第4章 ヒトゲノムプロジェクトの提案とスタート



ヒトゲノムプロジェクトの五本の柱

「ヒトの体の働きを知り人類の健康と幸福に役立てる」とうたいあげたこのプロジェクトは、具体的には次のような五本の柱から成り立っている。

1) ヒトゲノムDNAの構造解析

ゲノムにになわれている全遺伝子の構造と配置を明らかにすることである。最終的にはヒトゲノムDNAの全文字配列(30億)の決定を目指すが、技術の現状からして、まずヒトゲノムの詳しい地図作りを進める。つまり、たくさんのマーカーを集めてゲノム全体にわたる緻密な遺伝的地図をつくる。

それとならんでゲノムDNA全域をカバーして分析に使える材料、つまりコンティグ(整列クローン)を準備し、これらを使って物理的地図作りを進める。

一方でポジショナル・クローニングなどの仕事を活発に進め、緻密な地図ができた領域からDNAの文字配列決定を始め、遺伝子をその並びの決定作業を進める。そして状況が許す限りこれを拡大して全文字配列の解析を目標とする。

これは手間と時間がかかる仕事なので、作業の不必要な重複を避けなければならない。また、蓄積される成果を、世界中の関連研究者がリアルタイムに活用できるように、良い連絡のネットワークを確立する必要がある。

興味深い遺伝子のあるところには研究者が集まり、競争も避けられないだろう。競争を抑えてしまっては研究者の意欲が失われるので、それを残しながら、協力のための頻繁な情報交流もできるような国際的体制づくりが必要となる。

2) ヒトゲノムDNAの機能解析

文字配列を調べただけではゲノムにどんな遺伝子があるかということはわからない。文字配列決定から見つかってくる新しい遺伝子が具体的にどんなタンパク質を作り、それらはどのような機能をもつのかを調べなくては生物研究としては面白くないし、役にも立たない。

それとは別に、10万の遺伝子が、からだのどの細胞の中で、どれだけ働いているか調べる作業も進めなくてはならない。その先には、受精卵から個体ができあがる発生過程、さらに老化して死ぬまでという時間軸に沿った働きの変化を調べる必要がある。このような全遺伝子の発現情報のデータベースこそ、生きていることを支えている複雑にからんだ遺伝子系の反応のカスケードを解きほぐしていく鍵となるものだ。

機能解析するには通常、細胞の中で遺伝子が働いて作ったメッセンジャーRNAを調べなければならない。しかしRNAは分析しにくいので、これを逆転写酵素でコピーしてcDNAに作り替えてその分析をする。このため、機能解析の仕事をcDNAプロジェクトと呼ぶことがある。

3) 技術開発

現在のDNA解析能力では、ヒトゲノムの文字配列にそのまま取り組んで成果を上げるにはことさら大きな組織やお金が必要だ。近年、DNAの解析能力が画期的に上がったと言っても、それはまだ30億文字を相手にするには低すぎる。

これからますますDNAの解析が活用される時代が来ると考えると、(1)と(2)の柱を進行させていくうちに、技術開発を計って、いまの数百倍に解析能力をあげる努力をしておく必要がある。

当面の国際協力は、アメリカの初代責任者だったワトソンが言ったような文字配列分析の作業の分担よりも、技術開発の努力の持ち寄りが成果が上がると思われる。

10億規模の文字配列を解析するにふさわしい方法論と、大量の試料を解析できる技術の開発なしではゲノム解析は次のステップに進めない。更に言えば、技術開発があればこそ、ヒトゲノム解析がすすんだあとに来るさらに大規模なDNA解析時代に対処できるのだ。

4) モデル生物のゲノム解析

ヒトゲノム計画という名があらわすようにプロジェクトの目的はヒトゲノムの解析だが、これは非常に大きいこともあり、モデル生物の利用も必要だ。

小さなゲノムをもつ生物をモデルとして使えばゲノムの設計原理を早く明らかにできるかもしれない。ヒトのゲノム解析からつぎつぎと見つかってくる新しい遺伝子の働きを知るために、よく似た遺伝子が他の生物の中でどう働いているかを調べることは有効だ。

DNA文字配列決めを実行しながら技術を発達させ、共同作業やデータベースづくりを国際協力で進める経験をつむことにもつながる。実際にゲノムプロジェクトを進めるに当たって、そのくらいの大きさのDNAだったら、そのくらいの労力でできるのかを知ることは、研究の見通しをたてるのにとても大切である。
 
モデル生物を使うもう一つの利点は実験ができるということだ。遺伝子研究にヒトを対象にするときとマウスや酵母を使うときの決定的な違いは明らかだ。今日のヒトの生物の研究はそれ自体意味をもっており、実際に研究を進める人は単にヒトのモデルとは考えていない場合もあることも付け加えておく必要がある。

生物研究としては、多様な生物を多様なものとして知ることが大事なのだ。ヒトゲノム計画の中のモデルと考えているいろいろな生物を分析することと生物の多様性を考えることとは両立するので、当面モデルと位置づけて研究しながら、将来の多様性研究へつなげていくことになるだろう。

5) 生物情報科学

現在のところはゲノム研究を進める中で実際に手に入り、分析をするDNAの大きさは、ゲノム全体に比べて大変小さい。ということは、分析が進めば進むほど、数多くの断片が集まり、大量の試料の整理や分析結果をまとめる情報処理がとても大切なものになってくるということだ。地図作りにしろ、文字配列決定にしろ、出来上がった成果はリアルタイムでデータベース化し、研究者の皆が利用できるように公共性を持たせることも重要だ。

一方、このデータの中から役立つ遺伝子を見つけたり、生命の基本的な特性や興味のある現象を発見することも大切である。このように大量の情報を処理する中で、情報科学として整理や解析の新しい方法論も発展させることもできるだろう。ここには生物科学と情報科学の融合による、生物情報科学という新しい分野の展開がある。

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