第1章:遺伝子と生命の秘密


生命科学の研究は、めざましいばかりに発展している。なかでも、遺伝子についての研究はものすごい勢いで進歩し、これまで知られなかった遺伝子の働きが次々と解明されてきています。

受精卵ではなく体細胞を使ったクローン羊の誕生は、世界中に大きなインパクトを与えました。この技術を利用すればクローン人間も可能ではないかということで、その是非をめぐって大論議を巻き起こしました。

遺伝子を利用したり操作するバイオテクノロジーは、糖尿病の治療に欠かせないヒトインシュリンというホルモンを大腸菌に作らせたり、害虫や環境変化に強く、しかも大量生産が可能な遺伝子組み換え食品を私たちの食卓に登場させています。

本書は、遺伝子についてわかりやすく解説しながら、巷間、流布されている遺伝子に関する誤解を解くと同時に、人間らしい生き方をするうえで遺伝子をどうとらえていったらいいのかを一緒に考えていきたいと思っています。

遺伝子のメカニズム


遺伝子を理解していただくために、まずは遺伝子と細胞の関係を見ていきましょう。

どんな生物でも、個体を構成している最小単位は細胞です。細胞をさらに分解していけば分子や原子といった物質にまでなってしまいますが、そうなると、もう生命体とはいえません。したがって、生命活動をする単位としては、細胞が細小レベルなのです。

アメーバや細菌などは、たった一個の細胞からなる生物で、単細胞生物といわれています。それに対して、たくさんの細胞から構成される人間などは多細胞生物と呼ばれています。

たった一個の細胞からなる単純な生物だろうが、莫大な数の細胞で構成される複雑な生物だろうが、細胞を中心に生命を考えると、遺伝子と生命活動の関係がはっきりみえてきます。

遺伝子は細胞の核の中に収まっていますが、細胞が分裂するとき、もちろん遺伝子もコピーされます。ですから、60兆個の細胞一つ一つには、すべて同じ遺伝子が納められています。

しかし、それなのに、皮膚にしかならない細胞もあれば、骨にしかならない細胞もあります。同じ遺伝子なのに、どうしてこのような違いがあるのでしょうか。

それは、ひとくちに遺伝子といってもたくさんの数があり、皮膚になる細胞は皮膚になるという遺伝子だけが働き、そのほかの遺伝子は作用しないからです。

その変身のメカニズムは、まだわかっていないところもたくさんありますが、受精卵が細胞分裂を繰り返す過程で、どの細胞がどの部分になるのかが決められ、胎児になっていくのです。



ガン遺伝子


遺伝子と細胞の関係をさらに詳しく知るために、ガンという病気を取り上げることにしましょう。

人間の体を構成している一つ一つの細胞は、それぞれある定められた機能を担い、規則正しく活動しています。つまり、細胞は必要な数だけあり、寿命が尽きて死ぬと、その分がきちんと補給され、むやみに増殖することはありません。こうした細胞の働きは遺伝子によって支配されているので、当然、細胞の増殖も遺伝子によってコントロールされています。

ところが、ガンというのは細胞の増殖コントロールがきかなくなった状態なのです。なぜ、コントロールが効かなくなるかというと、その細胞の遺伝子が突然変異するためなのです。

遺伝子が突然変異すると、その遺伝子の持っている遺伝情報が変わってしまい、そのため、細胞のコントロールが効かなくなるのです。その結果、細胞は無秩序、無制限に増殖していきます。

ガン遺伝子はもともと正常細胞にも存在しており、最近の研究では、人間の細胞の中には70種類以上ものガン遺伝子が存在することもわかってきました。

それでは、人間はなぜ、ガン遺伝子などという危険な遺伝子を持っているのでしょうか?その遺伝子の正体は、何なのでしょうか?

結論から言ってしまえば、ガン遺伝子というのは細胞を増殖させる働きを持つ遺伝子なのです。生物は生きている限り、必要に応じて細胞を増殖させなければなりません。そう言う意味で、ガン遺伝子は生物にとって必要不可欠な遺伝子なのです。しかし、このガン遺伝子が活性化すると、ガン細胞になってしまいます。

人間は成長していくために、また、死滅していく細胞を補うために、自分の細胞を増殖させなければなりません。そして、その増殖をきわめて正確にコントロールする必要があります。こうした増殖をコントロールしているのが、ガン遺伝子なのです。

ですから、ガン遺伝子をもっているからといって、すべてのヒトがガンになるわけではありません。どちらかといえば、発ガンしないヒトの方が多いといえるのです。

というのは、ガン遺伝子はふだんは活性化しないようにロックされているからです。ロックされたガン遺伝子に、何らかの働きが加わるとロックがはずれ、ガン化に向けて一気にアクセルをかけてしまうのです。

自動車にたとえると、サイドブレーキがはずれて猛発進してしまうようなものですが、このサイドブレーキの働きをしているものの一つにガン抑制遺伝子があります。このガン抑制遺伝子が化学物質や放射線などにやられてしまうと、ガン遺伝子が活性化して細胞が癌化してしまうのです。




遺伝子は「生命の設計図」


一個の細胞内の中に納められている遺伝子は、一つだけではありません。非常にたくさんの遺伝子が含まれており、いってみれば遺伝子の集合体なのです。この遺伝子の集合体は生命の設計図のようなものであり、一つの遺伝子は、その設計図の中の一本の線のようなものなのです。

遺伝子は細胞の中でタンパク質をつくるように命令しています。一つの遺伝子は、一つのタンパク質に対応しています。したがって、生物はタンパク質の集合体ということになります。

細胞は多種多様なタンパク質でできています。また、細胞が活動するためにもタンパク質は欠かすことはできません。遺伝子は、こうしたいろいろなタンパク質を作る設計図ということになります。

したがって、あるタンパク質を作る遺伝子がわかれば、その遺伝子をどんな生物にも組み込んで同じタンパク質を作ることができます。現在の遺伝子研究の大きな目的は、遺伝子とそれが作り出すタンパク質の関係を明らかにすることなのです。

遺伝子とDNAはどう違うのでしょうか。

たとえば、水の化学記号はH2Oです。この水が遺伝子で、 H2OがDNAに対応する言葉であって、実際はまったく同じ物質の別々の呼び方に過ぎません。

遺伝子は遺伝を担う機能に注目した言葉ですし、DNAはデオキシリボ核酸(Deoxyribonucleic acid)という遺伝子を構成する化学物質の頭文字をつなげたものです。つまり、遺伝子の本体はDNA,もしくはデオキシリボ核酸という化学物質なのです。

DNAは核酸といわれるように、細胞の核の中に存在し、弱い酸性を示す物質のことをいいます。遺伝情報は、このDNAという化学物質によって書かれているのです。

遺伝子というと、何か不思議な性質を持った、あたかも生き物のようなものを想像するかもしれませんが、そうではありません。少し複雑な構造を持った化学物質なのです。そのため、多くの物質とも化学反応を起こしますし、分解もされます。遺伝を含めて、すべての生命活動は、DNAの化学反応にすぎないともいえます。

DNAを構成する塩基は、たくさんある塩基のうちのアデニン(A)、チミン(T)、グワニン(G)、シトシン(C)のたった四種類しかありません。この四種類の塩基のうちのアデニンとチミン、グワニンとシトシンが、それぞれがお互いに結合します。


DNAは生命の設計図だといいましたが、そのキーワードとなるのがタンパク質なのです。生物の体内では、生命を維持するために必要な化学反応が無数に行われています。これらの化学反応は、酵素という物質によってコントロールされています。

実は、この酵素がタンパク質なのです。ですから、生物はタンパク質によって形作られ、コントロールされているともいえるのです。生物のタンパク質を構成するアミノ酸は20種類です。タンパク質にはたくさんの種類がありますが、すべては20種類のアミノ酸の並び方によって、タンパク質の種類が決まるのです。

細胞内におけるタンパク質の合成は、DNAの情報がまずメッセンジャーRNAへと行き、次にトランスファーRNAに渡され、タンパク質が合成されます。DNAの遺伝情報がRNAに転写され、指定されたタンパク質を作るというわけです。

転写というのは、DNAの遺伝情報をRNAに正確に翻訳させることです。

DNAの遺伝情報はmRNAに翻訳、つまり転写されます。このとき、mRNAの指示に従って、適正なアミノ酸をリボゾームまで運んでくるのがトランスファーRNA(tRNA)と呼ばれているものです。アミノ酸は全部で20種類ありますが、tRNAもそれに対応して20種類あります。

tRNAは、mRNAにインプットされた三塩基一組の情報文字(コドン)を読みとって、20種類のアミノ酸の中から、暗号どおりのアミノ酸を一個運んできます。そして、tRNAによって運ばれてきたアミノ酸が順番につながってタンパク質ができるというわけです。

このように、遺伝情報は、DNA→RNA→アミノ酸→タンパク質へと一定の方向に流れるようになっており、これを「セントラル・ドグマ」といいます。



遺伝子の壮大な無駄の意味とは?


 実は、DNAのすべてが遺伝子を構成しているわけではなく、その中の約5%が遺伝子をして働いているにすぎません。つまり、ヒトのDNAの95%は、生命活動には関係もないDNAなのです。

コドンとして実際にアミノ酸に対応している部分を「エクソン」といい、意味のない部分を「イントロン」といいます。

DNAがmRNAに転写されるとき、エクソンもイントロンも一緒にコピーされます。これを未熟なmRNAといいます。しかし、そのままではタンパク質をつくることはできません。

なぜかといえば、役にたたないイントロンがくっついているからです。そのため、意味のないイントロンを切断して捨ててしまい、エクソンだけにしなければなりません。

必要でない部分を切り取り、必要な部分をつなぎあわせ、タンパク質をつくるための成熟したmRNAにすることを「スプライシング」といい、特別な酵素の働きによって、RNAを切ったり、つなぎあわせたりするのです。



細胞の寿命を計る時計「テロメア」


人間の染色体の末端には、「テロメア」と呼ばれる不思議な構造があります。同じ構造が繰り返し現れる形をしており、遺伝子の一種と考えられています。
 
このテロメアの繰り返し構造は、染色体が細胞分裂する際に複製されますが、そのたびごとに少しずつ短くなっていきます。要するに、遺伝子自体は完全に複製されても、テロメアは不完全にしか複製されません。
 
テロメアが短くなると、染色体が不完全なものになってきます。テロメアは染色体の端にある物質なので、それが短くなってくると、染色体は科学的な安定性を失うと考えられています。そして、テロメアがある限界以上に短くなると、染色体はその機能を失ってしまうのです。
 
そうなると、その染色体がある細胞も自動的に死ぬことになります。つまり、このテロメアが細胞の寿命を計っている時計だったのです。




ヒトゲノム計画


 現在、人間のDNAに書かれた遺伝情報をすべて解明しようと「ヒトゲノム計画」が、アメリカを中心に、イギリス、フランス、日本などが参加しておこなわれています。

DNAは、生命活動に必要なタンパク質をつくるための設計図です。そうしたタンパク質は、DNAに書き込まれた塩基の並び方によって決定されます。AGCTの四種類の塩基の並び方は、いわば暗号のようなものであり、DNAの塩基の並び方を調べることは、DNAに書かれた暗号を解読することです。

このヒトゲノム計画は、生命活動に必要な機能を持っている部分のDNAだけでなく、何の働きもしていないと思われる意味のない部分も解読しています。

このヒトゲノム計画は、私たちに何をもたらすのでしょうか。人間のDNAに書かれた暗号が解読されることで、まず明らかにされたのは、人間の生理や病気に関するものでした。たとえば、いろいろなホルモンをつくる遺伝子の暗号がわかれば、病気の予防や治療に役立ちます。成長ホルモンやインシュリンといった遺伝子の暗号は、すでに解読されています。

また、遺伝子の故障によって起きる遺伝病も、たくさん見つかってきています。現在までのところ、多くの遺伝病の原因となっている遺伝子の故障が、どこの遺伝子で起きているのか分かっていませんが、ヒトゲノム計画では、このような遺伝子をつきとめることも大きな目標となっています。


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