂く 10:30 PM 就寝 第5話 熱帯の大晦日 昨日の作業の疲れが残っているのだろうか、実に眠い。しかし、そんなことは言ってられない。今朝の家庭礼拝のメッセージは僕なのだ。昨日遅くまで準備したのも眠気の原因だろう。10分間のメッセージはヨハネ3章1〜16節から話す事にした。実は今回のツアーのメンバーはクリスチャンばかりではない。クリスチャンの友達に誘われて「異文化」に興味を持って参加した人、両親が教会には行ってるけど自分は・・・。という人もいる。僕は、別に「キリスト教」という宗教を押し付けるつもりはない。けど、神のひとり子が命を捨てて僕たちのために地上に来てくれたということ。その凄さを知って欲しい。イエス・キリストを信じるということは誰にでも出来ることなのに、信じた者の人生を一変させる実に奇跡的な出来事だ。僕は2年前の教会の青年キャンプでオオタ先生から話しを聞きイエス・キリストをもっと知りたいと心揺すぶられた。実はインドネシアに行ってみたいと思ったのは、オオタ先生がキリストに賭け生きておられる地がどんなところなのか、そのメッセージによって深い興味を掘り起こされたからだ。なぜ先生がそれほどにまで神の愛に動かされ、日本に住むことを捨てカリマンタンの人々のために仕えるようになったのか・・・。その地に行って自分も人生を何のために使うべきかを考えてみたい!知らぬ間に語る言葉にネツがこもる。 ![]() 昨日に引き続き作業が始まった。マナブ君はやっぱりインドネシアの学生達に混じって黙々と洗濯場の基礎造りを続けている。僕とヒロシ君は女子寮のカマル・マンディの扉の修理をこちらも黙々と続ける。(黙々と続けていて、オオタ先生の言う異文化体験になるのだろうか?その点、女の子たちはずいぶん違う。昨日からカタコトの英語や日本語やインドネシア語を総動員してしゃべりまくっている。手よりも口の方がよく動いているんじゃないんだろうか。)ところでカマル・マンディ(kamar mandi)というのは「水浴び場」みたいなところのことである。ここには、ひのき造りの湯舟に浸かって・・・などという習慣はない。雨水をコンクリートの水槽にためて片手桶でザブーーン。これがマンディ(水浴び)で1日に3回も4回もする。朝起きてマンディ、昼飯前にマンディ、夕食前にマンディ、寝る前にマンディってな調子だ。そして、水槽の横には「便器」がある。西洋式バスルームにもあるように便器があってもおかしくはないのだが、何せ水道がないので、用を足した後は例の片手桶で手動で流さなければならない。これが結構難しい。きちんと流れないので何度も流さないといけない。今は雨季でいいけど、乾期で水不足なんてことになったら大変だろうなと考えてしまう。僕たちはロールペーパーを持参したが、ペーパーは常備されていない。どのようにするかは想像にまかせよう。(ちなみにインドネシアでは左手で人に食べ物を回したり、人の子供の頭をなでたりするのは絶対禁物なのだそうだ。) ![]() 10:30AMになって、昨日と同じく休憩タイムとなった。女の子たちが一番最初に覚えたインドネシア語は「チャペ〜(cape)」であった。意味は「疲れた〜」なのだそうだ。今日のおやつはピス・ゴルというもの正式にはピサン・ゴレン(pisang-goreng)と言う。要するにバナナの天ぷらである。???と思われるかもしれないが、これが結構ウマイ!ピスゴルに使うバナナは種類が違うらしくて生では食べれないのだとオオタ夫人が教えてくれた。日陰でピスゴルをほおばりながら甘い甘い紅茶を飲んでいると、仲良しになった日本人とインドネシア人の女の子たちがやけに賑やかだ。どうやら歌えだの踊れだの言っているらしい。お互い言葉がわからない者同士なのによくコミニュケーションできるものだ。そうこうするうちに一人が歌い出した。みんなも手拍子で応える。終わったと思うと、「さあ次はあなたよ!」とかやっている。いつの間にか「素人名人会」みたいなムードになってきた。インドネシアにきてから思うのは、クリスチャンであってもなくても、彼らはほんとに歌うのが好きだ。カリマンタンについた日に「流し」のにいちゃんが現れたのにも驚いたが、生活の中に歌うことが自然に組み込まれている。「カラオケボックス」という特別な装置がなければ歌えない日本人とは好対照だと思っていると、知らぬ間に「次はしんちゃん!」と指名されていた。 ![]() 一日の作業が終わって、マンディをして身支度を整え、僕たちは神学校の食堂へとおもむいた。今晩の食事は神学校の皆さんが僕たちを招待してくれたのだ。食堂に入ると70人くらいは居るだろうか。日本で言う「冬休み期間」(もちろんこちらには冬はないのだが)にあたるので、神学校には留守番役の1年生(昼間の作業はもっぱらこの1年生たちとしている。)と卒論真っ只中の卒業生しか学生はいない。先生たちも数家族だけだ。準備が整うと、まず客である僕たちから取り皿にセルフサービスで盛っていく。食事をいただきながら、神学生たちと楽しいひとときを持つ。食事にもすっかり慣れてきた。(アジア通のはずのマナブ君はお腹の調子が悪いのだそうだ。女の子も2、3人具合が悪いらしい。)しかし、それにしても暑い。じっとしても汗がにじみ出てくる。しかも虫の数がすごく足や手に何ヵ所もさされてカユイ!賛美のあと、校長先生のメッセージが始まるがインドネシア語でよくわからず(オオタ先生がときどき通訳してくれるのだが・・・)、カユミも手伝ってとても長く感じた。こちらの人たちは長い話が苦痛にならないのだろうかなどと考えているうちに話の要点も分からなくなってしまった。外ではまた雨が降ってきた。「紅白」も「ゆく年くる年」もない1998年が暮れていこうとしていた。 ![]() |