第6章 社会との接点を考える


ヒトゲノムプロジェクトは、とにかくヒトつまり私たち自身のゲノムが担っている情報をすべて解読するという目標を掲げているのだから、その解読自体が社会とどのような関わり合いを持つのかを考える必要がある。また先端的科学技術に関しては、専門家が役にたとうと考えて行ったことが、実際に社会に及ぼす影響がどうなるのか、未知の部分もあるのでそれも考えなければならない。

ヒトゲノム解析計画についてしばしば出される問題点は次の三つにまとめられるだろう。一つは、科学研究としてこのプロジェクトが持つ意味。二つめはこのプロジェクトの成果の利用の際の問題、そして三つめはこの研究の歴史的位置づけ、あるいは文化・思想に与える影響、である。

ヒトゲノムを中心に、いろいろな生物のゲノムを解析し、その構造や機能を理解しようとする研究そのものは純粋に科学的である。ヒトゲノム解析計画では個人は勿論のこと、民族や人種など、これまでの社会の中で重視されてきた差さえも意味がないとして区別しない。

男女についても、性染色体が女性はXX、男性はXYであるという以外にはゲノムを区別しない。X、Yのデータもつなぎ合わせて作られるから、これも抽象化した男性または女性についてわかるだけで、特定の個人のことが明らかになるわけではない。従ってこの研究そのものから個人の関わる社会的な(倫理・法律も含めて)問題は出ようがない。この点をまず明確にしておこう。

このプロジェクトの恩恵を直接受ける、それゆえに問題点の生じる危険性もあるのは病気、もう少し広く言えば健康の問題である。これについては十分に考えなければならない。

現代の医療の状況を見ると、問題は成人病、遺伝病など内に原因のある病気、つまり、なんらかの形で遺伝子がからんでいるものに移っていることがわかる。なかでも癌や循環器病、痴呆などへの挑戦は緊急の課題である。どれも、これまでのようにひとつひとつの遺伝子を追うのではなく、ゲノムという視野で解明を進めなくてはならない複雑な病気ばかりである。ヒトゲノムプロジェクトが病気の原因を調べ、診断を助け、必要に応じて治療に役立つという姿勢で運営されていることはすでに述べた。

ハンチントン病、嚢胞性繊維症、筋ジストロフィーなどこれまでどのような対策をとってよいかさえわからず、原因も分からなかった遺伝病の原因遺伝子がみつかり、これらの病気の征圧に重要な第一歩が進められたことは、ゲノム研究の成果とされている。しかし、ここに重要な問題がある。遺伝子がわかったおかげで、病気の疑いのある人に対して、発症につながる遺伝子をもっているかどうかを的確に診断することはできるが、残念ながら診断がそのまま治療につながらない場合が多いことである。

原因がわかっても、今は治せない病気の診断は、出生前診断の場合に別の問題を持ち込む。中絶である。診断により胎児に明らかに病気があるとわかったときの中絶を許すか許さないか。そこには宗教も含む価値判断があるだろうが、現在のところ、それは個人の判断に任せるという対処しかないだろう。

ゲノム研究の立場からは、このような問題があるからと言って、診断ができる状況作りを否定するのではなく、まさにハンチントン病のときと同じように社会全体、具体的には医療全体の現場で適切なシステムを作っていく必要がある。対応を望みたい。

ある遺伝子がうまく働かないために病気になるとしたら、その欠陥遺伝子を正常なものに取り替えれば、以後その病気はでないだろう。最も単純な遺伝子治療の発想だ。しかし、現実はそれほど甘くない。

DNAはヒトをヒトたらしめるには十分な安定性を持っている。けれども、世代を時間の単位にとると、常に変化する不安定性も同時に持っている。

つまり、遺伝病は常に起きるのであり、DNAを基本にして生きている生物であるからには、欠陥は避けがたいものと認めてこれに対処していかねばならないのだ。外因性の病気であれば、根絶が可能だが、遺伝子の欠陥にはそれがない。つまり病気であることを前提に、それを診断し、治療するという作業が不可欠なのだ。

筋ジストロフィーの場合もそうであり、幸い原因はわかり診断は可能なのだが、残念ながらまだ根本的な治療法がない。筋細胞のひとつひとつに正常な遺伝子を組み入れて治療することは不可能だからだ。


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