「予防法も治療法もない不治の病」の遺伝子診断は行うべきなのか?


もう一つの大きな問題が、予防法や治療法の有無である。

糖尿病やがんのように、遺伝子異常を環境などの多くの因子が発病に関係している病気ならば、遺伝子診断でリスクがわかれば、生活改善などの対策で発病のリスクを低くすることも可能だ。もちろん実際には、生活のコントロールでどこまで発病を予防できるかも今後の研究課題なのだが、少なくとも早期発見・早期治療という有効な方法がある。

だが、単一遺伝子の場合には、まだほとんど治療法が確立されていないのが現状だ。この点で、発病前に遺伝子診断をしていいのか、その結果を伝えるべきなのか、悩んでいる医師は多い。

ハンチントン病を専門とする金沢教授は、「調べるのはやめた方がいい。知らないでいることの幸せもある」というのがポリシーだ。遺伝性の病気の場合、その結果は本人ばかりではなく、親兄弟にまで影響を及ぼすことがありうる。知ったからといって、発病を予防する方法も治療する手段もなければ、いらずらに悩むだけに終わる。救いの手がないのである。

それは、医師にとっても同じ、と金沢教授はいう。本人が知らずに、医師だけがその人の将来の危険性を勝手に知るということもあってはならないという。

実際に、ハンチントン病の研究者であるナンシー・ウェクスラー博士は、ハンチントン病の遺伝子研究にたずさわりながら自らは発病前の遺伝子診断を受けなかった。博士は、二十一歳の時に母親がハンチントン病であることを父親から知らされ、自ら遺伝子病の研究者になった。その後、ハンチントン病の原因遺伝子は特定されたが、自分は遺伝子診断を受けなかった。

しかし、それでも自分の人生設計のために、どうしても原因遺伝子の有無を知っておく必要がある、という人はいる。こういう場合には、金沢教授は自分の意志で遺伝子診断を受けたいと思っているのか、また遺伝について本当に理解しているのか、など充分に診断希望者と話し合っている。「遺伝子診断をするかしないか、判断の主体は本人である」と考えるからだ。

今、アルツハイマー病の研究でも、アポE4というタンパクの遺伝子を持つ人は、アルツハイマー病になる可能性が高いことがわかっている。しかし、今アルツハイマー病には予防法も治療法もない。そこでアメリカでは、この遺伝子診断をアルツハイマー病の診断や予知に使うことをやめようという声明が出されている。技術的には診断が可能でも、やらないことの幸福というものもあるのである。

長い間、遺伝性疾患の研究に従事し、多くの患者を診てきた金沢教授の言葉は重い。ウェクスラー博士は現在、遺伝子診断を行った後のカウンセリングの充実に奔放しているという。

だがその一方で、遺伝子研究をリードするアメリカでは、ハンチントン病の患者の加入を受け入れない保険会社がすでに登場している。また企業が本人に秘密で遺伝子病の検査をする、といった事態も起きているという。

遺伝子診断は、簡単に他者の診断材料を入手しやすいことも、その特徴なのだ。血液検査のための血液はもちろん、PCR法を駆使すれば、うがいで口をすすいだ水からも細胞を入手し、検査することができる。しかし、あるアンケート調査では、アメリカでは「企業主が遺伝子検査の結果を知っているべきか」という質問に、六割がイエスと答えたという。

アメリカに常に追従してきた日本が、ここでもまた同じ道をたどるのか?

遺伝子医学は急展開で進展し、民間の検査会社でもすでに遺伝子診断が行われている。遺伝子からつかんだ情報をどう利用するか、プライバシーをどう守るのか。もう、なしくずし的に状況の推移を見守ればいいというわけにはいかない時期にきているのである。

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