第一部 生命


初めに…地には形がなく、空しく、闇が果てしなく広がっていた…神は言われた。
「光あれ」すると光があった。…神は言われた。
「われわれにかたどり、われわれに似せて、人をつくろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地のすべて、地を這うものすべてを支配させよう。」
神はご自分にかたどって人を創造された。神に似て創造された。男と女に創造された。

(創世記1・1−27)



1章 生命とは何か


これから、人類の未来という驚異の旅へあなたをお連れしましょう。それは、数年前には想像もできなかった未来像であり、この世の男女には手の届かないものであった。だがすべてが、永遠に変わってしまった。私たち人類は生命という炎を御するようになった。そして、自分たちの種を支配する力を手に入れたのである。

この力は、これまで独立した分野として発展してきた二つの科学技術−生殖生物学と遺伝学−が統合されたときに生まれる。現在、まさにそれらが生殖遺伝学として一つになろうとしている。そして生殖遺伝学こそが、クローンから受精卵選別、受精卵選別から遺伝子工学まで、SF小説を現実にするものである。

人類がこれからどこへ行こうとしているかを知る前に、まず私たちはどこから来たのかを知っておく必要がある。生命について正確な知識をもち、それがどのように生じたかを確認し、生命が繰り返し生まれる中で新しい人類がどのように現れたのか、理解して置かねばならない。



生き物に共通する性質


存在する。一つは、どの形の生き物もエネルギーを活用して、無秩序から秩序を作り上げる能力があるということだ。死が発生すると、エネルギーの使用はうち切られ、情報と内部組織はばらばらになり始める。最後にはエントロピーの作用で朽ち果て、土に還るのである。

無秩序から秩序を作り出すのにエネルギーを活用していても、そのことだけでは生きているとは言えない。では、どうしたら生命を定義できるのであろか。

これは、生命という言葉の定義が混乱していることに原因がある。問題は「生命」という一つの言葉を違った意味に使っていることだ。私たちは、「生物としての生」を意味するときと、「意識のある生」を意味するときに、同じ言葉を用いている。



生物としての生


生物としての生は、意識のないものにも、神経性の活動が行われていないものにも存在すると言うことだ。

第一に、生命に不可欠なのは、情報と組織を保持するためにエネルギーを活用する機能である。この性質を持つだけで生命であるとは言えないが、すべての生命は必ずこの性質を持つ。

第二に、生きているものは、一般的に生殖能力を持つ。生命は生命を生み出す。

複製の過程が進化する能力と結びついたとき、生物としての生が存在していくのは確かなようだ。実際、生命について系統立てた説明をしようと思ったら、中心のテーマとなるのは、進化以外に考えられない。生殖、情報と組織を保持し発生させるためのエネルギー活動の両方を含んでいる事象だからだ。

生物としての生は、増殖と進化の産物であり、個体特有な情報と組織を保持するためにエネルギーを活用するものである。



意識のある生

人間について「生命」を言う言葉を使う場合、二つの違った意味がある。一つは基本的なエネルギー活用のプロセス、組織と情報の保持、進化などに関わり、すべての生き物に見られる生命。これとは対照的に、もう一つの意味は、意識をつかさどる大脳の機能に根ざしたものである。

「生命」の二つの違った意味を分けて考えないと、人間の受精卵が生きているかどうかという議論に混乱を引き起こす。一般的な定義からすれば、移植された血液や臓器の細胞が生きているのと同じように、受精卵も当然、生きていると言うことになる。だが一個の細胞が、人間の意識としての生を表しているわけではない。人間の受精卵が人間の遺伝子材料を持ち、「人間としていきる」可能性がある以上、特別な扱いをすべきかどうか、その問題は第三章で考えることにする。

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