遺伝子が語る生命像


本庶 佑

ブルーバックスB-644(講談社)


現在遺伝子工学技術の進歩によって明らかになった新しい生命像に基づいて、新しい生命観が生まれようとしています。

生命観に大きな影響を与えた分子生物学の発見をかいつまんでみると、

第一は、遺伝物質の構造が明らかになり、これがすべての生物種において同一であることが確認されたということです。。

第二に、生命の基本的な情報を持った遺伝子が非常にダイナミックに動き、変わるということであります。

第三に、個体間の多様性が著しいということであります。


第一の、生命の仕組みが微生物からヒトに至るまで基本的に同じ仕組みでできているということの何よりも具体的な証拠は、ヒトのインシュリンが大腸菌の中でつくられるということで明らかであります。このような発見から、我々は、ヒトが他の生物から際だって特殊な存在であるという考えが誤りであるということを学びます。

今日の我々は、太古の地球上に、非常にまれな偶然の結果生じた、ある一つの生命体から、営々として何十億年もかかって進化してきた生命体一族の一員であるということが確認されたのです。

第二の、遺伝子がダイナミックに動くということですが、これまで長い間、遺伝子は親から子へと代々ほとんど変わらずに伝えられ、わずかな変異の蓄積でもって、生物の進化が起こると考えられていました。

ところが、今日では、遺伝子は予想以上に大きな単位で、また頻繁に入れ替わり変化しているということ、さらに、分化の過程ですら遺伝子がその構造を巧妙につくり変えることが明らかになりました。このような遺伝子の再構築という仕組みが、我々の生体の防御にとって不可欠な抗体タンパク質をつくるのに重要な働きをしていることもわかっています。

このことは、我々の遺伝子情報が不変の侵すべからざるものという観念をうち破り、我々の遺伝子が細胞の中で再構成されるのみならず、おそらくは他の生物種との間での遺伝情報の交換をダイナミックに行いながら進化してきたということを教えています。

第三の、個体が著しく多様性に富んでいるということは、遺伝子の塩基配列が一人一人の間で予想以上に変わっているということから明らかになりました。

ヒトという種は、決して同一の遺伝情報を持った個体の均一な集団ではなく、様々な遺伝情報を包含した不均一な集団であり、その広がりは、ヒトと類人猿との接点に至るほど広いかもしれません。

そして、このような多様性は、ヒトという種を生存し保っていくためにきわめて重要な役割をしてきただろうと予測されます。すなわち、いろいろな環境の変化に応じてさまざまな遺伝子を持った個体があればあるほど、種としてはさまざまな環境に適応することが可能であったからです。
 
このよう考察から、我々はいわゆるクローン人間のような、今日の価値観で統一された同じゲノムを持ったヒトをたくさんつくるということが、生物学的にはきわめて危険なことであるということを学びます。

生命科学の発展は、我々の生命観、ひいては世界観に重大な変革を与えております。科学技術が我々の生活にもたらした便利さだけに、とかく我々は目を奪われがちでありますが、このような世界観の変革、広がりこそ、これまで科学が我々人類にもたらした最大の貢献でないかと、私は考えます。

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