第5章 始まった解析作業とそこから学んだこと


ダルベコの提案の時には、ヒトゲノム解析は理念としては結構だが、現実味はうすいと思われていたが、それから10年あまり経った今、それはプロジェクトとして確実に成果をあげている。

ヒトゲノム解析の一つの柱として、30億文字のゲノムDNAの構造を文字配列まで調べ尽くすことが提案されたが、一つの試料を一回分析すると、今の技術で400文字ほどが読める。ただし、数百文字読むごとに数カ所は読めなかったり、読み間違えたりするところがどうしてもあるので、一つの試料を何遍も繰り返し分析することになる。また二本鎖のおのおのを分析することが必要なので、仕事の量はけっこう多くなる。

実際には、ヒトゲノムの地図作りが進められている。染色体の交叉に基づく遺伝的地図とDNAマーカー間の文字数に基づく物理的地図作りがあるが、このうち、遺伝的地図づくりが特別に熱心に進められている。

これに対して、小さなゲノムをもつモデル生物、たとえば大腸菌、枯草菌、酵母、線虫、ショウジョウバエ、シロイヌナズナ(植物)などでは、幸いなことに遺伝的地図作りもすでに進んでいた。そこで、予行演習的に文字配列決定にとりかかってみよう、そうすればそれが技術開発の引き金になるという考えが有力で、主にヨーロッパ(主として酵母)、それから日本(大腸菌、枯草菌、酵母など)でこのような生物の文字を読む作業が試験的に始まった。ゲノムの大小によって攻め方を変えるこの戦略は、幸いにもうまく進んでいる。

ゲノムDNAの文字配列の決定に取りかかるには、いくつかの条件が整っている必要がある。

1) ゲノムの遺伝的地図がかなりの密度で作られていること

2) ゲノムDNAを断片にして取り出し、そのDNAがゲノムのどこに由来するものか、そのDNAにはどのような制限酵素切断部分があるかを調べた物理的地図ができていること。

3) これらのマップの助けを借りて、ゲノムの部分をすべてカバーするようにDNAの断片を更に小さく分割して、直接文字配列の決定作業に取りかかれる材料が整っていること。

4) 100近い複雑な反応をまちがいなくこなすロボット、能力の高い文字配列決定装置(シーケンサー)、出てきた結果をコンピュータでチェックして、整理・保存・検討ができる環境。

5) これらの作業を着々と実行できる環境と、注意深く勤勉な研究者。

6) こうゆう努力をサポートするシステム。もちろん、それには研究資金が重要なものとして含まれる。

分子生物学のモデル生物として研究されてきたバクテリア(大腸菌や枯草菌)や酵母、線虫などでは1)〜4)の条件がすでに満たされている。5)の条件を満足する研究者は、我が国だけでも百グループは軽く超すだろう。つまり、これらの生物のゲノム解析には、その気になり、かつ6)が満たされれば可能な状態にあるのだ。

ヒトゲノムには約10万の遺伝子がある。そのおのおのは、私たちに体を作るとき、あるいは体ができてから、どこかの組織の細胞の中で少なくとも一回は働いているはずだ。「働く」とは遺伝子DNAの文字配列をそっくりコピーしたメッセンジャーRNA(mRNA)を合成し、それを翻訳装置にかけて、遺伝子の指令するタンパク質を作ることを差す。

ヒトゲノムの30億文字の中で、タンパク質を作るために働いている部分、つまり「遺伝子DNA」は数パーセントだ。そこだけを先に調べたらどうだろうか。

遺伝子部分だけを調べるには、それが作るメッセンジャーRNA(mRNA)を調べればよい。RNAの直接分析もできないことはないが、技術上の理由から昨今は試験管内で、逆転写酵素を使って、mRNAの文字配列をコピーしたDNAを作る。これがmRNAに相補的なDNA、つまりcDNAだ。Cは、complementary(相補的)の頭文字である。いろいろな細胞からmRNAをとり、それをもとに作ったcDNAを調べれば私たちの体の中でどんなタンパク質がどこでどれだけ作られているかがわかり、体で何が起きているかがわかってくることになる。

これが日本が提唱したcDNAプロジェクトである。このプロジェクトには三つの大切な役割がある。

1) ゲノムの構造解析とおぎないあう遺伝子部分の文字配列データを集める。

2) ゲノムの機能解析、つまり10万個の遺伝子の一つ一つがどこでどのように働き、調節されているかということと、それら全体がどのように有機的に相互作用して、ヒトという生物を支えているのか、そのメカニズムを知るためのデータベースを作ること。

3) 有用な遺伝子の探索。これはタンパク質を作る部分なので、役に立つタンパク質を作る遺伝子がこの中にたくさんあるはずだ。

当面は、cDNAのデータは地図作りのマーカーとして有用である。ゲノム文字配列の決定はこれからだが、その構造解析の成果は時々刻々病気の原因遺伝子とりなどに活用されているので、とりあえず、遺伝子地図と物理的地図の中に、cDNAの位置を書き込もうという動きが出てきた。つまり「遺伝子地図」を作ろうという考えである。こうしてcDNAプロジェクトはゲノム構造解析と協力しあって、ゲノムの姿を明らかにすることにも貢献し始めている。

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