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1月3日(日)

6:00 AM 起床

7:00 AM オオタ先生宅で朝食

7:30 AM ガバンの教会に向かって出発

9:45 AM 茶店で一休み

10:30 AM 礼拝

1:00 PM レストランで昼食

3:00 PM マンドールの戦争記念公園を見学

5:00 PM マンディー

6:00 PM 夕食

7:30 PM 証し会

9:30 PM 2次会(?)

11:00 PM 就寝


第8話 ガバン教会。

 北師は大丈夫だろうか。昨日の午後から頭が痛いと言ってミケンに皺を寄せながらゲストハウスのベッドに横たわっていたが。心配しつつ男子寮からゲストハウスに戻ると、すでに北師はスーツ姿でデスクに向かってメッセージの準備をしていた。「大丈夫ですか。」声をかけると「Goooo!」という返事。どうやらいつもの調子に戻ったようだ。今朝はガバンという地区の教会に行く。聞けばアンジュンガンからさらに120km程奥地に入るのだそうだ。軽めの食事をとって僕たちはオオタ先生夫妻がそれぞれ運転する2台のキジャン(トヨタのインドネシア製自動車)に乗り込んだ。ガバンまでは峠を越えて行く。舗装はしてあるものの曲がりくねった高低差の多い道を時速80km近くのスピードでかっ飛ばしていく。制限時速は?と尋ねると「車の性能と運転手の技量の限界が制限時速やねぇ。」という返事がオオタ先生から返ってきた。

甘ったるいコーヒーを飲む北師

 1時間余り走って車は茶店の前に止まった。しかしオオタ夫人もあのスピードによく着いてくるのには驚いた。車から降りてもまだ体が揺れている。お腹が気持ち悪い。それでもアイスティーと揚げ菓子のようなものを食べた。「砂糖抜き」と指定しないと、とんでもない甘い飲み物が出てくる。一服した後、アブラヤシのプランテーションを過ぎるとガバンの教会があった。プニティの教会の2倍くらいの大きさであろうか。ざっと100人は集まっている。牧師先生の話によると、昨日の晩に地域ラジオで日本からゲストが来るというニュースを流したので、近くの伝道所からも人々が集まったのだという。(多くの人々にとってバイクや車は高嶺の花で朝早く歩いて来たのだそうだ。)

ガバン地区の教会

多くの人々が礼拝に集まった。

 牧師夫人の賛美リードで礼拝の準備が整えられていく。会衆賛美が終わると、今度は教会学校の子供たちが前に出てきて特別賛美をしてくれた。とても可愛い。次ぎは中学生か高校生らしい5人の男の子と11人の女の子が素晴らしいハーモニーを響かせる。これで終わりかと思ったら、今度は壮年&婦人の特別賛美。何事もゆったりとプログラムが流れていく。オオタ先生が僕たちの紹介をしてくれた。僕たちも日本語とインドネシア語で賛美をし、ケイコさんが挨拶をした。メッセージは北師が「霊の家を立て上げる」というテーマで語り、オオタ先生がインドネシア語に通訳する。オオタ先生の通訳ぶりは実に慣れたもの。よどみなく北師のメッセージが会衆に伝わっていく。礼拝が始まってからずっと僕の隣に座っている青年が色々話し掛けてくる。相手にしないのも悪いかと思い、例の「筆談」をしていたが、メッセージの頃になるととてもHighになってきた。今、隣の青年と話していて一瞬オオタ先生に睨まれたような気がした。ちょっと自重しよう。

中高生の特別賛美

オオタ先生が僕たちを紹介してくれる。

 礼拝が終わってから、牧師館でクッキーとケーキとココナッツジュースを頂いた。帰り際に、牧師館の裏庭に金網でできた小屋があったので、何がいるのかとのぞき込んだら大きなニシキヘビだった。なんでこんなところにヘビがいるんだろ?と聞くと、どうやら食用なのだそうだ。鶏や豚を飼うのと同じ感覚なのかもしれない。

牧師館にいたヘビ

 帰る途中、ガバンの道沿いのレストランに入った。昼食はオオタ先生が適当に注文してくれた。出てきたのは牛の足の肉入りスープ。結構美味である。そして、食事が出てくる間、先生がどこかに行ってしまったと思っていると、紙袋にどこかで焼き肉のようなものを買ってきて、出てきた料理に合わせて勧めてくれた。少し固めだけど違和感なく食べ終わったら、「これは犬の肉。」と明かされた。オオタ先生もなかなかやるなぁ。知らん顔して配ってるんだもんね。

牛の骨付き肉

 食事をしていると現地の男の人がやってきて僕たちのテーブルの横に座った。オオタ先生とインドネシア語で何やら話している。先生は僕たちが日本から来たことを話しているようだ。男は「ザトイチ(座頭市)」とか「チバシニチ(千葉真一)」とか映画で見たことがあると話していた。身体中に刺青がある。7歳から入れ始めたそうだ。彼はダヤクという部族の出身で、百年くらい前には、結婚の結納には人間の首を狩って持っていかなければ一人前と認められなかったと言っていた。いつの間にか、なんだかそんな話を聞いても驚かなくなってしまった。

ダヤク族の男

 食事が終わって、僕たちはダヤク族のロングハウスを見学に行くことになったが、途中の道が昨日からの雨で冠水していて前に進めず、もうひとつの見学地に向かった。パフマンという町で1台の路線バスを追い抜いた。驚いたことにバスの上にも横にも乗客が溢れている。「あの人たちも運賃払ってるんですか?」北師がオオタ先生に尋ねると「払ってますね。載せたくないのを無理に載せてあげてるんだから。」とのこと。

満員(!?)状態の路線バス

 1時間ほど走ると目的地に着いた。そこは「マンドール」という地名で戦争記念公園があるそうだ。現地に到着した僕たちは鍵の閉まった小さな建物の前に集まった。しばらくすると管理人らしき人が現れ、僕たちを中に入れてくれた。そこには第二次大戦中に日本軍によって見せしめとして殺されたカリマンタンの領主たちの顔写真、当時の新聞の拡大コピーなどが展示されていた。処刑されたインドネシア人の数は21,037人。この数字は日本軍の資料提出により西カリマンタン州知事の名で発表されているかなり正確な数字だそうだ。すこし離れたところには当時の状況が物語風のレリーフになっていた。説明してくれたガイドの方は、「殺された」という事件だけでなく、密告によって現地人が現地人を売るスパイ行為もあり、すべての非が日本側にあるわけではないと冷静に客観的に話してくれた。感情的ではなく、かえって抑制の効いたその説明に、戦後生まれの僕たち一行のひとりひとりの胸の中に様々な想いが去来していた。

マンドールの戦争記念公園


第8話 おしまい。

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